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B120 『吉阪隆正とル・コルビュジエ』

倉方 俊輔

王国社 (2005/09)
都城のシンポジウムにも来られていた倉方さんの著書。

この時の倉方さんの発言が 理路整然としていて分かり易く、頭のいい人だなぁ、と思ったのと、コルと吉阪の両者は最近僕の中のキーマンとして再浮上してきていることもあって図書館で借りてきた。

コルビュジェという「個性」に出会い、吉阪隆正という「個性」が誕生する様子がよく分かる。

コルビュジェは多面的な要素を内包しつつもそれをうまく調整しながら 対外的に立ち回ってきたように思うが、吉阪はその多面性を引き継ぎつつそれを拡張し続けたように思う。それが、吉阪のつかみ所のなさと魅力になっているのだが、倉方さんの”つかみ所のなさに苦労しつつもその魅力をなんとか伝えたい”という思いが伝わってきた。

さて、吉阪はコルからなにを学び、私たちは彼らから何を学ぶべきだろうか。

まず、吉阪がコルから受け取った一番のものは「決定する勇気」であり、そこに吉阪は「惚れ込んだ」ようである。

彼の「決定する勇気」は、形態や行動の振幅を超えて一貫している。世界を自らが解釈し、あるべき姿を提案しようとした。あくまで、強く、人間的な姿勢は、多くの才能を引きつけ、多様に受け継がれていった。

吉阪の人生に一貫するのは、<あれかこれか>ではなく<あれもこれも>という姿勢である。ル・コルビュジェから学んだのは、その<あれ>や<これ>を、一つの<形>として示すという決断だった。

多面性を引き受けることはおそらく決定の困難さを引き受けることでもあるだろう。
しかし、コルは多面性を引き受けつつも魅力的な解釈を生み出し、決定していく強さを持っていた。
それこそがコルの一番の魅力であろうが、吉阪はそこに惚れ込みコルの持つ強さを引き継いだ。とすると、まさにその強さによってその後の「対照的なものを併存させる」ような思想を展開することが可能となったように思う。

また「決定する勇気」 の源といって良いかもしれないが、建築を『あそぶ』ということもコルから引き継いだものだろう。コルの少年のように純粋な(そしてある部分では姑息な)建築へのまっすぐな思いに触れ『あそぶ』強さも引き継いだに違いない。

吉阪の魅力は、(機能主義、「はたらき」、丹下健三に対して)それと対照的なところにある。むしろ「あそび」の形容がふさわしい。視点の転換、発見、機能の複合。そして、楽しさ。時代性と同時に、無時代性がある。吉阪は、未来も遊びのように楽しんでいる。彼にとって、建築は「あそび」だった。「あそび」とは、新しいものを追い求めながらも、それを<必然>や<使命>に還元しないという強い決意だった。(括弧内追記・強調引用者)

多様性や格差が言われる今の時代に多面性を引き受けずに単純な結論を出すことはおそらく不可能だと思う。(誰のための必然・結論か、という問題が必ず現れる)

そんな中にあっても、多面性を引き受けその中に意志を見出し決定する勇気は、今こそ必要であろう。

そういう勇気と決断力を持ち、形にしていく(イメージ化し実践する)能力があり、またそれを「あそび」へと 転化できるような才能が待たれているのかも知れない。




勝ったどぉ~~~

明日以降、天気が大きく崩れるということで、今日はドライブに行きました。

出発前には唐船狭でそうめん流しを食べて指宿のなのはな館あたりでゆっくりしようか、と言っていたのですが、急に、串木野のまちの雰囲気(港やパラゴンとか)と阿久根の海を味わいたくなって北薩方面へ予定変更。

あいにく天気は崩れてあまり味わえなかったのですが、そういえば途中に川内がある、ということで慌ててカバンに本を詰め込んで、阿久根の帰りに川内のたこ阪さんに寄ってきました。(ごちそうさまでした~)

