全体性から逃れる自由な関係性を空間的に実現させたい B252『現代思想入門』(千葉 雅也)

千葉 雅也 (著)
講談社 (2022/3/16)

デリダをはじめ哲学者の言説はいたるところで目にしてきたけれども、体系的に学んだことがなく、その都度ぼんやりとしたイメージを頭に浮かべることしかできなかったため、このブログでももう少し体系的に学びたいと度々書いてきた。

そんな中、この本の発売を知って早速読んでみた。

これまでも、いろいろな分野の網羅的に書かれた超入門書を手にしたけれども、その多くは知識の羅列でしかないように感じることが多く、結局身につかないことが多い。
しかし、本書は、著者の考えや実践をほんの少し織り交ぜながら、著者自身が初学者であった頃の体験を活かしたような配慮が随所でなされていて、すっと読めた。
また、著者のツイッターをフォローしていて、この本で書かれていることの実践ともいえるつぶやきを頭に浮かべながら読めたのも良かったと思う。

薄く重ね塗りするように

哲学書を一回通読して理解するのは多くの場合無理なことで、薄く重ね塗りするように、「欠け」がある読みを何度も行って理解を厚くしていきます。プロもそうやって読んできました。(p.215)

私が建築を学び始めた頃は、ちょうどこの本で書かれているような現代思想を引いた難解な文書が多く、建築の文献を開いてもまるで暗号文を読んでいるようで、全く理解できないばかりか、理解できるようになった自分を想像すらできない状態だった。
だけど、分からないままでも、建築の文献や、関連しそうな本をとにかく読んでみて、1行でもいいから自分の感じたことを書き出してみる、というのを繰り返していると、100冊くらい読んだあたりから、なんとなく言いたいことが予想がつくようになってきた、という経験がある。
「薄く重ね塗りするように」というのはまさにそのとおりだと思う。

秩序と逸脱と解像度

おおまかには、デリダ(概念の脱構築)、ドゥルーズ(存在の脱構築)、フーコー(社会の脱構築)を中心に、その先駆けとなった思想と、その後展開された思想が紹介されていて、期待していた思想の流れ・関係性を掴むことができたように思う。

二項対立を崩した秩序と逸脱のシーソーゲーム。その拮抗する状態の中から、人生のリアリティを浮かび上がらせていく。
(特に、著者はフーコー的な統治が進行する現代のクリーン化を求めがちな社会に対し、逃走線を引くような、「古代的な有限性を生きること」を大切にしているように感じた。)

「秩序と逸脱」は建築においても、例えば、

建築構成学は建築の部分と全体の関係性とその属性を体系的に捉え言語化する学問であるが、内在化と逸脱によってはじめて実践的価値を生むと思われる。

内在化は、たとえばある条件との応答によって形が決まったりするように、外にあるものを建築の中に取り込むことだと思うけれども、それだけでは他律的すぎるというか、建築としては少し弱い。
何かが内在化された構成・形式から、あえてどこかで逸脱することによって建築は深みを増すように思う。もちろん、逸脱のみ・無軌道なだけでは建築に深みを与えることは難しい。

何かを内在化し、そこに構成を見出し、そこから逸脱する。この逸脱が何かの内在化によってなされたとすると、さらに、そこに構成を見出し、そこから逸脱する。すると、そこには複数の何かを内在化したレイヤーが重なり、そこにずれも生じることになる。
この内在化・観察/分析・逸脱のサイクルを繰り返せば繰り返すほど、建築の深みが増す可能性が高まる。(オノケン│太田則宏建築事務所 » 建築構成学は内在化と逸脱によってはじめて実践的価値を生む B214『建築構成学 建築デザインの方法』(坂本 一成 他))

というように、リアリティを浮かび上がらせるための重要なテーマである。
個人的にも秩序と逸脱の拮抗した状態を現代的な感性のなかでどう実現するかを考えたいと思っている。それは本書の文脈でいうと、ドゥルーズの逃走線、求心的な全体性から逃れる自由な関係性と、ある種のクリエィティビティのようなものを空間的に実現させたいということなのかもしれない。(それが実現できているかどうかはさておき)

また、さまざな要因が絡み合っていると思うけれども、建築が扱う差異は、ますます繊細なものになってきているし、ものごとをより高い解像度で捉えることが必要になってきているように思う。

今後の目標

現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えられるようになるでしょう。(p.12)

今後の目標としては、まずは、この本で紹介されている入門書を中心にいくつか読んで、より解像度の高いイメージを掴みたい。

『ドゥルーズ 解けない問いを生きる(檜垣 立哉)』『動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学(千葉 雅也)』は読んだことがあったので再読してみるとして、

『デリダ 脱構築と正義 (高橋哲哉)』
『ミシェル・フーコー: 自己から脱け出すための哲学 (慎改康之)』
『人はみな妄想する -ジャック・ラカンと鑑別診断の思想-(松本卓也)』

と、前から関心のあった、

『マルクス 資本論 シリーズ世界の思想 (佐々木隆治)』
『四方対象: オブジェクト指向存在論入門(グレアム ハーマン)』
『ブルーノ・ラトゥールの取説 (久保明教)』
『自然なきエコロジー 来たるべき環境哲学に向けて(ティモシー・モートン)』

あたりを読んで、今年中にブログに書くところまでやってみたい。

また、これまで、関心をもってきたアフォーダンスやオートポイエーシスは、哲学ではないかもしれないけれども、秩序づいた状態を扱うのではない、関係性を中心としたはたらきの思想、beではなくdoの思想だと思っているので、ドゥルーズ的な変化や、古代的な有限性を生きることと重なる部分も多いように思う。その辺の解像度ももう少し高められればと思う。
『知覚経験の生態学: 哲学へのエコロジカル・アプローチ(染谷 昌義)』は生態学を哲学の中に位置づけ直すような意欲的な本だと思うけれども、開いてみるとガッツリとした哲学書っぽく、読める自信がなかったけれども、これが読める見通しがつけばと思っている。)

さらに、本書と一緒に買った『現代建築宣言文集[1960-2020]』も「現代思想のつくり方」的な構図で読めれば、より解像度高く、かつ、その先を見据えた読み方ができるかもしれない。

そして、願わくば、学生時代に買って全く歯がたたなかった『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて(東浩紀)』を面白く読めるようになりたい。

今年は、省エネ等含めた環境的な部分の学びを進めていくとともに、この辺りの地力をじっくり上げていきたい。







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