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はぁ~~~~

・「現代建築の傑作」解体へ(2007/09/28付 西日本新聞朝刊)

・都城市民会館来年1月にも解体(asahi.comマイタウン宮崎)

・市側は淡々、反対市民は落胆都城市民会館解体決まる(2007/09/28付 西日本新聞朝刊)

はぁ~~~~
やるせないです。

ハガキを出すときには一抹の期待を抱いていたのですが・・・・。

壊すのは簡単(といっても2億5千万もの費用がかかります)ですが、もう二度と取り返せません。この作品を生んだ時代の空気も二度と繰り返すことはありません。

これが都城が選んだ未来なのだとすれば、僕は二度と都城には行きたくない。

はぁ~~~~建築なんて無力だな・・・

追記)

都城市議会で、同市民会館のアスベスト除去費を含む解体費(約2億5000万円)が盛り込まれた補正予算案が賛成25、反対14の賛成多数で可決された27日、保存を訴えていた市民団体などには落胆が広がった。一方、市民アンケートなどを実施し「十分な議論を行い、費用面も考慮して最善の結論を出した」としていた市側は淡々とした表情で議場を見つめた。(2007/09/28付 西日本新聞朝刊)

賛成25、反対14ということはおよそ36%の人(といっても議員が必ずしも市民の声を代弁しているとは限りませんが)が反対をしているということだし、たった6人の人が反対に回るだけで否決されたということ。それに市民アンケートの手法自体もかなりあやしい。(詳しく知らない人はおそらく解体と答えるとような誘導的な質問内容。また、なぜそんなに解体を急ぐのだろう。)

シンポジウムに来られていた現代美術家の彦坂尚嘉氏が(ほとんど涙ながらに)都城市民会館をダビンチと同格の超一流のものであるとし、日本では<一流>のものは残されても<超一流>のものは残らない、と嘆いていらっしゃいましたが、ダビンチに匹敵するようなものの存続を議員の多数決で決めてよいのでしょうか。

(同じくシンポジウムに来られていた、DOCOMOMOJapan幹事長の兼松氏のブログでも同じようなことを言われていますが、本当に彦坂氏の言葉には心を動かされたのです。あの場に解体派の議員が一人でもいたのでしょうか・・・。まったく。)

しかし彦坂尚嘉さんの論考を聞いていて、そういう想いや思索がふっとんでしまうほど心が動かされた。
もしかしたら人類の遺産「都城」にあるダビンチを、失ってしまうのではないかという焦燥感に襲われたのだ。
彦坂さんは言う。
都城市民会館は異形という言葉では言い顕せない「超一流」。
そして若くしてなくなったロッククイーンといわれた、類型の無い、不世出のジャニス・ジョプリンに触れながら述べる彦坂さんの、涙している心をも垣間見てしまったからだ。
天才のつくった超一流を、多数決で壊していいのだろうか!

はぁ~~~~




Wine.B.Cellarの定理

winecellar.gif
上の図をご存知だろうか。Wine.B.Cellarのパラドックスといわれる図である。
同じ図形を使っているのに面積に違いが生まれているのがお分かりだろう。
この図形を発見したCellar氏は研究を重ね「幾何学において得られる結果は、さまざまなありようの中の一つの可能性に過ぎない」というWine.B.Cellarの定理を発表しこれによって2006年にノーベル幾何学賞を受賞している。
この後さまざまな人がWine.B.Cellarのパラドックス図形を発見し、今では幾何学の計算などによって求められる結果には最大5%程度の誤差が生まれる可能性がある、というのが数学者においての常識となりつつある。
しかし、ここからが問題なのだが、中学や高校の数学にこの定理を適用するかどうかが問題となっており今の段階で見送られている状況。数学教師の中にはこの定理を知らないものもいるようで、数学好きの生徒に詰め寄られて困惑するということも頻発しているようだ。

というのはもちろん嘘で(完全にでっちあげです)、上の図はこの記事からの転載。この絵をみて一瞬ありえないと思ったのですが、ありえないことがあるはずがないと思ってしばらく考えてしまいました。そんな中ありえないことがありえたんだったら面白いなぁと思う自分もいたり。
例えば学校の幾何学のテストで微妙な数字の違いで間違えたときに、この記事の上の部分だけプリントして「先生、これってWine.B.Cellarの定理による誤差の範囲内だから正解じゃないっすかぁ?」と数学教師に突きつけてみたらどういう反応が返ってくるだろうか。
その反応でその教師が数学をどれだけ愛しているのか、どのように愛しているのかが分かるかもしれません。(鼻で笑われるかもしれませんが・・・)




