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B144 『虫眼とアニ眼』

養老 孟司 (著), 宮崎 駿 (著)
新潮社 (2008/1/29)


マティックさんのところで紹介されていて面白そうだったので即買いしました。
2002年に出版されていたものの文庫版のようです。
これが460円で手に入るのですからありがたや。

宮崎駿が

養老さんとは、ぶつかりようがありません。相違はあるにはありますが、それはそれでよかろうという範囲でしかありません。

と書いているように、内容についてはこれまで読んだ養老孟司の本からそれほどはみ出るものはなかったのですが、巻頭の宮崎駿によるスケッチだけでも十分にもとがとれました。

この夢の町、かなりの部分で共感できたのですが『建増禁止、景観変更禁止』というのはちょっと反対。
それじゃ、マチが死んでしまいそうだし、誰かが考えたものから変えちゃいけないって言うんじゃテーマパークと変りません。

文字通り”脳化社会”を”絵に描いた”ようなマチになってしまうような気がしますがどうでしょう。

関連していうと、(体験していないので実際は違う可能性もありますが)荒川修作の作品が机上の理論を越えられてない印象をうけるのは技術の問題に踏み込めてないからのような気がします。そういう意味では藤森照信のほうが技術から何かを引き込んでいます

いろいろと制約があるなかで、実際に身体性のようなものを引き寄せるのは容易じゃありません。ではそういう制約の中でどうしたらよいかというのは難しいけれども面白い問題ではあります。

それはそうと、こういう保育園だれかつくらせてくれないかなぁ。




B011 『自分の頭と身体で考える』

養老 孟司、甲野 善紀 他
PHP研究所 (2002/02)

最近「ふけた」「ふとった」といわれることが多くなった。
それで、最近『ウォーキング』なるものをしなけりゃならんか、と思ってしまった。

不覚にも。である。実際少しばかりやってしまった。

目的のない「散歩」はとても好きである。
しかし、「健康」を目的にした「ウォーキング」というものには昔から違和感を感じていた。
「ジムのマシンでウォーキング」にはなおさら違和感を感じる。
なぜ、身体を動かすために金を出さなければならないのだ。
ケチで言ってるのが大半だが、『身体』を金でどうにかしようというのはどうも腑に落ちない。
「サプリメント」もしかり。

おそらく、ストレスが多く、健康を守ることも困難な現代社会を生きるには必需品。 ということなのだろうが、 その、アメリカ的な何でも意識でコントロールできると思っている傲慢さと、一見合理的に見えて、実は単なる対処療法でほとんど本末転倒な思想が嫌なのである。

変えるべきは現代社会のほうだろうに、対処療法は原因を補強する。
ほとんど罠である。

罠にはまるのはシャクである。

危うく罠にはまるところであった。

僕は、心の片隅では、いざサバイバルな状況に放り込まれたとしても生きていける、最低限の身体と、『野生』を手放さずに生きていくことが、『生物』としてのマナーだと思っている。
それは、僕のなかでは僕が自然の世界にとどまれる『境界線』なのだ。
(そんなことは関係なく、僕が自然から抜け出せるはずもないのだが)
しかし、これほど脂肪がついてしまってはまったく説得力がない。このままではこの『境界線』を手放さなくてはならなくなる。
それはそれでよいだろうが、罠にはまるのはシャクである。
損な性格である。

そこで、名案を思いついた。
はじめて人力以外で動く自転車(原動機つき)を手に入れたのだが、我がチャリンコを復活させて、これで通勤してやる。

やけである。

しかし、これで、やせる。体力がつく。環境を破壊しない(つもりになれる)。ガソリン代が浮く。事故に会う確立が減る。ボケーっとできる時間が増える。早起きが出来る。ちょっとした悲哀を感じられる。世の中を斜めに見れる。などなど様々な特典を得られる。
なんと合理的なのだろう。ここで躊躇してしまっては僕は非合理的な人間ということになる。

今日(27日)事務所においていたチャリンコのパンクを修理し、乗って帰ってみた。
どうやら40分ぐらいで家に着きそうだ。
なんだ。楽勝である。むしろ期待はずれだ。

そういえば僕が東京にいるころ定期代がもったいなくて小田急線の千歳船橋のアパートから六本木の事務所までチャリンコで1時間かけて通っていたのだ。
あのときのほうが僕は野性味を持っていた。

これで、野性を取り戻せると思ってウキウキ、ウッキーとしだした矢先に擦り切れていたタイヤがついに破けてパンクしてしまった。 もうこのタイヤはだめだ。

これで、週末までチャリンコはおあずけとなりました。

前置きがながくなりましたが、この本について。養老孟司は好きである。
ちょっと売れすぎたけど、昆虫好きだから。甲野善紀も好きである。
丸山弁護士に似てなくもないけど、顔が不敵だから。

両者とも強烈なオリジナリティーをもっていてかっこいいのだ。
NHKか何かで甲野善紀のわけのわからない動きと、わけのわからない自信を見てすっかりファンになってしまったのよ。

二人の対談はなかなかになかなかで、当たり前のことばかり言ってるが、それがオリジナリティだと感じさせる。

きっと、僕も似たようなことを感じている。はず。

何か大きなものに飼いならされていない『ぐれ』続けている二人は素敵である。