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B126 『無有』

竹原 義二 (著), 絹巻 豊 (写真)

学芸出版社 (2007/03)
竹原さんの建築文化の特集は穴が開くほど見たけれど、この本も穴が開くほど読む価値があると思う。

文章と図面と写真を行ったりきたりしながら頭の中で歩き廻ると、様々なシーンが浮かび上がりその奥行きの深さにどんどんと引き込まれる。

この歩き廻る作業を何度も繰り返せば相当な力がつくんじゃないだろうか。建築を学び始めた人には是非ともおすすめしたいし、何年か後に読み込む目が育ってから歩き廻ると全然違った新たな発見があると思う。

ところで、ズレやスキマ、余白といったものが光や素材や人の動きを通して、奥行きや豊かさに変わっていくのだけど、そういうものは無駄として捨てられてきたものでもある。安さと機能性を求めるだけではなかなか辿り着けないものだし、実物なしには説明のしにくいものでもある。

坪単価という指標だけで見れば決して安くないものも多いと思うけれど、それを説得して実際の空間に仕立て上げられるのがやっぱり実力なのだろうなぁ。

ちなみに、各章の見出しは以下のとおり。

序章建築の原点
1章手仕事の痕跡
2章素材の力
3章木の可能性
4章内へといざなう
5章ズレと間合い
6章つなぎの間
7章余白と廻遊
8章「101番目の家」へ

僕の中での別の永久保存版に通ずるものがあります。(日本建築というものの奥の深さには計り知れないものがある。)

あと、メモ代わりに2箇所ほど引用しておきます。

いわゆる一室空間は、人つながりの壁と天井、床で囲まれ、おおらかな空気をもつが、空間がその内側だけで完結しようとする。それが一室空間の弱さでもある。これまで述べてきた素材の力、区間の連続性や内と外の曖昧な関係といった試みは、一室空間というよりは、ひとつながりとなった空間の中で、様々な要素が様々な密度でずれ、その中で意識的に「間合い」をはかり、無数の関係性を結ぶために仕掛けられたものである。このような空間は、一室空間に比べて寸法は緊密になるが、心理的な奥行きや拡がりをもたらすのである。

こうして「間」を保ちながらつながっていくという微妙な関係が形成される。それは物理的には限られた空間に、いかに拡がりを与えられるかという工夫であり、極めて日本的な感覚である。住まいを分節し、その間を外部空間で結んでいった時、自由度のある住まいが住まい手の意識を鮮烈にし、想像力を掻き立てる。そして人が訪れるたびに異なる出会いが生まれることで、空間に対する奥行きも変化するのである。




Satsumatic × Architecture

金曜日、ひさしぶりに友人と会って話をした。

この友人と合うと何かしら発見があったり問題がクリアになったりして、いつもいい刺激をもらう。

先日行われたの「サツマティック」というNY展の仕掛け人でもあるのだけど、話をしているうちに「Satsumatic」というのは自分にとっても結構重要なキーワードだと気がついた。

3月にあった「鹿児島のかたち・地域のかたち」というシンポジウムで見つかりかけた気がしたパズルのピースがこのキーワードでクリアになった気がする。

「Satsumatic」の意味するものそのものに目新しさがあるわけでもないのだけど、それを言葉にし発することで浮かび上がってくる何かがあるように思うし、『リアリティ』と『生活そのもの』を手元に引き寄せるためのテーマとなりうるのではないか、という気がしている。

だからといって具体的なイメージをもっているのではないんだけど・・・。

具体的な何か、とうより、長い時間を掛けて考えているうちに自分の中から 「Satsumatic」な何かが自然と立ち上がるようになればいい。(ああ、やっぱり自分でも考えていたことだ。やつは自分の事ばっかりしゃべっているようで、実はコーチング的なスキルがあるんじゃないか。)