B120 『吉阪隆正とル・コルビュジエ』

倉方 俊輔

王国社 (2005/09)
都城のシンポジウムにも来られていた倉方さんの著書。

この時の倉方さんの発言が 理路整然としていて分かり易く、頭のいい人だなぁ、と思ったのと、コルと吉阪の両者は最近僕の中のキーマンとして再浮上してきていることもあって図書館で借りてきた。

コルビュジェという「個性」に出会い、吉阪隆正という「個性」が誕生する様子がよく分かる。

コルビュジェは多面的な要素を内包しつつもそれをうまく調整しながら 対外的に立ち回ってきたように思うが、吉阪はその多面性を引き継ぎつつそれを拡張し続けたように思う。それが、吉阪のつかみ所のなさと魅力になっているのだが、倉方さんの”つかみ所のなさに苦労しつつもその魅力をなんとか伝えたい”という思いが伝わってきた。

さて、吉阪はコルからなにを学び、私たちは彼らから何を学ぶべきだろうか。

まず、吉阪がコルから受け取った一番のものは「決定する勇気」であり、そこに吉阪は「惚れ込んだ」ようである。

彼の「決定する勇気」は、形態や行動の振幅を超えて一貫している。世界を自らが解釈し、あるべき姿を提案しようとした。あくまで、強く、人間的な姿勢は、多くの才能を引きつけ、多様に受け継がれていった。

吉阪の人生に一貫するのは、<あれかこれか>ではなく<あれもこれも>という姿勢である。ル・コルビュジェから学んだのは、その<あれ>や<これ>を、一つの<形>として示すという決断だった。

多面性を引き受けることはおそらく決定の困難さを引き受けることでもあるだろう。
しかし、コルは多面性を引き受けつつも魅力的な解釈を生み出し、決定していく強さを持っていた。
それこそがコルの一番の魅力であろうが、吉阪はそこに惚れ込みコルの持つ強さを引き継いだ。とすると、まさにその強さによってその後の「対照的なものを併存させる」ような思想を展開することが可能となったように思う。

また「決定する勇気」 の源といって良いかもしれないが、建築を『あそぶ』ということもコルから引き継いだものだろう。コルの少年のように純粋な(そしてある部分では姑息な)建築へのまっすぐな思いに触れ『あそぶ』強さも引き継いだに違いない。

吉阪の魅力は、(機能主義、「はたらき」、丹下健三に対して)それと対照的なところにある。むしろ「あそび」の形容がふさわしい。視点の転換、発見、機能の複合。そして、楽しさ。時代性と同時に、無時代性がある。吉阪は、未来も遊びのように楽しんでいる。彼にとって、建築は「あそび」だった。「あそび」とは、新しいものを追い求めながらも、それを<必然>や<使命>に還元しないという強い決意だった。(括弧内追記・強調引用者)

多様性や格差が言われる今の時代に多面性を引き受けずに単純な結論を出すことはおそらく不可能だと思う。(誰のための必然・結論か、という問題が必ず現れる)

そんな中にあっても、多面性を引き受けその中に意志を見出し決定する勇気は、今こそ必要であろう。

そういう勇気と決断力を持ち、形にしていく(イメージ化し実践する)能力があり、またそれを「あそび」へと 転化できるような才能が待たれているのかも知れない。




B119 『海馬 脳は疲れない』

池谷 裕二 (著), 糸井 重里 (著)

新潮文庫 (2002/6)


たこ阪さんのところでかえる文庫した一冊。

いやぁ面白かった。対談形式(しかも糸井メソッド)なので読みやすいのはもちろんのこと、目から鱗な話がもりだくさん。

ちょっと前半部分の目から鱗をメモ代わりに挙げてみると

・年をとると物忘れがひどくなるというのはうそで、引き出しが多くなるので探すのに時間がかかるのと記憶の方法が暗記メモリー法から経験メモリー法に 変わるため。

・ストッパーをはずせ。

・つながりの発見が大事。つながりの可能性はべき乗で増える。

・脳は疲れない。

・頭は歳をとってもよくなる。

・ヤル気はやる前には起きない。やり始めてからヤル気が起きる(作業興奮)

