1

VillaHeureux 現場確認

生憎の天気でしたが棟も上がったので打ち合わせを兼ねて現場確認をしてきました。

母屋の方は軒の低い佇まい、宿泊棟の方はモッチョム岳をバックに少し象徴的な佇まいにしたかったのですが、
基本的な構成は施工会社の行為もあってなんとか死守できました。
厳しいコストの中、よくやって頂けていると思います。

1ヶ所電柱の位置が気になるので移動できないか交渉しないといけないかもしれません・・・。




ARGA 雑木林の家スタート&パース

g1

だいぶ前に姶良土地開発のプロジェクト雑木林と8つの家に参加させて頂いたのですが、この時のモデルプランをベースにした設計がスタートしています。

ある程度図面を書いた段階で確認のためにパースを起こしてみました。
まだまだ詰める箇所は残っていますが、けっこういい感じになりそうです。(やっぱり最後の問題はコスト的にクリアできるかですが・・・)

g2

g3

n1

n2

n3

n4

n5

今までVectorWorksでモデリング(3D起こし)をして、別のソフトにデータを移し細部を設定した上でレンダリング(CG化)するという、結構手間のかかることをしていたのですが、業務の効率化のためにレンダリングまで同一ソフトでできるVectorWorks+Renderworksにヴァージョンアップさせてみました。

レンダリングの質に不安を持っていたのですが案外使えそうでホッとしています。あとはアニメーションが問題なくできるかだなー。




TKGA 建て方完了&階段設置


建て方が完了しました。
ブルーシートで外部を養生しているので軸組だけの時より外部のヴォリューム感がよく分かります。
現場で見た感じだとセットバックしている感じやスケール感がこの場所にけっこういい感じでフィットしているように思いました。

いつものように、建て方が終わるまではスケール感の心配は拭えなかったのですがなかなか良いのでは。(正面の仕上げはまだ悩んでるのですが・・・)
内部は思ったよりも大きく感じました。床面積の数字でコンパクトなイメージを持ってましたが、実際はピロティや屋上があったりするので。

正面から見ると3階建てのようにも見えますが、主な生活空間は2階に集めてあり、ペントハウスが乗るだけの2階建てになります。
今日は養生の関係で屋上に出られませんでしたがここも楽しみな場所です。

また、1階から屋上まで続く鉄骨階段が設置され調整中でした。これも階段や周りが仕上がって日が差し込めば綺麗そうです。




そこに身を置き関り合いを持つことで初めて立ち現れる建築 B175 『たのしい写真―よい子のための写真教室』

ホンマ タカシ (著)
平凡社 (2009/05)

図書館で借りてパラパラと読んでいた『時間のデザイン: 16のキーワードで読み解く時間と空間の可視化』にホンマタカシ氏が出ていたのですが、似た内容が別の視点から掘り下げられている本を読んだことがあったのを思い出しました。

●ホンマタカシ(写真家) カルティエ=ブレッソン派(決定的瞬間を捉える・写真に意味をつける)とニューカラー 派(全てを等価値に撮る・意味を付けない)の対比 何かに焦点をあて、意味を作ってみせるのではなく、意味が付かないようにただ世界のありようを写し取る感じ。 おそらく前者には自己と被写体との間にはっきりとした認識上の分裂があるが、後者は逆に自己と環境との関わり合いのようなものを表現しているのでは。 建築にもブレッソン的な建築とニューカラー的な建築がある。 建築として際立たせるものと、自己との係わり合いの中にある環境の中に建築を消してしまおうというもの。(オノケン【太田則宏建築事務所】 » B118 『包まれるヒト―〈環境〉の存在論 (シリーズヒトの科学 4)』)

それで原典にあたろうと思い買ったもの。

写真についてはド素人なのですが、ホンマ氏の視点から氏の言葉で簡潔に書かれた写真史がとても分かりやすく、大まかなイメージを掴むのにとても良い本でした。
(時代背景などもっと掘っていけばイメージがクリアになっていろいろな関係性も見えてくるのでしょうが)

