探索環境保障理論と個性 B315『私たちのまちの園になる: 地域と共にある園をつくる』(松本 理寿輝,秋田 喜代美)

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松本 理寿輝,秋田 喜代美 (著)
フレーベル館 (2016/11/24)

「まちの保育園」代表の松本氏がまちの保育園の考え方や、事例を中心に解説し、東京大学の秋田氏がそれにコメントを書く、という構成で、比較的コンパクトな本です。

松本氏は保育時間を「探索・探求の時間」と捉えた上で、コミュニティスペース、アトリエ・素材庫、ギャラリー、カフェといった独自の空間をつくりだしています。

あくまで、子どもたちが主役なのですが、特徴的な場を設けることで、そこにさまざまな人が関われる余地が生まれています。それは、前回書いた、まちとのインターフェイスとなるような空間ですが、単に場所がある、のではなく、まちとのつながりという考えと実践とが先にあり、それと場所が結びつくことで効果が生まれているように思いました。(まちの保育園では、コミュニティコーディネータという独自の役職があるようですし、本書では、職員の役割や、いわゆる組織論としてどのようにそれぞれが役割を果たせるようになっていくか、というような議論もありました。)

探索環境保障理論と個性

余談になりますが、高齢者福祉施設について勉強している時に出会った考え方に「発達保障理論」というものがあります。
これは、歳をとったり、障害によって出来ないことが増えていったとしても、単純な出来るできない、とは異なる軸を導入することで、誰でもどんなときでも前に進む(発達する)ことが保障されるべき、というもので、これを知った時はとても感動したのを覚えています。

このように軸を複数、例えば2つの軸を設定することで、二元論的な考えを抜け出せる。 一つの軸では線的な「評価」しか出来なかったものが、2つの軸とすることによって面的になり、そのあらわすものは「評価」ではなく個々のポジション、「個性」となるように思う。(B028 『平成15年度バリアフリー研修会講演録』 – オノケン│太田則宏建築事務所)

これは子どもについても言えそうです。(ちなみに、上記引用元で書いていることは、児童福祉施設に置き換えても示唆に富んでいると思います。)

子どもの場合は、何かが出来なくなるのではなく、もともと出来なかった状態がスタートです。
ここで、出来るできないだけの軸、つまり評価に関わるような軸しか考慮されないとすれば、それは多様な発達の幅を狭めることになりはしないでしょうか。(そして、この出来るできない、という評価の軸に重点をおいてしまっているのが、小さな学校としての早期教育、保育空間の教室化です。)

保育者が、何か評価の対象になるものを”教える”のではなく、幼児自らが、環境を探索し、その環境とインタラクティブに関わりを深めることによって自ら発達していく。ここでは、保育者は幼児の発達を支えるような環境を整えていく役割を果たす。この考え方が、アフォーダンス理論とも関係の深い、環境構成理論の考え方であり、出来るできないの評価軸だけでない、多様な方面に開かれた発達を保障するものです。

それは、先程の引用文から捉えると、個性を保障することとも言えるかと思います。つまり、環境探索による発達は、発達というものをプラスかマイナスかの線的な評価軸から、面的な個性としてのポジショニングへと戻すものだと思うのです。

これを、幼児の発達保障理論と呼んでもいいのですが、何を保障するのか、をより具体的にして、「探索環境保障理論」と呼んでみたいと思います。

おもちゃや絵本、人、素材や空間、自然の移ろいなど、さまざまな探索が可能な環境をまずは保障する。そうすれば、幼児とその環境との間に関係性が生まれ、自ずと発達が促されていく。
そのような考えに立てば、まちの保育とは、その探索環境を、まちの人や風景、生活など、園からはみ出して拡げていく試みと言えます。
そして、子どもたちがまちに意味や価値を見出すのと同時に、まちが、子どもたちや園に意味や価値を見出していく。
そのような双方向的な関係性が、まちの保育がうまくいく秘訣なのかもしれませんし、その先にあるのは、子どもたち、園、まち自体の個性の保障なのではないでしょうか。

また、これを逆から考えると、出来るできないの評価軸のみを盲信することは、子どもたち、園、まち自体の個性を抑圧することにつながるとも言えるかもしれません。(この辺はもう少し考えてみたいところですが、実は、養老孟司の昆虫と環境に関する本にも似たようなことが書いてありました。それはそのうち。)




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