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W029 『魅惑の長田町をあるく』

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予定が合わなかったり雨で中止になったりとなかなか参加できてなかったのですが、久しぶりにかごしま探検の会のウォークラリーに参加しました。

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今回は県民交流センターからスタートし近くにありながらなかなか足を伸ばすことのなかった長田町を散策。

1. 横山安武森有礼生育の地。

横山安武は役人の腐敗を憂いて集議院に十条の意見書を掲げ切腹をした人だそう。いつのときも役人の腐敗はあるものだ。今はこういう気概のある人はいるのだろうか。

2-4. 椋鳩十邸宅跡・椋鳩十の部屋から見えていたであろう桜島。

東川さんにつづいて”みたけさん”からも解説がありました。(僕は存じ上げていなかったのですが、NPO法人かごしま文化研究所の三嶽公子さんだったのでしょうか?)

椋鳩十は1947年に市立図書館の館長になったそう(このころ作家が館長になるのが流行ったそうです。)

このころは全国でも鹿児島・宮崎は最も図書館に対する予算が豊富な県だったそうで、椋鳩十の働きも大きかったよう。(戦後の生活に図書を通じて潤いを与えたいという思いが強かったそうです。)

5-11. 長田神社

もともとは福ヶ迫諏訪神社という名だったそうだけど、明治時代に神戸の長田町にある神社と同じ祭神 ということで長田神社と改名されたそう。つまりこの長田町という名の由来は神戸から来てるそう。へぇ~。

12-15. 興国寺墓地

染河彦兵衛、徳田太兵衛伊地知季安、汾陽理心の墓などをまわる。他にもいろいろ見所があるそうだけどタイムオーバー。

年配の参加者が多いのですが、かなり坂の多いコースをなんとか歩ききっていました。いつも思うのですがこういう年配方が歩きながら話しているのをこっそり聞いてると、生活に根付いた面白い話がいろいろ聞けて感心してしまいます。

なぜ参加するか。

僕は学生のころは完全に理系だったのでかなりの歴史音痴です。
なのでイベントの面白さの100分の1ぐらいしか伝えられていないと思います。
マティックさんの御友人の日記のように書ければどんなにいいだろうか、と思いますが急には無理ですね。もっと含蓄のある方が聞けばもっともっと楽しめると思うと少し残念でもあります。

では、歴史の苦手な僕がなんで参加しているか。

それは、講師の東川さんの魅力というのもありますが、僕自身、いずれは地域性や歴史性といったものを感覚として身体化したいと思っているからです。

今の建築、特に家づくりというものを考えた場合、地域性や歴史性といったものを切り捨てることによって成立している部分というのが多分にあると思います。
そういうものを建築に取り入れるのはかなり困難なシステムになってきてしまっているし、僕も含め今の人達はそういう切り捨てたものを扱うのが苦手になってしまっていると思います。

実際、そういうことを考えず全国的に流通している工業製品だけで建物を作るのが一番楽で、机上だけでかなりの部分ができてしまいます。
しかし、地域性や歴史性というものを扱おうとしても、机上でいきなりできるものではありません。
おそらく自分の感覚として身体化していなければうまくは扱えないと思います。

そのために、2年や3年と言うスパンではなくて長い目で見て少しずつ、少しずつ、そういうものが身体化されればいいなぁと思って無理をしない範囲で参加させていただいているのです。

(イベント、イベントがその都度一回性の ものですので、毎回参加しないともったいないという思いもあります。

ただ、続けていくことが肝心だと思うので無理をしない範囲で、ということにしています。)

その後

そのあと、フリーペーパーのunder’s highを発行されているチャビンさんの店に寄らせていただきました。
地味な格好だったので店に入るのはかなり勇気が要りましたが、思っていたとおり気さくな方でした。ほっ。(あと、チャビンさんのブログにあるライブ映像に写っているサモアの怪人というゲストが友人のM野氏に似ていたので気になっていたのですがどうやら別人だったようです。ちなみに、 サモアの怪人マーク・ハントがK1で優勝したときはあまりにM野氏に似ていたので人ごとの気がしませんでした。)
応援していますので under’s high頑張ってください。(僕もいずれ広告を載せたいなぁ)

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W022『現代っ子ミュージアム』


□所在地:宮崎県宮崎市松山1-6-20
□設計:石山修武研究室
□用途:ミュージアム+カフェ
□竣工年:1997年

現代っ子センター現代っ子ミュージアムに行ってきました。
工業製品をなるべく使わないようにし、ここで初めて土をつかったそうだが、土がはがれてきたような表情、でたらめに貼ったような木の板の手すり、もう凡人には何が良くて何が悪いのかわからなくなります。
そういう既存の価値観への抵抗と言う意味あいがあるのでしょうが、それを越えて単純に心地よいと感じました。身体になじむ。

工業製品だけの建築はいずれ精気を失いゴミになる宿命をもつ。土や木や紙はいずれまた土に変える時間を内に持つ。工業製品は壊れていく一方なのだが、土や木は人間の身体や皮膚と同じように豊かで多様な古び方をしながら時間をその中に飼い慣らしていくことができる。(『石山修武 考える、動く、建築が変わる―ひろしま、生活、家、コミュニケーション』)より

このブログでも何度も書いているが、そういう時間が人間にはなじむのだろう。

また、ここの方に現場での石山修武のことなどをいろいろ話していただいきました。

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B096 『藤森照信の原・現代住宅再見〈3〉』

藤森 照信、下村 純一 他
TOTO出版 (2006/09)

もう出てたんだ、ということで〈1〉〈2〉に引き続き〈3〉を図書館で借りてきた。

ついに現代に追いつき妹島和世の「梅林の家」、藤本荘介の「T house」、西沢立衛の「森山邸」まで紹介されている。
ということで後半はこれまでの巻とは若干趣が違う感じがした。
「梅林の家」は鉄板構造で外壁、内壁ともに厚さ16ミリほどの鉄板で出来ているが、そこにあけられた開口によるシュールレアリズムのような光景は全くオリジナルな空間の関係性を生み出している。その感性には脱帽というほかない。

藤森氏はこれらの作品に歴史の原点、本質的なにおいを見出しているように、こういった新しい感性によって空間のあり方というものが”純粋”といえるレベルまで引き寄せられているのかもしれない。

