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エイリアンから生活を取り戻せ(とか)

昨日久しぶりにMさんと話をして、個々の設計についてもいろいろ刺激になったのですが、トランジットモールなどの話をしながらふと、昔書いた記事を思い出しました。
オノケン【太田則宏建築事務所】 » 自動車エイリアン説。

もし自動車が実はエイリアンで、人間が車を利用しているように見えて実は車が人間を利用している、と思って景色を見ると妙にしっくり来たのです。 車が人間を操り、道路と住居(駐車場)を作らせ、食料(燃料)を補給させ、おまけにメンテナンスや世代交代までも任せる。

※車社会の善悪の話ではなく、生活風景のデザインの話だと思って読んでください。僕も少なからず車社会の恩恵を受けていますから。

天文館のトランジットモールも魅力的なのですが、毎日暮らしているこの場所はもっとどうにかならなかったんだろうかと、一生活者として思うことがよくあります。
毎日、保育園まで歩いて子供たちを迎えに行っているのですが、その帰りに二人の子供と道路を歩くのは緊張を強いられとてつもないストレスを感じます。

さっきの話の続きで、エイリアンに侵略されてる妄想をしながら、例えばいくつかのエリアの地図を【ヒトのための空間】と【車のための空間】とに塗り分けて面積比を出したらどんな結果が出るでしょうか?
例えば5階建ての1階のピロティが駐車場のところは4:1で按分する方法があるかもしれませんが、いっそのこと、その平面的なエリアがヒトのための空間として活き活きしてるか、車のための空間として活き活きしているかで、えいやとどちらかに塗り分けた方が面白いかも知れません。

そうして、出てきた結果が仮にヒト:車=4:6だったとして、それを7:3にするにはどうすればいいだろうか、と考えてみるのは面白そうです。

通過交通用の道路以外の一分を歩行者専用にしたり、それが現実的でなければ、ヒトの生活よりのコミュニティ道路にしたり、はたまたソフト的な部分でOSOTO的に活用し、特定の日だけヒト:車率を変えたり、または、人の生活空間をより活き活きとしたものにして車よりも人の空間と感じられるようにしたり、と方法はいろいろありそうです。

自分の住んでいる街を一度、エイリアンに侵略されている街として想像しながらヒト:車率はいくらぐらいだろうか、それを変えたらどんな生活ができるだろうか、と想像しながら歩いてみると面白いかも知れません。

※再度書きますが車社会の善悪の話ではなく、生活風景のデザインの話です。車好きの方ごめんなさい。




KBGNスタート



国分市街地からそれほど遠くない場所に自然のような地形が残る稀有な土地。
生活に根ざした良い家ができそうな予感がします。

模型は最新版を撮影して後日アップ予定です。




B165 『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる』

山崎 亮 (著)
学芸出版社 (2011/4/22)

マルヤガーデンズでコミュニティデザイナーを務められた山崎亮さん(studio-L)の待望の単著。
帯に「状況はまだまだ好転させられる」と書いてありますが、こんなに未来への可能性にわくわくさせてくれる本に出会ったのは久しぶりのような気がします。

10年以上前、僕も卒論でコミュニティの視点からみたコーポラティブハウスの可能性みたいなことをやりましたが、その時はコミュニティという言葉に可能性と行き詰まりを同時に感じてその感覚は長く残っていました。
その卒論では確か「ヒト・モノ・関係」からコミュニティを捉えながら、コーポラティブハウスという「モノ」をつくる過程で「ヒト」「関係」が生まれてくるという視点でしたが、あくまでそのベースには「モノ」ありきだったように思います。

山崎さんの「コミュニティデザイン」という言葉もその延長線上にあるとは思うのですが、サブタイトルの通り「ヒト」もしくは「関係」に真正面から向き合うことによって「コミュニティ」と「デザイン」という言葉が新鮮な可能性を持ったように感じました。同時にコミュニティという言葉に感じた僕の中の行き詰まり感をようやく払拭できたように感じられました。