たこ焼きは久しぶりでしたが、生地の味が生きてておいしかったです(塩との相性が良かった)。そして少しお話させていただいてかえる文庫で4冊の本をゲットしてきました。本を読むペースを落としているのでいつになるかは分かりませんがいずれこれらの本も記事に書こうと思います。

夜、家に帰ってブログをチェックしてみると 薩摩之風さんが僕のこないだのエントリーとたこ阪さんのエントリーを受けて地方についての記事を書かれていました。(たこ阪さんへのコメントで暗に参加要請したのが届いたのか・・・)

はじめに、僕の記事を受けてのたこ阪さんの記事についてですが、その前の僕の記事が少しまずったなぁ、という印象でした。

何をまずったかというと、 あの記事は僕の個人的な思い入れやライフスタイルの問題をそのまままちづくりに直結させた書き方をしてしまったので、それは無理だわなぁと当然なってしまいます。そしてそこを鋭くつっこまれてしまいました。あいたたた。

そして、その後の薩摩之風さんの記事を読むと、あっ、結構言いたかたこと言ってくれてるやん、という感じでした。(実は他のエントリーを読んで、なんか援護射撃してくれそう、ってことでコメントで暗黙の参加要請をしたのでありました。他力本願ですが・・・)

僕が言いたかったのは、まさしく『モノサシの逆転』だし、その結果『地方はカッコイイに敏感な人たちが集まる場所に』なれれば良い、ということだったのです。(再び、他力本願)

まぁ、それだけで全てが好転するとは思えませんが長期的な視点で見たときの一つの可能性であると思うし、そういう可能性を受け入れる懐の深さを地方は持って欲しいという希望でもあります。

また、この記事を読んで僕が考えたのは、『エコカッコイイ』を一般化し 『地方はカッコイイに敏感な人たちが集まる場所に』なるためには、思想をリードする”カリスマエコカッコイイナー”が必要だということ。(薩摩之風さんの記事では”ナイキとか”)

僕が前の記事で書いた”イメージ化”とつながりますが、” カリスマエコカッコイイナー”はそういうライフスタイルを体現しつつ活動を行っている(または行おうとしている)アーティストやデザイナーが向いているんじゃないかと思います。(実際そういう方もいらっしゃいますし)

そこで、僕の提案は” カリスマエコカッコイイナー支援プロジェクト”。

そういう活動をしている人(したい人)にある程度の支援を行い、我が地域を” カリスマエコカッコイイナー”が集う聖地とすること。それによって、地域のブランド化および地域住民の意識の転換を目論む、というもの。

空いている民家や施設の部屋を貸し出したり、一定の活動費を援助するのは地方財政の全体から見るととその効果に比してそんなに大きなウェイトにはならないんじゃないでしょうか。

なんてことを考えました。(もう一度書きますが、これらは一つの可能性でしかありませんし、これだけで地方が変わるとは思えません。ただ、やれる範囲でひとつひとつ実践して全体を押し上げるしかないと思います。)

え~、前置きはこれぐらいにして、今日のタイトルについてですが、今日、川内から帰る車の中で妻が『ビリーのDVD、最近見ないと思わない?・・・・友達に貸した。』と告白しました。そう、妻があの戦いの敗北宣言をしたのです!
やりました、ついに勝ちました!
まぁ、妻にしてはよく頑張った方だと思います。(とは言っても最初の数日以外はやってるところを見たことがないのでいつまで続いたのかは・・・)
これで、日本の将来は安泰です。おまけにこれはまさに”エコカッコイイ”を推進するためのウォーミングアップのようなものでもありました。これで、地域の未来も明るいと言えるでしょう。僕が必死にチャリンコをこいでる姿は今の価値観では決してカッコイイものではありませんが、いずれこれがカッコイイの最先端になり、皆が「そういえばお前は昔からエコカッコ良かった」などと言ってくれるようになるはずです。どうしよう。