アフォーダンスという生態心理学的視覚論の概念に触れてから、ボクには「決定的瞬間」と「ニューカラー」という、写真をめぐる2つの大きな山が見えてきました。(あとがき)

とあるようにブレッソンとニューカラーが写真史の山として描かれているのですが、先に引用したように『建築にもブレッソン的な建築とニューカラー的な建築がある。』のではないかということをもう少し詰めてみたくなってきました。

イメーシとしては、ブレッソン的な建築と言うのは、雑誌映え、写真映えする建築・ドラマティックなシーンをつくるような建築、くらいの意味で使ってます。一方ニューカラー的というのはアフォーダンスに関する流れも踏まえて、そこに身を置き関り合いを持つことで初めて建築として立ち現れるもの、くらいの意味で使ってます。

設計をしているとついついドラマティックなシーンを作りたくなってしまうのですが、それを抑えて、後者のイメージを持ちながら建築を作る方が、難易度は高まりそうですが密度の高い豊かな空間になるのでは、という期待のようなものもあります。

ここで書くブレッソン的、ニューカラー的というのは『包まれる人』で紹介された事例に通底する下記のような印象・可能性を代表させて使っているものです。

本書の趣旨が関係してもいるだろうが、3人の表現者が環境について語ったことに共通の意識があることは偶然ではないだろう。エピローグで佐々木正人が水泳と自転車の練習を例に出している。 水泳の練習をしている時、自己と水との関係を見出せず両者が分離した状態では意識は自己にばかり向いている。同じように自転車を道具としてしか捉えられずそれを全身で押さえ込もうとしている間は自分の方ばかりに注意を向けている。 それが、ある瞬間環境としての水や自転車に意味や関係を発見するようになりうまくこなせるようになる。 自己と環境の間の断絶を乗り越え関係を見出したときに人は生かされるのである。同じように、建築においても狭い意味での機能主義にとらわれ、自己と対象物にのみ意識が向いてはいないだろうか。 その断絶を乗り越え、関係性を生み出すことに空間の意味があり、人が生かされるのではないだろうか。 そのとき、これらの事例はいろいろなことを示してくれる。人は絶えず「全体」を捉えようとするが、逆説的だが俯瞰的視点からは決してヒトは全体にたどり着けないのではないだろうか。(オノケン【太田則宏建築事務所】 » B118 『包まれるヒト―〈環境〉の存在論 (シリーズヒトの科学 4)』)

また、別の場で議論に出た、
某氏『「ブレッソン的な建築はニューカラー的な建築を導き出すことはできないが、ニューカラー的な建築はブレッソン的な建築を必要性に応じて表出させることができる(理論的には)」と言えると思います。逆に「依頼者の要望に対して、誠実に”ブレッソン的な”ふるまいを見せる建築を提供することによって”ニューカラー的”な効能(?)を持った建築に変換されて行く可能性がある」みたいなこともイメージしました。ただ後者は”ニューカラー的”な建築をイメージできる人しか取り扱えないんじゃないかと思います。』『ニューカラー的な建築はオブジェクト指向のプログラミングと構造がよく似ている。ニューカラー的建築家が”設計”するメインフレームに対して、対象や環境がすでに固有で持っているファンクションやビヘイビアなどのブレッソン的な要素に成りうる素材をメインフレームに接続する感じ。』
というのもヒントになりそうな気がしています。

ただ、ここでブレッソン的/ニューカラー的という視点を導入する際、例えば建築に関して、
・人間・知覚・・・ブレッソン的/ニューカラー的に知覚する。
・設計・技術・・・プロセスとしてブレッソン的/ニューカラー的に設計する。建設する。
・建築・環境・・・ブレッソン的/ニューカラー的な建築(を含む環境)・空間をつくる。
などのどの部分に対して導入するのかというのを整理しないと混乱しそうな気がしました。(上の分類はとりあえずのものでもっと良い分類があれば書き換えます)

例えば「ニュカラー的な空間を現出させたい」のだとすると、そのための手法としてニューカラー的な方法論が適しているのかそうでないのか。
もしくは、今の社会において「ニューカラー的な方法論が適している」のだとして、その結果ニューカラー的な建築が生まれるのかそうでないのか。
といった事を整理する必要があるのかもしれません。(もしくは統合できるのか)