コミュニティデザインの理論やハウツーがまとめられているのではなく、山崎さんがこれまで実践されてきた実例が多数掲載されているのですが、そこから山崎さんがどうやって今の山崎さんになったのかの一端や、実践することの大切さがみえてきますし、そこから得られるものは読む人によって変わってくるのではないでしょうか。

昨日、東川さんがテーマを見つけることの重要性を言われましたが、いろいろな立場の人がいる中で共有できるテーマを探り問題の突破口を開いていく場面がなんどもありちょっと感動的でもあります。(ダーツで物事が動き出すところもグッと来ました)
たぶん、この辺の感覚っていうのがすごく大事になってくるんだろうなぁと思いますし、そういう視点でもう一度読み返してみようと思っています。

また、同じく昨日の話で、関わり方、というのが出ましたが、自分はもろもろのことに対してどういう立ち位置で関わっていくか、というのが大きな課題です。僕自身はものをつくるのをやめられないと思いますし、一番にはそこで責任を果たしていきたいと思いこれまでやってきていますが、可能性をそこに絞ってしまうのもちょっと違うかなと感じています。
事務所の経営を考えながら自分に何がやれるか。何をやるべきか。どうやってやるべきか。はたまた誰とやるべきか。
まだまだ答えは出そうにありませんが、少しずつ見つけていきたいと思います。(と言いながらずるずる行きそうなので、どこかで集中的にやらないと自分自身も変われないんだろうなぁと思ったり。)

まー、とにかくマルヤガーデンズで山崎さんの仕事の一端に触れられたのは僕にとって(おそらく鹿児島にとっても)幸運だったと思います。どっちかというと僕は家でこもってコツコツ仕事するのが好きなんですが、やっぱりこの経験を活かさないのは勿体無いと思っています。

最後に本編より最後の一文

日本全国で生じているさまざまな課題は、当然僕たちだけで解決できるものではない。コミュニティデザインに取り組む人が少しずつ増えることで、ひとつでも多くのまちが自ら課題を乗り越える力を高めることを願っている。

それぞれの地域が抱える課題と向き合いたいと考える全ての方、また行政の方にも一読をお勧めします。

※あとこの本は脱いでもすごいです。。。

参考

まだ観れてませんがこれも面白そう。
Ustream.tv: 11/2マルモ出版&リクルート住宅総研 共同主催【特別授業「山崎亮の仕事術」】(1), hair5mm LIVE 11/02/10 03:40AM. 生活…

中原慎一郎さんと服部滋樹さんのトークショー。テーマはかなり近いです。
Ustream.tv: ユーザー d-department: トークショー「新しいコミュニティストアという存在」, Recorded on 11/04/30. デザイン

(たとえば)リノベ研の方で山崎さんに触発されて書いた記事他
『新しい公共』と自走力のアーキテクチャー – かごしま(たとえば)リノベ研究会(ベータ)
オートポイエーシス的ぽこぽこシステム論 – かごしま(たとえば)リノベ研究会(ベータ)
クラスタ化する社会とTwitterとチューリップ(前編) – かごしま(たとえば)リノベ研究会(ベータ)
クラスタ化する社会とTwitterとチューリップ(後編) – かごしま(たとえば)リノベ研究会(ベータ)




大寺さんトークショー『市電とまちの未来像』

今日はイラストレーターの大寺さんの個展最終日ということで18時から東川さん(探検の会)とのトークショーがあったので行ってきました。(コーディネーターは味園さん(37Design))

坊津まで祭りに行った後だったので子供も疲れ気味で途中退席してしまいました。なので途中からはUSTで視聴)

▼トークショーの様子(1~3まであります)

大寺さんの話では「国交省はLRTの導入支援をしていて、市民の意識次第でいつでも火がつけば実現できるのでは」「富山は構想から開業まで3年で実現した。これは未来の話というより、今日、明日の問題」というようなところが印象に残りました。

