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2才児にとっての”じりつ”とは何か

2才児にとっての”じりつ”とは何か。
そんなお題を頂いたので、ちょっと考えてみたいと思います。

じりつには自立と自律があります。
分析記述言語では自立とは構造に帰属され、自律とはシステムに帰属されるそうです。
では、乳児から幼児へと大きく変化する間にいる2才児にとって、獲得すべき自立・自律とはどういうことを言うのでしょうか。

自立について

自立とは構造に帰属される、すなわち何らかの状態のことを指します。
脳性麻痺を抱え車椅子生活を送る熊谷晋一郎氏は、自立とは何にも依存していない状態ではなく、依存先を分散し無自覚に依存できている状態のことだと言います。

他者から切り離されているのでは単なる孤立ですが、そうではなく、むしろ他者の存在によって初めて成り立つような関係性の中にこそ自立があるのです。
自立とは、他者・環境と適切な関係を切り結ぶことができている状態のこと、と言って良いように思います。

自律について

一方、自律とはシステムに帰属される、すなわち、どのようなはたらきの中にいるか、そのあるはたらきのことを指します。
外から与えられた要因を受動的に処理するような機械的なはたらきは他律であり、自律とは環境に能動的にはたらきかけることで動き続けるような生態学的なはたらきのことだと言えます。
受動ではなく能動性の中にこそ自律があるのです。

遊びと自立・自律

このように、自立し自律できるとは、環境に能動的にはたらきかけることで他者・環境と適切な関係を切り結ぶことができている状態のこと、と言えるように思います。

これは保育における「子ども観」「保育観」と大きく関わります。
『学びを支える保育環境づくり: 幼稚園・保育園・認定こども園の環境構成』では子ども観、保育観の変化を、子どもは環境から刺激を与えられて知識を吸収する受動的な存在ではなく、自ら環境を探索し、体験の中から意味と内容を構築する有能な存在であり、遊びは子ども自身がつくりだすもの。また、保育者は子どもに教えるのではなく、子ども自身が環境に働きかけ、自ら遊びをつくりだせるような環境を構成しなければならない、としています。
このことは国の指針「幼稚園教育要領」や「保育所保育指針」「幼保連携型認定こども園教育・保育要領」にも明確に位置づけられています。

これはまさしく、子どもが自立及び自律できることを援助することが保育に求められる、ということを指しているように思います。
そして、未就学児においてそれは日々の生活、特に遊びを通して獲得されるものであり、遊びと自立・自律は切り離すことができません。

自立と自律を保障する園の条件

では、そのためには何が必要でしょうか。
著者は同書で紹介された保育環境の共通項として、

 ・子どもが安心できる環境
 ・多様性を尊重できる環境
 ・子どもの活動が継続的に考えられていること
 ・試行錯誤ができること
 ・創造的でオープンエンドな活動

の5つを挙げ、さらに保育者の共通項として「子どもの力を信じていること」を挙げています。
園の設計において、これらの支えとなるような環境づくりを念頭に置く必要があり、それによって子どもの自立と自律が保障されるべきなのだと思います。

逆に言うと、これらが担保されていない状態や、子どもを受動的な存在と捉える子ども観や保育観が子どもの自立と自律の障害となるのかもしれません。

2才児にとって自立・自律とは何か

0~2才児は、仰向けから寝返り、ズリバイから4つばい、つかまり立ちから歩行へと移動能力を身につけ、環境との関わり合いの可能性が爆発的に増える時期です。
そんな可能性のかたまりのような時期を過ごす子どもたちに必要なのは、自ら能動的に遊んでいいんだという安心感・肯定感と、その先に達成と喜びを見つけた、という多くの経験ではないでしょうか。

そして、その安心感・肯定感と経験とが、3~5才の就学前の多感な時期を存分に遊び学ぶための礎になるように思います。




あらゆる場面で飽きる力を発揮できるかどうかが設計の密度を決める B208『飽きる力』(河本 英夫)