このシリーズで一貫している、「戦後住宅の”開放から自閉へ”」という見方。伊東豊雄はじめ、自閉的・内向的建築家が時代を開いてきたという見方が面白い。
僕も昔、妹島と安藤との間で「収束」か「発散」かと悶々としていたのだが、藤森氏に言わせると妹島はやはり「開放の建築家」ということになるのだろうか?
藤森氏の好みは自閉のようだが、僕ははたしてどちらなのか。開放への憧れ、自閉への情愛、どちらもある。それはモダニズムへの憧れとネイティブなものへの情愛でもある。自閉と開放、僕なりに言い換えると収束と発散。さらにはそれらは”深み”と”拡がり”と言い換えられそうだ。
それはもしかしたら建築の普遍的なテーマなのかもしれないが、その問いは、どちらか?といものよりは、どう共存させるか?ということなのかもしれない。

深みに支えられた拡がり、というような感じか。




TV『新日曜美術館』

たまたまテレビをつけたら新日曜美術館で「建築現在進行形伊東豊雄の挑戦」っていうのをやってた。

他の建物が妙に不自由に見えてきてしまいます。
まさに世界が違って見えるという感じ。
人間の根源的な欲求に根ざした空間は建築の閉じた世界を飛び出して広く一般の人にまで訴えかける力があるように思う。

荒川修作の作品と根本的な出所は似ている気がするけれども、扱っているものの階層レベルが違うと思う。
(荒川氏は身体性を謳っているがモノとしては机上論から抜け出せてない感があるけれども、伊東氏はシステムを扱いながらもそのシステム自体が身体性とダイレクトに結びついている)

モダニズムを突き抜けた先にあるもの。
伊東さんの描く世界を自分なりに再解釈してみないと。
構造表現主義とのベクトルの違いは何か。
その違いがなぜ未来を拓くのか。
それは自分にとってはどういうものなのか。

なんとなくTVをつけたらたまたまやってたので危うく見逃すところでした。
BSでは再放送もあるようなので見逃した方は是非。
[MEDIA]




B074 『ザ・藤森照信』

藤森照信
エクスナレッジ(2006/08)

藤森照信がなぜ一般の支持を得ているのか。

それは彼が「自ら楽しむ」ということを徹底しているからだろう。

最後の方に奥さんのインタビューが乗っているけれども、奥さんは結構苦労されたみたい。
大変な時期にも夫は「路上観察」や現場へ出たっきり。
藤森さんもきっと奥さんに負担をかけている事を自覚はしていただろうが、誰にも真似できないぐらい楽しみきることが彼にとっての生命線であることを自覚していたから、あえて気づかないふりをしていたに違いない。

と、僕は思う。

その、ある種の強さが藤森さんを藤森さんにしたのだ。

本城直季のミニチュア風写真は建築本としては最初違和感があった。

だけど、子供が箱庭を作るのに熱中するように建物をつくる藤森さんの建物にはふさわしい気もしてきた。

都市の(人口の)嘘っぽさ」を露にする本城氏の写真でも耐えられるのはこれまた藤森さんのテクスチュアのある建物だからかもしれない。

さすがに歴史家&建築家ところどころにどきりとする表現がある。

(建築史家としての)この認識と建築家藤森のデザインの間の関係は考えないようにつとめている。物をつくるには考えない方がいいレベルもある、という知恵を建築史家藤森は歴史から学び、建築家藤森に伝えてある。ミースは何か考えていたんだろうか。感じていただけではあるまいか。安藤や妹島だってどうだろう。

同感。

(エコロジー主義者について)科学技術の時代20世紀の蓄積を軽く見るような、簡単に乗り越えられると考えるようなそういう方向には同意できない。言葉や理論では超えられても、現実では大禍を呼びかねない。マジメさだけが場の空気を支配し、笑いの乏しい世界は私の性に合わないのである。

人は、身体性への働きがあった時にはじめて空間のダイナミズムを感じる。代々木のプールのダイナミズムは、大屋根の端が地面近くまで降りてきていることで生まれた。

藤森建築は自然素材を好んで使う。でもその素材の味を生かすために、藤森はその露出度に寸止めをかける。・・・・・つまり、趣味の固まりがそのままでは嫌味にずれ込んでしまう。そこのところをぐいと意志の力で止めて、物に対する批評の角度を際立たせる(赤瀬川原平)

また、大学院生時代、全国の2000棟を超える近代建築の優品を”相撲を取るように”真剣に見てまわったという話が印象的だった。

そういえば、東京入院時代、暇なので一緒に入院しているおじいさんと空気砲を作ったりして遊んでたのだが、あるときテレビに藤森さんが出てきて、少しこの人に興味がある、と話をしたらそのおじいさんが藤森さんのおじさんにあたる人だったのでびっくりしたことがある。
子供のころは(悪いという意味ではなく)やんちゃだったそうだ。




B060 『リアリテ ル・コルビュジエ―「建築の枠組」と「身体の枠組」』

富永 譲、中村 好文 他
TOTO出版(2002/01)

2001年に安藤研がギャラ間で行ったコルビュジェの全住宅模型展に合わせて開かれた講座の記録。
(偶然にも僕はちょうどこのころ無理がたたって入院中で、病室でサヴォア邸やガルシュの家なんかの1/100模型をつくっていた…)

富永譲・中村好文・鈴木恂・八束はじめ・伊東豊雄がコルビュジェについて語るのだが、久しぶりのコルビュジェはとても新鮮で面白かった。
うーん、惚れなおす。

最初の方に出てくる写真や言葉を見るだけでため息が出てくる。

コルビュジェは戦略としてキザで大袈裟な物言いをしたという捉え方をしていた。
しかし、そういう側面はあるとしても、奥の部分にはやっぱり人間への愛情で満ちあふれているのだ。

そうでないと、こうも語りかけては来ない。

前にもコルについて書いたけれども、コル自信もかかえる小ざかしさや雑念を超えた大きな純粋さに心を打たれる。

富永譲が、コルの空間のウェイトが前期の「知覚的空間」から「実存的空間」へと移行した。また、例えばサヴォア邸のアブリから広いスペースを眺める関係を例にそれら2つのまったくオーダーの異なるものを同居させる複雑さをコルはもっているというようなことを書いていた。