その後味園さんが言われたように、では実現出来ていないのはなぜなのか?何が足りないのか?みんながこうだったらいいよね、ということを実現させるための力ってなんだろうか?
また、東川さんが「未来を描くときに自分がどういう立ち位置でそこに関わっているのか、関わり方をイメージすることが大切」というように話されてましたが、自分はどういう形で関わることが可能なのか?
そういうことが頭を周りました。登壇者の方に「僕はどういう形で関わればいいでしょうか?」と聞くのも、それは自分で考えなさいよ、って話でしょうし、質問もできなかったのですが。
(こういう場での質問って結構苦手ですねー。どうしても感想になってしまうし、ARCH(K)INDYの時も感じたんだけど、最近リアルタイムに言葉が浮かび難くなってる気がします・・・)

永山氏の「コミュニケーションの間口にどういったものが有効か?」というような質問に対して東川さんが「共通のテーマを見つけることが重要」といった事を言われてましたが、ちょうど今読んでいる本で感じたことと重なった気がしました。(これについては後で読書感想を書きますが、いろいろな立場の人がいる困難な問題でも、まさに共有できるテーマを探り当てることで突破口が開かれていく実例が多数紹介されていました。)

次回のかごまちシンポがどういう展開になるかも楽しみですが、自分はどうやって関わっていけるのか。限られたリソースの中でどれだけのことが出来るか分からないけれど、僕ももっと具体的なイメージを持たないといけませんね。

・大寺さんのように未来を共有できるイメージを提供する。
・そのイメージを拡げてより多くの人で共有できるようにする。
・イメージが共有されていくことを可視化して具体的な数字やかたちに落し込みよりリアルに共有できるようにする。
・具体的に実行するための調査・計画。そのための予算。
・実行。

等、様々な役割・フェイズがあると思うのですが、誰か、そういう自分の立ち位置を共通のイメージの中にそれぞれマッピングできるような、ロードマップのようなものを描ける人はいないでしょうか。(残念ながら能力・リソース的に僕には無理。もしくは個人じゃ無理)

あっ、とある方が「うわー、いますっごいことに気付いちゃった!これはますますやらネバダ!」とつぶやいてました。なんだろー。wkwk..gkbr….




YNGH 3rd



パースでは分かりにくいですがプランと外観を再整理。
整理されていくほうが好ましいのか、自然と崩れていくのが好ましいのか。その辺のせめぎ合い中です。




ARCH(K)INDY vol.8 他メモ


4/23-24と福岡で開催されるイベントに行ってきました。
vol.8 (長谷川豪) – ARCH(K)INDY/アーキンディ

幼稚園というの親密なスケールの場で、飲み食いしながらのレクチャーとその後の朝までコース?な議論が特徴です。

「建築について考えていること」という題のレクチャーで、「建築言語の生命力」ということを軸に建築や都市との関わり方が語られました。

メモを基にいろいろと書こうと思っていたのですが、どうもメモしたノートをどこか(車?)に忘れてしまったようなので、記憶の範囲でメモ的に書き残す程度にしておきます。
以後メモ(※言い回し等正確でないところもあると思います。ノートを見てから後で勝手に追加・修正するかも知れません)

メモ都市と身体性・視点・人と何との間に・厳しさの維持

・一番印象に残ったのは、都市の問題が身体性という言葉を絡めて語られたこと。とかく、都市の問題というと実感を伴わないことが多く、無力感を多少なりとも感じてしまうことが多かったのだけど、身体性と言う言葉で、おそらく人の視点から語られたことに、何か実感を持ったとっかかりを得られたような気がした。