河本英夫(著)
日本放送出版協会 (2010/10/7)

たまたま空き時間が出来たので図書館に寄った時に、河本英夫の本でも読んでみようと思って手にとったもの。
キャッチーなタイトルに相応しく、すっと読める本でした。
おそらくオートポイエーシスに馴染みがなくても読める本だと思います。(もしかしたら河本氏の独特のテンションに馴染んでたほうがストレートに入ってくるかもですが。)

子どもの「飽きる力」

乳幼児がどんどん新しいことを覚えていくことの中に「飽きること」があります
何かができるようになるまでは、それを遊びとして何度も何度も試行錯誤を繰り返しますが、それができるようになると、それには飽きて、次の関心・発達段階へと進みます。そうなると、それまで悪戦苦闘していたことが当たり前にできるようになっています。

子どもが今何を獲得しようとしているかを的確に読み取り、より良く取り組めるような環境を作ることが、保育における環境構成の技術でしたが、(■オノケン【太田則宏建築事務所】 » B199 『環境構成の理論と実践ー保育の専門性に基づいて』)そこには子どもの飽きる力を信じることも含まれているのかも知れません。

しかし、子どもの持つ天性の飽きる力は、コストが掛かりすぎるので、大人になるにつれて弱まり経験・選択肢の幅は小さくなっていくようです。
もし、小さな経験の幅では越えられないような壁にぶつかった時にどうすればよいか。

あらゆる場面で飽きる力を発揮できるかどうかが設計の密度を決める

飽きるとは、選択のための隙間を開くこと。
飽きるとは、異なる努力のモードに気づくこと。
飽きるとは、経験の速度を遅らせること。
(内容紹介より)

河本氏の著作や動画などを見ていると「新しい経験を開いていく」というような言葉が何度も出てきて、あまりピンときていなかったのですが、この本で少し掴めた気がします。

実際、設計においても飽きる力を発揮すべき場面は無数にあります。
むしろ、あらゆる場面で飽きる力を発揮できるかどうかが設計の密度を決めると言っても良いかも知れません。(実際は限られた時間の中で効率性とのバランスが求められる。)
ちゃんと飽きるためには諦めない粘り強さや隙間を楽しむ余裕、そのための環境が必要だと思いますが、もしかしたらその方が効率的だったりするかも知れませんね。

飽きるということは、自分自身に隙間を開いて、その状態をしばらく維持することです。その状態を所在ないと感じる人もいるかも知れません。所在なさにしばらく佇むことが、飽きることの重要な点の一つです。

あっ、同じ日にマルヤのジュンク堂で


『損傷したシステムはいかに創発・再生するか: オートポイエーシスの第五領域』
河本英夫(著)
新曜社 (2014/3/7)


を見つけました。
パラパラとめくってみましたが、こちらは『飽きる力』とは対象的に、まるでキャッチーさの無いタイトルですが、読みごたえのありそうな本でした。
積読も溜まってるし、ボリュームも金額もそれなりなので、この本は何かに飽きた時にとっときましょう。(『公共空間・・・』もまだ序章・・・)




保育環境を包み込む建築空間はどうあるべきか B203『学びを支える保育環境づくり: 幼稚園・保育園・認定こども園の環境構成 (教育単行本)』(高山 静子)

高山 静子 (著)
小学館 (2017/5/17)

環境構成をよりわかりやすくまとめた一冊

『環境構成の理論と実践ー保育の専門性に基づいて』と同じ著者による環境構成の本です。

『環境構成の理論と実践』が環境構成の理論を体系的にまとめることを試みたものだとすると、本著はその理論を豊富な事例・写真をもとにビジュアル的にも整理して、より読みやすく多くの人に伝わりやすいように再編されたもの、と言えるかもしれません。
保育関係の本は一冊のノートに簡潔にまとめて、いつでも読み返せるようにしようと思っているのですが、ここまで密度が高いとそのまま机の脇に置いておいた方が良いかも知れません。付箋を付けるのも途中でやめて、使い勝手を良くするためにインデックスを貼ることに作業を切り替えました。