それは、僕を学生時代から悩ませている「収束」と「発散」と言うものに似ている。

どちらかを選ばねばと考えても答えが出ず、ずっと「保留」にしていたのだけども、どちらか一方だけではおそらく単純すぎてつまらない。(このあたりは伊東さんがオゴルマンを例にあげて語っていた。)
そのどちらをも抱える複雑さを持つ人間でなければならないということだろうか。

そういえば、日経アーキテクチュアの創刊30周年記念特集の対談(2006.4-10号)でも新しい世代の「抜けている感覚」の是非や身体性というものが語られている。
それは「知覚的」か「実存的」かという問題だろうが、僕なんかの世代の多くはそれらに引き裂かれているのではないだろうか。
「知覚」への憧れと「実存」への欲求。
その間にあるのはおそらく一見自由に見えて実はシステムに絡めとられてしまう不自由な社会であり、そこから抜け出そうとすることが僕らを引き裂く。

もっと若い世代だとその今いる地点から「知覚」や「実存」への距離はどんどんと拡がっているように思える。(特に「実存」への距離)
また、その距離に比例するように「知覚」への憧れと「実存」への欲求は深まり、さらに分裂する。

実存的建築家に学生なんかが再び惹かれはじめているのも分かる気がする。

それらを全く異なるもののまま同居させるコルの複雑性。
これこそがコルビュジェの魅力の秘密かもしれない。

あと、この本の伊東さんの話は相変わらず魅力的だったが、他にも鈴木恂の「屋上庭園とピロティ」を「(コルビュジェの例の)手と足」として捉えるところも面白かった。
建築を身体の延長として捉えるような感じ、擬人化やキャラクターを持つことへの興味はもしかしたらコルビュジェの影響かもしれないな。




TV『プロフェッショナル・仕事の流儀 「挾土秀平・不安の中に成功がある」』


>>番組HP(NHK総合)

カリスマ左官と言うので久住氏かと思ったが違った。

挾土氏も久住氏と同様苦労の中で、徹底して試行錯誤を行っている。
それがベースになっている。

途中、語っていたが、一つのことをやり続けていれば、いづれそこからどんな枝も生やせるし、どんな花も咲かせられるようになる。
それは、僕も強く感じる。
あることを突き詰めていくと、一方ではあらゆる方向に拡がっていくし、あらゆるものは突き詰めた先では共通するものにたどり着くのではないだろうか。
おそらく極めれば極めるほど、ものごとの境界はなくなっていくし、真にプロフェッショナルといわれる人は共通の言葉で語り合えるようになれるのではと思う。

『常に不安を抱えることで、感覚が研ぎ澄まされ、良い仕事が出来る』

職人だからこそなおさら感覚を大切にするし、独特の作法を持つ。

左官など、土の状態の僅かな変化を自らの身体で感じ取り、その情報に直接身体的に応答する、アフォーダンスの最も洗練されたものの一つだと思う。

この番組を見るといつも羨ましく感じてしまう自分がいるのだが、今回は、自分の身体性と直に向き合えること、試行錯誤を繰り返し新しいことに挑戦できることが眩しく見えた。

プロフェッショナルとは

新しいことに挑戦して、そこですごい不安な気持ちでみんながピリピリしているムード。そのムードのことを僕はプロフェッショナルと言いたいです。そういうことに挑戦してピリピリしている、殺気立っているムードのことをプロフェッショナルだなと思いますね。挾土

挑戦にピリピリし、そして笑いたいなぁ。
[MEDIA]




B042 『デザイン言語-感覚と論理を結ぶ思考法-』

奥出 直人 (著, 編集), 後藤 武 (編集)
慶應義塾大学出版会 (2002/5/8)

慶應義塾大学のデザイン基礎教育の講義をまとめたもの。
取り上げられている講師陣は以下の通り多岐にわたる。

隈研吾塚本由晴三谷徹久保田晃弘佐々木正人Scott S.Fisher高谷史郎藤枝守茂木健一郎東浩紀永原康史原研哉港千尋

「デザイン言語」という言葉には、コミュニケーションツールとしてデザインを捉えることや、感覚(デザイン)と論理(言語)を統括するということが期待されている。
しかし、それはデザインの基本的な性質であって、あらためていうことでもない。
だからこそ、基礎教育のテーマとして選ばれたのであろう。

後藤武が「他者性に出会いながら自分をたえず作り直していくこと」をこの講義に期待しているように、各講師は「他者」としてあらわれる。

第一線で活躍している彼らはそれぞれの独自の視点からデザインの問題を発見している。
例えば「コンピューター=素材≠道具」「演奏する=聴くこと」「脳・感覚=数量化できない質感(クオリア)」というように発想を転換することによって大切なものを浮かび上がらせるのだ。
そこで浮かびあがるのは、近代的なデザインが軽視してきた『身体性』のようなものである。
(もともと、「考えること」と「つくること」はひとつの行為のうちにあったが、近代になってそれらが分離して「設計」「デザイン」という概念が生まれた)
そして、その浮かび上がらせ方、顕在化の方法というものがデザインなのかもしれない。

だが、その方法とは(共感ができるとしても)各々の身体性に基づくもので他人に教えてもらえるものではない。
自ら感覚と論理を駆使して”発見”する以外にないのである。(つまり”他者”としてしか接触できない)

それは、僕がこれまで書いてきた読書録の中でゆっくりと、そして明確に浮かび上がってきたものと一致する。

全くあたりまえのことなのだが、答えは自ら描き出す以外にないし、自らの個人的な感覚・身体性の裏づけなしには人の共感も呼ぶことはできないということだ。
(逆説的だが個人的であることが他人へのパスポートとなるのだ。)




B038 『建築を拓く -建築・都市・環境を学ぶ次世代オリエンテーリング』

日本建築学会
鹿島出版会(2004/10)

建築的思考を武器に新しい道を拓いている先駆者25人のインタビューが収録されている。
あまりなじみの無い人もいたのでメモの意味でもざっとあげてみると、

内藤廣大島俊明松村秀一野城智也原利明梅林克大島芳彦松島弘幸アパートメントゼロスタジオ坂村健深澤直人甲斐徹郎玉田俊夫吉岡徳仁西村佳哲福田知弘後藤太一中西泰人love the life勝山里美馬場正尊松井龍哉元永二朗新良太