・「個人によって生きられる時間と人類学的時間」・・・これらを同時に担保するために「建築言語の生命力」を導入するとした場合、建築の持つ強度のようなものが大きく現れるのかな、というようにぼんやり思うけれども、その後の話やできたものとの印象と合わせると、そうでもないよな、ともやっとしたものが残る。
・それに関して途中、全く要領を得ない質問をして困らせた&困ってしまったのだけれど、長谷川さんに返していただいた言葉を思いながら考えてみると、身体性、そして、人の視点から、さらに何に対してかというのがすごく大切なのかなと思った。
・たとえば、「個人によって生きられる時間」の集積のようなものからぼんやりと建築の輪郭のようなものが生まれて欲しい、そして、願わくばその建築が人格のようなものを持った関係性を築ける確かな存在でもあって欲しい、と思っていたのだけど、それについてもなんとなくもやっとしたものが残って大きな声では言い切れない感じがしていた。そこで考えてたことの一つは「人と建築の関係性」のようなものだけど、人との間に関係性が生まれるべきものは果たして「建築」なのか?というのは今後考えるテーマになりうる気がした。というかかなり根本的な問題です。
・長谷川さんが言われたのが「建築の生命力」ではなくて「建築言語の生命力」だと言う点に多分ヒントがあるんだと思う。人からの視点から身体性と言う言葉を手がかりに考えたときに建築あるいは空間がいかなる存在なのか。言語のような存在?

・翌日イノウエサトルさんのはからいで某住宅を見学させていただいた。そこで、トリップと言う言葉を聞き、いろいろと考える。例えば長谷川さんの話を都市へのトリップ、身体性の拡張のようなものと捉えると、この週末の経験が一つにつながる気がした。それぞれの場所や人に応じた身体性の拡張の方法と、建築ができることをどこに定めるかということ。
・この辺の話は建築を考える上で当たり前といえば当たり前の話だけど、それを実現させるためには、そのための方法論とある種の覚悟のようなものがいるのかも知れない。僕もブログを始めた頃
に学生の時に書いたメモを起こして
オノケン【太田則宏建築事務所】 » 私と空間と想像力

自分という領域があるとすれば、それは周りの環境や想像力によって無限に大きくなると思います。 例えば自分が鳥になって空を飛んでいることを想像すれば空は自分の領域になります。高台から町の光を見下ろせばその町が自分の領域のように感じます。

というようなことを書いていて、自分の中では一つの大きなテーマでもあったし、それには奈良や屋久島で遊んだ子供の頃の経験が大きく影響してる気がする。思えば、昔の仮想事務所名が「A-release building workshop」で、建築・空間を通して人間の想像力・身体性を開放したいというものだったり。

・鹿児島、もっと言えば特定の敷地において、これらのことから何を考えられるか。都市と言う言葉をどうとらえられるか。例えば周りが整然と区画された土地にハウスメーカーの家が載ってるだけの、全国的にどこにでもありそうな場所の場合、どういうアプローチが可能か。それは東京などでのアプローチと多少異なるかも知れない。

・最近、特に震災以降建築の言葉から遠ざかっていたような気がするけれども、常に触れるようにしておかないと失語症になってしまうなとあらためて実感・反省。同時に自分の中に建築に対する厳しさをどう住み続けさせるかは、鹿児島での環境という点も含めて大きな課題だと感じさせられた。

(・イノウエさんにWEBでの印象とだいぶ違った、年上だと思っていた、と言われ軽くショックを受ける。まー、大学の時におじいちゃんと呼ばれてたぐらいなので仕方ないか・・・)




YNGH 2nd


とりあえず一通り3Dで起こしてみた段階。ここからどこまで粘り強く検討を重ねるかが勝負。




B164 『建築家の読書術』

平田晃久 , 藤本壮介, 中村拓志, 吉村靖孝, 中山英之, 倉方俊輔 (著) )
TOTO出版 (2010/10/25)

本当に久しぶりの読書記録です。気持ちを新たに、ということでこのタイトルから。

この本は5人の建築家がそれぞれ20冊を紹介しながらレクチャーを行った記録なのですが、それぞれの建築への取り組み方と紹介された本が密接に関係していて面白く読めました。
紹介されている本はこちら(※PDF)にまとめられています。

僕もこのブログはもともと読書記録からスタートしていて、

気がついたらなんとなく過ごす日々が多くなっていた。
本棚の本も読み流したままで自分の言葉にする作業を怠っていた。
脳みそも錆付きかけている。
そんな日常から抜け出すために溜まった本を読み返し、そこから自分の言葉を見つける作業を始めよう。
そうして、見つけた言葉の断片を寄せ集めて、もう一度自分の地図を描こう。(『読書記録』カテゴリー冒頭文)

