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B092 『コート・ハウス論―その親密なる空間』

西澤 文隆
相模書房(1974/07)

僕が生まれる前の年の本。
コートハウスについて論じられているのだが、図版つきで具体的に書かれているので解りやすく今でも十分に参考になる。

著者によるとコートハウスに期待するところのものは

敷地全体を、庭と室内を含めて、あますところなく住居空間として企画し、屋外にも残部空間を残さない住居であり、囲われた敷地の中に自然と人、室内と室外の緊密な関係を造り出す

ことにある。
このことは、僕が住宅に期待する大きな要素でもあるのだが、それは近代建築の作法や伝統的な日本建築の知恵などと重なる部分も多い。

しかし、周りを見渡すととてもコートハウスやコートハウス的思想が定着しているとは思えない。

住宅を快適にするにはかなり有効な方法に違いないのになぜだろうか、と考えるといくつか理由が考えられる。

一つは、日本の敷地の取り扱い方がコートハウスを困難にしている事にある。(民法では近隣の合意が得られない限りは隣地境界線から50cmは建物を離さなくてはいけない)

もう一つは、コートハウスは敷地の形状や特性に合わせていろいろな工夫をする必要があり、メーカー住宅などの規格化に向かない事にあるように思う。
規格化するためには、内外の緊密な関係などに興味を持たずに住宅というパッケージの中身だけで満足してもらっているほうが都合が良いのだ。(規格化というのは特別な工夫が要らず誰でもつくれる、ということでもある)

さらには、現代の近視眼的な傾向もコートハウスが目を向けられない要因の一つであると思う。というか、近視眼的な住宅・生活環境が人々を近視眼的にしているという側面もあると思うのだ。

建築を学んでいてコートハウスに魅かれない人はなかなかいないと思うのだが、それがなかなか一般の人に共有されていかないのはやっぱり少し寂しい気がする。

MEMO

■住宅はどこまでも外界から隔絶された絶対個人の空間でなければならない。そして敷地が広くない場合、自然を100パーセント楽しむためには敷地全体が庭であり、同時にまた住居空間でなければならない。
■住宅は劇場でも教会でも料理屋でもないから、そのような驚きを住む人にあたえることは禁物である。住む人はなんの心の抵抗もなく住めなければならない。しかしこのことは住宅が無性格であったり、無気力なものであることに通じるのではない。住宅は住む人びとに快い安らぎを与え、未来の飛躍に向かって前進すべき人柄のなかへと、ちょうど太陽が生きとし生けるものの身にしみわたっていくように浸透していくべき性質のものであらねばならない。
■サーキュレーション・チャンネルとして使われる廊下はできるだけ少なく、またその部分でも変化が楽しまれ、これにぶらさがる個人のプライバシィをその必要度に応じて保ちながら廊下から居間へ、居間から個室へと移りゆくに従って変化ある庭がもてるようにというのが私が住宅を設計する場合の願いである。

住宅が外部に対してオープンであるべきかどうかという事を悩んだりもするが、それは実は通りに対してもさして重要でないのかもしれない。
散歩をしていてなんとなくいい感じの家だなと思うのは、塀などで囲われていても、その中の庭や家の中での豊かな時間の流れが想像できるものが多い気がする。
そういう家は、住宅そのものがその敷地に対して安心して座り、満足しているような感じを受ける。それが、敷地の上に無造作に置かれ、さらし者にされているような家ではやっぱりあまりよい印象を受けない。敷地の上で住宅それ自信が安心し、楽しんでいるか。そのような見方も建物の良否を見分ける基準になるかもしれない。




コスプレ

cospla.jpg
整然と区画整理された住宅地にメーカーの家が展示場のように並ぶのを見るとなんか悲しくなってきて気が滅入ってしまう。
何がそんなに気を滅入らせるのだろうか。

小学生の頃、友達が階段室型の”団地”と呼ばれていたところから整然とした住宅地に引っ越したので遊びに行った。
そのときその土地が何か他人行儀な感じがしてとても居心地が悪かった覚えがある。
その頃の感じを思い出すのだろうか。

例えばこの感じを衣類に例えてみると何がしっくりくるだろうか、と考えてみた。

なかなかぴったりのが思い浮かばないがあえて言うならばコスプレ、だろうか。
アニメのキャラクターなんかをそのまま真似たようなちょっと安っぽい手作り感をかもし出しているコスプレ。

そこには自己完結的で周りを断絶するような頑なさを感じるし、使われている素材や形態も人間や周囲との関係性を放棄しているように見える。

そして、なんと言うかリアリティを感じない。(アニメなんかのイメージを直接的にもってきている訳だから当然といえば当然)

住宅地のリアリティのなさと、人間や環境や時間etc.との関係性の薄さがコスプレ的なのである。
一時的なイベントであって日常とはなり得ない(と思う)コスプレと住宅に似たものを感じるというのがなんとも悲しい。

ここで育った子供たちはどんなリアリティを感じるのだろうか。
また、何十年も経てばこれがノスタルジックな風景と感じるのだろうか。(それはそう感じるのかもしれない・・・)

コスプレ的でない住宅をつくると言うことが困難な社会になっている、というのもまた現実だと思う。




B082 『元気が育つ家づくり―建築家×探訪家×住み手』

仙田 満、渡辺 篤史 他 (2005/02)
岩波書店


建築についていろいろな議論があるけれども根本にはこういう思いがあるはずだ(と願いたい)。

ことさらに元気にならなくてもいいとは思うけれども、われわれには後世に受け継いでいく環境を創る(守る)義務がある。
しかし日本では自分のことばかりを考えていて、環境に対する意識が不足しているように思う。
というか、「自分さえよければ」という考えはますます加速していきそうな気がする。

文化は、そこに住む人の以上でも以下でもないと言われますが、あの時よくぞ創ってくれたこの環境、と後世の人々に言わせてみたいですね。・・・・それには、私たち庶民が、きっかけはどうあれ、建造物や街並み、環境に興味をいだき、やがて「見巧者」になることです。(渡辺篤志)

多くの人は身の周りの物や建物、道路・景観といった環境が生活を破壊することもあれば人間をつくることもあるということを考えたこともないのではないだろうか。
せめて義務教育の間にでも、自分たちがどのような環境をつくっていくのか、その環境がどのように人の幸福や豊かさに関っているのか、という見方があることぐらいは伝えて欲しいと思う。
「経済」という軸以外にも同じように扱うべきさまざまな軸がある、というのがあたり前と感じられるようになって欲しいものです(そんなことを言うのは「負け組」だとか言われるのでしょうが)

仙田満は日本建築家協会会長であり、「子どもを元気にする環境づくり戦略・政策検討委員会」の委員長もしている。
ただ、「子供を元気にする」と言うのは多少違和感がある。子供なんてほっといたって無駄に元気なものだし、現代であってもそれは変わらないだろう。それを大人がさまざまな機会を奪うことによって元気でなくしている(又は大人がそう思い込んでいるだけ)ではないだろうか。
それを「子供を元気にする」というのは元気にしてやると言う大人のエゴのようなものを感じて違和感がある。NHKの「ようこそ先輩」を見ていてもゲストの先生が常識のタガを少し外してやるだけで子供たちがみるみる元の元気さを取り戻すというのはよくある光景だ。
そういえば元気は「元の気」と書く。なるほど。

渡辺篤志は建物探訪で800件以上見ているそうだけれども、それ以上にすごく勉強している。
建築が好きなのが分かるし、それゆえに現実の問題がクリアにみえて悔しいのだろうな。思いはすごく伝わってきた。建築をやっている人にもだけれども、一般の人にこそ読んでみてもらいたい。
建築を見る目を変えるきっかけとして。




B063 『建築の幸せ』

中崎 隆司
ラトルズ(2006/02)

著者は社会学科卒で、生活環境プロデューサー、建築ジャーナリストという肩書きを持つ。

こういう「肩書き」というのはあんまり好きじゃないが、多くの人の中心に立ち、物事の方向性を決めるような人は必要である。
多くの人が共感できるビジョンを示して、目的を共有しなければその場しのぎの連続になってしまう。
(本来なら行政がプロとしてそういう能力を持つべきだと思うが)