建築を学ぶ学生を主な読者に想定しているが、”建築をどう拓いていくか”は現に建築に携わる人にも切実な問題である。

この本の中で学生へのメッセージの中で共通しているように感じたのは、
・社会に対して自分がどう関われるかを考える。
・自分の中で感じたものを大切にしそれを突き詰める。

と言うようなことの大切さである。

この本でもいくつものキーワードや方向が見えてくるが、それら全てを突き詰めることは不可能であるし、しょせんは借り物である。
自分でこれと感じたことを突き詰めた先に何かが拓ける。
実際ここに収録されている人もそうやって必要とされるポジションを築いてきたのだ。

僕の本当の興味や出来ることはどこにあるのか。そのための方法は・・・・・

建築という領域を新築することに限定する必要はない、もっと自由に捉えてよいと考えると少し幅が出る。
すぐには答えが出せないのだが、それらを突き抜けるためのきっかけのようなもの、隠し玉はある。(それは秘密。。それを使うかどうかは今後じっくり考えることにする。)

一度、明確なビジョン・ストリーを描いてみたい。

******メモ**********

■本当はみんながほしいと思っているものを掘り起こす能力、あるいはそれをかぎ分けて目に見える形にすることで、イメージを喚起する能力。・・・・製図台の上の真白い紙の上で描けるのが近代建築であるとするならば、出かけていって、見て考えて、そこにいる人と意見を交換しないと、問題すら発見できないと言うような環境体験型の方法論に移りつつあるのだろうと思います。(古谷誠章)
■デザイナーが手を加えることで価値を倍加させていくような手法(大野秀敏)
■「建築家」がどうするか。1.増改築、改修、維持管理を主体とする。2.活躍の場を日本以外に求める。3.建築の分野を拡大する。・・・・第三の道でまず目を向けるべきが「まちづくり」→タウンアーキテクト(布野修司)
■・時間の概念>クロノプランニング・直感が大切。工学と直感は無縁ではない。・「私」を超えること。(内藤)
■リニューアルとは建物をどうやって次の世代に引き継いでいくか(大島)
■・これからの展望が開ける部分というのは結局は生活者しかない。・みんな能力もあるし、繊細さもある。でも、「何かを切り拓いていくぞ」っていう感じは乏しい。(松村)
■人々のアクティビティを呼び込むことによって、広い意味でも経済的価値を生むことが重要。(野城)
■・社会レベルへレンジを広げてみると、まだまだ住宅には取り組むべき問題は山積している。・自分たちが持っている「強み」「リソース」をどのようにデザイン活動に結び付けてゆけるか。(梅林)
■・オーナーの資産を設計デザインという付加価値の観点からマネジメントしますというスタンス。・ただ綺麗にするのではなくて、違う価値基準に乗せ換えてしまいましょう。
■・自分たちの価値観を大切にすること。そしてその価値観やビジョンといったものをしっかりと周りに伝えていくこと。・イメージを育てるのがすごく大変だけれども、それをイメージで終わらせない。(滝口)
■・身体が記憶している、みんなが共鳴する何かがあるはず。・人間のセンサーに対して深い部分で何か感じるようなものを突き詰めてつくってみる、ということが大切。学問として学ぶのではなくて、身体として経験する。(深澤)
■・使い手の意向を読み取って関係性をつくることが本来のデザイン。繋がりとか連続性。・自分にとって価値のあること、心地よいと感じること、そういう感性が現れるのを待つことを大切にしてほしい。(甲斐)
■夢を見、イマジネーションの力を磨くこと(玉田)
■自分なりの生き方で生きていかないとデザイナーとしては成長できない。(吉岡)
■・みんな他人事の仕事はしていない。どんな請負の仕事でも「自分の仕事」にしてしまう。・感動しているとか、心が動いているとか、面白がっているとか、興味のあることがたくさんあるのは、動く大きなプールというか内側の資源(西村)
■デザインを進めていく方法論というか、コンセプトを見つけていくこと自体が大切なことになっていく。(松井)




B037 『装飾の復権-空間に人間性を』

内井 昭蔵
彰国社(2003/12)

「装飾」というのもなかなか惹かれるテーマである。

アドルフ・ロースの『装飾と犯罪』ではないが、なんとなく自分のなかで装飾をタブー視することが規範化されてしまっている気がする。

しかし、規範化には注意しなければいけないし、時々装飾的と思えるものに魅力を感じる自分の感覚との折り合いもつけなければいけない。

そもそも、装飾、装飾的とはどのようなものを指すのだろうか。
また、許される装飾と許されない装飾があるのだろうか。

この本でも内井は装飾と虚飾を分けている。
その指し示す内容には若干の揺らぎがあるように感じたが、本質的な部分には確固とした基準があるように思う。

内井において装飾とは『人間性と自然界の秩序の表現』『宇宙の秩序感を得ること』であるようだ。

秩序を表現できるかどうかが装飾と虚飾との境目であり、おそらくそれらは身体でしか感じることのできないものだろう。
また、それゆえに身体性を見失いがちな現在においていっそう魅力的に映るときがある。
むしろ、身体が求めるのかもしれない。

その感覚は指宿の高崎正治の建物を訪れたときに強く感じた。
それはとても心地よい空間であった。

装飾=秩序と考えれば、モダニズムのいわゆる装飾を排除したものでも構成やプロポーションが素晴らしく、秩序を感じさせるものであれば「装飾的」といえるかもしれないし、カオス的な秩序の表現と言うのもあるだろう。

いわゆる装飾的であるかどうか、というのはたいした問題ではないのかもしれない。

秩序を持っているかどうか、が『空間に人間性を』取り戻す鍵のように思う。(結局、原点に戻ったということなのか?)