と書いているように自分なりの地図、もっと言えば建築に向き合う際の羅針盤となるようなものをつくりたいという思いから始めたもので、読書記録を文字に起こすのはこれで164冊目になります。

建築に関して自分がどこに関心があって、どういう事を大切にしたいか、というのはこれまででぼんやりと浮かび上がってきているので、これからは実践を通してそれを建築に落としこむ方法をつくっていこうと思っています。

さて、この本に関してですが、登場する建築家が同年代ということもあり感覚的な部分で共感できるものが多かったのですが、その中でも中村拓志さんの「微視的設計」のところが参考になりました。(佐々木正人さんの本が紹介されてたり、自分と重なる部分も多かったように思います。)

こういう視点はいろいろな方がいろいろなところで語られていると思いますが、最近ネットをいじってることが多いこともあって、例えば下記のように直接建築とは関係の無いところから現在の身体感覚のようなものを感じました。

こうした、身体の行動、挙動に着目した、微視的なアプローチというのは、ネットの空間でも行われていると思うんですね。たとえばツイターのように、誰かがちょっとつぶやいたものがみんなに広がって、それがリアクションになって積み重なっていく。SNSでもアクセスが足跡履歴となって、反応が残る。足跡とかつぶやきというのはまさに小さなふるまいですね。そういうものが積み重なり、共振することで、公共的なるものがなんとなく現れる、というのがいまの社会だと思います。
それは、マスコミュニケーションの時代、マスメディアの時代とは全然違うと思うんです。マスメディアというのはやっぱり巨視なんですよ。(p139)

ツイッターがそのまま建築の形になるということではないわけですが、アプローチの仕方を変えることで建築の持つ質は変えうると思いますし、自分なりのアプローチを見つけなければ設計をしていてもどこかで行き詰ってしまいます。

この視点は藤村さんの超線形設計プロセスやdot architectsのアプローチにもつながる気がするのですが、小さなスタディを数が全体の輪郭をぼんやり出現させるところまで繰り返し、それによって生まれる豊かな関係性の可能性というのは確かにあるんだろうなという気がします。

また、手数がそのままコストに反映してしまうとするならば、施工の方法にアプローチしたり、思考・スタディの繰り返しによる密度・手数を、生まれた豊かさを損なわなずに再度シンプルなものに還元するような方法がテーマとしてありうるかも知れません。(その一つが寸法に還元するということでしょうか)

そういう事を考えながら、本を読むということは僕にとって自分のペースを維持するのに必要なんだなと感じました。
どんなに忙しくても、読書の時間ぐらいは確保できるように環境を整えていかなければ。




YNGH 1st






YOSHINONGE.Hの第1案模型(1/50)
今、少し面積を増やした第2案を検討中です。
30坪程度の住宅で、ローコスト化をはかりながらどうすれば、空間の質を確保できるか。
高さ関係の寸法の見極めと素材の扱いがキーになりそうです。
最後はコストとの戦いになりそうな予感。




募金プラスプラン、始めました。


■From Kagoshima Project~東北地方太平洋沖地震の被害を受けられた方へ~

被災地から遠く離れた鹿児島から、一時期なものではない継続的な活動として何が出来るだろうか。

そんな思いの集まりから、自分たちの出来る範囲で継続的に募金のできる仕組みをつくろうと動き始めたプロジェクトです。

まだ、最初の集まりの瞬間から1日と数時間。
全体のシステム詳細や基金の受入団体、各種ツール等、詰めることはまだまだ残ってますが動きながら詰めていきます。

ということで

当事務所でも募金プラスプラン、始めました。

このプロジェクトに賛同して下さるお施主様からは、通常の設計監理料にプラス募金(一口5000円で1~3口)を上乗せしてお預かりし、当事務所からプラス募金と同額を加えて東日本(受入団体)へ送ります。
また、募金プラスプランを選択してくださったお施主様のうち希望者の方には最終模型を差し上げます(住宅の場合)。