具体的な事例がたくさん紹介されておりとても参考になる。

しかし、なんとなく全体を通してぎこちなく感じる部分があった。
その違和感の原因はどこからくるのか。

それは、著者がクリエイターではなくプロデューサー・アドバイザーだということに関係があるように思う。

建築は社会にとっても幸せなものであるべきだ、というのは全くその通りだと思う。
しかし、それ以外の、それを超えたもの、例えば言葉にならないような空間性というものを許容しないような印象を彼の文章からは受ける。

ものをつくる過程ではおそらく膨大な思想的な無駄が生まれていると思う。その無駄が多ければ必ずよいものが出来るとは限らないが、そういう膨大な無駄から何かが生まれることがあることも事実だろう。

そういう無駄のつけいる隙を感じないのだ。
「いや、あれは失敗だとも思うけど、そういうことの先に可能性がありそうな気が・・・するんだけどなぁ・・・」って思う。

ただ、建築家がそういう言葉にならないものに逃げ込みがちで、現実的な部分や社会性から目を背けがちであったというのも事実。

建築家は言葉にならない部分は建築のプロとして実現しながら、社会性等とも正面から向き合わなければいけないと思う。

そういう点で、彼が独自の空間性も持っていながら現実も引き受けようとしている30代の若手に期待しているのも分かる気がする。

タイトルから期待していたようなカタルシスは得られなかったけれど、具体的なヒントには溢れていた。
しかし、こういうことは具体的な実践の中からしか答えは見出せない。
実践の機会を得なければ、具体性を引き受けられるような力はつかない。

ちょっと焦るな。




B050 『地球生活記 -世界ぐるりと家めぐり』

小松 義夫
福音館書店(1999/06)

メーカーさんにもらったカレンダーの写真があまりに魅力的だったので誰が撮ったのだろうと見てみると小松義夫と言う人の撮影だった。
調べていると面白そうな本も出している、ということで図書館で借りてきた。

先進国で暮らす人はそれ以外の人に比べて多くのことを知っていて、多くのものを手にしていると思っている。
しかし、それは本当だろうか。

この本に出てくる先進国とはいえない場所の、たくさんの家はとても斬新だし、壁に描かれた絵は生き生きとし今にも動き出しそうである。
先進国でプロと呼ばれ、知識も豊富と思われている人が必死に到達しようとしているもの、なかなか手にできないものを、ただの生活者が手にしている。

とにかくため息が出るほど豊かなのだ。
それに比べて私たちのつくるものはどうしてこうも貧しくみえるのだろうか。

私たちは謙虚さをすぐに見失う。
浅はかで薄っぺらな知識や、怠けることばかりする意識や、つまらないエゴや、その他もろもろのちっぽけなものを、過信しそれがすべてだと錯覚する。

それらは本当にちっぽけなものに過ぎないのに。

『宗教』という方向には行きたくないが、もっと大きなものを感じ謙虚さを失うべきではないように思う。
これらの家には謙虚さを感じるし、ちっぽけな意識を超えた豊かさを感じる。

佐々木正人の観察によるとフォーサイスの魅力は「有機の動き」すなわち意図を消滅させ外部と一体となるような動きにある。

同じようにこの本の家には、環境や家そのものと、つくる人とがダイレクトに呼応しあう・一体となるような関係が見て取れる。
そして、ここには肌理も粒もある。

おそらく、それが意識をこえた豊かさを生み出している。
(フォーサイスのようなものづくり?)

有機と無機の兼ね合い・せめぎあい、ここいら辺に何かありそうだ。




B049 『レイアウトの法則 -アートとアフォーダンス』

佐々木 正人
春秋社(2003/07)

日本のアフォーダンス第一人者の割と最近の著。

レイアウトと言う言葉からアフォーダンスを展開している。

アーティストとアーティストでない人の境界があるかは分からないが、著者は学者でありながらへたなアーティストよりもずっとアーティスティックな視点や言葉を手に入れている。

それはギブソンから学んだ『目の前にある現実にどれだけ忠実になれるか』という方法を実践しているからであろう。

本著を読んで、レイアウトの真意やアフォーダンスを理解できたかどうかはかなり怪しいのだが、ぼんやりとイメージのようなものはつかめたかもしれない。

著者が言っているようにアフォーダンスは『ドアの取手に、握りやすいアフォーダンスがあるかどうか』ということよりもずっと奥行きのあるもの、と言うよりは底のないもののようだ。

様々な分野で、一つのある完結したものを追及し可能性を限定するような方向から、”関係性”へと開いていくこと、可能性を開放していく方向へとシフトつつあるように思う。

そして、ドゥルーズやオートポイエーシスのように(といってもこれらを理解できているわけではない。単なるイメージ)絶えず流れていることが重要なのかもしれない。

幾重にも重なる関係性を築きながら流れ創発していくこと。

建築を確固たる変化しないものと捉える事が何かを失わせているのではないだろうか。

*****メモ******

■知覚は不均質を求める。
■固さのレイアウト
■変化と不変
■モネの光の描写。包囲光。
■デッサン(輪郭)派(アングル):色彩(タッチ)派(ドラクロア)
アフォーダンスは色彩派に近い。完結しない。
アトリエワンの定着・観察『読む』『つくる』環境との応答・関係性
■相撲と無知行為・知覚は絶えず無知に対して行われる。無知を餌にする。
■表現・意図は「無機」「有機の動き」=「外部と一つになりつつある無形のこと」
クラシックバレエ=「無機と有機の境界」
フォーサイス=「無機の動きと意図の消滅」動きが「生きて」いる。それは舞台と言う無機的な環境の中で、有機の動きを発見し続けるさま。
■肌理(キメ)と粒(ツブ)それがただそれであること(粒であること)と同時に肌理であること。
知覚は粒と肌理を感じ取る。
人工物には肌理も粒もない。自然にさらされ肌理・粒に近づく。物への愛着は粒への感じなのではないか。

レイアウトや肌理や粒の感じや有機ということは急速に身の周りから失われつつある。




B047 『アフォーダンス-新しい認知の理論』

佐々木 正人
岩波書店(1994/05)

アフォーダンス。
これもフラクタルのように自然のかけらを鳴らす楽器のひとつだと思う。

私たちのものの捉え方は、前世紀的・機械論的な枠組みにとらわれていることが多い。

そのような『不自由な』枠組みから自由になることを実践した理論の一つがギブソンのアフォーダンスである。

■ギブソンの知覚理論から学んだことの一つは、「認識論を実践する」という態度である。
■もっと大事なギブソンのメッセージは「何にもとらわれない、ということをどのようにして構築するのか」という「知の方法」とでも呼べることである。
■彼に学ぶことの第一は、アフォーダンスの理論であることはもちろんだが、それだけではなく、目の前にある現実にどれだけ忠実になれるか、すなわち「理論」そのものからも自由になる方法である。(あとがきより)

しかし、一度身についてしまった枠組みから抜け出すのはなかなか難しい。
『アフォーダンスとは、環境が動物に提供する「価値」のことである。』といわれても、感覚器(例えば目)から刺激を受け取り、その刺激を脳で処理するというようなイメージをどうしても浮かべてしまう。

本著にも下記のように誤解されやすいと書かれている。

■誤解-1・・・アフォーダンスは反射や反応を引き起こす「刺激」ではないか。↓↓↓
アフォーダンスは「刺激」ではなく「情報」である。動物は情報に「反応」するのではなく、環境に「探索」し、ピックアップしている。「押し付けられる」のではなく、知覚者が「獲得し」、「発見する」もの。そこには必ず探索の過程が観察できる。

■誤解-2・・・アフォーダンスとは知覚者が内的に持つ「印象」や「知識」のような主観的なものではないか。
アフォーダンスは勝手に変化するのではなく、環境の中に実在する。アフォーダンスは誰のものでもある。すなわち「公共的」なもの。

なんとなく、分かったような分からないような感じだが、一つ言えることは”認知とは受動的なものではなくずっと能動的な行為である”ということである。

単に刺激を受け取るのではなく、例えば身体を動かして視点を変えたり、物を触ったり動かしたりしてみたりと、いろいろと探りを入れながら環境から情報をピックアップしていくのである。

■そのようなアフォーダンスをピックアップするための身体の動きを、ギブソンは「知覚システム」と読んだ。
■ギブソンは、感覚器を、それが動かないことを意味する「受容器」という呼び方に対して、あえて動くことを強調して「器官」と呼ぶことを提案している。
■脊椎動物は5種類の知覚システムをもつ。・・・「基礎的定位付けシステム(大地と身体との関係)」「聴くシステム」「触るシステム」「味わい-嗅ぐシステム」「見るシステム」
■「五」という数には意味がある。それは「感覚器官」の種類の数ではなく、「環境への注意のモード」の種類と考えるべき。