また、時にはあえて装飾のタブーを犯す勇気も必要なのかもしれない。

*******メモ*********

人間の分身、延長としてつくっていくのが装飾の考え方で、もう一つは建築の中に自然を宇宙の秩序感を回復すること。
■「装飾」は合理や理性では割り切れず、感性、好みと言ったようなわけのわからないもの。
■装飾は精神性と肉体性の双方を兼ね備えるもの。
■近代建築のなじみにくさには壁のあり方に原因があるように思う。現代人の心を不安にしている原因は人間が「もの」から離れるところにある。
■水に対しては「いかに切るか」、光に対しては「いかに砕くか」
■水平・垂直のうち現代は世俗的な水平が勝っている。しかし、人間の垂直思考、つまり精神性をもう一度取り戻す必要がある。
■装飾というのは付けたしではない。「装飾」は即物的にいうと、建築の材料の持ち味を一番よく見せる形を見いだすこと。
■ファサードは人間の価値観、宇宙観、美意識、感覚の表現であるからこそ人間性が現れる。建築はその設計者の姿をしているのが一番いい建築。
■しかし、現代建築ではなかなかそうはできない。それは、あまりにも材料とか形に対してし執着できない(経済的・物質的)状況ができているから。
■日本の自然は高温多湿、うっそうとした植物、勢いのある水と声が大きすぎる。そういうところから「単純明快なもの」引き算の美が求められるようになった。

■「わけのわかるもの」ばかりではなく「わけのわからないもの」も必要。
■生活空間には「記憶の襞」のようなものも必要。

■材料とか形に対してし執着できない(経済的・物質的)状況を乗り越えるにはどうすればよいか。
■セルフビルド。流通。生産現場。

■装飾は環境の中に存在する。現在のような(街並み・情報など)ノイジーな環境ではモダニズム的な建物が分かりやすく支持を得るのかもしれない。
■そうではないあり方はないだろうか。環境に埋もれず、秩序を感じさせるようなもの。
引き算ではなく分割。分割でなく・・・




B034 『この先の建築 ARCHITECTURE OF TOMORROW』

小巻 哲 , ギャラリー間 (編集)
TOTO出版(2003/07)

ギャラリー間の100回目の展覧会を記念して行われたシンポジウムの記録。

各世代から1人ずつ、5世代5人によるセッションが5回行われた。

各セッションの参加者は

1.原広司(1936)、伊東豊雄(1941)、妹島和世(1956)、塚本由晴(1965)、吉村靖孝(1972)

2.磯崎新(1931)、山本利顕(1945)、小嶋一浩(1958)、千葉学(1960)、山城悟(1969)

3.石山修武(1944)、岸和郎(1950)、青木淳(1956)、阿部仁史(1962)、太田浩史(1968)

4.篠原一男(1925)、長谷川逸子(1941)、隈研吾(1954)、西沢立衛(1966)、藤本壮介(1971)

5.槇文彦(1928)、藤森照信(1946)、内藤廣(1950)、曽我部昌史(1962)、松原弘典(1970)

(括弧内は生まれた年)
必ずしも「この先の建築」のビジョンが明確に描き出されたわけではない。

しかし、世代間で建築や社会の感じ方やスタンスに違いがあるものの、全体としてはぼんやりとした方向があるように感じた。
それは例えば「個」や「自由」という言葉に含まれるイメージのようなものである。

「この先の建築」に当然だが確固とした正解があるわけではなく、それは各個がそれぞれ考え実践する中で全体として描き出されるものだということ、 まさしくこのシンポジウムの形式そのものが浮かび上がってきたように思うのだ。

正解があらかじめ用意されているのではない。

この本で最も印象に残ったのはシンポジウムに参加できなくなったために書かれた、伊東豊雄の手紙である。

私が今建築をつくることの最大の意味は「精神の開放」です。平たく言えば、人びとが真にリラックスして自由に楽しめる建築をつくることです。しかし今、日本は建築をつくることにきわめて不自由な社会に思われます。発注者もつくり手も、皆が金縛りにあったように相互監視にばかり夢中になり、何をつくるべきか、なぜつくるべきかを見失っています。私が若い建築家に期待するのは、もっとプリミティブな視点に立ち返って「あなたはなぜ建築をつくるのか」という素朴な問いに答えて欲しいことです。そうでない限りこの自閉的な状況をくぐり抜けることはできないし、ましてや「この先の建築」など望むべくもないように思われます。(伊東豊雄)

「つくる」ということはどういうことか、「つくる」ためにはどうすればよいか、そこに立ち戻ったうえで組織のあり方や関係、具体的な手段などもう一度きちんと考え直さなければならない。

*****以下各セッションから*****
1.

建築のデザインが、あるいはそのデザインがもっている論理性というものは、人びとにたいしてどこまで射程があるのか(原)

(MVRDVについて)自分の外部にある何かを調べることで、自分の立ち位置をよりシャープにしていくという作業を繰り返しているのです。テリトリーをただ闇雲に拡大していくというよりは、建築家が本当にやるべきことは何か、何ができるのかということを、常に自問しているという印象をもちました。(吉村)

僕が妹島さんの建築がすごくいいと思うのは、集落がもっているエレガントなものを、今のデザインで、所帯じみていない形で出してくるからです。
僕はかつてのコミュニティ論なんていうものを、あなたたちが本気になって打破せよといいたい。・・・都市の中に埋没していく、あるいは地縁や血縁や昔のコミュニティだとかいった社会の中に埋没していくのではなく、生活が可能なところで出てくるような身体的な心地よさがあると思います。(原)

今までの経験から言うと、世の中を良くしようと思うとろくなことはないんですね。世の中を良くできるなんて思わないで、自分がうまく生きるということでいいと思います。建築家は人の家をつくるわけですから、建築家としては常に他者に対する思いやりというものを何らかのかたちで表現していくことが重要なような気がします。(原)

1.補

で、なぜつくるのか。先日のシンポジウムでは、建築家として都市にどうアプローチするつもりかといった質問がされていましたが、僕はそんなことはどうだっていいやと思っています。・・・僕は建築をつくり続けてきたから、自分の考えていることをたまたま建築によって表現するだけであって、まず僕が建築をつくりたいと思うのは、建築というフィルターを通すことによって、自分が今の社会の中で何をしなければいけないかとか、何を考えなくちゃいけないかということが少し見えるような気がするからですね。(伊東)

2.