(1口プランの場合お施主様3000円+当事務所3000円の6000円が送られます。)

また、このプロジェクトに参加したいという企業の方、プロジェクトの運営を手伝ってくださる方がいらっしゃいましたら、私か上記サイトのメールフォームへお願いします。

※私のような小さな設計事務所では年に数回募金ができるかどうかの僅かな効果しかないと思います。
しかし、長期戦に対応できる継続的な活動の一つの空気になれればいいとの思いから始めました。




YNGHスタート。


HS-14 小さな廻る家をベースに計画中です。
1番最初は要望を素直に取り入れたありがちなプランをたたき台としてつくったのですが、やってみたらこちらの案のほうがいろいろな問題を同時に解決できました。
中央部を風と光を取り入れたり寝そべったり洗濯物を干したりと多機能なスペースにできないかと考えています。
いろいろなことを少しずつ調整していけばギュッと詰まった小さな気持ちの良い家ができそうです。

第1.5案の1/50模型はお施主様に貸出中にて、写真は後日アップ予定。




デザインマーケットと松山将勝さんトークライブ

3月5日と6日にデザインマーケットに出展してきました。
僕個人としてもとても有意義な”動き”だったと思います。(サクラ島大学の久保さんを真似て動きと書かせて頂きました。)

まずは運営された鹿屋の方々、出展された方々、来てくださった方々にお疲れ様でした、ありがとうと伝えたいです。

商店街の活気のあったころの風景、現在の状況等をよく知っているわけではないのですが、それでも空き店舗だったと思えないほど自然な場が生まれ活気に溢れている風景は感動的でしたし、鹿屋の方々のチームワークの良さは(少し無責任な言い方になってしまいますが)羨ましくもありました。

そんな中、鹿児島県奄美大島出身で鹿屋工業高校卒業の松山さんのトークライブがあったのですが、これもまた有意義なものだったと思います。

前半は松山さんの作品の紹介をメインとした講演でしたが、一般の方へ向けてのものと言う事で設計のプロセスをわかり易い言葉で生々しく伝えて下さったので、すごく分かりやすかったですし、自分の建築に対する姿勢を再考するよい機会になりました。

後半は、間に休憩を挟んだのと、場所が分かりにくかったのと、少し寒かったせいか、ほとんど観客の方がいなくなってしまったので、松山さんを囲って雑談という形になったのですが、逆にリラックスした雰囲気で話が展開したのは良かったと思います。(なので尚更多くの人に聞いていただきたかったですが・・・)

「建築家と街の関わり方」というテーマで果たしてどこまで話を展開できるかな、と思っていたのですが、まさにこのテーマで話が進みました。
例えば個々の設計という仕事によって街の風景や生活のあり方対して責任を果たして行くと言う事や、一生活者として街を楽しむ、ということ以外に僕達が建築という視点から”専門家として”どうやって街に関わっていけるのか、ということに関してははっきりとした展望があるわけではなかったのですが、この”動き”は確実に何かを動かし始めている、そんなことを感じられました。

それに関しては日を改めて、僕個人の感想という形でアップしたいと思いますが、nowhereとしても鹿屋の方々とは別に「デザインマーケットは何をどうやって動かしたか」「私たちは街にどうやって関わっていけるか」というようなことの総括は必ずしなければいけないなと感じています。そこから、nowhereとして集まることの意義やこの場所で建築に携わることの責任のようなものがぼんやりとでも浮かんできて共有できないでしょうか。
個人的にはそこまで行かないと、いずれ今まで起こっては形骸化していったと思われる数多の集まりと変わらなくなっていくような気がします。次回集まりはノンアルコールとかどうですか?(本当はお財布事情がかなりヤバいんですが・・・)

あと、カメラとICレコーダーを忘れたのだけは痛かったです。誰か、トークライブの録音してないかなー。前半はメモとってたんだけど・・・




デザインマーケット2011いよいよ 明日から!

