永留さん

僕が建築を続けていく上で一番の理解者、もしくは応援者(と勝手に僕が思っている人)を失った。
先に逝ってしまった。
このブログは、僕にとってのその時々を記録として焼き付けておくためのものだから、やっぱり、永留さんについても書き残しておくべきだと思った。

永留さんとは結構長い付き合いかと思っていたけれども、僕のブログに最初にコメントをくれたのが、この記事、2009年の1月19日だったので、まだ10年と少しの付き合いでしかない。

このときは、時々ブログにコメントをくれる「すっとん卿」さん、だったのだけど、しばらくしてLEAPの編集者で、建築に並々ならぬ思いを持っている人だと知った。

それからは主にネットを通じて頻繁にやり取りをするようになったけれども、永留さんとは歳も同じで、なんとなく趣味嗜好やキャラ的な立ち位置、ちょっとした子供時代のエピソードなど、自分と重なる部分も多く、何となく他人のような感じがしなかった。

そんな永留さんがある時、僕のことを応援している、と言ってくれた。確か僕が独立する間際、すごく気持ちが落ち込む事があって少し弱音を吐いた時に、それに対しての言葉だった気がする。
なので慰めの意味が強かったかもしれないけれども、「太田さんは、鹿児島に人脈や受け継いだ地盤もないし、学生時代に特別な才能が認められて目立ってたわけでもない。それでも、ほとんどここでゼロの状態から建築をやろうとしていることに共感しているし、応援しているので頑張ってほしい」というような言葉だったと思う。今では、永留さんも何かしら自分自身を僕に重ね合わせるような部分があったのかも、と思う。

このころはSNSで繋がりが生まれはじめた頃だったけれども、それまではほとんど同世代の知り合いもいなくて建築的にはずっと孤独だった。そんな自分にとって、この言葉には本当に救われたし、こういうことを言ってくれる人が身近に存在すること自体がその後の自分にとっても支えになってくれた。

また、独立時の模型展ではトークイベントではインタビュアー役を引き受けてくれた。その時の音源はいっちーが録音してアップしてくれてたものから、こっそりダウンロードしてて、年に一度くらい初心に帰りたい時に聞き返している。このときの最後あたりの永留さんの言葉、「個人的には学生ではないプロの建築家のむき出しの表現衝動を見てみたい」「これらを捨てて新たなフェーズに移行していくのかわくわくしながら見ていきたい」というのはそれからもずっと頭に残っていて、これに応えたい、「ほら、永留さん、僕にもここまでのものができたよ」と一生のうちに一度でも言えるようになりたいと思っていた。

それからは時々SNSでその時々気になったことなどを投げあって、年に一度飲むだけの仲間の一人、というような(僕らにとって心地よい)距離感でここまで来たけれども、やっぱり僕にとっては特別な一人だった。
 
 
 
また、鹿児島には建築に関して批評の場がない、つくり手以外からの視点が表現される場がほとんど存在しないように思うけれども、そんな中、永留さんが地域情報誌の中に建築のコーナーを守り続けてきたことは本当に貴重なことだと思う。それは、実際、簡単なことではなかっただろうし、永留さんもそこに建築に関わる人としての意地と誇りを持っていたと思う。
80回以上続いた『建築のある街並み』のコーナーはこんな文章で始まる。

このコーナーでは、「建築」を紹介します。
ここで扱う「建築」とは、美しい街並みの一角を形作るタテモノ、
または多くの人々の記憶に永く留まるタテモノ、のこと。
街や通りとの関わりから、建築に込められた
持ち主・作り手の思いを紐解きます。

直接お会いしてからすぐの頃、建物見学がてら(一応、建築士の目線でも感想を聞いてみたいとの名目で)このコーナーの取材に同行させてもらうことがあった。その時に、車中で話題の一つとして「このコーナーの頭の文章、永留さんの名前を埋め込んでるんですね。」と切り出したところ「初めて指摘してもらえましたよ。」と笑って言われたけれど、この文章に相当な思いが込められているのはすごく伝わってきた。
その、貴重な場所を背負ってきた人がいなくなってしまった。
 
 
 
そして、昨日、お通夜があった。遺影を見つめていると、今でもすぐそこにいるような感じがした。「オノケンさん、僕のお通夜やってるんすよ、笑えるでしょ。」とあのニヒルな笑顔で言っているような気がした。いやさすがにここでは笑えない、と思ったら少し泣けてきた。
永留さんと一緒に鹿児島を案内した高知の建築の友人がここに来れなかったので、代わりにお焼香を多めにしておいた。
アホみたいにたくさん折り鶴折って帰ったら笑ってくれるかなと思ったけど、何となく人目が気になったので6羽でやめて、また明日と帰った。

今日、告別式に行った。本当に最後かと思ったら本当に泣けてきた。「オノケンさん、僕のお葬式やってるんすよ、笑えるでしょ。」とは言ってくれなかった。ご家族のことを考えるとつらかった。

今、これを書いてる。ようやく、もう、自分の一部を重ねたり、重ねられたり、ということはできないんだと知った。もう、永留さんに直接僕のつくるものを見てもらうこともできないんだな、そういう視点の存在を失ったんだなと知った。
だけど、やっぱりいつの日か、「ほら、永留さん、僕にもここまでのものができたよ、見てよ」と言わなきゃいけない気がした。
 
 
永留さん、本当にお疲れさまでした。僕も一応、これまでみたいにこつこつ頑張ってみるつもりです。どこまでできるか分からないけど、もしその日が来たら報告するよ。

それまでどうぞゆっくりしてて下さい。




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