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生命、循環とエントロピー B294『エントロピーから読み解く生物学: めぐりめぐむ わきあがる生命』(佐藤 直樹)

佐藤 直樹 (著)
裳華房 (2012/5/20)

循環をエントロピーの視点から捉えたかったのと、生物の循環に対するシステムに大きなヒントがあるはずと考えていたため、本屋で関連がありそうな本を探して見つけたもの。

しかし、本書を読んで分かったのは全く逆で、あらゆる資源性(エクセルギー)は、エントロピーというゴミがうまく排出され循環の中に位置づけられることなしには機能しないため、重要な問題はエントロピーの方にある、ということだった。資源性を第一とするイメージは未だ近代的な世界観に囚われてしまっていたのだ。エントロピーは熱力学という限定的な学問分野の一つの法則である、というイメージを持っていたが、そのイメージにとどまらせていては、全体を見る視点は得られない。エントロピーは地球の活動と生命を含む、あらゆる循環を司る番人なのである。(オノケン│太田則宏建築事務所 » あらゆる循環を司るもの B292『エントロピー (FOR BEGINNERSシリーズ 29) 』(藤田 祐幸,槌田 敦,村上 寛人))

奇しくも、アフォーダンスもオートポイエーシスも構造ではなく、機能・はたらきへの目を開かせてくれた。 しかし、建築として<かたち>にするには、何かパーツが足りていない気がしていた。 本書を読んで、その足りていない<パーツ>の一つは、「流れ」と「循環」のイメージ、及びそれに対する解像度の高さだったのかもしれない、という気がした。 その解像度を高めつつ、それが素直にあらわれた<かたち>を考える。そして、あわよくば、そこにはたらきが持つ生命の躍動感が宿りはしないか。 そんなことに今、可能性を感じつつある。(オノケン│太田則宏建築事務所 » はたらきのデザインに足りなかったパーツ B274『エクセルギーと環境の理論: 流れ・循環のデザインとは何か』(宿谷 昌則))

ここでも、日本のこれまでの伝承形式の限界を感じる。(知恵や技術が伝承される際、その意味や目的が、様式に埋め込まれた形で背後に隠れてしまうため、様式が変化すると意味や目的も同時に極端な形で失われてしまう) この2冊はその意味や目的を再度問い直すものであり、多くの共感者(特に若い人たち。今では建築の学生でも土中環境と言う言葉を使う人が増えているように思う。)を生んでいるのは、心の何処かで違和感を感じて納得できる知恵を求めている人が多いからかもしれない。(オノケン│太田則宏建築事務所 » 水と空気の流れを取り戻すために何ができるか B280『「大地の再生」実践マニュアル: 空気と水の浸透循環を回復する』(矢野 智徳))

循環のイメージをよりクリアにしたい、とのことで本書を読み始めたけれども、前半はエントロピーという言葉はほとんど出てこず、生物学的な基本的な構造の説明が主だったため、門外漢の私にはなかなか入り込めなかった。
これは買う本を間違えたかな、と少し思いつつも読み進めると、後半、前半で読んだことが一気につながって、最後には大きなヒントが得られたように思う。もしかしたら、これまで生命をオートポイエーシスシステムとして捉えていた中で、足りていなかったもう一つの重要なパーツを埋めることができたかもしれない。

めぐり、めぐむ わきあがる生命とオートポイエーシス

本書のサブタイトルは「めぐり、めぐむ わきあがる生命」である。
「めぐる」とは、さまざまなものが循環するサイクルを、「めぐむ」とはそれらの多様なサイクルが互いに関係しあい、何かを渡しあっていること(共役)を、そして「わきあがる」とはそれらのめぐりめぐむ多数のサイクルが、全体としてもう一つ上の階層のサイクルとしてめぐりはじめることを示している。

本書では、分子レベルから、細胞や生物個体、生態系や地球環境など、さまざまなスケールのサイクルを示す図が多数取り上げられている。

例えば

▲光合成を行う植物と、呼吸を行う動物の間の循環がイメージできる図。
植物の光合成では、太陽からエネルギーを得ることで二酸化炭素を糖(炭水化物)に変える。そのための還元剤は水が酸化し酸素を生じさせるもう一つのサイクルによって機能する。
一方、動物の呼吸では、糖が酸化し、二酸化炭素へと変わる。そのための還元剤は酸素が水へと還元されるもう一つのサイクルによって機能し、その際にATPにエネルギーが蓄えられ、動物の様々な活動に使われる。
二酸化炭素と糖、水と酸素の2つの循環が、太陽からのエネルギーを形を変えて受け渡す。



▲炭素と窒素なども循環している。窒素固定を行える生物は根粒菌やシアノバクテリアなどに限られ、窒素固定のシステムは地球の生命の歴史の中でただ一度しか発生しなかったのではと言われているそう。


▲太陽から始まる地球のエネルギー収支はおなじみ。

本書はこれらの、めぐり、めぐむ、わきあがるサイクルから生命とは何かに迫ろうとするのだが、これらは、はたらきが駆動しつづけることで境界をつくりだすオートポイエーシス・システムと、それらのカップリングにより、より上の階層のオートポイエーシス・システムが駆動すること、と考えられるな、と思いながら読んでいた。(本書ではオートポイエーシスについては触れられていない)