いよいよ明日から開催です!
デザインマーケット2011-雑貨とインテリアとデザインと-
日時:
平成23年3月5日(土)6日(日)
10:00~18:00
場所:
鹿屋市北田商店街空店舗内
(鹿屋バラ色商店街フェスティバル内)

[googlemap lat=”31.388423679989337″ lng=”130.84928154945374″ align=”undefined” width=”500px” height=”250px” zoom=”17″ type=”G_NORMAL_MAP”]鹿屋北田商店街[/googlemap]


僕の出展するARCHITECT zoneは5番の店舗になります。
駐車場は城山公園駐車場(無料)となるようです。(詳しくはイベントサイトを御覧ください)

かなり楽しいイベントになりそうですので、みなさんお誘い合わせの上是非いらして下さい!




第2回販促会議賞のファイナリストに残りました。


年初めにTenBizのイベントに参加して4人チームのC班として応募した販促会議賞の案がファイナリストに残りました!

もちろん出すからには残るつもりでやったのですが、まさか本当に残るとは・・・。
ほとんど広告関係者が占める中、素人混成チームの名前が、それも一番上に出てるのはやっぱり嬉しいですね。

C班のみなさん、TenBizのみなさん、(そして、いつもレクチャーして下さる川内ふくれ菓子屋さんとたこ焼き屋さん)、大変貴重な機会を頂きありがとうございました!

と言っても、まだ最終選考中です。皆さん応援宜しくお願いします!

第2回販促会議賞WEB投票・・・素敵な企画がたくさんなので、絶対うちに入れろとは申しません。。。

また、TenBizの方でもフィードバック企画が予定されているようです。
こういうイベントはやっぱりフィードバックが楽しみですね。初めての方でもOKのようですので、興味のある方はTenBizの方へ連絡とってみてください。

あと、余談ですが建築のコンペでもこういうチームで応募すれば、建築関係者とそうでない方の視点が交換できていろんな気付きがありそうな気がしました。ミソップ講師とかどうでしょ。




いよいよデザイン百覧会、明日から


いよいよ明日から3日間、デザイン百覧会が開催されます。

昨夜バタバタと準備をして、先ほど設営をしてきたのですが、ちょっと何か足りない。
マルヤのイベントの際は来場された方とのコミュニケーションをだいぶ考えたのですが、今回それがないのかも。
今回も人型の投票では芸がないし、1800の幅のブースでは全部の模型を見てもらって投票、というのが現実的ではありません。
ということで、即席ハウス・チョイサーを作ってみました。

28面のサイコロのようなものですが、これをコロコロしてもらおうかと。

ということで会場でお待ちしています。
僕のブースはメインの入口を入って右側すぐになります。




LEAP3月号に掲載されました


LEAP3月号に昨年末に開催した住宅模型展の様子が掲載されました。よろしければご一読ください。
また、模型展を見逃された方はデザイン百覧会およびデザインマーケットで(コンパクトな展示にはなりますが)模型を展示しますのでよろしくお願いします。

デザイン百覧会(運営: 鹿児島デザイン協会HP)
・期間:2月25日~27日10:00~18:00(最終日は17:00まで)
・場所:かごしま県民交流センター2F大ホール

デザインマーケット-雑貨とインテリアとデザインと-in鹿屋
・期間:3月5日~6日
・場所:鹿屋市北田商店街




建築と自由の感覚

たこはんさんのUSTでちょっと話が出たので。

オノケン【太田則宏建築事務所】 » B014 『原っぱと遊園地 -建築にとってその場の質とは何か』
を例に出して「建築は制約でしかないけど、だからこその自由に迫れる」と書いたのですが、これはずっと昔から主要な関心でした。それは、自由に対する感覚というか世界・社会との関わり方が建築が人にマッチするかどうかに大きく関係するかもしれないと思っているからです。