運動抑制モデルについても、脳がすべての動きを制御しているという図式ではなく、『共鳴・同調』といったよりダイナミックなものとしてとらえられている。(この辺はオートポイエーシスのとらえ方と重なるように思う)

ところで、認知に対する認識を改めることは、建築やデザインにとってどのような意味があるのだろうか。

それは、”自然のかけらを響かせるための楽器”の形を改める、ということだろう。

(例えば視覚に対して)、単なる刺激としてどのようなものを与えるかと形を考えるより、相手の知覚システムのどのような動き・モードを、どのようにして引き出すかと考えたほうが、より深いところにある”かけら”を響かせることが出来るのかもしれないし、それは言い換えると「モノ」と「ヒト」とのより良い関係を築くことかもしれない。

■リアリティーのデザイン
「物」ではなく「リアリティー」を、「形」ではなく「アフォーダンス」をデザインすべき。
■デザイナーは「形」の専門家ではなく、人々の「知覚と行為」にどのような変化が起こるのかについてしっかりと観察するフィールド・ワーカーである必要がある。リアリティーを制作するためには、リアリティーに出会い、それを捕獲しなくてはならない。

そのようにして、環境からピックアップされたリアリティーが自然のかけらの一つであるのかもしれない。

捕獲するためのアンテナを研ぎ澄ますことが必要だ。

佐々木は、その後(彼独自のものかどうかは知らないが)『レイアウト』という概念を展開している。
それについても興味があるので後日。




B045 『「脱社会化」と少年犯罪』

「脱社会化」と少年犯罪 宮台 真司、藤井 誠二 他 (2001/07)
創出版


何度か書いたことがあるが、1997年の酒木薔薇の事件はあまりにショッキングで僕個人にとっても大きな出来事だった。

自分達はどのような社会を目差してきたのか、これから目差していくのかを根底から問い直されていると感じた。

それから、ときどき宮台の本は読んでいるが、ひとつ前に読んだ本で「『人をなぜ殺してはいけないか?』という問いに答えようとすることのナンセンスさ」というのが頭に浮かんだので本棚から読みやすそうなのを引っ張り出してきた。

100ページ程度のコンパクトな本で内容もかなり凝縮されているのでさっと読むにはちょうど良い。(ちょっと古いが。)

さて、なぜ『人をなぜ殺してはいけないか?』という問いに答えようとすることがナンセンスなのか。

それは、人は「理由があるから人を殺さない」のではないからである。
殺さない理由があるから殺さないというのであれば、理由がなければ人を殺すのかということになる。

僕なりに要約すると、

■人をなぜ殺さないかというと”理由やルールに納得するから殺さない”のではなくて、”殺せないように育つから”である。

■他者とのコミュニケーションの中で自己形成を遂げた人間は、人を殺すことができない。殺せないように育つのである。

■なぜ殺してはいけないのかと言う疑問が出てくる時点で、その社会には重大な欠点がある。

■人を殺せないように育ちあがる生育環境、あるいは社会的プログラムに故障が生じているのだ。

”人を殺せないように育つ”ことの出来ない環境ができてしまっていて、そういう環境をつくったり黙認しているのはまさしく私たちなのである。
私たちは自分達のできる範囲で良いから、その現実と向き合わなければいけないと思うのだ。

「最近のこどもたちは…」「恐い世の中になった。」と他人事のように言って終わりにするのはあまりに無責任だと思う。
そういう小さな無責任・無関心の積み重ねの結果がまさに『人を殺せないように育つことの出来ない環境』なのだ。

そういう環境を変えるためにどうすれば良いか。
答えは簡単には出ないかもしれない。
しかし、個々がその問題から目を背けずに向き合うことが唯一最大の方法である。

そして、それこそが僕が今のところ建築に関わっている一番の理由であり、(おこがましいけれど)このブログのメッセージでもある。

『人をなぜ殺してはいけないのですか?』
この問いは、あまりに哀しい。

*****メモ******

■少年犯罪や凶悪犯罪の数自体は40年ほど前と比べても5分の1程度に激減しており、犯罪の増大・凶悪化という印象はメディアによるところが大きい。
■メディアでは、動機の不可解さ、不透明さに関心が集まっている。
■マスコミの動機や病名の探索は的が外れてきている。
■動機が必要なのは敷居が高い場合で、敷居そのものが低くなってしまっては動機は必要なくなる。
■病気ではなく普通の人でも世界の捉え方が変わり、敷居が低くなってしまえば犯行に及ぶ。病名を付けたがるのは、犯人は”特別な”人として、自分から切り離して安心したいから。
■だから、動機探索する暇があれば、なぜ敷居が低くなったのか、「脱社会的」な存在が増えたかを問うべき。
■「脱社会的」な存在・・・コミュニケーションによって尊厳を維持することを放棄する。社会やコミュニケーションの外に出てしまえば楽に生きられる。モノと人の区別がなくなる。

■人を殺せないように育つことのできない環境になった理由・・・「コンビニ化・情報化」「日本的学校化」
■「コンビニ化・情報化」・・・他者との社会的な交流をせずとも生活が送れるようになった。しかし、これには高度な利便性があり、いまや不可欠となっているので後戻りはできない。
■「日本的学校化」・・・昔は多様な場所で多様な価値観があり、尊厳を維持する方法が多元的に用意されていたが、家や地域が学校的価値で一元化されてしまっているために、学校的価値から外れると自尊心不足になる。
■そのため80年ごろから「第四空間化」が進行する。すなわち、家、地域、学校以外の空間(ストリートや仮想空間など)に流出することで尊厳を回復しようとする。
■それはある程度成功するが、そういう空間に流出できない「良い子」が居場所がなくなり、アダルトチルドレンや引きこもりを出現させたり「脱社会化」=社会の外・コミュニケーションの外に居場所をもとめる存在を生み出す。

■日本的学校化の解除・異質な他者とのコミュニケーションの試行錯誤を通じてタフな「自己信頼」を醸成するような空間が必要
■隔離された温室で、免疫のない脆弱な存在として育ちあがるのではなく、さまざま異質で多様なものに触れながら、試行錯誤してノイズに動じない免疫化された存在として育ちあがることが、流動性の高い成熟社会では必要。
■試行錯誤のための条件・・・「隔離よりも免疫化を重要視することに同意する」「免疫化のために集団的同調ではなく個人的試行錯誤を支援するプログラムを樹立する」「成功ではなく失敗を奨励する」「単一モデルではなく多元的モデルを目撃できるようにする」

大学の卒論で考えたことだが、コミュニケーションを糧に育つ環境が必要なのだ。

都市化・利便化は、そういうコミュニケーションの煩わしさから抜け出したいと言う欲求によるものである。
それを、もとに戻すことは難しい。

しかし、昔はいろんなタイプの人が好き嫌い含めて自分の周りにいたものだ。
いろいろな年齢・職業・タイプの人と関わる機会がたくさんあった。
嫌なことを排除していくことが必ずしも善ではない。嫌なおじさんと関わることも子供にとっては違う価値観に触れるチャンスなのだ。

『嫌なことを排除していくことが必ずしも善ではない。』なんてことが、平和ボケ・利便性ボケした日本で受け入れられるとは思わないが。
(だからこそ、問題を意識してもらってボケから醒めてもらわないといけないと思う。)




TV『プロフェッショナル・仕事の流儀 「古澤明・バントはするなホームランをねらえ」』


>>番組HP(NHK総合)

■科学は最高のスポーツだ。
■頭脳より根性
■失敗を楽しめ
■振り出しに戻る勇気・・・成功に近づいてはいるが、どうしても最後までたどり着けない。そんな時はいつも、あえて積み重ねてきた成果を捨て、振り出しに戻る。一からの調整作業や抜本的な見直しを必要とする困難な道のりだが、これまでの成果に固執していては、本当の成功へは決してたどり着けないという信念。
いつでも振り出しに戻れるものこそ一流。