いまだに世の中は計画というものがまだあると信じているところがあって、これが世の中をムチャクチャにしていると僕は思っています。(磯崎)

建築がその国や社会を体現するものとしてではなく、より個人的な人間の身体的な部分との関係の中で位置付けられようとしている(千葉)

先ほど磯崎さんが言いかけた「計画」という話は、個人の責任をどんどん曖昧にしていく。個人が関わるべきものであるにもかかわらず、あらかじめ「計画」という概念があって、最適値がもともとあるんだと考えて、その「計画」に乗ろうと思ったわけですね。そこでは個人がどんどん抽象化されてきて、個人という関わり方ができなくなってくる。(山本)

その使い方のきっかけになるようなもの、それを僕は最近「空間の地形」と読んでいるのですが、その地形をどうつくっていけるのかが今後ビルディングタイプに頼らない一つのアプローチだと思っています。(千葉)

文化的に刷り込まれてしまった身体を偶像破壊して、そのようにカテゴライズされてしまった身体をさらに解体するということをやっていかないと、生々しい身体になかなかたどり着けない。(山本)

3.

マーケットと直接的に結びつく方法をもたなければダメだと思っています。今までの建築ジャーナリズムは、この側面では役に立たない。もうちょっと広範な、そして非常にダイレクトなコミュニケーションの仕方をマーケットとの間でもたないと、これからは進めようがない(石山)

そのとき機能とは空間をある一定の方向に追い込むための一種のアリバイにすぎないのではないか。(青木)

自分にとって切実な問題を超えて正論を言うのはずるいですね。どうして身の丈でやれないのかなぁ。とにかく、そういうことを、少なくとも僕より若い世代にはもうやって欲しくないなあと思います。(青木)

今の世の中はこうだからという言い方は、僕は嫌ですね。何かをつくることから、結果として一般論みたいなものが出てくることはよくあることですが、先に一般論があって、その適用として個別の建築があるというのはもういいのではないですか。(青木)

どうやって食っていったらいいのかというと、設計図がもっている意味をもうちょっと拡大すればいいんだということになるわけで、建築設計がデザインだけではないところにまで踏み込まざるを得ないのではないかと考えています。(石山)

4.

新しい建築のための5つの問い
■住むための「場」:機能主義的な機械としてではなく、より根源的な「住むための場」をつくること。「場」は「きっかけ」「手掛かり」といってもいい。新しい原始性の模索
■不自由さの建築:何もない不自由さではなく、人間にとって「自然」のような、行動を喚起する、快い異物の不自由さ。
■かたちのない建築:機能的にも、存在としても、自律していないこと。完結していないこと。不完全性のもつ可能性。都市。
■部分の建築:全体性を規定せずに、部分から建築を構想することで、今までとは全く異なる、複雑さ、不完全さの建築を生み出すことができるかもしれない。
■弱い建築:複雑さ、多焦点、分散、隣接関係、相対性、不自由さ、不完全性、曖昧さ、喚起する、新しい原始性・・・。
(藤本)

囲碁とか天気予報と言っているときはダイナミックで面白い話なんだけれども、それを建築というものに落としてきたときには、どうなるのだろう。固定してしまうものなのか、あるいは動いて装置のようになっていくのか。最終的に建築にどう到達させようとしているのか(藤本)

私は「かたち以外のことを考えたことがない」(篠原)

最も激しい象徴性と最も強い具体性とが一つになったものが「野生」であるということです。(『野生の思考』レヴィ=ストロース)(篠原)

50年前からの各断面で私がお話しようと思ってきたことの一つは、その時点での自分の「今」が、何かのメカニックで「この先に」変わってきたことです。(篠原)

常にさかのぼっていきたいという気持ちがあるんですね。それは未来のことを考えるときにでも、ある種のプリミティブな状態に立ち返って、今までに試みられなかったことがないもののつくり方で、もう一回全部を構築し直したいという思いがあります。(藤本)

5.

そうしてつくりだされたビジョンが、嘘っぽくてリアルじゃないと分かっていても、そればかりを公共投資でやってきている。だから、再生のシナリオとは違う方向があるのではないか。(内藤)

素材の向こうに先端のエンジニアリングを見たり触れたりしたい(内藤)

当面感のある建築は、たいていの場合、抽象的なイメージを建築として再現しようとした結果だと思うんです。・・・僕らのやり方としては、そういう、いったん抽象化するプロセスには実はあまり興味がなくて、よりダイレクトに社会に反応することで建築をつくりたいという気持ちがずっとしています(曽我部)

「愛着のプロデュース」という言い方にすごく興味がある・・・「建築に何が可能か」ということよりも、「建築家に何が可能なのか」という問題設定ではないかと思います。(曽我部)

説明できることは流通しやすいことで、本当に大切なことは、どうあっても説明できないことではないか。つまり、建築家の一番のコンテンツは、建築の中にしかなくて、言葉の中にはない。(内藤)

建築には無意識の世界―言語化できない世界―に働きかける力があると思っているんです。・・・だから、今の日本の街並みによって無意識の世界がつくられていくのは良くないなという感じがします。(藤森)

同潤会に対しては、歴史としてみてしまう。それは歴史上のある特異点であって、その特異点を美しいオブジェクトとして見ることもできるという理解です。団地というものは、僕にとって、もう少し肉体化されているというか、歴史上の特異点ではなくて、なじんだ風景であり、引き受けざるを得ないようなもの(松原)

(『文学における原風景』奥野健男より)その次の問いが面白くて、ではそういう原っぱも路地もなくなってしまった世代は、一体何が原風景なのかと。彼らにとってはもっと無機的なものではないか。あるいは団地の風景でもいいけれども、彼らには風景の叙述がないんですね。いきなり部屋の中での会話で始まるということを言っています。(槇)

藤森さんは絶望したけれども、見ようによっては悪くない、と皆で言い訳しながらやってきたわけですよ。・・・だけど「それは本当なのか?」ということをもう一度考えたほうがいいのではないかと僕は思っているんです。
・・・たぶん建築が人間社会に対してできる究極は、例えば社会が経済的なクラッシュで疲弊し、人間も疲れ果てたときに、僕達が今やっている仕事が何の支えになるのかということが、建築のきわめて本質的な役割なのではないか、街をつくったりすることの役割なのではないかと思うんです。(内藤)