このブレッソン的/ニューカラー的という見方はこのブログでも出てくる、ふるまい・オートポイエーシス・ポストモダン・身体・関係性というキーワードやドゥルーズ・リノベーション的・社会性・アノニマス・超線形設計プロセス論・・・(あとなんだろう)といったことと接続できそうな気がしますし、そのあたりに自分の関心があることがだいぶ分かってきたので、一度自分の言葉として整理して、具体的な設計に活かせるものとしてまとめたいと思っています。(いや、これずっと前から言ってるのですが・・・)

この本と同時に『 リアル・アノニマスデザイン』と『 知の生態学的転回2 技術: 身体を取り囲む人工環境』の2冊を買ったのですが、前者は先に書いたことの補完として、後者はガッツリ理論書として具体的に整理をするために役に立つのでは、と期待しているのですがいかに。

(『知の生態学的転回』はかなり面白そう。でも3部作なんだよなー。1と3はいつ買える/読めるだろうか・・・)




事務所移転のお知らせとKMGO写真アップ

2013年9月より下記住所に移転いたしました。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

所在地鹿児島県鹿児島市小松原2-20-12


より大きな地図で オノケン│太田則宏建築事務所 を表示

建物の脇と道路向かいの駐車場に1台づつ駐車スペースがあります。満車の場合はお近くのコインパーキングをご利用下さい。

また、移転先の建物写真をアップしました。
実績のページより御覧下さい。




「かごしま観光まちづくり」シンポジウム メモ

ドルフィンポートでシンポジウムがあったので行ってきました。

前半の基調講演が西村浩(ワークヴィジョンズ)さん、後半のパネルディスカッションが西村さん、吉岡宏高さん(札幌国際大学)、奈良迫英光さん(鹿児島県観光チーフプロデューサー)、砂田光紀さん(オフィスフィールドノート)、田村省三さん(島津興業尚古集成館館長)という豪華メンバー。

西村さんは何年か前の山崎亮さんとの対談で「自走力」という言葉を聞いてから気になっていた方ですし(■『新しい公共』と自走力のアーキテクチャー – かごしま(たとえば)リノベ研究会(ベータ)で引用)、砂田さんや田村さんともご縁があったりしたので楽しみにしていました。

シンポジウムはそれぞれの方の考え方が見えて面白かったです。
最近ブログをサボり気味ですし個人的な備忘録も兼ねてメモしておきます。(発言者の発言というよりはごちゃまぜにメモしたものがベースなので支離滅裂です・・・)


・縦割りで分断していたそれぞれをつなぐ。隙間(をつなぐ)産業。
・動機-反応-結果戦略として描く。
・「変わらない価値」
・(市民を巻き込んで)マチの基礎体力をつける。
・鹿児島駅のポテンシャルとは。
・物語「かっこ良い」ということ。
・個人旅行・新しい旅行形態に対応する必要がある。
・取り残されている、ということは一つの資産・優位性になるのではないか。
・のびのび、ゆっくりとした時間が流れている印象を活かす。
・桜島に一番近い駅。ここから始まった、始まる駅。中央駅とは違う価値付けできるポテンシャル。
・奄美・琉球の風を感じられるような。歴史とともに。
・手間を惜しまない。本物とは。
・「歴史を知らない・興味がない」から「自走力(アイデア・好きと金・組織)」の隙間をどうデザインしていくか。
・中央駅から乗り継ぐということは、時間の尺度や気持ち・テンションを切り替えるための儀式のようなものと捉えて「時間」をデザインしていくような流れにのせれば、けっこうポジティブな要素ではないか。
・戦略を共有することの大切さ。←このためには「規模感」をつくる・デザインする、と言うことも重要なのではないか。
鹿児島駅というものを据えることで生まれる規模感・共有感というのはあるはずで、それをしっかり意識して展開・デザインしていくことも重要なのでは。入れ子状の規模感設定と時間尺度と交通のデザイン。