などなど。

こういう話と日常のふとした感覚をつなぎ合わせていくところが糸井さんのうまいところなので、本当の面白さは本著を読んでみないと分からないけれど。 (そういう意味では各章の最後についているまとめはちょっと余計かな。ここが面白かったというところがまとめに挙げられてなかったりしたし。)

池谷さんが受験勉強で数式も覚えず経験メモリーを駆使していたというのは、あっやっぱりっていう感じ。僕も暗記はめちゃくちゃ苦手だったので いつもどうすれば覚えることを少なくできるかを考えていた。

この本を読んで一番思ったのは、『俺は馬鹿だから』とか その手の言葉を使うことが、どれだけ可能性をなくしてしまうもったいないことかということ。

その言葉を使うことで 『俺は馬鹿』な状態を固定してしまうし、脳が生き生きと活動する機会も失ってしまう。(自分の子供にも この手の言葉は使ってもらいたくない。)

うーん、『進化しすぎた脳』も読みたくなりました。(思えばdan氏の書評が『本が好き!』を知るきっかけで、その結果たこ阪さんを知って、その結果同じ池谷さんの本を読んでたりしてる。面白いなぁ)




勝ったどぉ~~~

明日以降、天気が大きく崩れるということで、今日はドライブに行きました。

出発前には唐船狭でそうめん流しを食べて指宿のなのはな館あたりでゆっくりしようか、と言っていたのですが、急に、串木野のまちの雰囲気(港やパラゴンとか)と阿久根の海を味わいたくなって北薩方面へ予定変更。

あいにく天気は崩れてあまり味わえなかったのですが、そういえば途中に川内がある、ということで慌ててカバンに本を詰め込んで、阿久根の帰りに川内のたこ阪さんに寄ってきました。(ごちそうさまでした~)

たこ焼きは久しぶりでしたが、生地の味が生きてておいしかったです(塩との相性が良かった)。そして少しお話させていただいてかえる文庫で4冊の本をゲットしてきました。本を読むペースを落としているのでいつになるかは分かりませんがいずれこれらの本も記事に書こうと思います。

夜、家に帰ってブログをチェックしてみると 薩摩之風さんが僕のこないだのエントリーとたこ阪さんのエントリーを受けて地方についての記事を書かれていました。(たこ阪さんへのコメントで暗に参加要請したのが届いたのか・・・)

はじめに、僕の記事を受けてのたこ阪さんの記事についてですが、その前の僕の記事が少しまずったなぁ、という印象でした。

何をまずったかというと、 あの記事は僕の個人的な思い入れやライフスタイルの問題をそのまままちづくりに直結させた書き方をしてしまったので、それは無理だわなぁと当然なってしまいます。そしてそこを鋭くつっこまれてしまいました。あいたたた。

そして、その後の薩摩之風さんの記事を読むと、あっ、結構言いたかたこと言ってくれてるやん、という感じでした。(実は他のエントリーを読んで、なんか援護射撃してくれそう、ってことでコメントで暗黙の参加要請をしたのでありました。他力本願ですが・・・)

僕が言いたかったのは、まさしく『モノサシの逆転』だし、その結果『地方はカッコイイに敏感な人たちが集まる場所に』なれれば良い、ということだったのです。(再び、他力本願)

まぁ、それだけで全てが好転するとは思えませんが長期的な視点で見たときの一つの可能性であると思うし、そういう可能性を受け入れる懐の深さを地方は持って欲しいという希望でもあります。

また、この記事を読んで僕が考えたのは、『エコカッコイイ』を一般化し 『地方はカッコイイに敏感な人たちが集まる場所に』なるためには、思想をリードする”カリスマエコカッコイイナー”が必要だということ。(薩摩之風さんの記事では”ナイキとか”)

僕が前の記事で書いた”イメージ化”とつながりますが、” カリスマエコカッコイイナー”はそういうライフスタイルを体現しつつ活動を行っている(または行おうとしている)アーティストやデザイナーが向いているんじゃないかと思います。(実際そういう方もいらっしゃいますし)