しかし、本題はここからで、そのイメージに足りていなかったパーツが埋められることになる。

不均一性と生命

生命をオートポイエーシス・システム、もしくははたらきと捉えることで、生命の独自性をイメージすることができるようになる。
自走するはたらきを内にもつことそのものが生命を生命たらしめているのである。

しかし、それがなぜ、駆動し、自走し続けるのか、ということは、欠けたパーツとしてイメージを持てておらず、そういうものだと思うしかなかった。

そこで不均一性、エントロピーが登場する。

不均一性とは、エントロピー差のことで、秩序だっていることである。
秩序は一見、均一性を持ちそうなイメージがあるけれどもそうではない。世界は必ず、不均一な状態から均一な状態へと移行しようとするが、それに抗って、不均一な状態を維持すること、いわば不自然な状態を維持することが秩序である。
そして、秩序は不均一な状態から均一な状態へと移行する能力を持っている。エントロピーが小さく、エクセルギーを持つ、とも言い換えることができる。

ここで、結論を言うと、生命とは、エントロピー増大の法則に抗って、不均一性を維持するシステムなのだ。そして、この抗う力はやはり太陽から得ている

生命は、一つは、光合成によってエントロピーを減少させることで、システムを駆動する力(エクセルギー)を得ていること、もう一つは、その駆動力の一部をつかって、システム自体の構造を生み出す力を生み出すこと(遺伝子情報の複製・利用・変異)、の2つによって、オートポイエーシス・システムの自走を可能にしたものであるといえる。
(本書では、情報そのものが不均一性である、と書いているが、そこは明確には理解できなかった。おそらくここが重要なポイントだと思うので今後の課題にしたい)

光合成によって生じた不均一性は、めぐりめぐむサイクルの中で他のサイクルをめぐり、そして上の階層のサイクルへとめぐりめぐむ。その循環が、分子レベルから個体、さらには生態系へとめぐっていく。それらはいずれも、常に均一へと至ろうとする世界の中で、それに抗い不均一な状態を生み出そうとする営みである。(そういう意味では、生命ほど不自然なものはないかもしれないし、その不自然さが生命に何か不思議な力を感じさせるのだろう。)

さらに、生命の進化もこの不均一性を生み出す営みの中で説明される
秩序を持った遺伝情報は、秩序を失い、多数の変異多様性へと向かう。その大量の多様性の中から選択されたものが新たな種へと固定する際に、情報のエントロピーは減少する(秩序が生まれる・不均一性が増す)。
進化とは、一見多様性が増し、エントロピーが拡大するように思えるが、全体を見ると、生命が不均一な状態を生み出そうとする営みの一つとすることができる

また、著者が、エントロピー差もしくはエクセルギーのことを「不均一性」と呼ぶことには意図があるように思われる。
エントロピーもしくはエクセルギーと言った場合、何かしら機械論的・直線的に全てが決まる印象があるけれども、(これも物理的には説明ができると思うが)世界には確率論的な揺らぎがあり、階層的なシステムは複雑系としての単純化できない何かがある。その何か不思議さのようなものに対するニュアンスを、生命に対する敬意も含めて「不均一性」という言葉に込めているのではないだろうか。

いずれにせよ、生命がなぜ、駆動し、自走し続けるのか、ということに新たなイメージを得られたことは大きな収穫だった。結局のところ、地球というシステムはすべて太陽からの恵みを循環させることによって成り立っていて、それに対する敬意はやはり失くしてはならないのだろう。そして、そのイメージをクリアにするためにエントロピーという概念は有効に違いない。

余談 資本主義について

本書では、生命の原理に迫ることにとどまらず、最後は、そこから「不均一性の哲学」と呼べるものを描き出そうとしている。(それはまだ体系的なところまでは行っていないが、それを素描することが本書の本当の目的だろう)

その中で、一部、経済格差についても触れられている。

本来、放っておけば、お金はみんなに均等に分配されそうなものだが、こうしたエントロピー的な均一化する力に対して、経済を活性化しようとする力は富を不均一化し、大きな富をもつ者を少数生み出す。これは「温度」が高いことに相当する。これでわかるのは、経済が活発で好景気のときには、全員が豊かになるのではなく、貧富の格差が拡大するのである。(p.194)

こうしてみると、格差を拡大しようとする資本主義は、エントロピー増大の法則に抗い不均一性を維持しようとする生命の本性に従うものなのかもしれない。

資本主義が、どこかで循環を可能とする持続可能性を獲得するものなのか、それともがん細胞のように循環の原理を無視した一種のバグだったとなるのかは分からないが、生命とエントロピーの視点の中に位置づけられたことは一つ視点を上げられたかも知れない。自分がどう向き合うかは別にして、繁栄も破滅もおそらく地球の営みの中の一つに過ぎないのだろう。

著者の言う「不均一性の哲学」とも呼べる視点を獲得することには大きな可能性を感じるので、引き続き関心を持っていたいと思う。(エントロピー経済学に関するものも一度は読んでみよう)


一生のうちに一度は、こういうものを結晶化させたものをつくりたいけれども、そればかりは機会を待つしかないな・・・




手を添えるテクノロジー B276『民家の自然エネルギー技術』(木村 建一 他)

木村 建一, 荒谷 登,石原 修,浦野 良美,伊藤 直明,小玉 祐一郎,渡辺 俊行,吉野 博,宿谷 昌則,田辺 新一,岩下 剛,谷本 潤 (著)
彰国社 (1999/3/1)

