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B153 『建築史的モンダイ』

藤森 照信 (著)
筑摩書房 (2008/09)

藤森氏の著書らしく、すらすら読めていくつも目から鱗が落ちる一冊。

著者の書く文章の分かりやすさは、建築史家としての視点につくる側の視点、建築家としての視点がうまくまざって、つくる上での「具体的な勘所の指摘」がなされている点にあるように思います。

こういう勘所はたぶん一般の人には必要ないし、むしろそうと気付かれずに決定的な違いを生み出して「なぜか分からないけど、ナニナニと感じた!」と感じさられたほうがいい。(勘所を知っていれば知っているで鑑賞の楽しみができますが)

だけど、つくる側にとっては

・・・具体的なデザイン上のポイントはどこにあるのか。そのことがはっきりしない限り、建築を物として、形として造るしか能のない建築家はまことに困るのである。

と著者が書いているように、その勘所こそが重要で、そういう勘所を自ら発見してこっそりと建築に忍び込ませることができるか、それによって決定的な何かを生み出せるかどうかが、建物を建築たらしめられるかどうかを決めるのだと思うのです。

そういう意味で、藤森氏の文章を読むといつもいくつかの鱗が落ちるのとともに初心に帰ることができます。

例えば古い建物からでも現代に通ずるような勘所を拾い上げられるような観察眼を鍛えることが僕の課題の一つですね。




B117 『藤森流 自然素材の使い方』

藤森 照信 (著), 大嶋 信道 (著), 柴田 真秀 (著), 内田 祥士 (著), 入江 雅昭 (著)

彰国社 (2005/09)

技術とは何だろうか。と考えさせられる。
藤森さんのやってること(技術)はその筋の人が見ればもしかしたら子供だましのようなことかもしれない。
だけれども、藤森さんは自分で考え手を動かす。
それによって近くに引き寄せられるものが確かにある。

藤森さんは自分のことを建築家というよりは職人だと位置づけているようだ。
専門化が進む中、技術に対して恐れを持たずに自分の頭や手に信用を寄せられるのはすごいことだと思う。
今の建築は気を抜けばすぐにカタログから選んだ工業製品の寄せ集めになってしまう。(その原因に技術に対する恐れが多分にあると思う)
工業製品を一つの素材と捉えて、そこに命を吹き込むこともできるだろうが、それを意識的に行うのは相当な腕がなければ難しい。

なんというか藤森さんにはコルビュジェと似た匂いを感じる。(きっと本人も自覚していると思う。)
コルビュジェが庭園を語りながら、建築が植物に飲み込まれるのを恐れて植物から距離をとった、というような分析があったが、 なんとなくそれに対するリベンジのような感覚じゃないだろうか。だけど、藤森さんのやってることはかなりギリギリのところだと思う。
自然と人工の関係を扱うには藤森さんのような濃さとバランス感覚がないと、あっという間に胡散臭いエセ自然になってしまう。
藤森さんの建物でさえ、そのまま屋久島なんかに持っていったら自然に飲み込まれて胡散臭いシロモノになってしまうのではないか。藤森VS屋久島是非対決を見てみたい




B112 『ル・コルビュジエ建築の詩―12の住宅の空間構成』

富永 譲
鹿島出版会(2003/06)

またまたコルビュジェ。
またまた溜息が出ます。
あ゛ーとかう゛ーとか言いながら読んでいたので妻はさぞかし気味が悪かっただろう。
象設計集団のときも同じように溜息が出たけど、あー豊かだなぁと感じるわけです。
コルビュジェ、吉阪隆正、象設計集団
という溜息の連鎖に、藤森照信が紹介する住宅を加えて、なぜそれらを見ると溜息が出るのかを考えてみると、そこには関わった人の顔が見える気がします。

鹿児島市などの地方都市で特に顕著だと思うのですが、街を歩きながら建物を見ても、そこに見えるのはメーカーやディベロッパーの顔だったり、工場のラインや収支計算書の数字だけしか見えてこない、つまりはその奥に”金”しか見えてこない建物ばかりになりつつあります。
それに関わっている人間の顔が見えてこないのですね。
こんな建物だけで埋め尽くされた街で子供が育つと考えただけでぞっとします。

だけど、先に挙げた溜息建築には使う人の生き生きとした顔だけでなく、設計者がアイデアを思いついたときの少年のように喜ぶ顔まで思い浮かびます。
そんな生き生きとした建物があふれる街のほうが楽しそうだと思いませんか?