子どもを『子どもは、環境から刺激を与えられて、知識を吸収する。(古い子ども感)』から『自ら環境を探求し、体験の中から意味と内容を構築する有能な存在。(新しい子ども感)』と捉え直すことからスタートするのは、まさしくアフォーダンスの話です。
保育関係者には是非とも一読をお薦めしたい本ですが、もしかしたらアフォーダンスに興味がある方にとっても、その実践のイメージを掴むためには良書かも知れません。

保育環境を包み込む建築空間

さて、分野に限らず、本を読む時に常に頭にあるのは、”建築空間はどうあるべきか?”という問いです。

この本には保育環境の一つとして建築空間を構成するための直接的ヒントに溢れていますが、それは主に保育者の視点からのもので、あえて言えば(心地よさや美しさといったことも含めた)機能的要求としての要件として捉えられるものだと言えます。
ですが設計者としては、ただそれに応えるだけではまだ不十分で、さらに建築の設計者の視点から見た、子ども・保育者・保護者その他関係者やまちや社会にとって”建築空間はどうあるべきか?”に応える必要があるように思います。(とは言え、著者は例えば「秩序と混沌のバランス」「空間の構造化と自由度のバランス」といった、設計者が持つような視点にまで言及しています。)

環境構成の技術は、個々の子どもの遊び・学びを支えることを第一義として行われるものだと思いますが、建築はそれをより大きな視点から、子どもや保育者を包み込むような存在であるべきもののように思います。
そのような場であればこそ、環境構成の技術がより自在に発揮され、子どもや保育者が安心して活き活きと遊び学ぶことができると思うのです。
最後は言葉ではなく、その空間に包まれた時に単純に「あっ、ここで遊びたい。」と思えるような、そして、そこでさまざまなものに出会えるような、実際の建築物として応える必要があると思うのです。

例えるなら、園長先生が、保育の知識と環境構成の技術に優れているだけ、では園長先生足り得ず、やっぱりそこに何かしら人間としての魅力が見えて初めて、園長先生が園長先生となり、その園がその園となるようなものです。
建築空間も、保育の知識と環境構成の技術に応えているだけ、では建築足り得ず、そこが建築的・空間的魅力で溢れて初めて、その園がその園となるような建築足り得るのだと思うのです。

そのために、建築のプロとして、経験と知識、想像力と設計技術を総動員する必要があると思いますし、それらを日々磨き続ける必要があると思います。




環境構成技術の集大成 B201 『ふってもはれても: 川和保育園の日々と「113のつぶやき」』(川和保育園)

川和保育園 (編集),‎ 寺田 信太郎 宮原 洋一
新評論 (2014/10/20)

重層的な遊具構成の園庭で有名な川和保育園を紹介した本です。
遊具を中心とした園庭での生活の紹介、子どもたちのつぶやきの紹介、園長先生の考え方の紹介、の3章からなっていますが、ダイナミックな園での暮らしぶりがよく伝わってくる本でした。

環境構成技術の集大成

この園庭はかなり高いところがあったり、異年齢が混じっている中で夢中で遊んでいたりと、一見、危険で特別な園庭を使いこなしている特殊な例のように見えがちです。

しかし、それは見方を変えると、長年の試行錯誤による積み重ねをベースとした環境構成という専門技術によって支えられているもの、と捉えることができます。
そうすると、この園庭は保育の基本的な理念と技術の先に辿り着くべくして辿り着いた環境構成技術の集大成とでも言えるようなもののように思えます。

いくら無鉄砲な子どもでも、こうしたことに挑戦するときには慎重になるものである。子どもを信じて挑戦させるということは、観念的なことではなく、まさにこのような環境設定による具体的な問題だと思う。(強調引用者・以後共通)