昔からの民家を工学的に捉えたものは論文などではいろいろと見つかるけれども、まとまった書籍として出てないだろうかと探して見つけたもの。(本書でも宿谷氏が一部執筆されている。)

本書は当時の文部省による科学研究費補助総合研究『伝統的民家における自然エネルギー利用技術の現代的適用に関する研究(1994-1996)』の成果を抜粋・再構成したもので、その内容は多岐にわたる。

通風形式による民家の分類

その中で代表的な民家の特徴を3つに分類すると、周辺環境を調整した上で水平方向に開放する「通風型」(農家)、地盤の冷却力と冷えた空気が下に滞留する性質を利用して上方へ開放する「熱対流型」(町家)、それに加えて、開口部を絞り込み遮熱性と熱容量を高めた「閉鎖型」(蔵)に分けられるように思う。(「閉鎖型」は筆者による)

現代の断熱性能に特化する傾向の強い住宅は「閉鎖型」が近いだろうか。
これらのうち、「通風型」と「熱対流型」について書いておきたい。

「通風型」の民家

通風型の民家は、一番イメージしやすいであろう茅葺屋根の農家である。

まず、高い断熱性能と保水性を持つ茅葺屋根、深い庇によって、夏の日射を遮る。
開口部は比較的大きく開放的で風通しが良いが、深い庇と軒の低さ、格子や簾の遮蔽材、奥行きの深さと高い天井高などによって中は総じて暗い。
また、土壁や土間が蓄熱体として存在している。
その民家を周囲の水や緑を通過した涼しい風が通り抜け、風向きは安定している。

つまり、日射遮蔽の徹底通風利用夜間蓄冷熱利用自然冷熱源の利用によって、夏季の過ごしやすさを求めたのが「通風型」の民家といえる。

ここで、茅葺屋根の熱伝導率は『茅葺き屋根の居住性を評価するための屋根の熱移動係数』によると0.041W/mKである。
もし、茅葺屋根の暑さが60cmとすると熱抵抗値は0.6/0.041≒14.6㎡K/Wとなり、現代においても超がつく高断熱といえる。
茅葺屋根が昼の日射を十分に遮ることで昼間の室内気温と表面温度の変化を和らげるとともに、保水性の高さによって、雨天後の蒸散による冷却をも可能とし、夏の涼しさを生む。
(これだけ熱抵抗値があると蒸散による室内への冷却効果はほとんど現れなさそうに思うが、実測研究では雨天後の気温上昇を抑えられたようだ。同研究による屋根内の結露センサー抵抗値の実測では降雨により深さ20cmの地点の抵抗値が上がっているので、茅葺屋根の持つ保水性・浸透性が関係しているのかもしれない。)

一方、土壁の熱伝導率は0.7W/mK程度だそうなので、厚さ30cmだとすると熱抵抗値0.3/0.7≒0.43㎡K/Wとなり、こちらはあまり高くない。(グラスウール16K 10cmで2.2㎡K/Wほどなのでその1/5程度)
しかし、比熱は1100kJ/m3Kと高く、厚さ30cmの土壁の面積あたりの熱容量は330kJ/㎡Kとなり、厚さ15cmのコンクリートと同等である。
このことが、深い庇が壁への日射を遮ることと合わさり、夜間に放射冷却された土間と土壁による昼の涼しさを生むことにつながる。

「熱対流型」の民家

熱対流型の民家は複数の中庭を持つ都市型の町家である。
通風型民家と比較した場合に一番の環境の違いは、通風型民家では自然冷熱源であった周辺環境が、ここでは高温輻射熱の発生源であることだろう。

通りに対しては比較的閉鎖的で日射及び高温輻射熱を遮蔽し、隣戸との戸境壁の断熱性能も高める。
2階に使用頻度の低い部屋をまとめて、1階の生活空間への緩衝地帯とする。
その上で、中庭、坪庭などの屋外や、通り庭・吹き抜けなどの垂直に抜ける空間を確保し、それと連動するように居住空間を配置する。

中庭には直接日射が当たらないため、1階は比較的涼しく、夜間の冷熱を保持するプールともなり、生活排熱は上昇気流によって上空から排出される。

また、庭の一部に屋根を設けたところ風が吹かなくなった、という報告があるように、複数の庭があることが重要なようだ。
上空の気流や、庭の状況、散水などによって、複数の庭の間に圧力差が生まれ、その間の居住空間に風向は安定しないが微風が生じる。
これが、土間や床下の冷気を運びさわやかな冷感を生む。
(屋根形状によって効果を上げることは考えられそう)

この様に、外部遮蔽内部開放型の空間構成複数の井戸型上方開放空間地盤側の巨大な熱容量それらによる冷熱プールと微風の発生によって、夏季の過ごしやすさを求めたのが「熱対流型」の民家といえる。

まとめ

これらは、環境に適応するかたちで長い時間をかけて培われてきた知恵だと思うが、開放型と熱対流型の2つのケースを横に並べられたのが本書を読んでの一番の収穫かもしれない。

それを現代においてどう活かせるか。

ここであげた、民家の工夫は吉田兼好の「家のつくりようは夏をもって旨とすべし」の通り、夏に対して効果を発揮するものが多い。
夏と冬とでは求める機能が違い、相反する要素も多い中、その矛盾をどう解消するのか、というのが第一の課題だろう。