あとがきで著者が

具体的な物のキラメキに出会えるような批評、読み込んでいくと、すぐに新たな設計の筆をとりたくなるような研究。本書がそんな類のものになっているかどうかは分からない。

と書いているけど、そんな心配は無用。コルビュジェの作品そのものにそんな建築少年の心を呼び戻す力がある。
ある意味、そんな建築少年、建築オジサンを生み出しているという意味ではコルビュジェは罪な人ですが。

本書を読んで浮かび上がってくるのは、多様な軸、多様な要素、多様な欲求・・・多様なものを重ね合わせ、関連付け、秩序付ける力とそこから飛び出そうとする力が均衡するコルビュジェの建築であり、そこには一つの視点からでは捉えきれない奥行き・多様性がある。
それは、コルビュジェ自身の持つ奥行き・多様性であるし、それがそのまま建築に表れているから、そこにコルビュジェの魅力を感じ取り僕は思春期の少年のように溜息が出てしまうのだ。
あー、こんなにもわくわくしたんだろうなぁ、と。




B096 『藤森照信の原・現代住宅再見〈3〉』

藤森 照信、下村 純一 他
TOTO出版 (2006/09)

もう出てたんだ、ということで〈1〉〈2〉に引き続き〈3〉を図書館で借りてきた。

ついに現代に追いつき妹島和世の「梅林の家」、藤本荘介の「T house」、西沢立衛の「森山邸」まで紹介されている。
ということで後半はこれまでの巻とは若干趣が違う感じがした。
「梅林の家」は鉄板構造で外壁、内壁ともに厚さ16ミリほどの鉄板で出来ているが、そこにあけられた開口によるシュールレアリズムのような光景は全くオリジナルな空間の関係性を生み出している。その感性には脱帽というほかない。

藤森氏はこれらの作品に歴史の原点、本質的なにおいを見出しているように、こういった新しい感性によって空間のあり方というものが”純粋”といえるレベルまで引き寄せられているのかもしれない。

このシリーズで一貫している、「戦後住宅の”開放から自閉へ”」という見方。伊東豊雄はじめ、自閉的・内向的建築家が時代を開いてきたという見方が面白い。
僕も昔、妹島と安藤との間で「収束」か「発散」かと悶々としていたのだが、藤森氏に言わせると妹島はやはり「開放の建築家」ということになるのだろうか?
藤森氏の好みは自閉のようだが、僕ははたしてどちらなのか。開放への憧れ、自閉への情愛、どちらもある。それはモダニズムへの憧れとネイティブなものへの情愛でもある。自閉と開放、僕なりに言い換えると収束と発散。さらにはそれらは”深み”と”拡がり”と言い換えられそうだ。
それはもしかしたら建築の普遍的なテーマなのかもしれないが、その問いは、どちらか?といものよりは、どう共存させるか?ということなのかもしれない。

深みに支えられた拡がり、というような感じか。




B091 『藤森照信の原・現代住宅再見〈2〉』

下村 純一、藤森 照信 他 (2003/04)
TOTO出版

前巻に続いて2も読んでみた。
今回は前巻にも増してバラエティに富んでいて面白い。
(青木淳の「S」や石山修武の「世田谷村」等、わりと近作も載っている。)

時代はモダニズムをどう乗り越えるかというところ。
そういう背景もあってか、またまた藤森さんはうまい具合に人間味を浮かび上がらせている。

住宅の背後に人間が見えるか、または住宅が建築として生きているか。それがどの程度できているかが住宅の懐の深さとなるような気がする。
薄っぺらで上っ面だけのきれいな表情にだまされてはいけない。

< 3>がでるとすれば妹島和世や藤本壮介なんかの住宅もあって、これまた面白くなりそう。
・・・と思ったらもう出てたのね・・・




B074 『ザ・藤森照信』

藤森照信
エクスナレッジ(2006/08)

藤森照信がなぜ一般の支持を得ているのか。

それは彼が「自ら楽しむ」ということを徹底しているからだろう。

最後の方に奥さんのインタビューが乗っているけれども、奥さんは結構苦労されたみたい。
大変な時期にも夫は「路上観察」や現場へ出たっきり。
藤森さんもきっと奥さんに負担をかけている事を自覚はしていただろうが、誰にも真似できないぐらい楽しみきることが彼にとっての生命線であることを自覚していたから、あえて気づかないふりをしていたに違いない。