先は随分と長い気もするけど(具体的なものと向き合いながら)じっくりやっていこう。




都城市民会館秋祭り-追記-

都城市民会館秋祭り+シンポジウム+親睦会に参加して僕なりの感想をつらつらと。

今日でこの建物と対面するは4回目ですが、ようやく内部を見学できたました。

そこでは設計や建設に関った人たちの気持ちの強さを感じることができましたし、シンポジウム・親睦会で存続活動を続けてこられた方々の真剣さや明るさに触れられたことは僕自身にとっても非常に有意義な経験でした。
もしかしたら、人が今まさにまちを動かそうというダイナミズムに触れた初めての経験かもしれませんし、こういう、人の気持ちのこもった、そしてさらに、関係者の思いを超えて建物自体が独自の存在としての命を宿したような建物を簡単に壊すべきではないと強く思いました。

市民会館をなぜ壊さないで欲しいかは何度か書きましたが、やっぱり大切に使っていくことが次の世代に対する大人の責任だと思います。
親睦会で「都城市民会館の再生利用を考える会」代表の黒木さんとお話する機会があったのですが、お孫さんが「なぜ壊すの?」と聞かれるそうです。なんとなく特別な存在なのでしょう。

それを壊すということは、お孫さんから特別な存在を将来にわたって奪うということです。さらにいえば、お孫さんには心象風景・思い出として市民会館が残るかもしれませんが、今から生まれてくる子供たちは思い出にすることさえできないのです。
そういうことを続けていけば本当に砂漠のような風景になってしまい、一番大切な”ヒト”が去っていきます。そうなってからでは遅いのではないでしょうか。

そんなことを考えながら、本当に残ってよかったし未来に向けての活用を議論できることは幸せなことだと実感しました。

と言っても僕は都城市民ではないんですが。ただ、思いのこもった建築が経済の道具にされて壊されることを避けられた、という事実が嬉しいのかもしれません。

帰りはヒラカワさんに途中まで送って頂き、最終電車で帰ったのですが、電車に揺られながらそういえば都城市薩摩川内市に感じが似てるかも(人口密度には若干開きがありますが)と思いました。
なぜか川内の方々とまちづくりなんかについて語る機会があったのですが、川内の方のあんな記事こんな記事を思い出してこういう概念は使えるかもと言う気がしてきました。

僕なりの理解ですが、人々の振る舞いに「プレイヤー(選手)」「ディレクター (スタッフ)」「オーディエンス(観客)」という3つの型があるとします。

昔の市民会館には何か催し物があると長い列ができていたそうですが、それはプレイヤーとスタッフの提供するものをオーディエンスが受け取るという形だったと思います。

娯楽の少なかった時代はそういう形式で良かったのかもしれません。しかし、娯楽のようなものが分散化し、ましてはMJのような新しい施設ができた今では市民会館には別の形式が求められているのだと思います。

別の形式とは例えば、今までオーディエンスだった人をプレイヤーまたはディレクターに引き込んで”共に楽しむ”という形式で、市民会館がそのためのステージ(舞台)となることです。

シンポジウムでの多くの意見もそういう方向だったと思います。

それはハードとしてのステージでもあるだろうし、人々の意識をつなぎとめる ため、イメージを共有するためのの意識の上でのステージでもあると思います。(ステージだと観客を想定してしまいますのでフィールド(場)といった方が良いかもしれません。)

そのためには、いろんな人が簡単に参加でき、思い思いにプレイヤーになれる仕組みづくりが必要でしょうし、そうした思い思いの活動をひとまとまりにするための共有のイメージづくり、例えばシンボルマークをつくるなどの一種のブランディングのようなものが必要になるでしょう。

当然、大学側の理解と協力が無ければできないことですが、それは大学自体のブランディングにもつながることですし、「解体の危機から一転全国でも”先進的な事例”」といえるような活用のされ方ができれば、 全国的に希有なポジションを獲得できます。

それは市、大学双方にとって願ってもないこと、まさに千載一隅のチャンスだと思います。というより、その道しかないようにも思いますが。

とまぁ、そんなことを考えながら帰りました。

もしかしたら、そういう物理的にも心理的にも共有できるものがある(残せた)都城はまだ幸せな方かもしれません。

都城が新しいまちづくりのありかたを切り開いてほかのまちや危機に瀕する建物の関係者に希望を与えてくれるようになることを願います。

最後にヒラカワさんはじめ関係者の方々、お世話になりどうもありがとうございました。そして、お疲れ様でした!