科学の実験は建築のスタディにも似ている。
結果があらかじめ保障されているわけではない中を進んでいかなければならない。

あらゆる想定を行った後、決断し可能性をひとつひとつ切り捨てていく作業が設計することともいえる。

またもや、真っ直ぐに向き合う姿がまぶしく映った。

僕もそういう環境を築かなければ。

プロフェッショナルとは

どんな状況でも楽しめる、エンジョイできるというのがプロフェッショナルだと思います。どんな一見すると嫌だなぁと思うようなものも楽しめるというのが重要なプロフェッショナルの要素だと思います。古澤

[MEDIA]




B040 『建築造型論ノート』

倉田 康男
鹿島出版会(2004/08)

内容としてはソシュールなどの言語学を基盤とした造型論である。(倉田の講義ノート用の資料を教え子達がまとめたもの)

造型論としては特別な印象はなく、建築をつくる上での基礎的な技術に関わるものである。
技術としてはしっかり学びたいので内容については個人的に後でまとめようと思うが、僕が興味を持ったのは著者がなぜ”造型論”を追い求めたのかである。

倉田康男といえば高山建築学校の校主であり、建築への情念の人という印象がある。(高山建築学校については同じ鹿島出版会から本が出ているのでそちらも是非読みたいと思っている。)

その倉田がなぜ”造型論”なのか?
その真意が知りたかった。

倉田は「建築とは本来、こんなものではない」という苛立ちの元に設計事務所の運営を停止させ、高山建築学校と法政大学での教育にすべてをかける。

その苛立ちは僕も共有できる。
私達の周りの環境はあまりにも貧しい。

近代建築が完全に日常化した今日振り返ってみると、その近代建築の歴史は結局、建築の選ばれた人だけが手にすることのできる芸術品から、万人に許された使い捨て商品へのひたすらな歩みに過ぎなかったことに気づかざるを得ない。

”すべての人に建築を”という近代建築の目標の一つを達成したのかもしれないが、やはり「『建築はそんなものではない』と言いたい気持ちを抑えきることは不可能」なのだ。

エピローグで書かれているように、倉田はやがて建築の犯罪性を真正面から受け止める道へと至る。

どう考えても建築が社会の必需品として存在することの必然性は見つからない。
人間の営むすべての文化的営為の所産がまさにそうであるように、建築はそもそも余剰なのである。そして、もしかしたら、余剰こそが人類にとって最大の必需品なのかもしれない。
・・・建築が本来余剰であるならば、そもそも余剰は存在理由を必要としない。
建築は建築そのものでありさえすればそれで十分である。
・・・奢侈なくしてつくる悦びもないし、罪なくしては美はありえない

ある意味近代建築とは建築のもつ犯罪性・宿命を覆い隠すものであったのかもしれない。

その罪を再び背負う覚悟ができたときに、建築は建築そのものになれる。

そして、「建築が建築そのものであるということは、建築がひとつの独自な世界を表出したときにはじめて言える」のであって、そのとき造型論が必要となるのだ。

倉田はこの造型論を「純粋な技術論」として位置付けている。
それは、真っ直ぐに建築へと至ろうとする倉田の意志であり、社会に建築を取り戻してもらいたいという希望であるのだろう。

「今こそ[創る悦び]をもう一度建築に取り戻さなければならない。」

******メモ********
■「造型論」という言葉の印象から、内藤廣の建築とは相容れないようなイメージが合ったが、建築そのもへ至る姿勢は同じかもしれない。

自らの生きざまを見つめ続けること。
そして目の前の畑を耕し続けること。
いつかはもたらされるであろう[建築]を夢見続けること。
それが建築を学ぶことのすべてなのである。

■確かに建築の創造作業において、建築を造型するという仕事はその有用性や合目的性の追及などの作業に比べると、ときとしては極めて空しく感じられることがある。しかし、建築が最終的には視覚の世界に実存するものであるかぎり、建築の創作行為は、建築を造型するという作業から無縁に成り立たせることは考えられない。
■1人ひとりが各々の身体の内側に[あるべき姿としての建築]を私的普遍性に裏付けられた確実な[イメージ]として築き上げることが、何にもまして重要である。
■[あるべきつがとしての建築]のイメージというようなものは、創り出せるものでもなければ、学びと取れるものでもない。ただひたすら学び続けるという行為の結果として、どこからともなくもたらされて、それぞれに身体化するものなのである。
■正統的学習が必ず目標に導いてくれるという保障はどこにもない。すべての学問に宿命的な有効性と不毛性という原理的に矛盾する二面性をここでは特に覚悟しなければならない。
■今最も必要なことは、ひたすらつくり続けると言う、むしろプリミティブな姿勢なのかもしれない。・・・明日の建築を信じる以外にいかなる途があるというのだろうか。

■最後の解説で「倉田はアブナイ建築家なのである。生きることと論じることを分けようとしない。」といっているが、建築とは本来そのようなものなのだろう。
不安や恐怖、継続と忍耐、そして矛盾を抱え込むことは建築に関わることの本質なのかもしれない。
■そして、そういうことを感じるということはむしろ建築の本質へと近づいていること、歓迎すべきことなのかもしれない。

覚悟なんてのは当然のことなのだろう。




B039 『「小さな家」の気づき』

塚本 由晴
王国社(2003/06)

観察・定着・素材(性)・ズームバック・ランドスケープ・社会性・建ち方・分割・アパートメント・オン/オフ・空間の勾配・バリエーション・読むこと・つくること

いくつものキーとなる言葉が出てくるが、どれも普通の言葉である。
しかし、それらの言葉には独特の意味が込められている。

と言うより、新たな言葉を発見しているといったほうがしっくりくる。

それは、さまざまな思考・行為に無意識のうちにしみついた規範やルールといったものを顕在化させ、解体し、再度組み立てる作業であり、マイナスの条件をプラスへと転化する試みである。
(条件の並列化といった方が良いかもしれないと思ったが、やはりプラスへの意志はある。この辺が微妙にみかんぐみとは違う気がする。)

いろいろなものに捉われずに正直であると言うのはなかなか難しいことだが、正直さへ到達するための道具としての言葉を非常にたくみに利用している。

また、環境と定着のプロセスをアフォーダンスのイメージと重ね合わせていたが、その橋渡しの役割を言葉がするのかもしれない。

その言葉は彼ら自身のもので共有できるものではない、と思っていたのだが、再び読み返してみると共感できる部分、ヒントとなる部分も多かった。

一度、言葉を”感じる”必要があるのだろう。

さて、この言葉の先に何があるのか。
単なる批評や言葉遊びでしかないのか。

それとも、捉われない自由さ、『正直さがつくりだす開放感』を手にすることができるのだろうか。
それは、どれだけ正直さに到達できるかにかかっている。

*****メモ******

■使い道のない隙間を作ってしまうと、そこがまるで体の中で血行の悪い場所のように感じられ、内部の空間や窓のレイアウトもその治療のためにあるようになってしまう。
■そもそも社会性というのは垂直軸ではなく水平軸で考えるものではないかと言うことである。建物をデザインすると言うことは、この様々あって入り組んだ社会性を批判的に解きほぐしたり、ぴったりのところを新たに切り出すと言うことである。
■そんな作業の中で、小屋は頭の片隅にあって、常に立ち返って今の仕事の位置を確かめるためのニュートラルな状態を用意してくれる。
■(山本理顕なんかに対して)住宅を批評する水準と言うのは、家族論以外にないのか、というのが僕らの中で関心として大きくなっていった。
■僕は建築を批評してくれるいちばんのパートナーは都市だと思っていて、住宅だって都市の問題だと言いたかった。
■結局、同じ場所にいても、肯定的でいられる人のほうが全然楽しいじゃないですか。それはこちらが世界に投げ込むフレーム次第と言うこと。
■実際には、社会や環境のほうに原因があるとする考え方を否定することはできないのだが、その目に見える形への顕在化は建物のほうにあると考えてみるのである。そうやって社会と建物の間に顕在化の仮定を想定するならば、社会、環境と建物の関係の図式は、因果律の線形からフィードバックのループ型に移行することができる。
■建築論のメタファーは、生物学や記号論から生態学やアフォーダンスへと変更されている。・・・「作ること」と対象の出会いによって「読むこと」のカテゴリーが更新され、「作ること」のオプションが拡大されていく。そんな動的な建築のデザインに、今は魅力を感じている。




B037 『装飾の復権-空間に人間性を』

内井 昭蔵
彰国社(2003/12)