と、僕は思う。

その、ある種の強さが藤森さんを藤森さんにしたのだ。

本城直季のミニチュア風写真は建築本としては最初違和感があった。

だけど、子供が箱庭を作るのに熱中するように建物をつくる藤森さんの建物にはふさわしい気もしてきた。

都市の(人口の)嘘っぽさ」を露にする本城氏の写真でも耐えられるのはこれまた藤森さんのテクスチュアのある建物だからかもしれない。

さすがに歴史家&建築家ところどころにどきりとする表現がある。

(建築史家としての)この認識と建築家藤森のデザインの間の関係は考えないようにつとめている。物をつくるには考えない方がいいレベルもある、という知恵を建築史家藤森は歴史から学び、建築家藤森に伝えてある。ミースは何か考えていたんだろうか。感じていただけではあるまいか。安藤や妹島だってどうだろう。

同感。

(エコロジー主義者について)科学技術の時代20世紀の蓄積を軽く見るような、簡単に乗り越えられると考えるようなそういう方向には同意できない。言葉や理論では超えられても、現実では大禍を呼びかねない。マジメさだけが場の空気を支配し、笑いの乏しい世界は私の性に合わないのである。

人は、身体性への働きがあった時にはじめて空間のダイナミズムを感じる。代々木のプールのダイナミズムは、大屋根の端が地面近くまで降りてきていることで生まれた。

藤森建築は自然素材を好んで使う。でもその素材の味を生かすために、藤森はその露出度に寸止めをかける。・・・・・つまり、趣味の固まりがそのままでは嫌味にずれ込んでしまう。そこのところをぐいと意志の力で止めて、物に対する批評の角度を際立たせる(赤瀬川原平)

また、大学院生時代、全国の2000棟を超える近代建築の優品を”相撲を取るように”真剣に見てまわったという話が印象的だった。

そういえば、東京入院時代、暇なので一緒に入院しているおじいさんと空気砲を作ったりして遊んでたのだが、あるときテレビに藤森さんが出てきて、少しこの人に興味がある、と話をしたらそのおじいさんが藤森さんのおじさんにあたる人だったのでびっくりしたことがある。
子供のころは(悪いという意味ではなく)やんちゃだったそうだ。




B073 『藤森照信の原・現代住宅再見』

下村 純一、藤森 照信 他
TOTO出版(2002/12)

TOTOから事務所に期間で送られてくる『TOTO通信』というものがある。
毎回、明確にテーマが設定された特集を組んでいてとても勉強になる冊子である。

そこで連載されている藤森照信のコーナーを一分まとめたものが本著。(続編も出ている)

中村好文が建物の息遣いを拾い上げるのだとしたら、藤森照信は設計者の情念というか体臭のようなものを嗅ぎ分け、その匂いを分かりやすく説明してくれる。建築も面白いが、それを設計している人間も面白いのである。この刊に取り上げられているのが特に人間臭い年代というのもあるけれども、やはり藤森照信は人間を浮かび上がらせるのがうまい。

また、彼のつくる建物も得意なポジションで我々に多くのことを問いかけてくる。
石山修武と合わせて一度自分の中で整理することは、避けては通れないと思う。でないと、ある部分のもやもやは晴れそうにない。ということで今日『ザ・藤森照信』買ってしまいました・・・




B034 『この先の建築 ARCHITECTURE OF TOMORROW』

小巻 哲 , ギャラリー間 (編集)
TOTO出版(2003/07)

ギャラリー間の100回目の展覧会を記念して行われたシンポジウムの記録。

各世代から1人ずつ、5世代5人によるセッションが5回行われた。

各セッションの参加者は

1.原広司(1936)、伊東豊雄(1941)、妹島和世(1956)、塚本由晴(1965)、吉村靖孝(1972)

2.磯崎新(1931)、山本利顕(1945)、小嶋一浩(1958)、千葉学(1960)、山城悟(1969)

3.石山修武(1944)、岸和郎(1950)、青木淳(1956)、阿部仁史(1962)、太田浩史(1968)

4.篠原一男(1925)、長谷川逸子(1941)、隈研吾(1954)、西沢立衛(1966)、藤本壮介(1971)

5.槇文彦(1928)、藤森照信(1946)、内藤廣(1950)、曽我部昌史(1962)、松原弘典(1970)