また、当時と比べて周辺環境や温度環境も厳しくなっているだろうし、人々の要求水準も高くなっている。
そんな中、断熱強化とエネルギー投入による力技にテクノロジーを使うだけでは、人々の根本的な意識や姿勢は変わり難いように思うし、ベクトルとして何か楽しさや生命感を感じる方向にも向き難い気がする。
そうではなく、自然の原理を利用する昔の知恵をもっと発展させたり、加速させるために、テクノロジーが手を添える。そんなことが考えられるといいなと思う。(そのヒントは通風と蓄熱にありそう)

何より、こういうことを考えやってみるのは楽しいことだ、というのが最近の実感だ。

単純に性能値を上げるのが考えることも少なく簡単だし、気密断熱の効果の大きさも実感している。そこをどうずらし整合させるか、というのが一番の課題かもしれない。

そのためには思想と理論と実感、どれも必要な気がするし、どこかでこれでいいじゃん、というポイントが見えてくる気がする。
今のところはそのポイントがクリアに見えているわけではなく、見えてくる確証があるわけでもないんだけど、経験と実感による勘では必ずあるはず。
(だって、中途半端とはいえ、それなりに断熱性能を上げた馬屋2階の事務所より、無断熱の平屋母屋の方が過ごしやすいんだもん。冬は母屋は寒すぎるけど。)

何か、今まで培われてきたちょっとした常識がブラインドになっている気がするな。




道理と装置 B275『エクセルギーハウスをつくろう: エネルギーを使わない暮らし方』(黒岩 哲彦)

黒岩 哲彦 (著)
コモンズ (2014/5/3)

前回読んだ本と関連して購入。『エクセルギーと環境の理論』でも著者の実践例が紹介されていた。

著者は、1198年に『エクセルギーと環境の理論』の著者の宿谷氏の研究室を訪ね、その後宿谷氏や当時大学院生だった高橋氏と協力しながら本書で紹介されている建築の構成を開発するようになったようだ。
(宿谷氏と高橋氏を含むメンバーは、2000年頃に『スレート葺き屋根の二重化と散水が日射遮蔽効果に与える影響に関するエクセルギー解析』という論文を発表している。)

エクセルギーハウスの二重屋根採冷システム

主要なシステムの概要としては、タンクに貯めた雨水の持つエクセルギーを太陽熱温水器なども活用しながら夏冬ともに活用するとともに、夏は二重屋根の間での散水による蒸発冷却によって天井の温度を下げるというもの。(その他にもいろいろ工夫があり、各地で実践もされていて面白いのだけど、ここでは二重屋根についてのみ触れたいと思う。)

二重屋根に関しては、二重屋根彩冷システムと言うよりは、小屋裏彩冷システムと言った方がしっくりくる。

まず、ある程度の断熱性能を備えた屋根により日射を遮蔽する。
その上で、天井の小屋裏側に貼ったガラスクロスの保水層に散水することで、持続的に蒸発冷却が行われるようにする。
また、天井材を熱抵抗・熱容積の小さいガルバリウム鋼板とすることで蒸発による影響をストレートに伝え温度変化を大きくする。
この小屋裏空間には風量調整の可能な窓(蓋)が設けられており、夏季に十分に換気が可能となっている。

実測研究の結果を見ると、室内温度は最高35℃程度まで上がったようだが、天井温度は24.5~28℃の間で推移し、室温より最大で8℃近く下がったという。(『雨水の蒸発を利用した二重屋根採冷システムの室内熱環境に関する実測と解析(2003 黒岩哲彦 高橋達)』)

人は室内気温より周囲の物体の温度が低い方が快適性を感じやすいそうだ。室内気温は一般的な常識で考えるとそれなりに高温だが、上の論文では入居者は概ね涼しさ・快適さを感じているようだった。

道理と装置

実際に屋根散水をやってみて(そして失敗に終わって)痛感したことだが、何かを工夫をするとしても、その理屈にそぐわないことをしても当然結果は出ない。
そういう意味では、研究者と協力しながら開発したこのシステムはやはり理に適っている。(どう理にかなっているかだいぶ分かるようになったのは、失敗してその原因を考えられたおかげだ)

しかし、理に適い過ぎているような気もする。

例えば、装置と道具について考えたときに、装置は、自動化されたもの、もしくは操作するもの、という身体とは切り離されたイメージがあり、道具は自ら扱うもの、身体性を伴うもの、というイメージがある。 そう考えると、「21世紀の民家」は装置であるよりは道具であるべきだ。 しかし、やはり家は道具ではない。「21世紀の民家」は道具であるよりはやはり家そのものであるべきだ。(オノケン│太田則宏建築事務所 » 21世紀の民家 B272『生きられた家 ー経験と象徴』(多木浩二))

これは、全く個人的な感覚だし、図や写真のみを見て「気がする」という程度のごく僅かな引っ掛かりに過ぎないのだが、その引っかかりの原因はなんだろうか。

一つは、大きな天井面が一つの機能と一対一で対応しているという、機能の現れ方とスケール感によるものだろうか。何か天井が人に対して背を向けているような感じをほんの少し感じ取ってしまう。

また、もう一つは、ガルバリウム鋼板という素材の持つ工業性と平坦さ、厚みのなさによるものだろうか。例えば、上からキメ・質感のある材料を塗ることで緩和することは可能だろうか。

あるいは、自動化されたシステムが目に見えないところに隠れていることによるものだろうか。何らかの方法でシステムを見えるようにしたり、関わる余地を取り入れることで引っかかりが楽しさに変わることはあるだろうか。