最近、別の場所で「個人」と「社会・まち」との間をどうデザインするか、というような話をしていて、そこと重ねながら聞いていました。

多くの人が「歴史やまちに興味がない」という状況の指摘もありましたが、例えば人の中に「個人」と「社会・まち」という概念があるとすると、多くの人はその間というものをほとんど意識していないような気がします。空間的に考えると存在しない。
その間の距離もまちまちだと思うのですが、その間をどうやって空間化していくか、というのが大きな課題でありデザインの可能性のある部分なのだと思います。
空間化というのも全くのイメージなので申し訳ないのですが、1次元のほっそりとしたベクトルのようなものしか存在しなかった部分を実体・実感を伴った3次元の空間にしていくという感じでしょうか。
img
▲こんな感じ・・・?

おそらく、西村さんの市民を巻き込んで自走力をつけていくようなやり方も、砂田さんの言われたかっこ良さ、歴史の風格をつくっていくというようなことも、この隙間の空間化と捉えれば同じことなのかなという気がします(岩見沢駅の例などはそのための装置とも言えそうです)。観光についても一定期間の旅の中でどれだけ空間化できるかというような見方ができるかもしれません。
どちらにせよ、社会の構造(人口・経済・価値観等)が変わる中で、この空間化の部分を誰がどのように担っていくのかというような問題は今後避けては通れない問題だと思います。
もしかしたら、昔は日常の生活の中にそういった空間化の作法が組み込まれていたのかもしれないと思うのですが、成長の仮定で見失ったそれらの作法を取り戻すことが生活を考えるということなのかもしれません。
これは、仕事上の方向性や個人の生活を含め自分自身のそれをどうやって空間化していくのか、という問題とも重なるのですが・・・。




KMGO 小さな小松原の家 オープンハウス

openhause
8/17(土)18(日) 24(土)25(日) の4日間オープンハウスを開催いたします。

時間は10:00~19:00予約不要
谷山電停から徒歩5分ほどです。
また、下の地図のPの位置に臨時駐車場(3台)とコインパーキングあります。

場所は小松原2丁目20-8

より大きな地図で KBGO 敷地 を表示

利便性の良い20坪の小さな敷地に建つ、床面積20坪+ロフトのコンパクトな住宅です。(一部は事務所として利用予定)
施工費は約1100万円で壁や天井の塗装・一部家具などは自主工事によるもの。

先行きが不安な情勢。それでも自分の家に住んでみたい。そんな声に合わせて小さな家で大きく暮らすための一つのモデルケースになることを目指しました。

外観はシンプルに風合いのあるものに。内部は狭くても広がりを感じられるものに。
開口部はかなり絞り込んでますが予想以上に明るい印象です。

特に建築の予定がない方でも大歓迎です。お気軽にお越しください。




KMGO 足場解体 ペンキ塗り

IMG_0588

先週末から3日間、壁と天井のペンキ塗り・珪藻土塗りを行いました。
パテ処理までは職人さんにお願いしていて、仕上げは自分たちですることになっていたのですが、予想通り結構大変でした。慣れない動きで首が痛い。

でも、プロに頼んだほどではないにしろそれなりの出来になったのでほっとしているところ。
はみ出しや塗り残しなどの手直しはまだ残ってますが・・・。養生技術を磨かないといけませんね。

IMG_0590

IMG_0592
足場もようやく外れて外観が現れました。
モルタル壁も良い感じです。

※珪藻土塗りを手伝ってくださったまーくんのお母さん、おかげさまで予定通りに進みました。ありがとうございます。
※肝心の写真を撮り忘れていたところ、お子さんと遊びに来てくださったMさんが写真を撮ってくれてて提供して頂きました。遠慮無く使わせて頂きますねー。




VillaHeureux 1/200スタディ


限られた予算の中での可能性を探るために1/200スケールの模型をいくつかつくりながら検討を進めてたのですが、基本的な条件が少し変わったのと週末にスケッチをする時間が少しとれたのとで少し方向性が見えてきたように思います。
(実は丘の上に建つ有名な建物の構成をほんのちょっと借りたわけですが。)