こんなところにも、園庭の基本原理である「環境を設定するが、あとは子どもの自主性に任せる」という考え方が生きている。

ここが、本当に大事なところである。つまり、何としても回したいという思いである。この思いこそ、意志の力の根源である。そして、この思いは、それぞれの発達年齢による生活グループに所属しながらも、0歳時から年長児までが一緒に暮らす園庭環境が生み出していると言っても過言ではない。このダイナミズムこそ、大いに着目したいところである。

それらのでこぼこも含めて、園庭の隅々までの絵が私の頭のなかには入っている。無意識にやっているところはひとつもない。だから、見学に来た人に、「どうして、あそこは出っ張ったままにしているんですか?」と聞かれれば、その理由をすべて答えることができる。自分たちでつくるということは、すべてにおいて、どうすればより楽しく遊べるか、危険を回避するためにはどういう配慮が必要か、といったことを細部に至るまで考えるということである。

いろいろなルートが確保されている立体構成。
何かに挑戦した先に新たな楽しみがあるという構成的工夫。
何かに挑戦するには、それに見合う能力が身についてなければ挑戦にまで至れないという構成的工夫。
小さい頃から異年齢児とともに過ごすことで、自然と身につく、意欲や、配慮、怖れや危険を回避するふるまいなど。
見守りという技術を身につけた保育者。

などなど、どれも環境構成の技術として考えられるものです。
ものとしての環境だけでなく、保育者はもちろん、園児それぞれが園としての文化の一員として環境構成の中で大きな役割を果たしていることも重要なポイントでしょう。

もし、この園庭に、新しい園児、新しい保育者、新しい保護者が突然やってきて同じように活動を始めたとしたら、いきなり上手くは周らないだろうし、怪我も起きるかもしれないな、と思います。

しかし、逆に言えば、「子どもたちのためにどんな環境が必要か」「そのためにはどうすればいいか」を考え共有することが出来さえすれば、できるところから少しづつはじめ、園庭を園の文化とともに一つひとつ積み重ねていくことで、川和保育園のような園庭にもたどり着き得るのだと思います。

一度、そういう場作りに挑戦してみたいものです。




保育の現場で「どうしてそうするのか」の原則を共有するために B199 『環境構成の理論と実践ー保育の専門性に基づいて』(高山静子)

高山静子 (著)
エイデル研究所; B5版 (2014/5/30)

環境構成という専門技術

この本では、さまざまな園の異なる実践に共通した原則を説明することを試みました。原則は、実践の骨組みとなる理論です。原則ですから、理想の園や理想の環境を想定して、それに近づくことを求めるものではありません。人が太い背骨を持つことでより自由な動きができるように、それぞれの保育者が、環境構成の原則を持つことによって、より自由で柔軟な実践ができればと願っています。

保育園、幼稚園、認定こども園などの保育施設での保育に関する理論を何かしら知っておきたい、ということで手に取ったのですが、めちゃめちゃ参考になりました。

例えば、学童期以降の子どもは、机に座り教科書を使って抽象的な概念を学ぶ、ということができます。
しかし、乳幼児はまだそれができないので、自ら直接環境に働きかけ、体験を繰り返すことで、さまざまなものを学んでいきます
直接教えるのではなく「環境を通して」教育を行うのが原則で、保育者はそのために、子ども自らが学べる環境を構成していく、というのが幼児教育の一番の特徴・独自性のようで、とても腑に落ちました。

そのために、保育者には、高い専門性に基づいた広く深い知識と環境構成の技術が求められるのですが、それは「園と家庭や地域とのバランス、安全と挑戦などのさまざまな矛盾の中でのバランスを踏まえた上で、その時々の個々の子どもの状態に合わせた環境の構成・更新を繰り返す」という非常に高度なものです。