(括弧内は生まれた年)
必ずしも「この先の建築」のビジョンが明確に描き出されたわけではない。

しかし、世代間で建築や社会の感じ方やスタンスに違いがあるものの、全体としてはぼんやりとした方向があるように感じた。
それは例えば「個」や「自由」という言葉に含まれるイメージのようなものである。

「この先の建築」に当然だが確固とした正解があるわけではなく、それは各個がそれぞれ考え実践する中で全体として描き出されるものだということ、 まさしくこのシンポジウムの形式そのものが浮かび上がってきたように思うのだ。

正解があらかじめ用意されているのではない。

この本で最も印象に残ったのはシンポジウムに参加できなくなったために書かれた、伊東豊雄の手紙である。

私が今建築をつくることの最大の意味は「精神の開放」です。平たく言えば、人びとが真にリラックスして自由に楽しめる建築をつくることです。しかし今、日本は建築をつくることにきわめて不自由な社会に思われます。発注者もつくり手も、皆が金縛りにあったように相互監視にばかり夢中になり、何をつくるべきか、なぜつくるべきかを見失っています。私が若い建築家に期待するのは、もっとプリミティブな視点に立ち返って「あなたはなぜ建築をつくるのか」という素朴な問いに答えて欲しいことです。そうでない限りこの自閉的な状況をくぐり抜けることはできないし、ましてや「この先の建築」など望むべくもないように思われます。(伊東豊雄)

「つくる」ということはどういうことか、「つくる」ためにはどうすればよいか、そこに立ち戻ったうえで組織のあり方や関係、具体的な手段などもう一度きちんと考え直さなければならない。

*****以下各セッションから*****
1.

建築のデザインが、あるいはそのデザインがもっている論理性というものは、人びとにたいしてどこまで射程があるのか(原)

(MVRDVについて)自分の外部にある何かを調べることで、自分の立ち位置をよりシャープにしていくという作業を繰り返しているのです。テリトリーをただ闇雲に拡大していくというよりは、建築家が本当にやるべきことは何か、何ができるのかということを、常に自問しているという印象をもちました。(吉村)

僕が妹島さんの建築がすごくいいと思うのは、集落がもっているエレガントなものを、今のデザインで、所帯じみていない形で出してくるからです。
僕はかつてのコミュニティ論なんていうものを、あなたたちが本気になって打破せよといいたい。・・・都市の中に埋没していく、あるいは地縁や血縁や昔のコミュニティだとかいった社会の中に埋没していくのではなく、生活が可能なところで出てくるような身体的な心地よさがあると思います。(原)

今までの経験から言うと、世の中を良くしようと思うとろくなことはないんですね。世の中を良くできるなんて思わないで、自分がうまく生きるということでいいと思います。建築家は人の家をつくるわけですから、建築家としては常に他者に対する思いやりというものを何らかのかたちで表現していくことが重要なような気がします。(原)

1.補

で、なぜつくるのか。先日のシンポジウムでは、建築家として都市にどうアプローチするつもりかといった質問がされていましたが、僕はそんなことはどうだっていいやと思っています。・・・僕は建築をつくり続けてきたから、自分の考えていることをたまたま建築によって表現するだけであって、まず僕が建築をつくりたいと思うのは、建築というフィルターを通すことによって、自分が今の社会の中で何をしなければいけないかとか、何を考えなくちゃいけないかということが少し見えるような気がするからですね。(伊東)

2.

いまだに世の中は計画というものがまだあると信じているところがあって、これが世の中をムチャクチャにしていると僕は思っています。(磯崎)

建築がその国や社会を体現するものとしてではなく、より個人的な人間の身体的な部分との関係の中で位置付けられようとしている(千葉)

先ほど磯崎さんが言いかけた「計画」という話は、個人の責任をどんどん曖昧にしていく。個人が関わるべきものであるにもかかわらず、あらかじめ「計画」という概念があって、最適値がもともとあるんだと考えて、その「計画」に乗ろうと思ったわけですね。そこでは個人がどんどん抽象化されてきて、個人という関わり方ができなくなってくる。(山本)

その使い方のきっかけになるようなもの、それを僕は最近「空間の地形」と読んでいるのですが、その地形をどうつくっていけるのかが今後ビルディングタイプに頼らない一つのアプローチだと思っています。(千葉)

文化的に刷り込まれてしまった身体を偶像破壊して、そのようにカテゴライズされてしまった身体をさらに解体するということをやっていかないと、生々しい身体になかなかたどり着けない。(山本)

3.

