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W011『知覧特攻平和会館』

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□所在地:鹿児島県川辺郡知覧町郡17881
□設計:-
□用途:資料館
□竣工年:1986?
>写真は知覧町HPより
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連休をつかって、福岡の伊東豊雄のぐりんぐりんを見に行く予定だったけれど、土曜に仕事が入ったので断念し、変わりに気になっていた特攻平和会館に行ってきた。

沖縄特攻に散った1036人(?)の遺影や遺品、資料などを展示している施設である。

連休と言うこともあり観光客がたくさん来ていたのでじっくりとは見れなかったが、感激と言葉にならない違和感とを同時に感じる複雑な心境になった。

その、複雑な感覚は建物に入ってすぐのホールの部分、最初から感じた。

ホールの正面に3mx4mの等身大に近い壁画を見て感動し涙が出そうになるが、同時にその下のプレートの中の

私たちは、特攻隊員たちの崇高な犠牲によって生かされ国は繁栄の道を進み、今日の平和日本があることに感謝し・・・

と言う部分になんとなく違和感を感じたのだ。

そのときは、大分昔に書かれた文章で感傷的な文章になってしまったのだろうと無理やり納得してやり過ごそうと思った。
しかし、そういう違和感こそ大事にすべきだ

なぜそう感じたのか、考えてみる。

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展示室には1036人すべてかどうかは分からないが、特攻隊員たちの遺影がずらっとならぶ。

皆、すがすがしくかつ深い目をしている。
でも、今の時代にもいる皆普通の青年たちだ。
ちょうど青春の時期で、自分の友達の顔とだぶって容易に感情移入する。
最後に家族などに贈った手紙などはどれも潔く、家族への思い、国への思い、使命を果たせる誇りなどに溢れている。

その言葉に嘘はないだろう。心から出てきた言葉だと思う。
解説のおじさんの「彼らは負け戦とわかっていながら、後世の人たちが自分たちの生き様を見て勇気付けられ、日本を復興してくれることを願って飛び立った。」と言うような言葉に感動もした。

しかし、皆が同じように潔い文章を書き、すがすがしい顔をしているのに、逆に哀しさを感じる。

特攻志願といっても、志願させたのは環境だ。
誰が好き好んで死にたいだろうか。
志願させたのは、教育であったり、暗黙の強制であっただろうし、若さゆえ前に進まざるを得ないと言うこともあっただろう。
二十歳前後の若者だ。
気がついてみれば自分の命があと数日と決まってしまっていたということがあったに違いない。
それでも後に退ける訳もない。
恐怖心や後悔やその他もろもろの負の感情を抑え込むために、家族や国や名誉やいろいろな理由を探して(また、それらは環境に準備もされていただろうし)自分を騙すまでに必死にすがりついたにちがいない。

だから、潔さとすがすがしさは余計に哀しい。

彼らの言葉に嘘はないが、彼らは彼ら自身を欺いているかもしれない。

彼らは勇士であるよりも犠牲者である。

彼らを勇士とみるその視線が彼らを犠牲者にしたのかもしれないのだ。
(遺族の方が、彼らを勇士と思うのは当然だし、彼らの純粋な思いは尊敬に値すると思うが)

彼らのような犠牲者を出さないためには、彼らが犠牲者であるという認識こそ大切だと思うのだが、展示内容やパンフレット、先に挙げたホールのプレートにはほとんど彼らをたたえる表現しかないように感じた。

ただ、プレートの上の壁画のみが彼らを犠牲者として救っている。

そして、全く意図の異なる表現のものが上下にならんでいることが僕を混乱させたのである。

>>参考記事<<

(『特攻隊志願前に心の準備』金光新聞)

↑宗教的なことはさておき、前半の心の準備をする部分は、そうだろうなと思わせる。

↑ホール上部に描かれた壁画。
実際は目線より上にあり、等身大に近いので迫力があり、まさに天に昇っていくよう。
黒焦げになった人間は、展示されている笑顔の遺影とひとつながりだ。そのギャップがまた哀しい。
戦争の中で死を選択させられた若者は黒焦げになり優しい顔をした天女に包まれてようやく開放される。
混雑のためあまり遺品は見れなかったが、僕は一人一人の遺影の顔とこの壁画を目に焼き付けようと思って廻っていました。
実際に訪れて感じて欲しい。

(特攻隊神話の保存装置 「知覧特攻平和会館」 (田中幸一))

↑割と似た視点の記事。参考に。
日本人は何事もイメージで済ませる傾向が強いと思う。ここで、ただ泣くだけのメンタリティは時に危険であるかもしれない。

※事実関係を間違っていたりしたら教えてください。
また、関連する良い記事やそれはおかしいんじゃないという意見がありましたら教えてください。




B021 『茶色の朝』

茶色の朝 フランク パヴロフ、ヴィンセント ギャロ 他 (2003/12)
大月書店


本屋をうろうろしていて、タイトルだけでなんとなく衝動買いしてしまった本。
でも、結構タイムリーで大切なことが書かれていた。

30ページ足らずの寓話であるが、そこにはファシズムの本質が鋭く描かれている。

主人公が何気なく生活をしていると、突然「国家反逆罪」のレッテルを張られ、玄関を強くたたく音がするところで物語は終わる。
しかし、主人公はそれまでの生活のところどころで違和感を感じていたのだ。
その違和感をいろいろともっともな理由をつけて心の奥に封じ込めていく

その描かれ方は絶妙だ。
人はほとんど無意識に自己を正当化し流されていく。
それが、あまりに自分たちにもありえそうなので恐怖心すら覚えてしまった。

物語と同じようなボリュームで収められている高橋 哲哉の解説にもある通り「やり過ごさないこと」「思考停止をやめること」の大切さを鋭く指摘する寓話である。

つい最近、フランスでカリスマ的人物の率いる極右政党が大躍進したことに抵抗してこの本が出版されたそうだが、今の日本の政治を重ね合わさずにはいられない。

参考記事

茶色い朝のつくられ方~選挙取材の現場から②
ここにTBされていた 民主党は日本をあきらめてはいかが?もおもしろかった。「茶色の朝」平和キャンペーン

その他、教育問題やイラク問題などのいろいろな場面でこの本は採り上げられているようです。

やはり、「考えること」は必要だ。
もっと、明るくそれを言えたらなぁ・・・。