先ほどから東京の街が美しい、いや美しくないという議論がありますが、どっちも当たっているんですよ。・・・(須賀敦子のように街全体が生き物であるかのような見方、愛のある目差し)そういうかたちで街を見ることができるセンシティヴィティが、これからわれわれがどの街に住み、ものをつくり、あるいは旅行するにあたっても大切だと思います。(槇)




課外授業ようこそ先輩「絵本の中の ぼくわたし」荒井良二 (絵本作家)

NHK総合『課外授業~ようこそ先輩』

『課外授業~ようこそ先輩』はとても好きな番組だ。

子供の可能性の大きさや、大人の存在・「在り方」の大切さに気付かせてくれる。

大人が自分自身で「在り方」のようなものを示すことが、子供に対してできる最大のことではないか、と僕が思うようになったのはこの番組の影響が大きい。(あと尊敬できる幾人かの身近な大人)

しかし、気がついたときに見るだけだったので、過去のゲストを見て後悔することも多い。(ビデオそろえたいなぁ)

ということで水曜日はなるだけ観て、一言二言ブログにUPすることを心掛けよう。

今回は絵本作家の荒井良二。
メモをとりわすれたのは残念。
自由で意外性をもつ作風で、児童文学のノーベル賞と称される「リンドグレン記念文学賞」を日本人として初めて受賞したそうだ。

荒井流絵本の極意
その1.線をひくその2.汚すその3.主人公を貼る

頭で考えるより先に身体を動かす。

設計でも「手で考える」というのは大切だ。
身体で考えることはコンピューターではなかなか補えない。

(絵本では)豊かな雰囲気のようなものを届けられればいい、と言うようなことを言ったのが印象的だった。
何か大切なものが含まれていそうな雰囲気。それが直接的なメッセージよりも多くのものを伝えるのかもしれない。

子供のころは「ありがとう」という言葉もなかなか口に出すことが出来ず、小さく頷いている間に相手がいなくなってしまうような子供だったそうだ。

そういえば、少し前の別の番組(世阿弥について)で瀬戸内寂聴が「コンプレックスのようなものをもたない人はものはつくれない」というようなことを言っていた。

(他に「芸術は必ず反権力であらねばならず、易々とは生きられる訳がない。」というようなことも言っていた。寂聴の芸術などに対する言葉は刃物のように切れ味があって好きだ。自分のやってきたことに自信がないとああは言えない。)

荒井のテーマは’子供たちの常識をくつがえすこと’だったようだけれども、これはこの番組に通底しているように思う。

大人の様々なエゴや思い込み、想像力不足な環境に抑えつけられている子供たちは、ちょっとその環境を壊すだけでとたんにいきいきと躍動する

僕も子供たちにとってそんな存在の大人になりたい。
(それが、僕にとって一番の目標なのかもしれない。まだまだ遠い道のりだけども)
[MEDIA]




B020 『壁の遊び人=左官・久住章の仕事』

壁の遊び人=左官・久住章の仕事 久住 章 (2004/12)
世織書房


カリスマ左官師と言われる著者であるが、
「本当に自由なおっちゃんやなぁ」
と言う印象を強く受けた。
「遊び人」というタイトルも伊達じゃない。

好奇心旺盛に、知識と知恵を動員し自らの手で試行錯誤しながら、職業や、国や常識やいろんなものを飛び越えて新しいことを吸収していく。
その姿は本当に自由だ。
職人というと「決められたことをきっちりこなす人」という印象があり、技術や伝統に縛られてそこから出ようと考える事も少ないように思うが、そんなことにはとらわれずに常に新しい可能性に目が開かれている。

一点に立ち止まらずに常に流れ続け、自由に見えるその姿をちょっと、ドゥルーズの思想に被せて見てしまう。

ただし、著者が経験を積み重ねるには、新たな技術を習得するまでの時間的・経済的な負荷を受容する、施主の懐の深さが必要であっただろう。

そこに時代の豊かさを感じずにはいられないが、著者の遊び人的気質と、トータルに物事を捉える親方的気質、先見性といったものがそういうチャンスを呼び寄せたように思う。

それはやっぱり才能でもある。
自分のやるべきことを見つける嗅覚と、オリジナリティーはナカタやイチロー並みで、

「左官界のイチロー」

と、呼びたいぐらいだ。

技術というのは頭で考えてする部分と、身体に覚えさせてする部分とがある。(中略)しかし逆に、今まで身体だけでやっていた技術を、頭でどう処理して変えていくか、それを考えようというのです。(中略)「この技術はこうやる」というのは時間が停止した状態なんです。(p.188)

今、頭と身体、感覚をすべてこんなにうまく使える人は珍しい。
仕事が「頭でする仕事」と「身体でする仕事」に分けられてしまったため、一人の人間の中から引きはがされてしまったように思う。

僕も「頭」にどうしても偏りがちになる。
本当は身体を動かしたり、「試行錯誤」を繰り返したりすることがとても好きなのだが、そこからは遠のきがちになる。
どうしたら、「建築」にこういう仕事の仕方を引き寄せられるだろうか。
それは、僕が建築を続ける上で重要な問題だ。

時には藤森照信や象設計集団にあこがれたりしてしまうのである。

だいたいが楽天的な人間なので、あまり後ろ向きには考えないんです。根っから、楽しんでやってやろう、というせいかくなので、苦労を背負い込まないんです。だから、苦労に苦労を重ねてこんな成果が生まれた、という感じはない。むしろ、こんなに楽しんでこんな成果が生まれた、という感じです。(p.195)

そう考えたら、「決まり」というのはないのだと思えてくる。「何でもあり」だと思うのです。左官だからこういうことだけやれればいい、などということは全然ないんです。楽しくて面白くて、自由でいられる、それが僕にとっては最高なんです。(p.196)

正しいか正しくないか、とやりだすと、どんどん世界が狭くなるんです。広がらない。そういうのは僕の望む人生ではないんです。(p.200)

こういうところだけみると、今の若い世代の(一部の人が持つ)自由さや可能性のようなものを感じる。
若いなー。
若者よりずっと若い気がする。

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B011 『自分の頭と身体で考える』

養老 孟司、甲野 善紀 他
PHP研究所 (2002/02)