マーケットと直接的に結びつく方法をもたなければダメだと思っています。今までの建築ジャーナリズムは、この側面では役に立たない。もうちょっと広範な、そして非常にダイレクトなコミュニケーションの仕方をマーケットとの間でもたないと、これからは進めようがない(石山)

そのとき機能とは空間をある一定の方向に追い込むための一種のアリバイにすぎないのではないか。(青木)

自分にとって切実な問題を超えて正論を言うのはずるいですね。どうして身の丈でやれないのかなぁ。とにかく、そういうことを、少なくとも僕より若い世代にはもうやって欲しくないなあと思います。(青木)

今の世の中はこうだからという言い方は、僕は嫌ですね。何かをつくることから、結果として一般論みたいなものが出てくることはよくあることですが、先に一般論があって、その適用として個別の建築があるというのはもういいのではないですか。(青木)

どうやって食っていったらいいのかというと、設計図がもっている意味をもうちょっと拡大すればいいんだということになるわけで、建築設計がデザインだけではないところにまで踏み込まざるを得ないのではないかと考えています。(石山)

4.

新しい建築のための5つの問い
■住むための「場」:機能主義的な機械としてではなく、より根源的な「住むための場」をつくること。「場」は「きっかけ」「手掛かり」といってもいい。新しい原始性の模索
■不自由さの建築:何もない不自由さではなく、人間にとって「自然」のような、行動を喚起する、快い異物の不自由さ。
■かたちのない建築:機能的にも、存在としても、自律していないこと。完結していないこと。不完全性のもつ可能性。都市。
■部分の建築:全体性を規定せずに、部分から建築を構想することで、今までとは全く異なる、複雑さ、不完全さの建築を生み出すことができるかもしれない。
■弱い建築:複雑さ、多焦点、分散、隣接関係、相対性、不自由さ、不完全性、曖昧さ、喚起する、新しい原始性・・・。
(藤本)

囲碁とか天気予報と言っているときはダイナミックで面白い話なんだけれども、それを建築というものに落としてきたときには、どうなるのだろう。固定してしまうものなのか、あるいは動いて装置のようになっていくのか。最終的に建築にどう到達させようとしているのか(藤本)

私は「かたち以外のことを考えたことがない」(篠原)

最も激しい象徴性と最も強い具体性とが一つになったものが「野生」であるということです。(『野生の思考』レヴィ=ストロース)(篠原)

50年前からの各断面で私がお話しようと思ってきたことの一つは、その時点での自分の「今」が、何かのメカニックで「この先に」変わってきたことです。(篠原)

常にさかのぼっていきたいという気持ちがあるんですね。それは未来のことを考えるときにでも、ある種のプリミティブな状態に立ち返って、今までに試みられなかったことがないもののつくり方で、もう一回全部を構築し直したいという思いがあります。(藤本)

5.

そうしてつくりだされたビジョンが、嘘っぽくてリアルじゃないと分かっていても、そればかりを公共投資でやってきている。だから、再生のシナリオとは違う方向があるのではないか。(内藤)

素材の向こうに先端のエンジニアリングを見たり触れたりしたい(内藤)

当面感のある建築は、たいていの場合、抽象的なイメージを建築として再現しようとした結果だと思うんです。・・・僕らのやり方としては、そういう、いったん抽象化するプロセスには実はあまり興味がなくて、よりダイレクトに社会に反応することで建築をつくりたいという気持ちがずっとしています(曽我部)

「愛着のプロデュース」という言い方にすごく興味がある・・・「建築に何が可能か」ということよりも、「建築家に何が可能なのか」という問題設定ではないかと思います。(曽我部)

説明できることは流通しやすいことで、本当に大切なことは、どうあっても説明できないことではないか。つまり、建築家の一番のコンテンツは、建築の中にしかなくて、言葉の中にはない。(内藤)

建築には無意識の世界―言語化できない世界―に働きかける力があると思っているんです。・・・だから、今の日本の街並みによって無意識の世界がつくられていくのは良くないなという感じがします。(藤森)

同潤会に対しては、歴史としてみてしまう。それは歴史上のある特異点であって、その特異点を美しいオブジェクトとして見ることもできるという理解です。団地というものは、僕にとって、もう少し肉体化されているというか、歴史上の特異点ではなくて、なじんだ風景であり、引き受けざるを得ないようなもの(松原)

