自然とともに生きることの覚悟を違う角度から言う必要がある B251『常世の舟を漕ぎて 熟成版』(緒方 正人 辻 信一)

緒方正人 (著), 辻信一 (著, 編集)
素敬 SOKEIパブリッシング (2020/3/31)

あるきっかけで水俣の仕事に関わったのと、以前読んだ本で著者に興味をもったので読んでみた。

生国という言葉は水俣病に関する運動をされていた緒方正人氏が苦悩の末にたどり着いた言葉で命のつながりの中で生きる、というようなことだと思う。(オノケン│太田則宏建築事務所 » 物語を渡り歩く B245 『自然の哲学(じねんのてつがく)――おカネに支配された心を解放する里山の物語』(高野 雅夫))

父親を水俣病で亡くし、その後チッソや行政に対する補償運動にも関わってきた緒方正人の語りを、辻信一がまとめたもの。
一度1996年に出版されたが、2020年に増補、熟成版として再刊行された。

緒方氏はやがて『チッソは私であった』と運動から身を引き、制度に組み込まれた解決を拒む。
漁師であった父親の話から、運動から身を引くようになるまでの話と、その後考え続けてきたこと。様々なことが語られるが、その中心には父親の残した言葉や行動の記憶があり、漁師として自然とともに生き、体感してきたことがある。
環境やサスティナブルという言葉ではこぼれ落ちてしまうような、自然とともに生きることの力強さと覚悟、知恵があり、それらを私たちが失いつつあることを突き付けられる。

それを最も強く感じたのは、

俺は最近思うんですが、水俣病事件には三つの特徴がある。この三つを指摘するだけで十分。他にはもう何も言う必要はないんじゃないか、という気がしています。
ひとつは、いわゆる「奇病騒ぎ」が起き、世間にパニックが起きてイヲが売れんようになっても、我々漁民たちはイヲを食い続けた、ということ。ふたつめに、最初の子や二番目の子が胎児性水俣病であっても、三番目、四番目を産み続け、育て続けたこと。授かるいのちはすべて受け続けたということ。そして三つ目に、毒を食わされ、傷つけられ、殺され続けたけれども、こちらからは誰ひとり殺さなかった、ということ。水俣病事件について俺が自信を持って、誇りをもって言えることはこの三つだけです。
この三つはすべて、いのちに関わることです。猫が次々と死に、鳥が死に、人が死んでいき、その原因として魚が疑われても、漁村の人々は魚を食べることをやめなかった。(中略)俺は思うんですよ。人間以外の生きものを疑う気持ちが漁師にはなかったんじゃないか。いのちというものを疑うということがなかったち思う。だからこそ、そのいのちをいただくことへの感謝もまたゆるぎなくあった。エビスさんに、海の神さんにもらったという感謝の気持ち。(p.225)

という部分。
今なら、自己責任として逆に批判を浴びかねない(実際そう感じる人も多いだろう)ことを「誇り」をもって語っている。
その背後にある壮絶な苦悩は想像もできないけれども、自然とともに生きることの覚悟、人間以外の生きものを、社会の問題・損得勘定の問題と切り分けて考えてしまうことへの怖れ、というものが自分含めてほとんど失われてしまっているのだと突き付けられる。

そういうものは、今まで自然とともに生きてきた人間たちが、持続可能という言葉を使わずとも築いてきた知恵だと思うけれども、そういうものは僅かな時間で資本と科学の物語に塗り替えられてしまっている。

個人的には、資本と科学の物語に乗らないものが力を持つことが難しくなっているので、こういうことばかりを言ってても、とは思う。(間違っても緒方さんが、という意味ではない。)
しかし、環境問題を突き詰めると、根本的な思想や世界の認識の問題に突き当たることは間違いない。

その壁を乗り越えて伝わるものにするには、やはり物語を自在に操り、いろいろな物語を行き来するような越境者、自在な者であることが必要なのかもしれない、という気がしている。(オノケン│太田則宏建築事務所 » 物語を渡り歩く B245 『自然の哲学(じねんのてつがく)――おカネに支配された心を解放する里山の物語』(高野 雅夫))

そろそろモートンもちゃんと読んでみよう。

▲エコパークみなまたの埋立地の先端には、恋路島に向かって緒方さんたちが彫った野仏が無言の祈りを捧げている

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