そこで、僕の提案は” カリスマエコカッコイイナー支援プロジェクト”。

そういう活動をしている人(したい人)にある程度の支援を行い、我が地域を” カリスマエコカッコイイナー”が集う聖地とすること。それによって、地域のブランド化および地域住民の意識の転換を目論む、というもの。

空いている民家や施設の部屋を貸し出したり、一定の活動費を援助するのは地方財政の全体から見るととその効果に比してそんなに大きなウェイトにはならないんじゃないでしょうか。

なんてことを考えました。(もう一度書きますが、これらは一つの可能性でしかありませんし、これだけで地方が変わるとは思えません。ただ、やれる範囲でひとつひとつ実践して全体を押し上げるしかないと思います。)

え~、前置きはこれぐらいにして、今日のタイトルについてですが、今日、川内から帰る車の中で妻が『ビリーのDVD、最近見ないと思わない?・・・・友達に貸した。』と告白しました。そう、妻があの戦いの敗北宣言をしたのです!
やりました、ついに勝ちました!
まぁ、妻にしてはよく頑張った方だと思います。(とは言っても最初の数日以外はやってるところを見たことがないのでいつまで続いたのかは・・・)
これで、日本の将来は安泰です。おまけにこれはまさに”エコカッコイイ”を推進するためのウォーミングアップのようなものでもありました。これで、地域の未来も明るいと言えるでしょう。僕が必死にチャリンコをこいでる姿は今の価値観では決してカッコイイものではありませんが、いずれこれがカッコイイの最先端になり、皆が「そういえばお前は昔からエコカッコ良かった」などと言ってくれるようになるはずです。どうしよう。




地方はどこへ向かうのか。(草稿)

またまたですが、たこはんさんのエントリーを読んで。

この本は未読なので読んだらまた別にエントリーを書きますが、とりあえず今漠然と考えていることについて。

反論の余地のある未熟な考えであることは分かっていますが、(草稿)ってことでおおめにみて下さい。また、自分が実践できているわけではないので自戒の意味もこめて書きます。

たこはんさんの意見にだいたいにおいて共感するのですが、まだ僕の中で整理のついていないのは以下の部分。

前々から感じているのですが、地方というのはもう都会へ供給できる商品がないようなのです。グローバリズムっていうのには抗えないのです。

グローバリズムには一定の価値を強要し、同じステージに乗りなさい、という強制力や暴力性があると思うのですが、これと同じ方を向いているときっと上記引用の通りだと思う。

もともとグローバリズム自体が搾取する構造をもっているのだから、これに乗ってはやっぱり絶望的になる。

だからといってどうすれば良いかはよく分からないけれど、ベクトルを都市に向けるんじゃなくて今生活している地域そのものへ向けないといけないんじゃないだろうか。

そして、グローバリズムの価値観をずらして地域へと向くためにはグローバリズムに着せられている鎧を一つずつ脱いでいかないといけないように思う。

都市化とは外部への依存化を進める過程ともいえるけど、そこから自由になるにはそういった鎧(外部依存)を一つ一つ脱ぎ捨ててそれを生活への楽しみへと変えていき、それによって求心力を得るしかないのではないだろうか。(都市化の進んだ場所では鎧を脱ぎ捨てることはかなり困難でしょう。また、それが楽しみとなって求心力を得られるのが理想。そのためにイメージ化と実践が必要)

今一度、足元にある生活を見つめなおすこと。都会がどう転んでもできないことを楽しむこと。そして、幸せのイメージを育てていくこと。(幸せという言葉は使いにくいですががんばって使ってみた。)

そのためには『イチロー? 誰それ?』という強さ・感受性を育てることも重要になる。(ですが、知識による武装は必要です)

ただ、そういうイメージを育てていくことが難しいことは理解しています。

少し前にラジオで食育の話をしていて、『 今の大人世代にむしろ食育が必要だが飽食の時代で育ってきた大人を教育するのはかなり困難といわれている。だからこそ子供たち・次の世代の教育が重要になってくる。』というようなことを言っていました。

高度経済成長期 を経験してきた大人たちが、個人ならともかく地域としての価値観を変える(持つ)ことはかなり困難でしょう。

だからこそ、次の世代にイメージを引き継ぐことに目を向けなければいけないのだと思うのです。

そのためにはイメージを描き続けること。そして、少しでも実践していくこと。

それしかないのではないでしょうか。

キーワードは『生活』と『教育』。だと思います。

まぁ、あまっちょろい意見かもしれませんが、少しは楽しいイメージを描けなければ誰もついてこないのではないでしょうか。(それが難しいっちゅうねん!)