「装飾」というのもなかなか惹かれるテーマである。

アドルフ・ロースの『装飾と犯罪』ではないが、なんとなく自分のなかで装飾をタブー視することが規範化されてしまっている気がする。

しかし、規範化には注意しなければいけないし、時々装飾的と思えるものに魅力を感じる自分の感覚との折り合いもつけなければいけない。

そもそも、装飾、装飾的とはどのようなものを指すのだろうか。
また、許される装飾と許されない装飾があるのだろうか。

この本でも内井は装飾と虚飾を分けている。
その指し示す内容には若干の揺らぎがあるように感じたが、本質的な部分には確固とした基準があるように思う。

内井において装飾とは『人間性と自然界の秩序の表現』『宇宙の秩序感を得ること』であるようだ。

秩序を表現できるかどうかが装飾と虚飾との境目であり、おそらくそれらは身体でしか感じることのできないものだろう。
また、それゆえに身体性を見失いがちな現在においていっそう魅力的に映るときがある。
むしろ、身体が求めるのかもしれない。

その感覚は指宿の高崎正治の建物を訪れたときに強く感じた。
それはとても心地よい空間であった。

装飾=秩序と考えれば、モダニズムのいわゆる装飾を排除したものでも構成やプロポーションが素晴らしく、秩序を感じさせるものであれば「装飾的」といえるかもしれないし、カオス的な秩序の表現と言うのもあるだろう。

いわゆる装飾的であるかどうか、というのはたいした問題ではないのかもしれない。

秩序を持っているかどうか、が『空間に人間性を』取り戻す鍵のように思う。(結局、原点に戻ったということなのか?)

また、時にはあえて装飾のタブーを犯す勇気も必要なのかもしれない。

*******メモ*********

人間の分身、延長としてつくっていくのが装飾の考え方で、もう一つは建築の中に自然を宇宙の秩序感を回復すること。
■「装飾」は合理や理性では割り切れず、感性、好みと言ったようなわけのわからないもの。
■装飾は精神性と肉体性の双方を兼ね備えるもの。
■近代建築のなじみにくさには壁のあり方に原因があるように思う。現代人の心を不安にしている原因は人間が「もの」から離れるところにある。
■水に対しては「いかに切るか」、光に対しては「いかに砕くか」
■水平・垂直のうち現代は世俗的な水平が勝っている。しかし、人間の垂直思考、つまり精神性をもう一度取り戻す必要がある。
■装飾というのは付けたしではない。「装飾」は即物的にいうと、建築の材料の持ち味を一番よく見せる形を見いだすこと。
■ファサードは人間の価値観、宇宙観、美意識、感覚の表現であるからこそ人間性が現れる。建築はその設計者の姿をしているのが一番いい建築。
■しかし、現代建築ではなかなかそうはできない。それは、あまりにも材料とか形に対してし執着できない(経済的・物質的)状況ができているから。
■日本の自然は高温多湿、うっそうとした植物、勢いのある水と声が大きすぎる。そういうところから「単純明快なもの」引き算の美が求められるようになった。

■「わけのわかるもの」ばかりではなく「わけのわからないもの」も必要。
■生活空間には「記憶の襞」のようなものも必要。

■材料とか形に対してし執着できない(経済的・物質的)状況を乗り越えるにはどうすればよいか。
■セルフビルド。流通。生産現場。

■装飾は環境の中に存在する。現在のような(街並み・情報など)ノイジーな環境ではモダニズム的な建物が分かりやすく支持を得るのかもしれない。
■そうではないあり方はないだろうか。環境に埋もれず、秩序を感じさせるようなもの。
引き算ではなく分割。分割でなく・・・




ASJ『未来をのぞく住宅展』


勤めている事務所でASJ(アーキテクツ・スタジオ・ジャパン)『未来をのぞく住宅展』に出展していたので鹿児島市民文化ホールに行ってきた。


鹿児島の設計事務所を中心に8社による住宅展。

主催のASJはクライアントと建築家を結びトータルなサポートを行っている。

僕は正直、ASJは少し前の建築家ブームの流れに便乗した組織、程度に考えていたのだが、展示会後の懇親会でASJに参加し鹿児島スタジオを受け持つ阿久根建設の社長さんとASJの社長さんの会話を横で聞いていて印象が変わった。

経営という視点からなのは当然だが、ユーザーの方をしっかりと向き、社会に貢献するという姿勢がはっきりとしていた。

今のような建設業界の厳しい状況において生き残るために、安直な価格競争に流されずに誠実な姿勢を貫くのは勇気がいることだ。

しかし、価格競争の先には質の低下(木村建設のように)が待っているし、それは社会の環境を悪化させ、やがてはユーザーの信頼を失うことになる。
自社の利益ばかりを見るのではなくユーザーに対して誠実に向き合うことが結局は利益になる。

そういう誠実に「ものづくり」をしていこうという人たちがこの鹿児島にもいると分かったことは僕にとってもすごく励みになった。

一般には、とにかく安く作ることだけ考えていくつもの施工業者に競争させる、というようなことが行われる。
しかし、信頼できる施工業者とパートナーシップを組み、予算に合わせ適正な価格・仕様でつくる。というやり方のほうが、仮に床面積が減ったりしたとしても、同じ予算で総合的には満足した結果が得られる、というようなことがあるかもしれない。

欲望には限りがないし、建物は少し控えめなほうが良かったりもする。
また、建物をつくるのも人間なのである。

懇親会の最後の締めでサウルス建築設計事務所の宇都さんが、これから設計事務所が施工業者を厳しくチェックするという関係から、パートナーとして共に良いものをつくっていく、というような関係に変わっていくかもしれない、というようなことをおっしゃっていた。

姉歯の事件がそれに対しどういう影響を与えるかは分からないが、少し幸せなものづくりの可能性が垣間見れた幸せな夜であった。

あと8日(日)9日(月)も展覧会を行っているので興味のある方は覗いてみてください。

P.S鹿児島のユーザーの住に対する意識は比較的低い印象がある。まずは、その部分に関わることから始めなくては。




B028 『平成15年度バリアフリー研修会講演録』

中村隆司講師(バリアフリー研究会?)?


どこから入手したかは忘れたが、前に福祉施設についていろいろ調べていたときに見つけてコピーしてたもの。

その中で出てきた「発達保障理論」という言葉がとても心に残っていたので、引っ張り出して再び読んでみた。講師は福祉施設の館長であるが、考え方がとても自由でユーモアもあり好感がもてた。

バリアフリー的発想・理念と理想についての話からいくつか抜き出してみる。(・・・は中略を示す『仲間達』とは入居者)

生活者としての素朴な発想こそ、最高の思想だということです

よく、福祉村と言う言葉がありますよね。個人的には、あんまり好きじゃないんです。・・・何でもそこで揃うからとても便利なようで、一番大事な人と自然と社会との交通交流がないんですよ。・・・ですから”ゆめのむら”じゃなくて、こだわって私たちは”ゆめのまち”と言ってきたんです。

このバリアを作り出してきた言葉とその思想
ア)生活の自由・文化・人権を制限してきた”安心・安全”
私はこの安心・安全という言葉が、どれくらい仲間達を苦しめてきたかと思うんです。
・・・確かに正義を守る安心・安全もあります。同じように大事なものは、その人が欲求・不安・心配・要求・文句を何でも言え、運営・実践に、参加・参画できる安心・安全です。
・・・それから、発達とか成長の希望・可能性のもてる安心・安全

イ)生活を縮め、生活を細めてきた”奉仕”や”サービス”
サービスの質の向上と言いながら、実際は仲間たちの生活を縮めてきたのではないかと私は思っています。少々不便でも面倒でも、今度は何々したいという仲間たちの欲求とか意欲、要求が創出されるハードとソフトのシステムこそ本当のサービスじゃないかと思うんですよね。
・・・つまり、サービスによって助かったのではなくて、”もっと何々したい”という意欲がでてくる。それが本当の福祉サービスじゃないかなと思ったんですよね。

ウ)生活を、不安化させる狭い意味での”バリアフリー”
・・・狭い意味でのバリアは、あえて”区別”という言葉にも置き換えることが出来るんですね。区別とは、人間関係、社会関係作りの基礎です。
・・・すべてがバリアフリーではなくて、仲間達にとっても大事なバリアがあるような気がするんですよね。

これらは(施設を営むものならなおのこと)寄り掛かりたくなるような便利な言葉である。
便利な言葉は思考停止の罠となる。
しかし、中村氏は(おそらく)鋭い観察によってこの罠に陥ることなく自らの思想を導きだしている。