最近「ふけた」「ふとった」といわれることが多くなった。
それで、最近『ウォーキング』なるものをしなけりゃならんか、と思ってしまった。

不覚にも。である。実際少しばかりやってしまった。

目的のない「散歩」はとても好きである。
しかし、「健康」を目的にした「ウォーキング」というものには昔から違和感を感じていた。
「ジムのマシンでウォーキング」にはなおさら違和感を感じる。
なぜ、身体を動かすために金を出さなければならないのだ。
ケチで言ってるのが大半だが、『身体』を金でどうにかしようというのはどうも腑に落ちない。
「サプリメント」もしかり。

おそらく、ストレスが多く、健康を守ることも困難な現代社会を生きるには必需品。 ということなのだろうが、 その、アメリカ的な何でも意識でコントロールできると思っている傲慢さと、一見合理的に見えて、実は単なる対処療法でほとんど本末転倒な思想が嫌なのである。

変えるべきは現代社会のほうだろうに、対処療法は原因を補強する。
ほとんど罠である。

罠にはまるのはシャクである。

危うく罠にはまるところであった。

僕は、心の片隅では、いざサバイバルな状況に放り込まれたとしても生きていける、最低限の身体と、『野生』を手放さずに生きていくことが、『生物』としてのマナーだと思っている。
それは、僕のなかでは僕が自然の世界にとどまれる『境界線』なのだ。
(そんなことは関係なく、僕が自然から抜け出せるはずもないのだが)
しかし、これほど脂肪がついてしまってはまったく説得力がない。このままではこの『境界線』を手放さなくてはならなくなる。
それはそれでよいだろうが、罠にはまるのはシャクである。
損な性格である。

そこで、名案を思いついた。
はじめて人力以外で動く自転車(原動機つき)を手に入れたのだが、我がチャリンコを復活させて、これで通勤してやる。

やけである。

しかし、これで、やせる。体力がつく。環境を破壊しない(つもりになれる)。ガソリン代が浮く。事故に会う確立が減る。ボケーっとできる時間が増える。早起きが出来る。ちょっとした悲哀を感じられる。世の中を斜めに見れる。などなど様々な特典を得られる。
なんと合理的なのだろう。ここで躊躇してしまっては僕は非合理的な人間ということになる。

今日(27日)事務所においていたチャリンコのパンクを修理し、乗って帰ってみた。
どうやら40分ぐらいで家に着きそうだ。
なんだ。楽勝である。むしろ期待はずれだ。

そういえば僕が東京にいるころ定期代がもったいなくて小田急線の千歳船橋のアパートから六本木の事務所までチャリンコで1時間かけて通っていたのだ。
あのときのほうが僕は野性味を持っていた。

これで、野性を取り戻せると思ってウキウキ、ウッキーとしだした矢先に擦り切れていたタイヤがついに破けてパンクしてしまった。 もうこのタイヤはだめだ。

これで、週末までチャリンコはおあずけとなりました。

前置きがながくなりましたが、この本について。養老孟司は好きである。
ちょっと売れすぎたけど、昆虫好きだから。甲野善紀も好きである。
丸山弁護士に似てなくもないけど、顔が不敵だから。

両者とも強烈なオリジナリティーをもっていてかっこいいのだ。
NHKか何かで甲野善紀のわけのわからない動きと、わけのわからない自信を見てすっかりファンになってしまったのよ。

二人の対談はなかなかになかなかで、当たり前のことばかり言ってるが、それがオリジナリティだと感じさせる。

きっと、僕も似たようなことを感じている。はず。

何か大きなものに飼いならされていない『ぐれ』続けている二人は素敵である。




B005 『CASA BARRAGAN カーサ・バラガン』

齋藤 裕
TOTO出版 (2002/04)

メキシコで活躍した建築家、ルイス・バラガン(Luis Barragan 1902-88)の住宅の作品集、というより写真集。建築家の斉藤裕が解説を加える。
テレビなんかでも紹介されたりするので、比較的知られている建築家だが、恥ずかしながら僕はじっくりと作品集を見るのは初めてだった。
掲載されているのは、バラガン邸、プリエト邸、ガルベス邸、サン・クリストバル、ギラルディ邸です。

とにかく、単純に、美しい。

『静けさは、苦悩や恐れを真の意味で癒します。どんなに豪華な、あるいは、ささやかな家であろうとも、静けさに満ちあふれた住まいをつくることは建築家の使命なのです。・・・』ルイス・バラガン

斎藤裕の解説文のタイトルが『生の謳歌』であるように、静けさのなかから生命感が溢れ出してる。
そういう感じです。

しかし、それはいったいどこからくるのだろうか。

バラガンの住宅はモダニズムの手法による徹底した抽象化という印象を受けるのと同時に土着的な、身体的な感覚を受ける。
この両者のバランスが、すばらしいのだ。抽象化とはこういうことか、と思わされる。

抽象化はまさしく日本建築のお家芸であったであろうが、バラガンは面の構成や色などにによって、物質を、光を抽象化する。
抽象化によって余計なものは削ぎ落とされ、自然、世界そのものを受け止める素地ができ、静けさのなかから生命感が溢れ出しているような場所と時間が生まれる。

また、バラガンはアシエンダ(大農場)の昔の記憶、原風景と呼べるものを大事に抱えていたようである。
そういうものがバラガンのバランス感覚を支えていたのだろう。
それは、バラガンの、そしてメキシコのものである。

おそらく、自分のなかにも原風景と呼べるものはあるし、割合大事にしてきているほうだと思う。
奈良の田舎で走り回った風景、遊び、屋久島の自然と生活・・・そういったものを改めて見つめ直したい気持ちになった。

また、この本で印象に残ったのは、建築家と施主の幸せな関係である。
施主はバラガンの住宅に誇りを持ち、感謝し、大切に住み続けている。

バラガンは幸せだ。

住宅もひとつの環境である。
環境とはおそらく与えられるものではなく、「関係」でしかないと思う。
施主と住宅(願わくば環境の全て)の「関係」をつくる手助けすることが建築家の職能のひとつだと思うのだが、今はそういうことは忘れられ、住宅でさえ商品となり、人々は受身で住宅を消費する。

自分の住宅(環境)と「関係」を結べるのは自分にしかできないのに。