(『文学における原風景』奥野健男より)その次の問いが面白くて、ではそういう原っぱも路地もなくなってしまった世代は、一体何が原風景なのかと。彼らにとってはもっと無機的なものではないか。あるいは団地の風景でもいいけれども、彼らには風景の叙述がないんですね。いきなり部屋の中での会話で始まるということを言っています。(槇)

藤森さんは絶望したけれども、見ようによっては悪くない、と皆で言い訳しながらやってきたわけですよ。・・・だけど「それは本当なのか?」ということをもう一度考えたほうがいいのではないかと僕は思っているんです。
・・・たぶん建築が人間社会に対してできる究極は、例えば社会が経済的なクラッシュで疲弊し、人間も疲れ果てたときに、僕達が今やっている仕事が何の支えになるのかということが、建築のきわめて本質的な役割なのではないか、街をつくったりすることの役割なのではないかと思うんです。(内藤)

先ほどから東京の街が美しい、いや美しくないという議論がありますが、どっちも当たっているんですよ。・・・(須賀敦子のように街全体が生き物であるかのような見方、愛のある目差し)そういうかたちで街を見ることができるセンシティヴィティが、これからわれわれがどの街に住み、ものをつくり、あるいは旅行するにあたっても大切だと思います。(槇)




B020 『壁の遊び人=左官・久住章の仕事』

壁の遊び人=左官・久住章の仕事 久住 章 (2004/12)
世織書房


カリスマ左官師と言われる著者であるが、
「本当に自由なおっちゃんやなぁ」
と言う印象を強く受けた。
「遊び人」というタイトルも伊達じゃない。

好奇心旺盛に、知識と知恵を動員し自らの手で試行錯誤しながら、職業や、国や常識やいろんなものを飛び越えて新しいことを吸収していく。
その姿は本当に自由だ。
職人というと「決められたことをきっちりこなす人」という印象があり、技術や伝統に縛られてそこから出ようと考える事も少ないように思うが、そんなことにはとらわれずに常に新しい可能性に目が開かれている。

一点に立ち止まらずに常に流れ続け、自由に見えるその姿をちょっと、ドゥルーズの思想に被せて見てしまう。

ただし、著者が経験を積み重ねるには、新たな技術を習得するまでの時間的・経済的な負荷を受容する、施主の懐の深さが必要であっただろう。

そこに時代の豊かさを感じずにはいられないが、著者の遊び人的気質と、トータルに物事を捉える親方的気質、先見性といったものがそういうチャンスを呼び寄せたように思う。

それはやっぱり才能でもある。
自分のやるべきことを見つける嗅覚と、オリジナリティーはナカタやイチロー並みで、

「左官界のイチロー」

と、呼びたいぐらいだ。

技術というのは頭で考えてする部分と、身体に覚えさせてする部分とがある。(中略)しかし逆に、今まで身体だけでやっていた技術を、頭でどう処理して変えていくか、それを考えようというのです。(中略)「この技術はこうやる」というのは時間が停止した状態なんです。(p.188)

今、頭と身体、感覚をすべてこんなにうまく使える人は珍しい。
仕事が「頭でする仕事」と「身体でする仕事」に分けられてしまったため、一人の人間の中から引きはがされてしまったように思う。

僕も「頭」にどうしても偏りがちになる。
本当は身体を動かしたり、「試行錯誤」を繰り返したりすることがとても好きなのだが、そこからは遠のきがちになる。
どうしたら、「建築」にこういう仕事の仕方を引き寄せられるだろうか。
それは、僕が建築を続ける上で重要な問題だ。

時には藤森照信や象設計集団にあこがれたりしてしまうのである。

だいたいが楽天的な人間なので、あまり後ろ向きには考えないんです。根っから、楽しんでやってやろう、というせいかくなので、苦労を背負い込まないんです。だから、苦労に苦労を重ねてこんな成果が生まれた、という感じはない。むしろ、こんなに楽しんでこんな成果が生まれた、という感じです。(p.195)

そう考えたら、「決まり」というのはないのだと思えてくる。「何でもあり」だと思うのです。左官だからこういうことだけやれればいい、などということは全然ないんです。楽しくて面白くて、自由でいられる、それが僕にとっては最高なんです。(p.196)

正しいか正しくないか、とやりだすと、どんどん世界が狭くなるんです。広がらない。そういうのは僕の望む人生ではないんです。(p.200)

こういうところだけみると、今の若い世代の(一部の人が持つ)自由さや可能性のようなものを感じる。
若いなー。
若者よりずっと若い気がする。

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