近代的な枠組みというか、「はい、これどうぞ」と渡されたもので(本人は選んだつもりでも)満足できる感覚の人は、USTで話しに出たような一般的にイメージされている機能主義的な建築のあり方で全然問題ない、むしろ好ましい場合も多いと思うのですが、これだけ、自由を迫られたり、確たるものがないとか、神が死んだ、とか、個人の枠組みが変化している、と言われるような中では、世界や社会との関わり方に不安を覚える人もいるでしょうし、不自由さを感じる人もいると思います。

そういう人は、もしかしたら機能主義的な枠組みだけで作られた建築は制約だけでしかありえないし、どこにも逃げ場のない不自由なものに感じられるかもしれません。その場合はおそらく別の建築のあり方のようなものがあるはずで、その感覚に共感できるセンスと、その感覚と生活空間をよりフィットするものにするための方法が必要なんだと思います。(だから、多くの建築家と言われる人は単なる間取りではなく、ディテールに神が宿るところまで考えようとするのかもしれません。)

哲学なんかはもしかしたらその時代時代に違和感なく世界や社会と向きあうための方便のようなものなのかもと思ったりしますが、建築も同じようなものだと思うのです。

そう考えると、例えば@otakohanと@rectuswarkyさんの住む家を考えるときは、全然違う感覚が必要なはずで、自分がどこまで相手の感覚にチューニングを合わせられるかが重要だと言えるかもしれません。(そんなにずれてない可能性もあります)

そのために、このブログでもそういう事をテーマにいろいろ考えてきたし、先日の模型展の「棲み家」というテーマも制約の矛先を機能から少しずらして別の自由と向きあうためのものだと言えるかもしれません。

といっても、個人がチューニングできる幅には限界があるので自分の出来る範囲でですが。

USTを聞いてなかった人には良く分からない話かもしれませんでした。すみません。

補足:機能主義的な建築というのは、キッチンで料理して居間でくつろいで、寝室で寝て、トイレで用を足す、機能と空間を1対1で対応させて考えるもの、っていう程度で書いてます。間取りのパズルだけで考えるようなイメージです。




デザイン百覧会とデザインマーケットに出展します

少し先になりますが、デザイン百覧会とデザインマーケットに出展する予定です。
多数の方が出展されるイベントですので是非遊びに来てください。

デザイン百覧会(運営: 鹿児島デザイン協会HP)
・期間:2月25日~27日10:00~18:00(最終日は17:00まで)
・場所:かごしま県民交流センター2F大ホール

デザインマーケット-雑貨とインテリアとデザインと-in鹿屋
・期間:3月5日~6日
・場所:鹿屋市北田商店街

どちらも楽しみです。
デザインマーケットは今年鹿屋バラ色商店街フェスティバルのイベントという形で、商店街の空き店舗のシャッターを空けての開催。
楽しみすぎる、というか、これを実現にまで持ってきた運営サイドの方には、ただただ敬服するばかりです。
ほんとすごい。

出展内容はまだあまり考えていませんが、マルヤでの模型展の報告も兼ねたかたちで、1/100模型をもっとコンパクトに並べようかと思っています。(使い回しですー)
加えて、全体投票で一位だったものを、もう少し詰めて、1/30か1/50に作り直したいなーとぼんやり考えてます(できれば建築関係者で一位だった案も)。模型作成中にもしかしたらダダ漏れもするかもしれません。

まだ、先なので日程が近づいたら再度告知します。




印鑑が届きました。


法的に必要な訳ではないのですが、ちょっと作ってみようと注文していた座判と角印が届きました。村山さん(デザイナーさん)がロゴを「太」の字にも関連付けられるように考えて下さっていたので角印の中にも入れてみました。
早く出番が増えるといいですなー。

ところで、座判が一発変換できないと思ったら鹿児島・宮崎の方言みたいですね。知らなんだ。

ZABAN




あけましておめでとうございます。


あけましておめでとうございます。

年末は屋久島に帰省してしっかり充電するつもりでしたが、船の欠航や積雪で屋久島にも加世田にも帰れませんでしたので鹿児島市内の我が家にてのんびり過ごしています。

昨年の反省と今年の抱負はまた後日。
それでは、本年もどうぞよろしくお願いします。