都城市民会館秋祭り

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都城市民会館秋祭りに行って来ました。

上の写真は西都城駅から。駅を出てからホームからよく見えることに気付き、入場券を買って再度ホームに上がって撮影しました・・・・ちょっと抜けてましたね。念願の内部を見学できたり、懇親会に参加させていただいて楽しい時間を過ごすことができました。いろいろと感じる部分があったのですが、とりあえず今日のところは写真のアップだけにして、後日追記します。
おやすみなさい。

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※これまでこのブログで都城市民会館にふれた記事はこちらからどうぞ




小屋組み

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木造の小屋組みを考えていて、柱の関係や全体のプロポーションから2つの候補があったのですが、ようやく一つに落ち着きました。
棟の位置と勾配で見え方がが結構変わってくるので、無駄の無い架構や構造の安定性などを考慮しながらずっと悩んでたのですが、今朝二つを並べてみてやっぱりこっちの方がいろいろとうまくいきそうだというのが見えてきました。

よし、両側同じ勾配でいこう。

気持が落ち着いたところで、今から都城に行ってきます。[WK02]




いいなぁ

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藤浩志さんのぶろぐより『グラグラタウンゲーム、販売はじめたようです。』

いいなぁ、こういうの。というか立派な製品じゃないですか。

NPO法人+arts(プラスアーツ) の名称もなるほど、という感じです。artsが主役じゃなくてあくまでartsをプラスすることで何かが生まれる。みたいな。

このゲームをベースに、それぞれの地域のマップに置き換えて、ゲームツールを作ることそれ自体が防災のワークショップとしてとても可能性がある。
そのプロセスにおいて子どもや大人がいろいろな問題を話し合いながら「つくる」場が発生する。
そこが重要なんだと思う。
そのイメージサンプルとして価値がある。

ここまで作ってしまうのは凄すぎだけど、なんといっても楽しそう。

「楽しく学べる防まちすごろくゲームFURAFURATOWN」、FURAFURATOWNで大型SC大発生!庭で買っていた”ヤギ”がお客取りに!・・・とかね。

そういうワークショップはありかも。(そういえば子供のころスゴロクとかカードゲームとか勝手につくってたなぁ。消しゴムではんこを作ったりして。)




Q&A

本の感想文を100冊達成してから、自分なりに考えをまとめないと、とずっと思っていてようやくQ&Aができたのでアップします。(できたと言ってもとりあえずのものでこれからもいろいろと手を入れていきます)

CONCEPT のところを充実させるつもりだったのですが、もう少し読みやすい形式はないかということで、先にQ&Aを作成することに。

思った以上に時間がかかってしまいましたが今の時点での考えをある程度言えたかなと思います。

ほんとはもっと短い文章にするつもりだったんですけどね・・・・。

読んだ感想や、もっとこういう書き方にした方がいいよ、とかこういう質問も入れた方がいいよというアドバイスがありましたらコメントいただけると嬉しいです。




Region NO.09

鹿児島にはもう一冊、質の高い文化的フリーペーパーがあります。

それは、友人も企画に係わっている渕上印刷のRegion

昨日垂水に打ち合わせに行ったときに 市役所の待合に置いてあったのでもらってきました。

そういえば特集は『焼酎遺産』。かごしま探検の会の東川さんが取材を受けたと言ってました。

帰りのフェリーで読んでみると、いくつかの文章が心に残る。

まずは冒頭の岡田氏のエッセイ『「どうだ」より「どうぞ」の美学』より

在来の素材は、確かに水や雨や風を「どうだ」と遮ってはくれない。(中略)しかし、そのぶん人の気持も優しく受け止めてくれる。(中略)ただ私は、「どうだ」とそびえる二百メートルを越すガラス張りのビルより、二百年を経て「どうぞ」とたたずむお堂に心が和むだけだ。(中略)
柱のはしばし、梁のすみずみ、甕の肌のきめのひとつひとつに、そこにただよう菌や気や人々の思いが息づいている。容れるものと容れられるものが相通じる。