まだラフなイメージでこれからが本番ですが、図面を進めながら密度をあげていけたらなと思っています。

1/200での検討は久しぶりでしたがこれまでの1/100と同じくらいの気分・密度でつくれるようになってきたので案外性に合ってるかもしれないな。




KMGO 経過


外部は外壁側面のガルバを張り終えました。


内部も上階の壁・天井のベニヤ張りがだいぶ進んでいます。

内外ともにスケールや素材感が想定していた感じになってきているように思います。素材の扱いを間違わなければいい感じになるんじゃないでしょうか。

実際にはかなり小さな建物なのでうまく写真をとるのは難しそうだなー。




TKGA 4st


これで一度見積もりとろう。
さてどうなるか。








KMGO 建て方


ようやく建て方に入りました。

ここで初めて実際の建物のボリューム感・大きさを体感出来ます。
外からは小さく感じて、中に入れば大きく感じるように、と思っていたのですが、今日感じた範囲だとスケール感は想定通り!かな。
中がすごく狭く感じないか内心ドキドキだったのですが、案外広く感じそうです。

いろいろあーだこーだと空間づくりの策を練ろうと思ってましたが、変に考えずそのままいくくらいでいいのかなと思ったり。
この辺はぎりぎりまで判断しないでおこう。




VillaHeureux 2nd


宿泊棟は一旦置いといて母屋の方を検討。
予算の問題もあるのでこちらはなるべく機能的にコンパクトにまとめたいところ。
ゾーニングを示唆する意味も含め白の使い方がポイントになりそう。
開口部はもう少し検討の余地あり。今回もあの人に家具の一部を頼みたくなってきたなー。



御施主様の要望で青系等の色を入れられないか検討。
白黒ツートーンだけだとちょっと固すぎる気もするので良い感じのバランスを模索しよう。





実践状態に戻す-建築における詩の必要性 B174 『建築と言葉 -日常を設計するまなざし 』

小池 昌代 (著), 塚本 由晴 (著)
河出書房新社 (2012/6/9)

久しぶりの読書記録。
ちょこちょこ本は読んでましたがなかなかブログに書けないでいました。でもやっぱりその時々に感じたことを記録しておきたいのと、何か書くつもりで読んだ方が得るものが多いかと思い再開してみます。

この本はアトリエワンの塚本氏と詩人・小説家の小池氏の対話を収めたもの。

物理的に重量がない言葉を、重い建物に吹きかけることによって、その重さが必ずしも凝固したかちかちのものでないような、軟らかで変形可能なものにしておく。(塚本氏 p9)

これがどういう事を差すのか。氏の「ふるまい」という言葉には前から興味を持っていてなんとなく分かるような分からないような感じだったのだけど、本書に出てくる「実践状態」という言葉でかなりイメージしやすくなった気がします。

その木を見ると、木というのは形ではなくて、常に葉っぱを太陽に当てよう、重力に負けずに枝を保とう、水を吸い上げよう、風が吹いたらバランスしよう、という実践状態にあることからなっているのだと気がついた。太陽、重力、水、風に対する、そうした実践がなければ生き続けることができない。それをある場所で持続したら、こんな形になってしまったということなのです。すべての部位が常に実践状態にあるなんて、すごく生き生きとしてるじゃないですか。それに対して人間は葉、茎、幹、枝、根と、木の部位に名前を与えて、言葉の世界に写像して、そうした実践の世界から木を切り離してしまう。でも詩というのは、葉とか茎とか、枝でもなんでもいいですけど、それをもう一回、実践状態に戻すものではないかと思うのです。(中略)
詩の中の言葉は何かとの応答関係に開かれていて生き生きとしている。そういう対比は建築にもあるのです。窓ひとつとっても、生き生きしている窓もあれば、そうでない窓もある。建築には本当に多くの部位がありますが、それらが各々の持ち場で頑張っているよ、という実践状態の中に身を置くと、その空間は生き生きとして楽しいのではないか。それが、建築における詩の必要性だと思っています。(塚本氏 p169)