そのような実践のための理論を体系的にまとめたのが本書ですが、保育に求められることの専門性と理論の大枠がイメージできたというのは大きな収穫でした。
また、僕はこれまで、子どもが育つ上での建築をどうつくればいいか、というのを一番のテーマとして考え続けていて、「「おいしい知覚 – 出会う建築」」というところに辿り着きました。
そこで辿り着いた考え方と、保育の分野での考え方と重なる部分が多いように思ったのですが、それがあまりにもぴったり重なるのにびっくりしました。(もともとの問題意識の設定からすると当たり前といえば当たり前なのかも知れませんが、もう、保育施設を設計するためにこれまでがあったんじゃないか、くらいに感じます。)

理論の必要性と展開

では、そのような理論をなぜ知っておきたい、と思ったのか。

例えば、保育のための空間を設計するという場面を考えた時に、個人的な体験や好みで決められることも多いような印象があります。それがスタートでも良いと思うのですが、保育の現場では特に「どうしてそうするのか。そうしたのか。」が説明できた方が良いと思いますし、そのために「太い背骨」となるような理論があることは非常に有効だと思うのです。

「どうしてそうするのか。そうしたのか。」ということは、建物の設計や建設の段階では、多くの関係者が同じ方向を見て良いものをつくっていくために必要なものです。
また、建物ができた後の実際の保育の現場でも、保育者や保護者等の関係者が、同じ方向を見て良い保育を実践していくために必要なものだと思います。そして、それが子どもたちのよい体験へとつながります。

園の目指すもの・思想といった大きな枠・物語は園長先生等トップが描くことが多いと思いますが、保育者や設計者がそれをプロフェショナルとして実践のレベルでさまざまな要素に落とし込んでいくには、専門的な理論の枠組みを掴んでおくことは非常に大切です
その点でこの本に書かれているものは、まさに!という内容でした。

この本で学んだ背骨としての理論を実践として展開できるように、さまざまな事例や理論の研究を進められたらと思います。
同じ著者の実例よりの本も買っているのでとても楽しみです。)

建築に求められるもの

ところで、環境構成は状況に応じて臨機応変に行われるべきものです。そんな中、建築空間には何が求められるでしょうか。

園が子どもも興奮させ一時的に楽しませる場所であれば、できるだけにぎやかな飾り付けが良いでしょう。しかし園は、子どもの教育とケアの場です。そこでは、レジャーランドやショッピングセンターの遊び場とは一線を画した環境が求められます。子どもたちが、イメージを膨らませて遊んだり、何かの活動に集中するためには、むしろ派手な飾りがない落ち着いた環境が望ましいと考えられます。

著者は、基本的には子どもが個々の活動に集中できるように一歩引いた存在であるべきという前提です。
例えば、空間を構成する技術として「子どもの自己活動を充足させることが出来る空間」「安心しくつろいだ気持ちになれる空間」「子どもが主体的に生活できる空間」「個が確保される空間」「恒常的な空間」「変化のある空間」など挙げ、それらのバランスをとりながら空間を構成する、と書いています。

その他、さまざまな事が環境構成の技術・理論としてまとめられていますが、保育者のための理論という意味合いが大きいので、重点は個々の場面での環境構成という短いタイムスパンに区切ったものが多かったように思います。

それに対して、建築は、子どもにとっては建築は在園中の長い期間接するものですし、個々の場面だけではなく建築全体としても子どもの環境になりうるものです。また、それは街からみると、もっと大きなスパンで存在するものですし、風景としての要素も小さくはありません。

ですので、個々の発達段階の空間構成に寄与できる空間をつくるとともに、建築全体としても園の思想を表していること、まちの風景であること、子どもにとっての原風景となれるような建築体験ができるものであること、などが建築には求められるのではないでしょうか

特に子どもにとっては、住宅を除いて初めての長期的な建築体験の場になることが多いと思います。建築でしか出来ないような体験、出会いを作り出すことも設計者の大きな役割だと思いますし、そのための術を磨いていきたいですし、それは住宅も同じだと思います。