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B152 『天工人(テクト)流―仕事を生み出す設計事務所のつくりかた』

山下 保博 (著)
彰国社 (2009/04)

久々の読書。
著者は鹿児島出身で毎回創意に満ちた作品をつくられるので気になっていた人です。
tekuto.com
タイトルにも興味があったので読んで見た。

一般の人にも分かりやすくさらさらっと書いていますが、やってることはかなりチャレンジング。

当たり前のことを、当たり前にやるのが天工人流

とあるけど、試行錯誤をしながらもやるべきことを明確にし淡々と進めていく様子が良く分かる。

また、運営費の4分の1は新しい工法や材料の開発・研究にあてられているようだけど、産官学を巻き込みながらビジネスとして前に進めていく実践力は大いに参考になる。

鹿児島だと独自の材料(石才など)を扱う技術を持った人なんかと何かできれば面白そうな気がした。

建築家の華やかさ・するどさをそんなに感じさせない文体ですが、それがかえってものづくりを支える裏側の様子をストレートに伝えてくれます。
今やっていることがそんなに間違っていないという励ましと、こういう風にやれば道が切り開けるという勇気をもらえる、そんな本でした。

つい先日大学の同級生から独立の案内が届き、嬉しさと共に多少の焦りを感じたのですが、僕のやるべきことを淡々とやるのみです。




VRMLウォークスルー

10年以上前になりますが、学生のころにVRML(Virtual Reality Modeling Language)というのをかじっていたのですが、久しぶりにちょっと試してみようということでHouse-Studyの3DデータをVRMLに変換してみました。

かなり古い技術ですし、データの最適化もしていないのでかなりもっさりしていて見れなくはないという程度ですが。

VRMLを見るにはプラグイン等が必要です。

Cortona3Dというのが一般的なようなのでこちらからインストールしてください。
(どうやらMACには対応していない模様・・・古い技術なんでMAC対応プラグイン等はあるのかどうか・・・)
vrml
画面下、左端の足跡アイコンがウォークスルーモードです。
操作は慣れないと難しいかもしれませんが、画面中央あたりでマウスの左ボタンを押したままの状態でマウスを動かしてみてください。

上に動かすと前進。下で後退。左右で旋回します。左斜め上は前進しながら左に旋回。
マウスの移動距離が移動スピードです。

右側の三角アイコンでいくつか登録している始点を切り替えられます。

とりあえずHS01~HS07までVRMLに変換してみました。

[ MEMO ]
・昔あったビューアーだと設定視点間をウォークすスルーでつないでくれたから良かったんだけども、今できるビューアーはないんだろうか。
・今現在、WEBでウォークスルーを実現するのに最適(手軽に扱える。軽くて安い)な技術ってなんだろう。最新のVectorWorksとかFormZだといろいろできるようになってそうだけど。
・最初はデータが重くてどうしようかと思っていたのですがGZIPに対応していることを知ってほっとしました。適宜データを作成してPROJECTの各ページにリンクを追加していく予定。




hs18

house-study18。

土間とデッキとロフトのある家です。
屋外デッキから屋内に続く床の要素とそれを覆う壁・屋根の要素を全く別物として扱う、というところからスタートしたけれども最終的には全然別物に。

ほぼ、垂水からの帰りのフェリーで書いたスケッチとおりですが、ディテールをつめたらちゃんとモノになりそうな感じです。

今回はそのまま模型までつくってしまおう。




HS13 MODEL


なんとか完成。一部外部を通過するのが良い感じ。
8月中にもう一案をパース・模型までできるだろうか。
来月に食い込むかな。

オノケンノート ≫ HS-13 2枚壁の家




W048 『実は城山の散策が今面白いんです』

かごしま探検の会のまち歩きに参加してきました。

詳細は下のスライドショーより。

今回筆記用具を忘れたのと、途中から息子を抱えての見学だったためびっくりするほど覚えてません・・・

もったいないのでいずれ音声を記録してそのまま公開するような形が取れないかなと思っています。

探検の会の街歩きは、その時はあまり覚えていなかったり何を掴んだ!とすぐにはいえないことが多いのですが、後からじわじわと少しずつ身になっているような気がします。
僕の中での位置づけでは、焦らずそれでいいんだと思っています。




