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コパンの看板つくりました。


コパンの看板つくりました。
詳細はこっちに書きました。




小松原公民館のあれこれ(3/3)

こまつばらカフェ、始まる

2月にあった、公民館での完成祝い、僕はインフルエンザでいけなかったのですが、その時に「せっかくの場所なので、なんかコーヒーでも飲みたいね」という話がでたみたいです。
そして、その二日後には、お試しカフェが開かれて、「月1くらいでやりましょう」という流れになってました。

関わった空間にこういうリアクションがあると嬉しいものですね。

その次のカフェには顔を出してみました。

看板も手作り。

いわゆるお茶飲み会。
普段会わないご近所さんと知り合うきっかけになったりするといいですね。

ベンチ・テーブルづくり

しばらく保留になっていた外構、よくやくお願いしていた芝張りと植木が終わったので、そこに予定通りDIYでベンチとテーブルをつくることにしました。

大工さんが古くてもう使わないから、と厚い木の板を2枚分けてくれたのですが、それを丁度よい長さに切ることに。

僕の持っている丸鋸は板の厚みの半分くらいまでしか届かないので、あとは子どもたちに手ノコで切るように頼んだのですが、丸鋸で切った部分がガイドになってちょうど良かったかも。

ギコギコ

ギコギコ かなり時間が掛かってましたがちゃんと切り終えてました。

コンクリートブロックを置いたところの芝をブロックに合わせてカットして貼りなおしてます。

重いテーブル板をどっこいしょと。ベンチ部分はコンクリートビスで軽く固定しましたが、テーブルは重さがあるので大丈夫でしょう。

そして、屋外用のニスをまた塗り塗り

塗り塗り

塗り塗り

うーん、いい感じでは。

ついでにベンチも塗り塗り

っと、なんとか完成!

子どもとのDIYとしてはうまくできたんじゃないでしょうか。
けっこう、座ってだべったり、コーヒーやお酒を飲みたくなるコーナーになったのでは。

楽しかった。かな

こんな感じで公民館に関わらせてもらってそこそこ大変でしたが、子どもたちが楽しんでくれたのが、なんだかんだ言って楽しかったですねー。

おしまい




小松原公民館のあれこれ(2/3)

DIYするぞー

公民館を改修するにあたって、「建物を強くする」と「建物をきれいにする」の他に、実は「建物に愛着を持つきっかけになる」ということをやらないと、あんまり意味がない、と思っていました。

工事前の会合などでは、あんまり欲張っても通らないだろうと思って、DIY等については「場合によってはこういうやり方もあるかも」と軽く触れるだけにして様子を見ていました。
現場が進むにつれて、やっぱりちゃんとやりたいなー、と思っていたところ、何人かのお父さんが、「せっかくなんで、前にいってたDIYやりましょうよー」と引っ張ってくれることに。

後で計画を修正できるように、ある程度試算をしていたので、

・DIY向きの材料を購入して、壁塗り、床塗りを子どもたちと一緒にすれば工事費も抑えられるし、子どもたちも良い経験になる。
・その浮いたお金で、予定外の外構にも手を入れられる。
・これからはできることは自分たちでやることが大事な時代になるし、未来の町内会を担う(かもしれない)子どもたちに愛着を持ってもらうことが必要では。

という感じで会長さんに相談してみると、会長さんもいろいろな人の目がある中、最初は「うまくできっどかい?」と消極的でしたが、最後は「若いもんでやってみれば」と後押ししてくれることになりました。

こんな感じでやるぞ、と。

材料が続々届く。

1日目 壁塗り

そして、DIYする週末の1日目。

午前中は、大人だけが集まって壁塗り前の養生から。

慣れないながらも丁寧に。

午後からは子どもたちも集まって、壁塗り開始。
塗り塗り。

塗り塗り。

塗り塗り。

終盤、飽きてきた子もいるし、このままでは終わらないということで、子どもには外に出てもらい、気合を入れて

大人だけで塗り塗り。

塗り塗り

と、何とか完了。うまく塗れたのではないでしょうか!