まさしく僕が大切にしたいと思っていること。『容れるものと容れられるものが相通じる。』状態なんて本当に理想です。いや、ほんと最後の一文はそのまま僕の理想として掲げてもいいぐらい。
次に東川さんの文章

遺産というものは、単なる遺物または過去の物ではなく、現在の社会といつかの時代とを「文化」や「物語」で結びつける関係性の象徴だ、と私は思う。つまりこれまでとこれからの両方を伝えるものであり、また遺産のある地域の表情を伝える役割を担うものであるとも考えている。

いまのものづくりの多くに決定的に欠けているのはこういう時代を超えた視点と関係性をつむぐ想像力だと思う。それにしても東川さんはこういう艶っ気のある文章も書けるのですね。さすが。(艶っ気のある全文はregion読んで下さい。)

最後に大石酒造の大石社長の言葉より。

焼酎造りにおいて、常に一定の味を保つことは確かに重要かもしれません。しかし、自然の材料を使っている以上、たとえば芋の状態によって去年と今年では当然味は変わるわけです。そのゆらぎの幅を許容することで、古い技術や設備が受け継がれていくのではないかと思います。

伝統に真正面から向かい合っている人だけあって言葉に重みがあります。このことは全く建物についても言えます。『ゆらぎの幅を許容する』ゆとりの精神、これを持てるかどうかでうまい焼酎を毎日飲めるかどうか(建物についても同じ)が決まってくるように思います。
しかし、実際はこのゆらぎを全く認めないような世の中になってきているようで怖い。(関係する視点でイトイさんが管理について語ってます。「前回」の文から読むと面白いですよ。)

(引用中の強調はオノケン)




under’s high vol.3

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under’s highのvol.3が出たのでさっそくもらってきました。

今回の特集は本。ということで、かえる文庫のところで僕もちゃっかり写ってます。予想通り覇気のない写りでしたが幸いにもそれほど大きい写真ではないのであまり気になりません。(半分にしてという願いは届きませんでしたが、やってたらちょっと狙いすぎになってたかもしれませんね。)

インタビューの部分の内容は初めて読んだのですが、このスペースで結構うまく言えてるんじゃないでしょうか。お疲れ様でした。

それにしても回をおうごとに内容が充実してきてますが、ここまでのクオリティを空き時間にやるのは季刊でも大変そう。

そうそう、under’sのみなさんがナマイキVOICE主催のアートマーケット で「藤浩志賞」をもらってました。おめでとうございまーす。

偶然ですが藤さんといえばかえる文庫とかえるつながりです。 今、かえるがあつい。かも。




打ち合わせ

日曜に屋久島からオーナーご夫妻が鹿児島に出てこられて打合せをしました。
今回は旦那さんのご両親(土木関係の会社を経営されていたので建築についても詳しいです)も含めての打ち合わせ。
特に緊張していたわけじゃなかったのですが、前日気合を入れすぎてほとんど寝てなかったせいも合って、いつにもましてろれつが回らずだいぶん挙動不振だったと思います・・・。

柱の寸法や屋根の材料、その他特に耐久性に関わるところなどを打ち合わせ。

その後、窓形状や仕上げ材など細かな打ち合わせに。

実はそのときに意見に違いのあった素材について自分の思うところを再度お話しようと 前日に話す内容を考えて何度も予行演習までしていたのですが、寝不足で言葉がうまく出なかったことと、作っていった模型を見られて喜んでいらっしゃる様子をみると、そこまで一つのことにこだわらなくても最後に喜んでいただければいいかなと思い始めて言葉を引っ込めてしまいました。