最後のバリアフリーについてなどカーテンや垣根、果ては敷居といったちょっとした段差の意味合いにまで注意を払い、へたな建築士よりも理解がある。

何でもフラットにすればよいというのは安易すぎるし、そういう考え(?)では、微妙な機微のようなものも失われ、記憶や文化といったものまでフラットで貧しいものになってしまうように思う。

「フラット」そのものが目的ではないはずだ。

要するに私たちがつくらなくてはいけない物は、仲間達が自分自身の時間、自分の空間、自分の人間(じんかん)、つまり人間関係を作り出すということです。別の言い方をすれば時間と空間と人間関係の主人公になれる環境整備を徹底的に目指すことです。

私達の理念とか思想は発達保障理論に基ずいています。

ようやく、「発達保障理論」がでてきた。

発達保障理論とは、何かを失いながらも何か意味のあるもの、価値のあるものを再獲得していく過程というふうに捉えることが出来る。つまり、私達の理論は最後まで、成長し発達し続けるんだいう理論、希望なんですね。

この理論は全国障害者問題研究会の理論だそうだが、様々なところに応用できそうだ。

正確な理解かどうかは分からないが、この論のミソは複数の価値の軸を設定することにあるようだ。

例えば上のグラフ。
高齢になったり障害が重くなるにつれ「出来るか出来ない」(縦軸)といったことは当然弱くなる。
ところが、「感情とか表情とか思い」(横軸)は膨らんでくるだろうという想定をする。
すると、縦軸を支援するんじゃなくて横軸を支援するという視点が生まれる。

このように軸を複数、例えば2つの軸を設定することで、二元論的な考えを抜け出せる。

一つの軸では線的な「評価」しか出来なかったものが、2つの軸とすることによって面的になり、そのあらわすものは「評価」ではなく個々のポジション、「個性」となるように思う。

それはもっと次元が増えても良いだろう。(自分のイメージとして扱えるのは限界があるだろうが)

他にもこの講演録には自立と依存、ルール・規則と表現・役割保障、その他、時間や空間いろいろなグラフがのっていたが、やはりそこには独特の視点がある。

それは、例えば以下の文章にも表れている。

私達が提案し過ぎるのではないかと思うんですが、仲間達にとって、迷う時間は大事なんです。

昼は視覚の世界です。そして、夜は聴覚、嗅覚、触覚の世界ですよね。ここでもいろんな環境整備やサービスの質が違うのではないかと思うんです。

規則を学ぶ事からいかに不規則を作り出すかという発想です。・・・この不規則の中に私達の豊かさがありますよね。どこまで不規則を作り出せるか、保障できるかということです。

この空間と時間も、いままでは連続するというふうにやってきたんですけど、どこまで非連続する空間を作り上げるかということですね。非連続とは、生活のメリハリですね。

素晴らしい。
ほんと建築的な視点だ。

このもとになった発達保障理論のテキストを読みたいと思ったが、探し出せなかった。
良いのがないだろうか。




課外授業ようこそ先輩「絵本の中の ぼくわたし」荒井良二 (絵本作家)

NHK総合『課外授業~ようこそ先輩』

『課外授業~ようこそ先輩』はとても好きな番組だ。

子供の可能性の大きさや、大人の存在・「在り方」の大切さに気付かせてくれる。

大人が自分自身で「在り方」のようなものを示すことが、子供に対してできる最大のことではないか、と僕が思うようになったのはこの番組の影響が大きい。(あと尊敬できる幾人かの身近な大人)

しかし、気がついたときに見るだけだったので、過去のゲストを見て後悔することも多い。(ビデオそろえたいなぁ)

ということで水曜日はなるだけ観て、一言二言ブログにUPすることを心掛けよう。

今回は絵本作家の荒井良二。
メモをとりわすれたのは残念。
自由で意外性をもつ作風で、児童文学のノーベル賞と称される「リンドグレン記念文学賞」を日本人として初めて受賞したそうだ。

荒井流絵本の極意
その1.線をひくその2.汚すその3.主人公を貼る

頭で考えるより先に身体を動かす。

設計でも「手で考える」というのは大切だ。
身体で考えることはコンピューターではなかなか補えない。

(絵本では)豊かな雰囲気のようなものを届けられればいい、と言うようなことを言ったのが印象的だった。
何か大切なものが含まれていそうな雰囲気。それが直接的なメッセージよりも多くのものを伝えるのかもしれない。

子供のころは「ありがとう」という言葉もなかなか口に出すことが出来ず、小さく頷いている間に相手がいなくなってしまうような子供だったそうだ。

そういえば、少し前の別の番組(世阿弥について)で瀬戸内寂聴が「コンプレックスのようなものをもたない人はものはつくれない」というようなことを言っていた。

(他に「芸術は必ず反権力であらねばならず、易々とは生きられる訳がない。」というようなことも言っていた。寂聴の芸術などに対する言葉は刃物のように切れ味があって好きだ。自分のやってきたことに自信がないとああは言えない。)

荒井のテーマは’子供たちの常識をくつがえすこと’だったようだけれども、これはこの番組に通底しているように思う。

大人の様々なエゴや思い込み、想像力不足な環境に抑えつけられている子供たちは、ちょっとその環境を壊すだけでとたんにいきいきと躍動する

僕も子供たちにとってそんな存在の大人になりたい。
(それが、僕にとって一番の目標なのかもしれない。まだまだ遠い道のりだけども)
[MEDIA]




アネハ

あまりに問題が大きすぎて書ききらなかったけれども、傍観もできない。
憶測混じりで無責任な部分もあるが書いてみる。

○姉歯の構造偽装について

普通の感覚では恐ろしすぎてあんなことはできない。
カメラの前で淡々と喋る姿もあまりに不自然で狂ったものの犯行としか思えない。

というのが、最初の印象だった。
しかし、一人の(もしくは数人の)狂った人間の仕業ですませられない。

これに関わった多くの関係者は皆確実に違和感を感じたはずで、心のどこかで警報が鳴っていたはずである。(鳴らなかったとしたらそれは素人だ)
しかし、誰もが直接の責任は自分にはないとその警報を無視したのだろう。

それは、意図的というよりは身に付いた習慣で、気付かずに無視していたのかもしれない。

皆が警報を無視し、直接の責任者(姉歯)に責任をなすりつけていくうちにあまりにも問題が大きくなりすぎた。

今回、『茶色の朝』が現実のものになったように感じた。

カメラの前の淡々とした姿は、開き直ったというよりは、しでかしたことのあまりの大きさに気付き呆然とし、現実を直視することができなくなっている様に見える。

おそらく、犯行時、姉歯氏の頭の中では、自分ひとりが犯行を行っているという感覚はあまりなかったであろう。意識的ではなくとも『皆なんとなく気付いて見過ごしているのだから自分ひとりの責任ではない』と、「責任の感覚」は過剰に小さかったに違いない。

それが、突然責任として目の前に突き出されて事の大きさにはじめて気付いたということだろう。(単なる憶測)

なんか、子供のイジメに構造が似てる。
取り返しがつかなくなってはじめて気付く。
傍観者も自分には責任はないと思うふりをする。

似たような『なんとなく進行している重大なこと』は環境問題はじめいたるところにある。

そういう『警報』に対してあまりにも無頓着、自分の方ばかり見るのが当然な世の中はやはり寂しい世の中になる気がする。

大人のエゴでそういう寂しい世の中を子供に与えてはいけないと思う。(大人だけなら勝手にやればよい。)

あ、あと、この事件によって知らしめられたのが、
「建築士がいかに冷遇されているか」
ということだろう。
命を護り、社会をかたちづくり、時には感動を与えと、非常に重要な仕事であるはずだけれども、同じ国家資格の医者や弁護士に比べると・・・・

と言い出すと、愚痴になってしまう。

そういう重要性を知らしめる努力や勉強を怠っていたり、忘れてしまっていたりと原因は多分にこちら側にもある。

まぁ、なかなか喰えないのは確かだ。。

(これが本当に書きたかったことだったりして・・・)