最後にm.mさんの記事から再度孫引き。

「自分の身体により近い足下にこそいろんなものを積み上げていくことが大切なんだと思います。
今の社会は全員がよそのものでよそのことをやっているという感じがするんです。
私の理想は、人間が一日で歩ける半径40キロくらいの範囲で野菜や水など
必要なものが手に入り、その地域の中で暮らしが循環できることですね。
足下の衣食住のような小さな紡ぎあげこそが文化だと思うんです、
足下から生活をつくり上げる力がとても重要なんだと思います」(SOTOKOTO環境移動教室28よりSTARNETのオーナー馬場浩史さんの言葉)

雑誌の記事はまだ読んでいませんが、こういうことも関係があるでしょう。だって、僕たちが子供のころに”まちをどうしたいか”、とか生活そのものと直結するような教育を受けた記憶があんまり ないですもん。それとも、記憶がないだけで実際にはいろいろあったのかな。本当は小さいころからひとりひとりが真剣に考えていかないといけない問題だと思います。
(今日は早く寝るぞ)




問題

たこはんさんからこんな問題が出ました。

あなたは同じサイズのボールを12個もっています。そのうち11個は同じ重さですが、1つはほかのものよりもわずかに重いか軽いかです(つまり同じではないということ)。秤を3回だけ使ってこの違うボールを見つけるにはどうすればいい?

みなさんも考えてみてください。
昨夜はうまくいかないと思ったけれど、朝通勤中に考えてみるとうまくいってそう。(昨日はなんでうまくいかないと思ったのか)

ということで昼休みに作成した僕の回答はこちら(WORDPRESSが勝手にレイアウトを修正してしまうので外部ファイルにしています)

こんな感じです。これでいいのかなぁ。
他の方の回答をみてみたらもっと解説が親切でした。重さが違うのを犯人扱いしているのが同じだったのが面白い。




B118 『包まれるヒト―〈環境〉の存在論 (シリーズヒトの科学 4)』

佐々木 正人 (編さん)

岩波書店 (2007/02)

日本におけるアフォーダンスの第1人者、佐々木正人に関連する書評はこれで4冊目であるがぐっとイメージの広がる著作であった。(ゲストは作業療法士の野村寿子、心理言語学者の古山宣洋、生態心理学者の三嶋博之、哲学者の染谷昌義、齊藤暢人、写真家のホンマタカシ、映画監督の青山真治、小説家の保坂和志)

佐々木正人を初め様々な分野の先端を走る人達が『環境』をテーマに語るのだが、そこには共通のある認識が見て取れる。それは、偶然というよりも時代の流れを感じるものである。

以下、備忘録がわりにいくつかメモってみる。

メモ

●野村寿子(作業療法士)
脳性麻痺の方などのリハビリ用の椅子を作っている方。
これまでは姿勢を矯正するようなつくりであったが、矯正するのではなくサポートをするような作り方で、その処方は全く逆の方向に向くことも。
人間が環境と関わりあえることを信頼しているような作り方。
なるほどの連続。患者さんは環境と関わるサポートを受けることで生き生きと環境との関わりを生み出していく。

● 染谷昌義、齊藤暢人(哲学者)
哲学のことはあまり理解できたとは思えないが、少しだけイメージはつかめた気がする。(イメージだけで言葉が正確ではないと思いますが)
デカルトの認識論(二元論)によって物質と精神の2つに区別され、それが今の世界の認識の仕方の主流になっている。
環境と自己が区別された上でそれらが別個に考察されている。
そこには俯瞰された世界があり(例えば宇宙)その中のある座標に物質としての身体があり、それとは別に自己の意識が存在している。
という見方。
そうではなくてそういう俯瞰する視点を取っ払って、自己と環境の、というとまた二元論になってしまうけれど、自己を含む環境から考察をスタートするやり方があるのでは。