2日目 床塗り

2日目も、午前中は大人だけで集まってもらい、壁と床の養生を剥がすところから。

ぺりぺりっ

っと、養生剥がしも完了。

午後からは子どもたちも参戦して、蜜蝋ワックスをスポンジで

塗り塗り

塗り塗り

塗り塗り

っと、最後はみんなで集まってー

パチリ。

最後はおやつタイム!

片付けたところも、なかなかいいんじゃないでしょうか。

 
これは、子どもたちが興味を持つきっかけになれば、と前の日に模造紙に書いた「ここがスゴイよ!小松原公民館!」

一部の人からは好評でした。(子どもたちは見てくれたんだろうか)

つづく




小松原公民館のあれこれ(1/3)

ちょうど1年ほど前に、自宅兼事務所のある小松原の町内会長さんから、長い間懸案事項だった公民館の改修をしようと思うんだけど、と相談がありました。

それからいろいろとあって、なんとかとりあえず完成と言えるところまで来たので、小松原公民館のあれこれを記録として書いておきます。

現況を調査したら

もともと、公民館の外観はこんな感じ

で、内観はこんな感じ。

話を聞くと、半分は補助金が出るので、これまで溜めてきた会費と合わせて、内装と屋根を含めた外装をきれいにしたい、とのことでした。

概算見積書を見ると、せっかくの会費を使った結果「なんかきれいになったね」ということで終わりそうな予算配分。
あんまりでしゃばり過ぎないようにしよう、と思いながらも、「かなり古いし、災害時は地域の拠点になるべき場所なので、耐震補強に予算を割り振ることも考えた方が良いかも知れません。まずは現況を調べてみないと。」と、町内会の一員として関わる流れに。

窓が多く、耐震要素が少なそうだったので、まずは筋交いや金物を確認しようと小屋裏に潜ってみると、

あれっ、

なんか、絵に描いたような模範的洋小屋組が、

あるじゃないですか。

聞いてみると、この建物の躯体はかなり昔に農協だった建物から移築・再利用されたものらしい。

これを活かさない手はない、ということで、耐震補強のドサクサに紛れて小屋組を一部現しにする形で提案。

(1)建物を強くする。(壁の補強、屋根の軽量化)
(2)建物をきれいにする。(補強に伴い解体が必要な部分はきれいにする)

の2つを中心に優先順位を決めて予算内でできることをやりましょう、ということで計画を進めました。
見積もりをとった結果、予算内である程度のことはできそうだということで、そのまま工事に入ることに。
(実は(1)(2)とは別にやってみたいことと、それに対する秘策を隠し持っていましたがそれは次回)

これは既存の屋根を解体途中。今しか見れないけれども、このままにしたいような光景。

つづく




子どもも保育者も自在であれるように B204『子どもと親が行きたくなる園 (あんしん子育てすこやか保育ライブラリー 3)』(寺田 信太郎 他)

寺田信太郎 (著),‎ 深野静子 (著),‎ 塩川寿平 (著),‎ 塩川寿一 (著),‎ 落合秀子 (著),‎ 山口学世 (著),‎ 佐々木正美 (監修)
すばる舎 (2010/10/14)

川和保育園、さくらんぼ保育園、大中里保育園/野中保育園、東大駒場地区保育所、大津保育園、それぞれの園長先生のお話。

子どもと親が行きたくなる園=子どもと親が育っていける園

園長先生の話の中で、共通しているように感じたのは、

・子どもの自発性、自ら遊び学ぶ力を信じ尊重していること。
・子どもの発達段階にあった保育、(特に自然の中での自由な)遊びを中心とした保育を大切にし、早期教育のような考え方には概ね否定的であること。
・信念を持ってそのための環境づくりを行っていること。
・保護者との関係を大切にし、子どもだけでなく、親と一緒に園も育っていくような関係を築いていること。

などです。
青木淳さんの『原っぱと遊園地』という本がありますが、子どもが行きたくなる園、というのは、遊園地のようにいたれりつくせりで子どもの気を惹くような園ではなく、原っぱのように、自発的に関わることができ、そこで自由に遊びながら自ら学ぶ楽しさを実感できる園なのかもしれません。