設計者としては ヘタレなことかもしれませんし、どこまで自分が良いと思う事を貫いくのが最後に一番喜んでもらえるのか、というのは永遠の課題かもしれません。そういうことではプロとして無責任だ、自分の信じることをやり抜くことで喜んでもらえ、とお叱りを受けるかもしれません。

だけど、 受け入れる中にも発見や新たな可能性が生まれることも確かです。

建築家の村野藤吾の有名な言葉に「私は、プレゼンティストですから99パーセント施主の言う事を聞いています。しかし、99パーセント言う事を聞いても、1パーセント村野が残る。そして、その1パーセントが全体を支配するかも知れない。」というようなものがありますが、そういう境地までいくのはまだまだですね・・・。

あと、100分の1の全体のラフ模型と30分の1のリビングの内観模型をつくったのですが、喜ぶお施主さんについあげてしまいました。

それは良かったのですが、写真の一枚でも撮っておけば良かったなぁ




恒例の問題転用?(追記の追記の追記あり)

恒例のたこはんさんから問題転用。

先生はA君とB君に次のように言った。

「1以上13以下の自然数x,y(x≦y)を選び,A君にはxとyの積を,B君にはxとyの和を教えます」
そして積,和をそれぞれ教えた。

教えられた積を見てA君は言った。
A「この情報だけではx,yは特定できません。」…発言(ア)

教えられた和を見てB君は言った。
B「この情報だけではx,yは特定できません。ただ,A君がx,yを絶対に特定できない,ということは分かります。」…発言(イ)

発言(イ)を聞いたA君は言った。
A「それならx,yは特定できました。」…発言(ウ)

発言(ウ)を聞いたB君は言った。
B「それならx,yは特定できました。」

以上の会話からx,yを特定せよ。

中学入試の問題だそうです。
マジ?

では回答を考えます。
まず、1~13の中には素数が2,3,5,7,11,13の6つあります。

そこから(ア)~(ウ)について検証してみます。

と思いましたが、この先は暇な時にでも考えてみましょう。
では、皆さんはどうぞ。

追記
あ゙~~~また昼休みがー
放っておけない性分なもんで・・・・・
僕の回答はこちら
スッキリ指数は65%というところでしょうか。
これが試験問題だったらあってるか不安でしょうがないです。ところで、これを中学入試に出されてぱっと答えられるのはよっぽど勘がいいか類似問題を解いたことがあるかでしょう。
これを受ける小学生はほんと大変だ。こういうのが解けるようになって変に万能感みたいなのをもたれても嫌だし。
中学受験、やらされなくてほんと助かった~

追記の追記
すっきりしないと思いながらチャリンコこいでたら間違いが二つも思い当たりました。
一つは素数×素数でも1があるため例えば6のように1×6、2×3とその積だけでは確定できないこと。
もう一つはx+Yの組み合わせが一種類しかない場合はBが最初に確定できるということ。だめだめですね。ということでやりなおし。(やりなおし解答はこちらです)
今度はスッキリ指数は78%というところ。
薩摩之風さんの答えを見ると同じでした。ほっ。(確かにエクセル使いたくなります。だけど、途中をじっくり読む気力はもうありませんでした)それにしても、 ほんとに小学生にこれ解けるのか!?

追記の追記の追記
薩摩之風さんの答えをみてみると僕の解答には見落としがありますね。
(素数)×(素数)でなくても、例えば4×7のように一方が7,11,13の時は4×7=24を2×14=24のように置き換えようとしても一方が13を超えてしまうので×。これも確定できます。
ということは一方が7,11,13の場合はそれだけで確定となるから、1+7=8以上のx+yはすべてA氏確定ということになる。よってx+y<8なのだけどそれが抜けていました。うーん、確定条件を定義しようとしたけどうまくいきませんでした。きれいに解こうと思って失敗する典型的な例ですね。薩摩之風さんの表方式がヴィジュアル的にも理解しやすくて正解かも。