W011『知覧特攻平和会館』

w10.jpg
□所在地:鹿児島県川辺郡知覧町郡17881
□設計:-
□用途:資料館
□竣工年:1986?
>写真は知覧町HPより
[gmaps:31.36411783037637/130.43423652648926/14/460/300](comment)[/gmaps]
連休をつかって、福岡の伊東豊雄のぐりんぐりんを見に行く予定だったけれど、土曜に仕事が入ったので断念し、変わりに気になっていた特攻平和会館に行ってきた。

沖縄特攻に散った1036人(?)の遺影や遺品、資料などを展示している施設である。

連休と言うこともあり観光客がたくさん来ていたのでじっくりとは見れなかったが、感激と言葉にならない違和感とを同時に感じる複雑な心境になった。

その、複雑な感覚は建物に入ってすぐのホールの部分、最初から感じた。

ホールの正面に3mx4mの等身大に近い壁画を見て感動し涙が出そうになるが、同時にその下のプレートの中の

私たちは、特攻隊員たちの崇高な犠牲によって生かされ国は繁栄の道を進み、今日の平和日本があることに感謝し・・・

と言う部分になんとなく違和感を感じたのだ。

そのときは、大分昔に書かれた文章で感傷的な文章になってしまったのだろうと無理やり納得してやり過ごそうと思った。
しかし、そういう違和感こそ大事にすべきだ

なぜそう感じたのか、考えてみる。

********************************************

展示室には1036人すべてかどうかは分からないが、特攻隊員たちの遺影がずらっとならぶ。

皆、すがすがしくかつ深い目をしている。
でも、今の時代にもいる皆普通の青年たちだ。
ちょうど青春の時期で、自分の友達の顔とだぶって容易に感情移入する。
最後に家族などに贈った手紙などはどれも潔く、家族への思い、国への思い、使命を果たせる誇りなどに溢れている。

その言葉に嘘はないだろう。心から出てきた言葉だと思う。
解説のおじさんの「彼らは負け戦とわかっていながら、後世の人たちが自分たちの生き様を見て勇気付けられ、日本を復興してくれることを願って飛び立った。」と言うような言葉に感動もした。

しかし、皆が同じように潔い文章を書き、すがすがしい顔をしているのに、逆に哀しさを感じる。

特攻志願といっても、志願させたのは環境だ。
誰が好き好んで死にたいだろうか。
志願させたのは、教育であったり、暗黙の強制であっただろうし、若さゆえ前に進まざるを得ないと言うこともあっただろう。
二十歳前後の若者だ。
気がついてみれば自分の命があと数日と決まってしまっていたということがあったに違いない。
それでも後に退ける訳もない。
恐怖心や後悔やその他もろもろの負の感情を抑え込むために、家族や国や名誉やいろいろな理由を探して(また、それらは環境に準備もされていただろうし)自分を騙すまでに必死にすがりついたにちがいない。

だから、潔さとすがすがしさは余計に哀しい。

彼らの言葉に嘘はないが、彼らは彼ら自身を欺いているかもしれない。

彼らは勇士であるよりも犠牲者である。

彼らを勇士とみるその視線が彼らを犠牲者にしたのかもしれないのだ。
(遺族の方が、彼らを勇士と思うのは当然だし、彼らの純粋な思いは尊敬に値すると思うが)

彼らのような犠牲者を出さないためには、彼らが犠牲者であるという認識こそ大切だと思うのだが、展示内容やパンフレット、先に挙げたホールのプレートにはほとんど彼らをたたえる表現しかないように感じた。

ただ、プレートの上の壁画のみが彼らを犠牲者として救っている。

そして、全く意図の異なる表現のものが上下にならんでいることが僕を混乱させたのである。

>>参考記事<<

(『特攻隊志願前に心の準備』金光新聞)

↑宗教的なことはさておき、前半の心の準備をする部分は、そうだろうなと思わせる。


↑ホール上部に描かれた壁画。
実際は目線より上にあり、等身大に近いので迫力があり、まさに天に昇っていくよう。
黒焦げになった人間は、展示されている笑顔の遺影とひとつながりだ。そのギャップがまた哀しい。
戦争の中で死を選択させられた若者は黒焦げになり優しい顔をした天女に包まれてようやく開放される。
混雑のためあまり遺品は見れなかったが、僕は一人一人の遺影の顔とこの壁画を目に焼き付けようと思って廻っていました。
実際に訪れて感じて欲しい。

(特攻隊神話の保存装置 「知覧特攻平和会館」 (田中幸一))

↑割と似た視点の記事。参考に。
日本人は何事もイメージで済ませる傾向が強いと思う。ここで、ただ泣くだけのメンタリティは時に危険であるかもしれない。

※事実関係を間違っていたりしたら教えてください。
また、関連する良い記事やそれはおかしいんじゃないという意見がありましたら教えてください。




屋上の魔力

あるきっかけがあり「屋上」と「自由」について考えてみたくなった。
ミーハーだけど、僕の「自由」に関する考えは宮台真司の影響が大きいようだ。


学生のころ神戸の殺人事件があり、建築について悶々としていた時期に、友人に進められて『世紀末の作法』を読んだ。

そこにあった『「屋上」という居場所』という文章で僕は初めて「建築」と「機能」や「自由」の関係を考えたのだ。

(思えば「酒鬼薔薇」と宮台を知らなければ問題意識を持つこともなく、今頃はのんきにそして優雅に暮らしていただろうに・・・・(kazutoよオアイコかいな?))

『世紀末の作法』は手元にないので検索してみると、こんな学生コンペが引っ掛かった。(最近、あまり念入りに雑誌を見ないので知らなかった・・・)

コンペのテーマ、まさしく宮台真司の文章だ。

原文も宮台のブログに載っていたので読んでみたが、『世紀末の作法』の『「屋上」という居場所』の趣旨もほぼこういうことだったと記憶している。

このブログで今考えていることを見てみると、10年ほど前に読んだこの本の影響の大きさにびっくりした。

「自由」の感じ方にまで影響をうけている。

■教室にいれば学ぶ人。廊下にいれば通行する人。校庭にいれば運動する人。どこも機能が指定され、そこにいるだけで機能を担わせられる。屋上は違った。そこは機能の空白。どこでもない場所。どこでもない場所で、何でもない人になって、解放される──。
■しかし、やがて人々は、どこでもない場所に、何でもない人が集まること自体を、不安がるようになった。集合住宅の屋上はロックされ、学校の屋上はバスケットコートになったりプールになったりと、機能化された。かくして最後のどこでもない場所が消去された。
■空間の機能的意味が明確になると、人は一方で自由になり、他方で不自由になる。近代化へと向けた動きは、不自由のマイナスより、自由のプラスを評価する価値を一般化した。さて、いったん近代化を遂げた人々が、いつまでも同じ価値観に拘束される必要があるか。
■イエやウチが「住宅」になったとき、人は、一方で自由になり、他方で不自由になった。何が不自由になったのかを記憶する人々が、社会からどんどん退場していく。だからこそ、いま「溶解する境界・あいまいな場所」なのだ。私たちの歴史意識が問われている──。
MIYADAI.com Blog より

青木淳の著書などにも似たような視点が見られるように、自由や便利さを求めるゆえの「不自由さ」窮屈さを感じることは今の時代ではありふれた(しかし、自覚するにはなかなか至らない)感覚なのかもしれない。

それにしても、屋上はどうしてそこまで「自由さ」(に近い特別の感覚)を感じさせるのだろうか。

単に「脱機能化」された場所というだけ以上のものを僕は感じてしまう。(そこがビアガーデンやイベントスペースであっても、僕にとっては特別な場所なのだ。)

ちょっと自分の経験と感覚を思い出してみよう。

10数年前とつい最近、屋上について特別に感じたことがある。

ひとつは高校時代。
寮生活だったのだが、先輩後輩の関係が厳しく1年生は寮の中では掃除やなんやでほとんど自由がなかった。
その寮の中で屋上だけが唯一先輩も足を入れない1年生の自由に使ってよい場所だったのだ。
授業が終わってからから夕食の準備までのほんの数時間を屋上で過ごすのがほとんど唯一気を抜ける時間だった。
(ただ、僕は部活をしていたのでこの時間をあまり堪能はできなかった。今となってはもったいなかった)