長男と次男がお世話になり、こんどの4月から三男もお世話になる保育園(今は認定こども園)は、「見守る保育」を実践していますが、「教えてもらう」ことを期待している保護者の理解を得ることの難しさと大切さは、一保護者として強く感じました。

保護者は園・保育者の支援を受けるだけでなく、園の理念を出来る限り理解し、保育者を支援する側に立とうとすることが大切で、そのことが子どもが質の良い保育を受け成長することに繋がるはずだ、と考えているのですが、いろいろな考え方の人がいますからなかなか難しい面もあると思います。そこを乗り越えて良い関係を築きながら、保護者も子どもの育ちについて学び共に育っていけるような園が、親が行きたくなる園なのかもしれません。

父親の役割

余談ですが、子どもがお世話になった園では年に一日父親保育の日がありました。父親たちはチームを組んで、その日に向けて準備をし、本格的なお化け屋敷や音楽ライブ、その他さまざまな形で、遊びの場を作りながら一日子どもたちを預かるのですが、むしろ父親自身が本気で遊ぶ感じです。
日常の主体的な遊びによる学びとは少し異なるかも知れませんが、非日常として父親が本気で遊ぶ姿を見るのも良い経験だと思いますし、父親が園と関わる良い機会になったと思います。
母親と父親の関わる割合が同程度になれば、園と保護者との関わり方もだいぶ変わってくるように思いますし、父親として関わることの意味や役割もあるように思いました。

出会いに意識的であることと自在であること

川和保育園の園長先生が20数年前に出会った文章を引用し、それについて書いていたことが印象的でした。

―ともすると、私達は、大切な意味と価値を内包する出来事に気付かず、あるいは気付いても深く考えないで放っていることが多くあります。現実の保育の場には、こうした偶然のもたらす予測しがたい出来事がいくらでも生じます。その時、教師が自分の(考えや保育案の)絶対性や権威性を思わず、自分の善意への信念などに固執せず、高い価値を内包すると思われる偶然に鋭く気付いて、その意味を測り、保育過程の中に「必然」として取り入れるという、敏感でしなやかな感性の持ち主であったなら、この幼い年齢においても、人生の、あるいは、人間性の本質的なものに触れるような深い教育さえ可能と思います。―(『幼児の教育』日本幼稚園協会)

この文章が素晴らしいのは、たまたま出会ったものを「偶然」としてそのままにするのではなく、その素晴らしさに気づき、その意味を考えて「必然」とするところまで突き詰めていくことの大切さを問いているからです。
保育者は出会うものに無自覚であってはならない。出会いの意味を考えて、自分たちの保育にどう活かしていくかということについて、常に考える事の大切さを、僕はこの文章から学びました。(川和保育園園長 寺田信太郎)

保育者は出会いを捕らえ、その意味と価値に意識的でなければならない。ここには、私が建築において出会いを重要視していることとの共通点が見えます。
また、元の引用文では常に経験を開き、自在であることの大切さも読み取れます。これはオートポイエーシスの第一人者である河本英夫が常々言っていることで、私も設計者として自在でありたいと思っています。
ここにも、保育と設計の共通点が見えますが、それは、両者がともに、人間が生きる環境の原点に迫ることを求めるからかもしれません。

デザイナーは「形」の専門家ではなく、人々の「知覚と行為」にどのような変化が起こるのかについてしっかりと観察するフィールド・ワーカーである必要がある。リアリティーを制作するためには、リアリティーに出会い、それを捕獲しなくてはならない。(佐々木正人)(オノケン【太田則宏建築事務所@鹿児島】 » B047 『アフォーダンス-新しい認知の理論』)

今日のシステムを特徴づけるのは、自在さの感覚である。(中略)自在さは、自由とは異なる。自由は、主体が外的な強制力に従うわけではないこと、さらには主体が自分で自分のことを決定できること、を二つの柱にしている。(中略)自由とはどこまでも意識の自由だが、自在さは何よりも行為にかかわり、行為の現実に関わる。意識の自由を確保することと、行為の自在さを獲得することは、およそ別の課題である。この自在さを備えたのが今日のシステムである。(河本英夫)(オノケン【太田則宏建築事務所@鹿児島】 » B181 『システムの思想―オートポイエーシス・プラス』)