ぼんやりしているけれども、これらが何か装置ということばを頭に浮かび上がらせ、家との間に距離を感じさせるのかもしれない。

システムとしてよく考えられていて、とても参考になるし、批判するような意図は全く無いのだが、ごくごく個人的に何か重要なことがこの引っ掛かりに隠れている気がする。




電子工作で屋上散水を自動制御した結末の話

断熱はそれなりの施したので夏を乗り切れると思ってたけれども、今年の夏はなかなか厳しい。

少し前にテンダーさんのラボにお邪魔した時に、屋上散水を試してみようかと思っている、という話を聞いていた。
あわせて、手頃な価格でarduinoというマイコンがあって、プログラムが扱えるならいろいろ制御できるかも、という情報も頂いていた。

これは屋上散水、いっちょやってみるか。

と、いろいろと勉強しながらも行き当たりばったりでやってみたので、その結末を含めて書き残してみる。

つくってみたシステム概要

つくってみたシステムは下図の感じ。(画像はクリックで拡大)

簡単にいうと、井水を電磁弁で制御し、屋根及び東面の大窓の前に垂らした簾に散水する。

電子回路を組んで作成した制御システムでは、屋内の室温と天井温度、屋外の照度と気圧、温度をセンサリングする。
それをarduinoにデータを取り込み、その数値に応じて散水間隔を変化させてリレースイッチで電磁弁のオン・オフを切り替えた。

合わせて、取得したデータはSDカードに記録して、PCで管理、CADソフトでデータ処理して可視化する。
可視化したデータを分析して、プログラムを修正するというサイクルを回して、最適化を目論んだ。

簾への散水ははじめは計画していなかったんだけど、もともとあった井戸ポンプの性能上、屋根上までの水圧がかかっているとポンプが稼働しないことが判明したためとりいれた。(中間の加圧ポンプを導入する前)
これが、簾への散水と、電磁弁が閉の時に水圧を下げるための水抜き機能を兼ねる。(散水はどちらもホースにカッターで適宜穴あけ)

それで、ある程度は稼働したけれども、最初設置していた屋根上スプリンクラーの圧が足りず、途中で加圧ポンプを追加した。
それでもまんべんなく散水が出来なかったので、屋根上のスプリンクラーを穴あきホースに切り替えた。

外から見たらこんな感じ。

簾への散水。効果の程は分からないけど見ているだけで涼しげ。

そして、屋根散水。穴開きホースの穴を調整してある程度はカバーできるようになった。

回路を組む

なにしろ初めての事だらけで、配管も電子回路の組み立て、プログラムも失敗しながら試行錯誤を繰り返した。回路のハンダ付けなんて小学生以来。

最終的に制御システムの回路図は下記の感じ。


気圧温度センサーがなぜ2つあるかというと、センサーにペットボトルをカットしたものを被せて雨がかかりにくいようにして、外からはしごで設置したんだけど、カバーのせいか外気温が過大な数字になる傾向があったため。
もう一度はしごで取り外して修正するのは怖くて嫌だったので、温度センサーとしての目的で同じものを室内に穴から外に棒で突き出して追加することにした。(品番HW-611をarduinoのフォーラムで検索して、SDOに電源をつなぐとI2Cのアドレスを0x77から0x76に変えられることが分かった。これで0x77と0x76の2つを制御できます。)

arduinoのコードは投稿の最後に付けておきます。

結果は・・・

届いた順にセンサーを追加しながらログはうまく取れるようにできた。

天候やエアコンのオンオフが反映されてます。(無料のBルートサービス申し込んだので、電気使用量も今から反映させる予定)
可視化はVectorworksのマリオネットでCSVを取り込んだものを図形として書き出しています。以前やったLadybug toolの移植で格闘した経験をフル発揮。

サーモカメラで瓦屋根の表面温度をしらべてみる。

表面温度は30度近く下がっている。
これは、かなり期待できそうだ。

晴れた日に散水せずにとったデータと重ね合わせてみると、
▼8/26 散水あり。青が外気温、緑が室内気温、赤が天井の表面温度。薄いのは事前にとった散水なしのデータ。

うん、夜は冷気をとりいれるため窓を開けるように切り替えたので比較のグラフより温度下がっているけれども、昼間は完全一致。

完全一致!?
うーん、散水量が足りないかな。

▼8/28 散水あり。スプリンクラーから穴開きホースに切り替えまんべんなく散水。加圧ポンプも追加。こんどこそ、

うん、完全一致!

▼8/29 散水あり。いやいやいや、気を取り直して

ほら、完全一致・・・
あきらめて冷房入れたよ。まったく。

うーん、うまくいけば自宅や今後の計画に活かそうと思ってたんだけど、ほとんど違いが見えない。
東側の窓は少し涼しく感じるようになったけど、これでは屋根散水の意味ないんでね。

なんでかなーー。
センサリングの問題か、ほんとに効果がないか、わかんないな―

検証

テンダーさんのラボも屋根散水してみたところ、屋根の表面温度は下がるけどほとんど効果が実感できないとのこと。
条件はかなり異なるけれども、これは何かあるはずだ。

なんとか納得できるものを得ようと、建築学会で屋根散水やエクセルギーに関する論文を検索して、概要を片っ端から読んでみる。

そのうちに、こんな論文を発見。

論文の内容を簡単に書くと、「無断熱の屋根散水の効果を実証する論文は結構あるけど、断熱されたものは検証されてないので実測してみたらほとんど効果なかったよ」というもの。