B151 『9坪ハウス 小さな家で大きな暮らし』

萩原百合+9坪ハウスオーナーズ倶楽部 (著)
河出書房新社 (2006/10/13)

さらっと読めそうだったので気分転換がてら。

前に別の本で読んだことの再確認という意味合いが強かったです。
オノケンノート ≫ B089 『space 狭小住宅:日本の解決法』

簡潔さと必要性に共感できる人たちだけを惹き付ける家づくり

今の自分の生活に合わせて家を作るのではなく、ある良く考えられた箱、空間や環境に合わせて自分の生活を作っていく、と考えた方が豊かさやある種のリアリティが生まれる気がするのですが、これはなかなか説明して納得してもらうのは難しそう。

全ての人に共感してもらえる感覚ではないと思うのですが、うまい例えがないでしょうか。




B150 『1995年以後―次世代建築家の語る現代の都市と建築』

藤村 龍至 (著), TEAM ROUNDABOUT (著)
エクスナレッジ (2009/2/21)

久しぶりにこの手の本が読めました。
1995年以後次世代建築家の語る現代の都市と建築 |雑誌・書籍|X-Knowledge(エクスナレッジ)

1971年以降生まれの若手建築家、研究者ら32組へのインタビュー集。「1995年」を、都市のインフラの構成が変化し、情報化と郊外化が加速する2000年代の一連の変化の起点として位置付けた。そうした時期に建築を学び始めた建築家たちにインタビュー(議論の場を提供)し、これからの都市と建築のあり方を探る。本書は、次世代の建築論の基点となることを宣言する。

登場する建築家等の名前・誕生年・当人もしくは勤め先へのリンクは以下(メモ及びリンク集の意味合いも含めて)

藤本壮介(1971)Link、平田晃久(1971)Link、長坂常(1971)Link、森田一弥(1971)Link、白井宏昌(1971)、倉方俊輔(1971)Link、満田衛資(1972)Link、中山英之(1972)Link、中村竜治(1972)Link、吉村靖孝(1972)Link、吉村英孝(1975)Link、重松象平(1973)Link、トラフ(1973,74)Link、中村拓志(1974)Link、石上純也(1974)Link、谷尻誠(1974)Link、大野博史(1974)Link、TNA(1974,75)Link、dot architects(1974,77,74)Link、松川昌平(1974)Link、北川啓介(1974)Link、平塚桂(1974)Link、田中浩也(1975)Link、永山祐子(1975)Link、藤原徹平(1975)Link、勝矢武之(1976)Link、柄沢祐輔(1976)Link、中央アーキ(1978,76,77)Link、長谷川豪(1977)Link、鈴木悠子(1979)Link、南後由和(1979)Link、ドミニク・チェン(1981)Link、大西麻貴+百田有希(1983,82)Link

僕はぴったり同世代なんですが、やっぱりこういうのを読むと多少の焦りは感じますし、建築系ラジオをちらほら聴いたのもあってか、議論しあうことの必要性をすごく感じました。

社会性を前面に出す人が多かった印象がありますが、そんな中あえて社会性と距離を置く人もいて、考えさせられました。
建築はどうあがいても社会との関係性を持たざるを得ないので、立ち位置として社会とどの程度の距離感を持つかはその人の感覚しだいと言う気はします。
どのような距離感であれ、できたもの(またはそのプロセス)によって社会に何らかのよい影響があればよいというのは声の大小はあるにせよおそらく共通の思いでしょう。
また、採られる戦略や方法論もおそらくごく個人的な問題意識が根元にあって、個人的な欲求から建築をつくるにあたってその問題意識を作動させ続けるために戦略や方法論を必要としているのだと思います。

