W020 『THE☆郡山』


かごしま探検の会の2007年度第1回まち並みウォークラリー。今回は妻と息子を連れて行ってきました。
[gmaps:31.68118660523632/130.465350151062/17/460/300]稲荷神社[/gmaps]


1. おなじみ?田のかんさぁ

上園の田之神
この田之神は、元文元(1736)年に建立されたもので、郡山周辺ではもっとも古いものです。姿は、田之神舞型で、高さは約80センチ、頭には大きな敷きをかぶり、右手に杓子、左手に椀を持っていますが、欠落がひどくて、顔の表情は理解できません。(ウォークラリー・レジュメより以下同じ)

田のかんさぁの土台の部分に小さい穴が開いてることが多いのですが、その穴は子供がトリモチを作るときに出来たそう。へぇ~~
2. 郡山城跡

郡山城跡
中世の頃の山城で、かつては郡山氏が領有していました。しかし、南朝方の伊集院忠国によって、攻め落とされるなど、苦境にあいますが、後々灯志島氏によって伊集院氏は敗走させられることになります。

3. 途中にあった石倉。
この後地頭仮屋後に寄ったのですが今はJAになって面影が残っていませんでした。(立派な石垣があったそうです)

地頭仮屋後
江戸時代のはじめの郡山は、島津氏の重臣である平田氏が領有していましたが、平田増宗が入来峠で暗殺されてしまい、藩の直轄領になりました。それが慶長15(1610)年のことで、この地に地頭仮屋が置かれることになりました。



4~14. 稲荷神社緑に彩りを添えるようなかたちで桜が咲いていてとても雰囲気のいい場所でした。
7.立派な杉が五本立っています。東川さん指定の”世間遺産”に選ばれました(南日本新聞木曜夕刊参照)。
10.里山の風景を見るとなんだかほっとします。
11.12.社を守るようなかたちで向かいあって立つ石碑(なんて呼ぶのでしょうか?)実は穴からのぞくとそこには。言われないと気づかないかも。
13. 子泣きじじぃのようなキュートな田のかんさぁ。



15.16.菅原神社

菅原神社
創建は不明ですが、昭和55(1980)年に社殿を改築した際に、拝殿正面に慶安5年と嘉永6年と書かれた文字が見つかったことから、その頃と推測されます。御祭神は菅原道真公

17.招魂碑群

招魂碑群
西南の役に従軍した35名、日清・日露戦争のもの、上海事変から太平洋戦争までの招魂碑が並んでいます。

その他いろいろと面白い話を聞いたのですがここには書ききれません。
歴史がずっと(かなり)苦手だったのですが、興味が湧いてきました。知識があればもっと話を楽しめるはずなのにもったいないなぁと。定員の40名近くは参加してたんじゃないでしょうか。他の参加者の方たちが話をしているのを聞くのも面白いです。年配の方が多いのですが、歩きながら庭の趣味や家のたたずまいについて話をしているのを横で聞いているだけでもためになります。
今日も平屋の家々が自然にとけこむ風景を見て「やっぱり平屋がいいねぇ」と盛り上っていました。土地の条件等あるので一概には言えませんが、やっぱり昔の民家の方がたたずまいとして美しいですね。すぐに結果は出ないかもしれませんが、こうして歴史やまち並み、その中に現れる人間の営みに触れていくうちに何かしらの影響が僕の思う建築にも出てくるんじゃないかと思っています。

今日も虎翔はみんなに愛嬌を振りまいていました。(子育ての先輩方がたくさん。)
この後、健康の森公園で食事・散歩して図書館によって帰り、選挙にも行ってなかなか充実した週末でありました。

image_print

関連記事







コメント:0

コメント フォーム
情報を記憶

関連性の高い記事

PHP Code Snippets Powered By : XYZScripts.com