この文に出会えただけで読んで良かったなと思うのですが、氏の「ふるまい」という言葉を含めいろいろな言葉がすっと入ってくる感じがしました。

例えば精巧な造花、祭壇の電球ロウソクなどは、おそらく管理の問題から実践状態を放棄しており、そこには生き生きとした関係性は失われているように思います。
同様に、パッケージ化された住宅を始めとした多くの建築の作られ方は、生き生きとした実践状態を放棄して一定の言葉や価値観の中に閉じこもっているように思えます。

建築・空間を「実践状態に戻す」といっても機能的なことばかりでなく抽象的なレベルまで含めて様々な手法が考えられるかと思いますが、様々なレベルでそれを意識することは空間を生き生きとしたものにさせる上で有益だと思います。

そういう点で見れば、リノベーションはその定義から言っても「(例えば古くなることで)実践状態から外れたもののなかから、ふるまいに関わる要素を抽出・活性化して再び実践状態に戻すこと」が宿命付けられており、多くのリノベーションに生き生きとした豊かさを感じるのも当然のことかもしれません。

ただ、この時に「ふるまいに関わる要素を抽出・活性化」しようというような目線はリノベーションに限られるものではないので、新築の場合にも同じような目線・構造を持ち込むことはできるかもしれません。
例えば青木淳さんの「原っぱ」「決定のルール」、「地形のような建築」で考えたようなこと、「地形のように自律した存在の場所に、能動的に棲み込んでいく」ようなことは、リノベーションと同様の「ふるまいや実践状態への目線」を浮かび上がらせ、空間を生き生きとしたものにするための構造と言えそうな気がします。
(結局、棲み家、というところに戻ってきた。)

あと、実践状態というと、まちづくりやリノベの事例での生活に根ざした人々の笑顔や、象設計集団なんかが頭に浮かびます。
建物ができたときに、抽象的に美しい、かっこがいいというだけでなくて、むしろ、人がいきいきと使っている場所と言うのが一番価値が高い。(TV『福祉ネットワーク“あそび”を生みだす学校』)

人もものも生き生きとしているもの、つくりたいです。




VillaHeureux 1st

いくつか方向性を検討した宿泊棟ラフ案のうちの一つ。
接地性を高めて敷地を大きく利用した場合。

もう少し非日常性をテーマにした方がいいのかどうか。
まだまだ悩む。




仙巌園両棒餅新店舗本日オープン!


OFFICE FIELDNOTEの砂田さんのお手伝いをさせていただいていた改装物件が本日オープンしました。

“茶屋”として気軽に立ち寄って、両棒餅(ぢゃんぼもち)を楽しんで頂ければと思います。

ここの両棒餅、上品な奥行きのある味でやっぱりおししい!

写真等はこちらにアップしました。
オノケン【太田則宏建築事務所】 » ISJ ~磯仙巌園 両棒餅




VillaHeureux スタート。

屋久島に計画中の住宅+宿泊施設。
土地も決まり、ざっくりとした方向性も見えてきたので本格スタートです。

予算内で場所のポテンシャルをどこまで引き出せるか。期待にしっかり応えられるように気持ちを高めていきまっす。
何としてもいいものにしなきゃ。




RNF完了


タイトなスケジュールの中いい具合に大工さんも見つかってなんとか完了。
新旧の対比をうまく出せたらなと思ってたのですが、なかなか良い感じになったと思います。

オーナーさんは溝辺の畑からいろいろな構想を描いているよう。今後の展開も楽しみです。

写真は下記の場所へアップしました。
オノケン【太田則宏建築事務所】 » RNF ~RIRAKU Noodle Factory




TKGA 3rd



主要な機能を2階に集約した案。
1階の多くがピロティになるため構造とコストに気をつけないと。
また、2階がワンルーム的な空間になるため、空間の抜けのようなものをどうやって確保するかがキモになりそう。

動画を作成してからPH階の法規的取り扱いの絡みで屋根形状等を若干変えてます。




KMGO 地鎮祭


いよいよ工事が始まります。
経験になればと息子二人も同席させましたが、終わった後しきりに「おおおおおおぉぉぉぉぉ」と降神の儀の真似をしておりました。
地縄をみると地鎮祭用のテントより一回り大きいくらい。これがどれくらいの空間に感じるか。楽しみです。