感じた事をうまく書けないまま仮にここまで書いてみたのですが少しイメージが浮かびました。

それは、まだ中途半端にしか理解できていませんがオートポイエーシスにイメージを重ねられないかと言うこと。

オートポイエーシス単体としての生命における一般的な「たましい」のイメージに個々の「問題意識」を重ねてみる。
様々な人・戦略・方法論・建築・その他を構成素に共通の「問題意識」を作動し続けながら次なる構成素を生み出し続ける、そのようなオートポイエーシス単体。
「問題意識」の連鎖の断絶が生命における死に該当する。
「問題意識」は「社会性」と置き換えてもよい気がします。

例えばある話題に関するコミュニケーションの連鎖も(僕の勘違いでなければ)オートポイエーシスとみなせるようだからそんなにおかしなイメージではないと思います。

実は著者の唱える「批判的工学主義」をきちんと読んだことがないのですが、この本を読んで、著者にはそんなイメージ、ある問題意識(よりもう少し大きなくくり、社会性のようなものかもしれませんが)が作動し続けて大きな運動体のようなものになるイメージがあるのかもしれない、と思いました。

翻って、自分の問題として考えた場合、自分にどのような問題意識があり、どのような戦略・方法論があるのか、どのようにすればそれを作動し続けさせることのできる場を生み出せるのか、等を考えなければいけません。

例えば、鹿児島にどのような問題・可能性・場があるのか。お手本となる人・活動も多いのでじっくり考えてみようかと思います。




HS12 MODEL


今月のノルマは案をあと一つ。

来月に持ち越しかな・・・

オノケンノート ≫ HS-12 小さな丘を登る家




W043『鹿児島の団地めぐり~市街地形成の歴史を学ぶ』

10ヶ月ぶりにかごしま探検の会のまち歩きに参加してきました。

今回は団地めぐりということで、探検の会のまち歩きでは異色なコースです。
いつもは史跡などをめぐることが多いし、「市街地形成の歴史を学ぶ」とあるのでどんな内容になるのか興味津々でした。

バスの中では身近な話題に絡めた東川さんの団地形成の歴史の講義を聴きながら
星ヶ峯団地-皇徳寺団地-桜ヶ丘団地-紫原団地-城山団地と巡りました。(下車は星ヶ峯団地と皇徳寺団地)

団地の歴史の概略の話もそうですが、一見似通ったそれぞれの団地の特徴をうまくとらえてツアーのコースにまとめてしまうのはやっぱりさすがです。

僕自身、団地というか「郊外」というものに対する問題意識が建築を真剣に考え始めたスタートになっているのですが、東川さんの暖かい目線、育てるべきものを見つけるような目線には頭が下がりました。

わりとなじみのある場所が多かったというのもあるでしょうが、今回まわった団地に僕の持つ「郊外」のイメージほどの冷たさを感じなかったのは、それなりに歴史を経てきていることと、団地が出来る傾斜地という立地条件によって地形・敷地にある程度変化があること、それと各敷地ごとにそれなりに緑が植えられていることに拠るのかなぁと感じました。(あと東川さんの語り口)

年齢構成の偏りや、その他団地ならではのイビツさがあるのですが、そういうイビツさも(問題は問題として捉えながらも)受け入れてみるという考え方もすこしあるかもしれないと感じたツアーでした。

今回のまち歩きにはMBCと南日本新聞とNHKの取材が来ていて、子連れは珍しかったのかMBCと南日本新聞に取材されましたー。
当然のごとくキョドっていたのでカットされるような気がしますがMBCは8/1午前の放送のようです。(多分ズバ鹿児)

[gmaps:31.575281478391517/130.49714505672455/18/460/300]星ヶ峯団地せせらぎ公園[/gmaps]




HS11 MODEL

hs11_M
合間を見て作成中。
ルーバーが残っているので完成は明日になるかな。

プロポーザルが入ったりしてバタバタしそうだけど、こっちの方もこなしていかないと今年の目標達成は難しそう。(プロポーザルも結構とりたい仕事だし、方向性のイメージはあるんだけどやる暇あんのか?)