先の論文は、その原因を工学的に分析するところまで行ってなくて、ほんとそうなの?ともやっとする。

うーん、結論としてはスッキリしない。

いろいろ考えた挙げ句、前回のエクセルギー本に日射によるエネルギー・エクセルギーの収支を計算する例が載っていたので、それを参考に、気化熱を反映した計算にトライしてみた。

各種条件から気化熱による値を計算するのはかなり難しそうだったので、気化熱で奪われる熱量を変数として指定する方針で検討。ある程度独立した数字として扱えそうだったのでやってみた。

ついでに、いろいろなパラメーターから日射が室内にどう影響するかをこちらもマリオネットでグラフ化。
そうやって出来たのがこれ。(クリックでPDFが開きます。なかなかの資料だと思う。間違ってるかもだけど。)
→日射エクセルギー
これからかなりのことが読み取れるけれども、断熱性能(熱抵抗値)と蒸散で奪われる熱量との関係を図化した部分がこれ。

気化熱の扱いはもしかしたら間違ってるかもしれないけれども、あってるとすれば、
蒸散によって奪われる熱量と内部に向かうエネルギー、屋根の表面温度の増減は比例するっぽい。
屋根の表面温度は断熱性能とそれほど大きくは相関しない(熱抵抗値が上がると内に向かう熱量が減る分、むしろ表面温度は上がる)。
しかし、内に向かう熱エネルギーとエクセルギーは断熱性能が上がるほど目に見えて減少し、熱抵抗値4.0だと絶対値として気化熱の影響はほとんどうけなくなった。

断熱性能が上がると、内へ向かう熱量ももちろん減るが、伝熱のスピードもかなり減速し、昼夜のリズムの中では他の要因によってほとんどかき消されるものと思われる。

うちの事務所の屋根は熱抵抗値4.3以上あるはずなので、それは効果が実感できないはずだ。暑くなるのは他の要因が大きいのだろう。

ちなみに、テンダーさんのラボは屋根の断熱性能はほとんどなさそうだけど、天井があり、ほとんど換気されない小屋裏空間がかなりの容積で存在する。
その小屋裏空間の熱容量はかなりのもので、そこが熱溜まりとなって屋根散水の効果の多くをかき消していると想像される。

結論(仮)

結論としては、高い断熱性能の屋根では屋根散水はほとんど効果がないため、他の部分で対策を考えたほうが良い。
また、小屋裏空間を設けて、夏はそこを十分に換気するというのも大きな意味がありそう。
断熱性能が低く屋根裏が剥き出しのような建物の場合は、屋根散水の効果がある程度は見込めそうだし、費用対効果は高いと思う。(水道代は未検証。雨水とポンプで考えれば割りと安くできるはず)

ここで学んだのは、例えば蒸散によって冷エクセルギーを得ようとした場合、どこでそれを得るかの考えが重要、ということだ。

私はエアコンが苦手なので、エアコン無しで夏の大部分を乗り切ろうとした場合、どこでどうやって冷エクセルギーを得るか、夜間に蓄冷をどうするか、ということが重要かもしれない。その際、植物の振る舞いはとても参考になりそうな気がしている。

窓の向きや大きさは大きな要素だけど、断熱性能だけに頼って、窓をとにかく小さくするようなのも、何か楽しくない。

夏冬の相反する条件をうまく対処して、それが楽しさへとつながるような家ができないものだろうか。

こんなに効果ありました―!というブログを書くつもりが、こんな結果になりました。
おかげで、かなり突っ込んで考えられて感覚も掴めてきたので結果オーライということで。

arduinoコード

ボタンスイッチとシリアルモニタからある程度制御できるようにしてます。内容はコード内のコメント見てください。
(メモリの96%を使用。このタイプのarduinoではあまり複雑なプログラムはできなさそう。)
→onoken1.txt
いろいろ購入したもののリストは気が向いたら作成します。(失敗もあり)
主だった購入リストをamazonの欲しい物リストにまとめました。

Amazon 欲しい物リスト

・arduinoは互換品だったけど、今のところ問題なさそう。
・気圧温度センサーは、湿度測れるって書いてたのでこれにしたけど、測れないっぽい。3.3Vではなく5Vのものにしたほうが良かった。湿度測るなら、BMP280ではなくすこ少し高いけどBME280にするべきかと。
・原因は分からないけど、このSDカードリーダーはaruduinoの電源をアダプタから取ったときにうまく作動しなかった。次買うとすれば、もっと定評のあるものにするか、原因を突き止めるか。(追記)アダプタを9V2Aのものから12V1.25Aのものに変えるとちゃんと作動しました。
・接触式のリレーはカチカチなるので、気になる場合は非接触式がいいかも。耐久性も高いそう。
・ポンプなんかはもっと適したものがありそう。井水使わないなら、雨水溜めて、もう少し性能の高いものにしたかな。

あと、買ったものはほとんどが、説明書等が全く無くてものだけだったので、説明書なりメモがついてるものか、ネット上に情報が載ってるものを使ったほうが良いと思った。例えば、LCDやSDカードリーダーも接続等迷って動かすのにそれなりに試行錯誤が必要だった。I2CとSPI通信はだいたい分かったかな。




はたらきのデザインに足りなかったパーツ B274『エクセルギーと環境の理論: 流れ・循環のデザインとは何か』(宿谷 昌則)