屋上はその下にある先輩たちの目の光る窮屈な環境とはまさしく別世界の小さな自由の輝く場所であった。

「屋上に先輩は足を入れない」というルールがどういう形で出来たのかは分からないが、厳しい生活を送る1年生のための場所に屋上が選ばれたのは面白い。

もうひとつはこの前、相方と式場を探していたとき。

あるホテルに説明を聞きに行ったとき(そこのホテルは公共の公園を一時借りて式を行うことの出来るホテルだった。)そこの屋上でも式を行うことが出来るということで、写真を見せてもらったのだがそれが漠然と期待していたイメージにぴったりきたのだ。

その屋上は夏の間はビアガーデンになっていたそうで、特別綺麗な建物でもおしゃれな空間でもない。ただ、桜島へのビューは絶景。
なんてことのない空間なのだが、びびっと来た。
なぜなのだろう。

それまではなんとなく漠然としたイメージのかけらのようなものはあったのだが、なんとなく結婚式場というもの自体になんとなく窮屈さを感じしっくりこないと思っていた。

そもそも結婚式場というもの自体が「機能」と「空間」の癒着した最たるものだ。
最近流行のレストランウェディングという別用途からの「転用」程度ではその関係は切れるものではない。
それに、なんとなく商業主義にのせられているような気がしてシャクでもある。(僕は自分の葬式は商業的な葬祭場ではして欲しくないと思っている。居酒屋で十分。)

それでも、「屋上」の挙式風景の写真を見た瞬間、「機能」や「商業主義」から開放された場所のような気がした。
漠然としたイメージがぱちっとはまった。
恐るべき「屋上」の魔力。

(「公園」でのウエディングでさえも、そういう風に感じなかったのだが、今の公園は都市に飼いならされているからだろうか・・・)

相方も似たように感じていたのにもびっくりなのだが。(繰り返しますが、なんてことのない「普通の屋上」なのだ)

さて、何ゆえ屋上がこれほどまでに別世界たり得るのだろうか。

屋根のスラブは建物と大空を切り分ける。
そして、屋上はどちらかと言えば大空に属する。

それゆえに、屋上はちょっと機能を付け加えたぐらいでは空間が完全に機能化されない、飼いならされない。
どうしても中途半端な感じが残ってしまう。

屋上の下の「せっせと機能している建物に小さく収まった空間」をあざ笑うかのような感じが良いのだ。
だから、都市の中にあればあるほど屋上とその下の空間の対比が生まれ、屋上はより屋上となる。

つまり、建物にも自然にも入れてもらえない「こうもり」のような中途半端な位置付けが屋上を屋上たらしめているのではないだろうか。
これを「計画」によって生み出すのは困難だ。

屋上で式をするということは天候によってはその下の「機能化された空間」に移らざるを得ないというリスクを負うわけだが、管理され尽くせないところも屋上の屋上たるゆえんであるならそれも受け入れねばならない・・・。

って、屋上になんとなく特別なものを感じるのは僕だけだろうか?




B019 『建築的思考のゆくえ』

内藤 廣
王国社(2004/06)

『建築的思考のゆくえ』というタイトルに気負って読み始めたのだが、思っていたよりずっと読みやすく、すっ、っと入ってくる文章だった。

分かりやすく書いてあるのは、著者が最近大学の土木分野で教え始めているので、建築以外の分野や一般の読者を視野に入れているのと、等身大で思考をする著者の性格からであろう。

本のタイトルも建築的思考がほかの分野へと拡がっていった先の事を意味しているように思う。

まずは、気になった部分を引用してみる。

世の中には「伝わりやすいもの」と「伝わりにくいもの」がある。(中略)日本文化の、とりわけ日本建築の本質は、具合の悪いことにこの「伝わりにくい』ものの中にある。(p.61)

昨日より今日は進歩し、昨日より今日が経済的にも豊かになる、という幻想。際限なく無意識かされるこのプロセスを意識化すること、形にすること、その上で乗り越えること、がデザインに課せられた役割であることを再認識すべきだ。(p.77)

わたしなりの感想では、世の中で語られている職能も資格も教育も、本来的な意味での建築や文化とはなんの関係もないのではないかと思います。(中略)話は逆なのです。今ある現実をどのようにより良いものにできるか、どのようにすれば人間が尊厳をもって生きられる環境を創りだせるか、が唯一無二の問題なのです。(p.88)

建築は孤独だ。建築はその内部環境の性能を追うあまり、外界に対してその外皮を厚くし、何重にも囲いを巡らせてその殻を閉じてきた。(中略)建築の孤独は深まるばかりだ。建築が多くの人の希望となり得ないのは、この「閉じられた箱」を招来している仕組みにある。(p.123,125)

時間を呼び寄せるためには、形態的な斬新さや空間的な面白さを排除することから始めねばならないと考えている。空間的な面白さは饒舌で、時間の微かな囁きをかき消してしまうからだ。(中略)われわれにせいぜいできることは、現実に忠実であること、時間の微かな囁きが、騒がしい意匠や設計者の浅はかな思い入れでかき消されないようにすることだけだ。(p.166)

最後の引用に内藤の建築の本質が出ている。

内藤廣といえば大屋根の一見して単純でざっくりとした建築をイメージするが、内部には独特の時間が流れているような気がする。
実際にその空間を体験していないのが非常に残念なのだが、形態の面白さに頼らず空気感イッポンで勝負、という感じだ。

どの本かは忘れてしまったが、ある建築の本に人間の感じる時間の概念が「農業の時間」⇒「機械の時間」⇒「電子の時間」(だったと思う・・・)と変わってきたというようなことが書いてあった。
本来、人間には「農業の時間」すなわち自然の秩序に従った時間が合っているのだろう。

そして、そういう時間の流れは内藤の言う「人間が尊厳をもって生きられる環境」に深く関わるだろうし、建築にとっての重要な要素であるだろう。

最近僕は、時間を呼び込むために空間的に単純であることが必要条件ではない、と感じ始めている。
一見、饒舌にみえても、その空間に身をさらせば、自然や宇宙の時間を感じるような空間もありうるのではと思うのだ。
たとえば、カオスやフラクタル、アフォーダンスといったものが橋渡しになりはしないだろうか。
それはまだ、僕の中では可能性でしかないのだが。




『原っぱ/洞窟/ランドスケープ ~建築的自由について』

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建築によって自由を得たいというのが僕の基本的な考えなのですが、最近、青木淳の本を読み、この点について共感する部分が多かったので、ここで一度考えをまとめてみようと思う。

青木淳のいう「原っぱ」というキーワードは、僕の中では「洞窟」という言葉であった。

例えば無人島に漂着し、洞窟を見つける。
そして、その中を散策し、その中で寝たり食べたりさまざまな行為をする場所を自分で見つけ少しずつその場所を心地よく変えていく。
そこには、環境との対等な関係があり、住まうということに対する意志がある。
それは『棲み家』という言葉で考えたことだ。

青木淳が言うように建築が自由であることは不可能なことかもしれない。しかし、この洞窟の例には洞窟という環境がもたらす拘束と、そこで行うことがあらかじめ定められていないという自由がある。

その両者の間にある『隙間』の加減が僕をわくわくさせるし、その隙間こそが生活であるともいえる。

洞窟のように環境と行動との間に対話の生まれるような空間を僕はつくりたいのである。
そう、人が関わる以前の(もしくは以前に人が関わった痕跡のある)地形のような存在をつくりたい。
建築というよりはをランドスケープをつくる感覚である。
そのように、環境があり、そこに関わっていけることこそが自由ではないだろうか。
何もなければいいというものでもないのである。

青木は『決定ルール』を設定することで自由になろうとしているが、これは『地形』のヴァリエーションを生み出す環境のようなものだと思う。

『洞窟』はある自然環境の必然の中で生まれたものであろう。その環境が変われば別のヴァリエーションの地形が生まれたはずである。

その『決定ルール=自然環境』によって地形がかわり、面白い『萌え地形』を生み出す『決定ルール』を発見することこそが重要となる。

ただの平坦な(それこそ気持ちまでフラットになるような)町ではなく、まちを歩いていて、そこかしこにさまざまな『地形』が存在していると想像するだけでも楽しいではないか。
もちろん、その『地形』とは具体的な立体的構成とかいったものでなく、もっと概念的なもの、さまざまな『可能性』のようなものである。

『原っぱと遊園地』を読んで考えたのはこういうことだ。
(新しいことは何も付け加えていないのだが)

ここらへんに、建築的自由へ近づくきっかけがあるように思う。
また、その『地形』には『意味』や意味の持つわずらわしさは存在しない。

そして、またもや『強度』というのがキーになる気がする。