この模型はやっぱり片方は取り外せるようにしないと中がわかんないだろうなぁ。

スタディの最後の方のうち一案は1/50か1/30の模型を作りこんでみたいと思いはじめてます。

オノケンノート ≫ HS-11 向かい合わせの家




鹿児島美少女図鑑

ブレストM氏、やってますなぁ。

鹿児島はフリーパーパーが結構充実しているように思います。

鹿児島の建築・景観・街並み・都市を考えるフリーペーパーっていうのも切り口たくさんありそうだけど、それなりの人の輪とエネルギーが必要だろうな。

あっ、鹿児島美少女図鑑、
渕上印刷さんの二次元読書にでてました

おいらにゃ美少女なんて遠い存在さ、と思っていたのがこれをぱらぱらと見ていると、「身近な景色」と「鹿児島を元気に」というのがなんか分かった気がしました。
「いいじゃん鹿児島」のきっかけになりそうな予感に満ち溢れているフリーペーパーっす。さすが。

二次元読書の渕上さんはRegionもだしてるし、このサイトを最初に発見した時は全国的なサイトかと思いました。
いい仕事されてます。




構成についてのメモ3

吉岡徳仁によるバーゼル ワールド2009のスワロフスキーブース

きれい、というのと同時に巨大な生物のようで少し怖いという感じがしました。

この動画を見た感じだと、一つの要素の動きに応じて隣接する要素の挙動が決まってくる構造のようですが、個々の要素の関係性によって全体があらわれる一つの例ではないでしょうか。




B149 『大久保進一朗の 数学II・B計算トレーニング (数学が面白いほどわかるシリーズ)』

大久保 進一朗 (著)
中経出版 (2009/6/17)

大学生・建築専門学校生のころは結構家庭教師のバイトをしましたが、その中に
おのけんのーと ≫ Blog Archive ≫ なんで勉強しないといけないのぉ?

家庭教師のバイトなんかをしてても、だいたい親にやれって言われてやってる子は伸びないし、何かの瞬間に自分でやると決めた子は伸びる。

という確信のもとのなった、また
仮説テント 脳内ポジショニングの技法

初めて自分の言葉として人に伝えたのは、大学時代に家庭教師をしていたときだが、分かってもらえたかどうかは分からないがその生徒は共感してくれ、受験生に対して「脳内ポジショニングの技法」なんて本を出せば大ヒットになるなどと盛り上がった。

と盛り上がった、ある印象的な生徒がいました。

家庭教師をしたのは、僕が大学生で彼が確か高2ぐらいのころだったと思います。

えー、貧乏学生だった僕は家庭教師の日は、まず彼の実家に行って、夕食とお風呂をご馳走になって、(彼以外の)みんなで『名探偵コナン』を見て、その後で、彼と一緒に僕のアパートまで自転車で来て、それからようやく勉強を始めるという、けっこうめちゃくちゃなことをさせてもらっていました。(恩返しが出来ないのがすごく悔しいです・・・)

その彼ですが、家庭教師のバイトをたくさんした中で、唯一『こいつはもう大丈夫』と思った生徒でした。
決して成績が劇的にあがったわけでもないし、実際大学受験ではそうとう苦労をしたみたいだけど、それでも「大丈夫」と思ったのは間違いなかったと思います。

教えてその部分が分かるようになる生徒はたくさんいたのですが、「こいつは自分がいなくても受験勉強を自分で進められるし、問題を解く肝を自分で見つけていける」という確実な手ごたえがあったのは多分彼だけだったと思います。
また、彼は家庭教師を自分から親に頼んでつけてもらい、家庭教師代の(たしか)半分を自分で払っていた唯一の生徒でもありました。

「問題を解く肝」なんてものは問題の回答や解説の中にころころ転がっているのですが、たぶん受身の勉強では言われるまでそこに気づきません。
今の彼を見てこういうことを言っていいのか分かりませんが、彼にもともとあふれる数学の才能があったというわけではないと思います。ただ、彼の能動的な姿勢がそういう肝をみつける目を育てたのだと思いますし、その後のすばらしい出会いを生み、自らの道を切り開いていってるのだと思います。