宿谷 昌則 (著)
井上書院; 改訂版 (2010/9/25)

別のエコハウス関連の書籍で本書に掲載されている表が載っていたので気になって購入。

エクセルギーとは

エクセルギーは聞き慣れない言葉である。

例えば、「エネルギー消費」「省エネ」「創エネ」などと言ったりするが、厳密にはエネルギーは増えたり減ったり、創ったり、消費したりしない。ありかたを変えるのみである。これは熱力学第一法則「エネルギー保存の法則」であり、この世界の大原則だ。
では、先程の言い回しがどうなるかと言うと、実は消費されたり、生成されるのはエネルギーではなく、エクセルギーである。

エクセルギーは「拡散という現象を引き起こす能力」を表す。
例えば熱が高い方から低い方に伝わって安定したり、濃い液体が薄い液体に混じり合って安定したり、あらゆる現象は基本的に拡散していない状態からより拡散した状態へしか進行しない。この、移行しようとする能力が一般に言うエネルギーの正体であり、エクセルギーと呼ばれるものである。
これは、熱力学第二法則「エントロピー増大の法則」であるが、エクセルギーとエントロピー、そしてエネルギーは切っても切れない関係にある。

エクセルギーは資源性をあらわし、エントロピーは廃棄されるべきゴミである。

また、20℃の物体は、30℃の空気中では空気を冷やす能力を持つ(冷エクセルギー)が、同じ物体が、0℃の空気中では空気を温める能力を持つ。(温エクセルギー)、というようにエクセルギーは環境によってその能力が変わる。

エネルギーの全体量は変わらずとも、そこに偏りがあれば、資源性を持つ。それがエクセルギーである。

エクセルギーは今までのイメージを塗り替える

そのエクセルギーには実際どんな意味があるか。

まず、エクセルギー・エントロピーの概念を導入すれば、例えば何℃のお湯が冷めるまでどれくらいの時間をかけてどういう経過を経るか、というような、さまざまな現象を数値として扱い計算によって導き、その資源性を数字として把握したり比較することが可能となる。また、様々な形態をとる資源としてのエネルギーがどう循環しているか、というのを並列に捉えることが容易くなる。

例えば、「体感温度≒(室温+周壁の表面温度)÷2」みたいなことが言われたりするけれども、もっと厳密に、室温と周壁の表面温度その他の条件によって、人体が消費するエクセルギー、言い換えると人体に対する負荷/心地よさがどう変化するか、といったことを根拠をもって理解することができる。
▲p.79 この図を他の本で見かけて本書を購入した。
それは、熱力学の成果であるが、ある現象に対する今までのイメージをひっくり返したり、新たなイメージを得る、というような経験を与えてくれる。
これは今、環境について考えようとした場合に必須の経験かもしれない。

▲p.25
例えばこの図。20℃ 20Lの水を40度に温めたものと、20℃ 5Lの水を100度に温めたものでは資源性が異なる、と言われてピンと来るだろうか。
私は、同じエネルギー量なのに、そんなわけはない、と思ったが、実際にエクセルギーを計算するとこうなるし、平衡状態へ至るのに要する時間が大きく異なる。

エネルギーの持つ資源性を考えるには、そこにエクセルギーという概念のイメージを新たに付け加える必要がある。

地球という閉鎖環境と流れ・循環

本書の内容はヘビーな大学の講義2コマ分はゆうにありそうなので、すべてを説明はできないが、本書では、日照から、光、温度、人体、植物、有機物、熱機関といった多岐にわたる物事の流れと循環がエクセルギーという概念で説明されている。

そこには著者の通底する思想がある。

地球は、太陽から受け取った日射エクセルギーによって、上記のようなざまざまなシステムの流れと循環が生み出され、そこで生成されたエントロピーを宇宙へと排出することによって平衡を保っている、という「エクセルギー・エントロピー過程」を含んだ閉鎖系である。

▲p.50

その閉鎖環境の中で、これまで営まれてきた流れ・循環を、強引な操作によって乱れさせているのが環境問題であるとするなば、その流れ・循環を整え直すための理論を提示することが著者の思いかもしれない。

例えば、照明計画に関しては、

昼光照明とは、日射エクセルギーが消費され尽くすまでの道筋(過程)を照明という目的に合うように「流れ」を変えることだといえよう。昼光照明は「流れのデザイン」の一つなのである。(p.74)

と〆られている。
注意して見渡せば、「資源性」は至る所に発見することができるだろう。
その資源性が生み出す流れ・循環を無理せず途切れさせないように少しだけ道筋を変えることで、目的を達成すること。
それこそが、今考えるべきことであり、例えば「21世紀の民家」に必要なものだろう。

はたらきのデザイン

今まで、例えばアフォーダンスやオートポイエーシスといった、世界の見え方を変えてくれるものに出会ってきたけれども、この本は、極稀に訪れるそんな出会いになる可能性を感じた。

「流れ」と「循環」は、ものやものの集まりではなく、それらの働きである。働きとは機能である。機能に対置する熟語は構造だ。もののかたちづくる構造の振る舞いが機能だからである。構造は<かたち>、機能は<かた>と言ってもよい。構造は写真に撮れる。機能は写真に撮れない。だから、構造は見て取れるが、機能は読み取らなくてはならない。(中略)「デザイン」といえば<かたち>――そう連想するのが常識だろう。<かたち>がデザインの一側面であることは間違いないが、「デザイン」にはもう一つの側面<かた>があることを見落とし(読み落とし)てはならないと思う、本書の副題を「流れ・循環のデザインとは何か」とした所以である。(p.339)