スミスとヴァルツィの環境形而上学(有機体がその中で生活しその中を移動する空間領域や空間領域の部分、つまり有機体を取り囲む環境についての一般的理論)はまさに空間としての環境を扱っている。

●ホンマタカシ(写真家)
カルティエ=ブレッソン派(決定的瞬間を捉える・写真に意味をつける)とニューカラー 派(全てを等価値に撮る・意味を付けない)の対比

何かに焦点をあて、意味を作ってみせるのではなく、意味が付かないようにただ世界のありようを写し取る感じ。

おそらく前者には自己と被写体との間にはっきりとした認識上の分裂があるが、後者は逆に自己と環境との関わり合いのようなものを表現しているのでは。

建築にもブレッソン的な建築とニューカラー的な建築がある。

建築として際立たせるものと、自己との係わり合いの中にある環境の中に建築を消してしまおうというもの。

● 青山真治(映画監督)
《像》ではなく《身振り》に。

同じように 《像》として、または物語としてはっきりと焦点を結ぶことを嫌う。自己と物語の分裂のもと、俯瞰的な視点を持つのではなく、『対象の 《像》への結晶化を 《環境》とともに回避』させる。

『結晶化』によって環境との微妙で豊かな関係性が分断され、物語に回収されてしまうことを恐れるのでは。

おそらくゴダールだけが、人間を信じていない、心理を信じていない

という言葉が印象的。

● 保坂和志(小説家)
同じような対比としてダンテの『神曲』とカフカを挙げている。
カフカも具体的なイメージが焦点を結んだり全体像が掴まれることを回避している。
不思議な部分の積み重ねによって全体像が現れることなく、何かしらのものが(著者は『カフカの現実』と言っている)が立ち現れている。
こういうカフカの表現は空間の一つのあり方。奥行きの表現の仕方を示しているようにも思う。

「一瞬の中に永遠がある」「一にして多なるもの」「朝露の一滴が世界を映す」これらの言葉を私は「わかった」とはいえないけれど、「シュレディンガーの猫が生きているか死んでいるか」という問いのように難解だとも思っていない。それどころか、世界の真理とは結局のところこのような言葉でしか語らえないとも感じている。

著者は宗教者の言葉に興味を抱いているが、そう言われると禅問答のようだし、禅問答は言葉を拡張して世界の真理を掴もうとする一つの手段とも思える。

関係性によって全体を獲得する?

本書の趣旨が関係してもいるだろうが、3人の表現者が環境について語ったことに共通の意識があることは偶然ではないだろう。エピローグで佐々木正人が水泳と自転車の練習を例に出している。
水泳の練習をしている時、自己と水との関係を見出せず両者が分離した状態では意識は自己にばかり向いている。同じように自転車を道具としてしか捉えられずそれを全身で押さえ込もうとしている間は自分の方ばかりに注意を向けている。
それが、ある瞬間環境としての水や自転車に意味や関係を発見するようになりうまくこなせるようになる。
自己と環境の間の断絶を乗り越え関係を見出したときに人は生かされるのである。同じように、建築においても狭い意味での機能主義にとらわれ、自己と対象物にのみ意識が向いてはいないだろうか。
その断絶を乗り越え、関係性を生み出すことに空間の意味があり、人が生かされるのではないだろうか。
そのとき、これらの事例はいろいろなことを示してくれる。人は絶えず「全体」を捉えようとするが、逆説的だが俯瞰的視点からは決してヒトは全体にたどり着けないのではないだろうか。ぼんやりとしたイメージでうまく表現できたか分からないし、本著はもっと奥行きがあると思います。気になった方は御一読を。




W029 『魅惑の長田町をあるく』

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予定が合わなかったり雨で中止になったりとなかなか参加できてなかったのですが、久しぶりにかごしま探検の会のウォークラリーに参加しました。

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今回は県民交流センターからスタートし近くにありながらなかなか足を伸ばすことのなかった長田町を散策。

1. 横山安武森有礼生育の地。

横山安武は役人の腐敗を憂いて集議院に十条の意見書を掲げ切腹をした人だそう。いつのときも役人の腐敗はあるものだ。今はこういう気概のある人はいるのだろうか。

2-4. 椋鳩十邸宅跡・椋鳩十の部屋から見えていたであろう桜島。

東川さんにつづいて”みたけさん”からも解説がありました。(僕は存じ上げていなかったのですが、NPO法人かごしま文化研究所の三嶽公子さんだったのでしょうか?)