それに、その時の僕の手ごたえは、僕の中である種の確信になっていますし、今後子供を育てていく上での一つの助けにもなってくれると思います。

前置きが長くなりましたが、その後どうも代ゼミの人気講師になったらしい彼が最初の問題集を出したようです。

アマゾンで買うことも出来たのですが、せっかくなので鹿児島で直接と思い入荷情報をチェックしていたのですが、ようやくオプシアで手に入れることができました。

おぉぉぉ!すごいね~。鹿児島上陸でっせ。

これも、まだまだ道の途中なんだろうけど、とりあえずおめでとさん。

久しぶりに問題集なんて眺めてみたらけっこう懐かしく感じました。

P.Sちなみにこの本の表紙のイラストはちょっと納得いきません。こいつ誰やねん。誤解するやん。(著者のイラストってわけじゃなさそう)
あと、最近のブログは見てられん。




HS10MODEL

hs10model
デジカメがなかったのでとりあえず携帯で撮影。

模型にしてみると思ってたよりも一筆書感がでてました。
プランと構造がうまく絡んで割といい感じ。

忙しくなるので、少しの間模型づくりはできそうにないです。

オノケンノート ≫ HS-10 一筆書きの家




『仲良くせざるをえない家』に関するメモ その2

えー、『多様で豊かな関係性を(ほどほどに)もてるのがいい家』なんて言っておきながらなんなのですが、近所のおばあさんに困っています。

詳細は書きませんが前々から親しくしていたおばあさんがあまりにも他人の迷惑を考えない言動ばかりになって、終日家で子守をしている妻がかなりまいっている状況。

僕としては、生活環境(特に子供が育つ環境)としては多様性を許容する町であるべきだという思いもあって、なんとか仲良く出来ないかという気持ちと、妻に悪いという気持ちの間でもんもんとしていたのですが、考え方を変えるとすっきりしました。

多様性のある町といっても、誰とでも等しく仲良くしなくてはならないというわけではありません。
昔ながらのコミュニティが崩れ都市化・個別化が進んだのは、昔ながらのコミュニティの持つ一種の同調圧力のような煩わしさから逃れたいという欲求を多くの人が持ったからからであって、それを現代において強要してコミュニティを、といってもうまくいくはずがありません。

もし、いろいろな人がいる中で『誰とでも等しく仲良くしなくてはならない』ということを推し進めていけば、やがて多様性そのものを否定せざるを得なくなって結局は個別化に進んでしまいます。

そうではなく、気の合う人もそうでない人も含め、多様な人がいることを許容するというのが大切であって、そのために仲良くするための作法の他に現代的に割り切ってしまうような作法もありなのかなと思いました。

そういう自由のある中での共存である方が可能性があるように思いますし、近所だから何をしたっていいということではなく、一定の緊張感・マナーのある中で関係性を築くべきだと思います。

ですから、『仲良くせざるをえない』という回路の他に、一時的にでも『ばっさり切っちゃうよ』という回路も担保しておくべきかもしれません。

例えば(たこ阪さんは分かると思いますが)関西では単純に笑いという意味ではなくもっと複雑な意味で『おもろいやつ』であるかどうかというシビアな基準が存在します。

それは人に対してよりもむしろ自分にたいしてシビアな目線であって、一定の緊張感の中で人間関係が築かれているように思いますし、その緊張感が逆に、(ある意味無根拠な)信頼関係を生み人間関係を円滑にしている面はあると思います。
(多分他の地域の人にはその緊張感は見えずに妙な連帯感だけが見えるのでしょうが。)

また、『おもろい』にも関西圏共通で通用するメタおもろいから一部だけで通じるマイナーなおもろいまで、いろいろなレベルのおもろいが存在していて、それが連帯感と多様性を同時に担保しているように思います。

なんの話かよく分からなくなりましたが、家づくりやまちづくりにも、こういう作法の構造が応用できるんじゃなかろうか、という話と、近所のばあさんは僕はもう相手にしない、という話でした。

つづく(かな?)




