スケール横断的な想像力を獲得する B283『光・熱・気流 環境シミュレーションを活かした建築デザイン手法』(脇坂圭一 他)

脇坂圭一 中川純 谷口景一朗 盧炫佑 小泉雅生 冨樫英介 重村珠穂 秋元孝之 川島範久 清野新(著)
建築技術; B5版 (2022/5/25)

前回同様、昨年春に出版された建築環境本の一つ。

「静岡建築茶会2018│建築環境デザインを科学する!」として開催されたシンポジウムの登壇者による講演内容と対談および作品を紹介したもので、環境シミュレーションにまつわる思想的な背景や具体例を知るのにバランスのとれた良書。

「快適」性に対するスタンスをどうするか

環境について考える際に、快適性をどのように捉えるか、というのは根本的な問題で、どういうものをつくるのかを大きく左右する。
冨樫氏は「快適」の2文字のうち、「適」は温熱環境が一定の範囲に収まっていることを言い、それに対して「快」は不適な状態から適な状態へ移行する際のギャップから生まれるものだという。いわば静と動である。
また、中川氏は「快適」とは「快」い状態に「適」する行動を伴った概念とし、微細な環境の差異から導かれた「動的な熱的快適性」を考える必要がある。という。

「快」は意匠分野が好む傾向があり、「適」は環境分野が好む傾向があるようだが、おそらくそれのどちらが正解という話ではないだろう。
基本性能としての「適」はもちろん重要だが、人間のふるまいや感情というファクターを考えると動的な「快」にも役割があるはずだ。(例えば自然の風の心地よさに1/fゆらぎが隠れているように、適と快の揺らぎがあるようなイメージ。それらの揺らぎを含めて快適となるのではないだろうか。)


上図は中川氏が紹介していた建築における美学と技術の2つを楕円の焦点にあてはめた楕円モデルであるが、楕円状の点Pである建築と2つの焦点との距離はどちらもゼロになることはない。そして、総合という視点において美学や技術に対する偏愛が必要だという。
このことは、先の「適」と「快」にも当てはまるように思うが、楕円のどこに建築を置くかというスタンスがその後の方向性を決めるし、「最適化」というものはこのスタンスの表明でしかないように思われる。

また、ここにおいて、シミュレーションの役割は絶対値の提供にあるわけではないだろう。
結果はどのようなモデルを設定しどのようなパラメーターを扱うかで大きく変わるし、モデル化そのものに先のスタンスや思想が表れる。
重要なのは、相対的な比較によって方向性を定めることだと思うし、そのためにはモデル化の手法、結果から読み取る目、そしてそれを活かすための反射神経が重要である。
自ら環境と関わる意志と経験値が必要だし、環境工学的な基礎を学ぶことによって見えてくるものも変わってくる。また、今はまだ理解していないがコミッショニングという分野も人と環境との関わりを考える上で様々な学びがありそうだ。

スケール横断的な想像力を獲得する

では、自分はどのようなスタンスをとるか。

それはこれまで考えてきた大きなテーマであるが、ここで川島氏の一文を引いてみたい。

このコミッショニングの目的はこれまで主に「省エネルギー」でしたが、「自然とのエコロジカルな関係性」をデザインすることにも活用できる。むしろ、そのような目的にこそ活用されるべき、と東日本大震災以降、特に考えるようになりました。(中略)だからこそ、地球との繋がりを実感できる建築が求められるのではないか。太陽をはじめとする自然の変化を美しく感じることができること。その歓びを通して、身の回りと惑星規模のスケールを横断する想像力を獲得し、自らの価値観やふるまいを見直しつづけていくことができるような建築が求められているのではないか。(p.68)

これまで何度か書いたように、環境問題は「省エネ」といった技術の問題というよりは、「自然とのエコロジカルな関係性」を築けるかどうかの想像力の問題なのだと思うし、シミュレーションはそれを補佐する役割があるといえる。
「適」か「快」か、「閉鎖系モデル」か「開放系モデル」か、あるいは「欠点対応型技術」か「良さ発見型技術」かと言ったとき、それを想像力の問題として捉えた場合、どちらを重要視すべきかは明らかだろう。(もちろん、先の楕円モデルを前提として。)

『カタルタ』の開発者である福元氏は高校時代からの友人なのだが、彼によると、若い頃私はよく「地球上のあらゆる問題は想像力の問題だ」と言っていたらしい。

その発言はあまり覚えていないけれども、確かに、私は建築を想像力の問題として捉えることからスタートしている。

このように、想像力は私たちの世界を広げてくれます。そして、それは私たちのアイデンティティの問題とも深くかかわっています。 「私のいる空間が私である」。だからこそ空間に心地よさを感じられるのかもしれません。(オノケン│太田則宏建築事務所 » 私と空間と想像力)

「私のいる空間が私である」というのは好きな言葉の一つなのだが、この言葉は子供時代を過ごした奈良や屋久島での記憶へとつながっている。
その言葉と現代社会とのギャップから、建築を想像力の問題と考えるようになったように思うが、ここにきてまたこの言葉に戻ってきた。

環境やエコロジーという言葉に対していかなる思想や言葉を持つことが可能か。
ここ数年は、このテーマのもと読書を続けてきたけれども、ようやく抱いていた違和感を解消しつつ自分の言葉へと消化できそうな気がしてきた。

関係する読書は続けるとしても、集中的に読むのはここで一区切りとし、また次のテーマに取り組みたいと思う。

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