椋鳩十は1947年に市立図書館の館長になったそう(このころ作家が館長になるのが流行ったそうです。)

このころは全国でも鹿児島・宮崎は最も図書館に対する予算が豊富な県だったそうで、椋鳩十の働きも大きかったよう。(戦後の生活に図書を通じて潤いを与えたいという思いが強かったそうです。)

5-11. 長田神社

もともとは福ヶ迫諏訪神社という名だったそうだけど、明治時代に神戸の長田町にある神社と同じ祭神 ということで長田神社と改名されたそう。つまりこの長田町という名の由来は神戸から来てるそう。へぇ~。

12-15. 興国寺墓地

染河彦兵衛、徳田太兵衛伊地知季安、汾陽理心の墓などをまわる。他にもいろいろ見所があるそうだけどタイムオーバー。

年配の参加者が多いのですが、かなり坂の多いコースをなんとか歩ききっていました。いつも思うのですがこういう年配方が歩きながら話しているのをこっそり聞いてると、生活に根付いた面白い話がいろいろ聞けて感心してしまいます。

なぜ参加するか。

僕は学生のころは完全に理系だったのでかなりの歴史音痴です。
なのでイベントの面白さの100分の1ぐらいしか伝えられていないと思います。
マティックさんの御友人の日記のように書ければどんなにいいだろうか、と思いますが急には無理ですね。もっと含蓄のある方が聞けばもっともっと楽しめると思うと少し残念でもあります。

では、歴史の苦手な僕がなんで参加しているか。

それは、講師の東川さんの魅力というのもありますが、僕自身、いずれは地域性や歴史性といったものを感覚として身体化したいと思っているからです。

今の建築、特に家づくりというものを考えた場合、地域性や歴史性といったものを切り捨てることによって成立している部分というのが多分にあると思います。
そういうものを建築に取り入れるのはかなり困難なシステムになってきてしまっているし、僕も含め今の人達はそういう切り捨てたものを扱うのが苦手になってしまっていると思います。

実際、そういうことを考えず全国的に流通している工業製品だけで建物を作るのが一番楽で、机上だけでかなりの部分ができてしまいます。
しかし、地域性や歴史性というものを扱おうとしても、机上でいきなりできるものではありません。
おそらく自分の感覚として身体化していなければうまくは扱えないと思います。

そのために、2年や3年と言うスパンではなくて長い目で見て少しずつ、少しずつ、そういうものが身体化されればいいなぁと思って無理をしない範囲で参加させていただいているのです。

(イベント、イベントがその都度一回性の ものですので、毎回参加しないともったいないという思いもあります。

ただ、続けていくことが肝心だと思うので無理をしない範囲で、ということにしています。)

その後

そのあと、フリーペーパーのunder’s highを発行されているチャビンさんの店に寄らせていただきました。
地味な格好だったので店に入るのはかなり勇気が要りましたが、思っていたとおり気さくな方でした。ほっ。(あと、チャビンさんのブログにあるライブ映像に写っているサモアの怪人というゲストが友人のM野氏に似ていたので気になっていたのですがどうやら別人だったようです。ちなみに、 サモアの怪人マーク・ハントがK1で優勝したときはあまりにM野氏に似ていたので人ごとの気がしませんでした。)
応援していますので under’s high頑張ってください。(僕もいずれ広告を載せたいなぁ)

[gmaps:31.60586958769126/130.55353045463562/17/460/300]興国寺墓地[/gmaps]