奇しくも、アフォーダンスもオートポイエーシスも構造ではなく、機能・はたらきへの目を開かせてくれた。
しかし、建築として<かたち>にするには、何かパーツが足りていない気がしていた。

本書を読んで、その足りていない<パーツ>の一つは、「流れ」と「循環」のイメージ、及びそれに対する解像度の高さだったのかもしれない、という気がした。

その解像度を高めつつ、それが素直にあらわれた<かたち>を考える。そして、あわよくば、そこにはたらきが持つ生命の躍動感が宿りはしないか。
そんなことに今、可能性を感じつつある。

メモ

・太陽の日射エネルギーの約半分が地表に吸収されるが、そのうち半分ほど(47%)は水の蒸発によって運び去られる。残りは対流によってが14%、放射が39%で、この収支が成り立つことで地表の平均温度が保たれる。水の循環による役割は大きい。と考えると気化熱を利用するのは自然の仕組みにかなっていそうな気がする。
・日射に対してエネルギー、エントロピー、エクセルギーがどのように割り振られるかの計算をエクセルで再現したところ、コントロール可能なパラメーターは入射角・吸収率・断熱性が考えられる。断熱性能を上げても、伝熱にかかる時間が長くなるだけで、トータルの室内に入るエネルギーは変わらないイメージだったけど、比較してみると外に逃げたり消費されたりする割合が変わり、断熱性を高めると室内へ向かうエネルギー及びエクセルギーもそれなりに減少する。また、吸収率の影響はかなり大きい。
・物体が電磁波によって放出するエネルギーは物体の絶対温度の4乗に比例。
・地球には日射を動力源、水を冷媒とした巨大なヒートポンプと呼べる循環がある。また、地球は植物の光合成を起点とした養分循環による熱化学機関とも言える。
・これからはパッシブシステムをよりよく働かせるようなアクティブシステム・アクティブ型技術・それに伴う哲学や思想、科学が必要。
・空間に放たれた光は最終的にはすべて熱に形態変化する。
・人体の温冷感覚は、人体を貫いてエネルギーや物質がどのように拡散していくか、身体エクセルギーの消費の仕方や大きさで決まる。
・冷房病は人体エクセルギーが過度に消費され続けて「だるさ」を感じさせることかもしれない。
・ある条件で、人体エクセルギー消費量が最も小さくなるのは、冬で室内空気温18℃・周壁平均温25℃の場合(2.5W/m2)、夏で室内空気温30℃・周壁平均温28℃・気流速0.2m/s程度の場合(2.0W/m2)となる。人体が快適と感じる状態を生み出すためには、室内空気温そのものよりも、室内空気温に対して周壁平均温を冬は上げ、夏は下げる方が効果が高いケースがある。
・湿度にも同様に資源性がある。
・冷暖房時には外皮から出入りするわずかな熱エネルギーの差が重要。何かの目的を達成するために発電所に投入されるエクセルギーはその20倍以上となることが多い。
・暖房において建築外皮の断熱性・気密性向上は、ボイラー効率の向上よりも、エクセルギー消費を減らすのにはるかに効果がある。
・冷房時には日射に起因する室内での発熱量を屋外日除け等によって減らし、照明等の発熱を抑えることが重要。
・夏季に、蒸発冷却や夜間放射冷却を利用し、対流によって涼しさを得るのを「彩涼」、放射によるものを「彩冷」という。その際躯体蓄冷が有効。
・植物は光合成によってグルコースを生産し酸素を廃棄するとともに、蒸散によって冷エクセルギーを生み出す。それが最も大きくなるのは日射量50W/m2,風速0.5-2.0m/s程度のときであり、蒸散による冷エクセルギーの生成には程よい日射遮蔽が必要。
・建物の長寿命化とは、生産過程の大量なエクセルギー消費と引き換えに、建材中に固定したエクセルギーを、工夫によってできるだけゆっくり消費が進むようにすること。
・エクセルギー消費量は当然住まい手の行動意識に大きく左右される。パッシブ型の冷暖房が十分に機能し「快」の知覚が得られるようにすることで、住まい手の行動を変えていくことも重要。
・実行(冷)放射エクセルギー(放射冷却)は、外気相対湿度が低いほど、外気温が低いほど大きくなる。外気温0℃湿度40%のとき5.5W/m2、外気温32℃湿度60%のとき1W/m2となり、夏に比べて冬のほうがかなり大きい。
・夏の1W/m2も人が涼しさを得るには必ずしも小さくはないが、地物の温度が高いと温エクセルギーになることもある。
・蓄熱は(外気側)断熱によってエクセルギーの蓄積量・定常状態までの時間がかなり大きくなる。
・物質は濃度の高い方から低い方へ拡散するため、ひしめきあって存在する液体水は、大気が水蒸気で飽和していなければ、温度の高低にかかわらず水蒸気になろうとする。
・いわゆる冷房病は人体が対流によって冷エクセルギーを受け取るような場合に起きる。
・大きな温エクセルギーを人体に与えることが暖房ではなく、大きな冷エクセルギーを人体に与えることが冷房でもない。冷暖房は、人体から周囲空間へのエントロピー排出がうまく行えるように、人体からほどよい温エクセルギーが出力されるようにすることである。