HS09MODEL

hs9model
実質製作時間4時間くらい。
朝、子供が寝てる間につくっているのですが、調子が上がってきた頃に起きてきたりして、それぐらいの時間をつくるのもなかなか大変。
それはそれでいい訓練になってます。




ジェラシー

テレビでチラッと見かけてずっと気になっていたこの集団

残念ながらアートマーケットには行くことができず面識もないのですが、やられたっていう感じのポジションです。

前に書いた技術の問題
オノケンノート ≫ B117 『藤森流 自然素材の使い方』

技術とは何だろうか。と考えさせられる。 藤森さんのやってること(技術)はその筋の人が見ればもしかしたら子供だましのようなことかもしれない。 だけれども、藤森さんは自分で考え手を動かす。 それによって近くに引き寄せられるものが確かにある。

技術を身近なところにひきよせることに成功している(チャレンジしている)ように見えるし、僕自身がまだ全然できていないところをいい感じでやっているのでちょっとしたジェラシーです。

僕も手を動かすのは好きな方ですがまだまだですね。(集団っていうのもいいし。)




構成についてのメモ2

全体を感じさせる関係性を持ったモノのネットワークを仮に構成体と呼んでみる。(オートポイエーシス単体と呼んでみたいところだけどまだ良く分かっていないので)

自分とは全く別の存在として構成体がある、ということでも親近感のようなものを感じるだろうが、もし、自分もそのネットワークの一部、構成素であると感じられることが出来るとしたら、それは好ましいことかもしれない。

オートポイエーシスに近づくことが必要かどうかは別として、利用する人や自然環境、その他さまざまな要素を取り込み、それらに応じて現れ方・感じ方が変わるとすれば少しオートポイエーシスに近づけるのではないか。

また、何をどれだけネットワークに取り込めるかが空間の豊かさに関係するように思うのだが、如何に。




模型再開

hs8_m
HS8の地上部分を8割方作成。
時間を見つけて少しずつでも作ってかないと・・・

地下は細かくつくりたいのでしばらくかかりそうかなぁ。

HS9は簡単そうだけど早く模型にしてみたい案なので地下を飛ばしたい気もするけど先に済ませとこう。




構成についてのメモ

建築やってる人だったら一度はリートフェルトのシュレーダー邸のような構成を突き詰めたものを作ってみたいと思ったことがあると思う(?)。

僕もテクニックとしてもっとうまくなりたいという欲求はある。

でも、誰か忘れてしまったけどどこかの設計事務所のHPに、「昔は構成に興味があったけれども、最近は関係性に興味が移ってきた」というようなことが書かれていて、「それも良く分かる。構成のための構成じゃつまんないな」と思ってしまって構成に対する態度を決めかねてるところがあった。

だけど、ちょっとまって。構成って関係性のことじゃないだろうか。

例えば、(厳密には物には厚さがあるけどそれは置いといて)ただの点・線・面・立体を、ちょっと関係性を持たせるような感じで配置するだけで生き生きとした何かが生まれる気がする。
(例えばこんな感じ)
const

僕らの周りの物は全て、何かしらの関係性の中に存在しているし、生物なんてのも関係性のシロモノだといえる。

このあたりは最近ちょっとかじりかけたオートポイエーシスに通じるところがあるように思うし、ただのモノの集まりじゃなくて、関係性を持ったモノのネットワークが全体を感じさせるところにもしかしたら親近感を抱くのかもしれない。

構成そのものを躊躇する必要はなさそうだ。(あえてそれを避けるという発見の仕方もあるでしょうが)

それに自然を拒絶するよりは共存する感覚に近い日本では、デ・ステイルなんかよりはるか昔から洗練された構成それだけで豊かな世界を描いてたんじゃなかろうか。