ハガキ作戦参加望む

都城市民会館の保存に奔走されているヒラカワさんから下記のようなメールを頂きました。

9月議会に都城市民会館の解体を含む議案が上程されました。情勢はひじょうに厳しいと言わざる得ません。

つきましては、全国のみなさんから、市会議員へ保存を訴えるハガキを出そうという運動をすることにしました。

恐縮ですが、下記のリストの議員へ(できれば複数のたくさんの議員へ)、ハガキ(又は封書)を出してくださるよう希望します。

全国の市民会館関係者からの、たくさんの手紙によって、会館が残ることを念じています。

できましたら、このメ-ルを賛同いただける知り合いの方に広めていただきますと幸いです。

よろしくお願いいたします

僕なりの意見を添えてハガキを出そうかと考えていますが、賛同される方はコメントもしくはメールを下さい。

都城市民会館解体に対するそれぞれの議員の姿勢(保存派・解体派など)を記した、都城市会議員住所録をメールにてお送りいたします。(コメント時にメールアドレスを入力していただけるとそこに返信します。メールアドレスはブログ上には現れませんのでご安心を。また、9月27,28日に採決のようなので遅くとも25日までに投函お願いします。)

ヒラカワさんのブログに議員リストと議会事務局の住所が書いてありますのでそちらでも良いかと思います。

以下に、今思いつく僕なりの意見を簡単にまとめます。賛同される方、賛同されずとも市民会館保存には賛成の方は一手間をお願いいたします。

なぜ、保存を願うか。・まず単純にこの建物が僕の好みだから。・単純に簡単に壊しすぎじゃないかと思うから。(これでは文化の育つ隙がない。)・この建物がこのまちの一つの風景になっていると思うし、これからも風景であり続けられると 思うから。・まちの中から固有性だとか、場所性だとかが急速に失われていく中でこれだけの個性のものは貴重だから。(固有性がまちの最大の資源になっていくであろう中で、これを壊すのはあまりにもったいない。

このままいくとこのまちはどこにでもあるまちになってしまうし、後で後悔しても遅い。例えば宮崎県が東国原知事を 有効に使っているように(知事が自らしていることだが結果的にはそう)、有効に使えば計り知れない可能性があるし、その可能性はきっと時が経つにつれどんどん増すはず。

解体の危機から一転全国でも”先進的な事例”といえるような 方策を見つけて実行できれば、全国的に希有なポジションを獲得できるような気がするし、そういうチャンスはめったにない。)

・これから先、建築を志す多くの人に勇気や希望、感動を与え続ける事のできる貴重な資源だと思うから。

・ 子供たちの育つ環境として、こういうものも必要だと思うから。(これだけのものが身近にある子供は幸せ。逆にこういうものを目先のことだけでどんどん壊してしまうような社会で子供が育つのが怖い)

・ 目先のことだけ追い求めてきたやり方を転換し、長期的な視点を獲得するよいチャンスだと思うから。

より端的に言うと、この建物を簡単に壊すという選択をするのかどうかで、 都城が世代を超えてよい環境をつくっていくというビジョン・思想をこの先持てるかどうかが決まってしまうと思うのです。
最後にdanさんの記事から引用しておきます。

地方はやればできるし、やっていればできたはずなのである。それをやらなかったのは誰なのか。新幹線と高速道路をおらがムラに引くことばかり訴えてきたのは誰なのか。

実際はもう少し文章として練ってからハガキを送ろうかと思いますが、単純な思いで構いませんので皆さんなりの言葉でぶつけていただければと思います。

※これまでこのブログで都城市民会館にふれた記事はこちら




何の恨みが・・・

下請け仕事で確認申請の準備をしてるんだけど、単純な平屋のS造で構造計算書が約1000枚。それを正副2部プリントアウトしなくてはいけない。(これまでは100枚程度だった。)

構造事務所に聞いたところまだましなほうで、 多いところでは万を超えるそう。そこまでいくと怒りを通り越して笑ってしまいます。

今回の建築基準法改正で増えた認定書なんかの書類ももそうとうな枚数になるけれども、今の時代にこれだけ無駄な紙を使わせるなんて・・・。

構造計算書はほとんど文字情報なんでPDFなどの電子データだと数MBで納まる。

認定書にしたって、役所の側でデータベースをきちんと構築していれば認定番号リストですむはずだ。

法改正に携わった人は建築士によっぽどの 恨みがあるかよっぽどの馬鹿だとしか思えない。

今回の改正で本気で設計やめようかと思っている人が結構いるみたいだけど、役所の言い訳のために膨大な作業とコストを押し付けられたんじゃほんとやってられません。

みんな怒ってますが、いつまでこのやり方を続けるつもりでしょうか・・・。