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W050 『意外な史跡の宝庫 小野町の魅力☆新発見』

久しぶりにかごしま探検の会のまち歩きに参加してきました。

解説音声はこちらのケロログで聞いて下さい。説明は東川さんにすべておまかせ。

各ポイントのGoogleMapは
岩崎橋付近をスタート
石井手用水
聖宮・・・あけぼの幼稚園横から竹やぶを直進
田の神さぁ・水門
日枝神社
六地蔵尊

地元の人もこんな場所・歴史があることをしらないかも知れません。
音声をiPod等にいれて各ポイントをめぐれば、擬似探検の会ができそう。
Ust中継とか絶対面白いと思うけど(twitterで東川さんに突っ込み入ったり)だれかやりません?




W049 『鹿児島大学キャンパスめぐり』

かごしま探検の会のまち歩きに参加してきました。

いつも東川さんの解説を歴史音痴の僕が聞くだけではもったいないし、うまくブログで伝えられないともどかしく思っていたのですが、今回は録音許可をもらったので試験的に東川さんの解説音声をつけてみました。

解説音声はこちらのケロログで聞いて下さい。

音声の公開には大分手間取ったけれど、記録としてはいいんじゃないでしょうか。

もっと早くやればよかったと少し後悔。




W048 『実は城山の散策が今面白いんです』

かごしま探検の会のまち歩きに参加してきました。

詳細は下のスライドショーより。

今回筆記用具を忘れたのと、途中から息子を抱えての見学だったためびっくりするほど覚えてません・・・

もったいないのでいずれ音声を記録してそのまま公開するような形が取れないかなと思っています。

探検の会の街歩きは、その時はあまり覚えていなかったり何を掴んだ!とすぐにはいえないことが多いのですが、後からじわじわと少しずつ身になっているような気がします。
僕の中での位置づけでは、焦らずそれでいいんだと思っています。




W043『鹿児島の団地めぐり~市街地形成の歴史を学ぶ』

10ヶ月ぶりにかごしま探検の会のまち歩きに参加してきました。

今回は団地めぐりということで、探検の会のまち歩きでは異色なコースです。
いつもは史跡などをめぐることが多いし、「市街地形成の歴史を学ぶ」とあるのでどんな内容になるのか興味津々でした。

バスの中では身近な話題に絡めた東川さんの団地形成の歴史の講義を聴きながら
星ヶ峯団地-皇徳寺団地-桜ヶ丘団地-紫原団地-城山団地と巡りました。(下車は星ヶ峯団地と皇徳寺団地)

団地の歴史の概略の話もそうですが、一見似通ったそれぞれの団地の特徴をうまくとらえてツアーのコースにまとめてしまうのはやっぱりさすがです。

僕自身、団地というか「郊外」というものに対する問題意識が建築を真剣に考え始めたスタートになっているのですが、東川さんの暖かい目線、育てるべきものを見つけるような目線には頭が下がりました。

わりとなじみのある場所が多かったというのもあるでしょうが、今回まわった団地に僕の持つ「郊外」のイメージほどの冷たさを感じなかったのは、それなりに歴史を経てきていることと、団地が出来る傾斜地という立地条件によって地形・敷地にある程度変化があること、それと各敷地ごとにそれなりに緑が植えられていることに拠るのかなぁと感じました。(あと東川さんの語り口)

年齢構成の偏りや、その他団地ならではのイビツさがあるのですが、そういうイビツさも(問題は問題として捉えながらも)受け入れてみるという考え方もすこしあるかもしれないと感じたツアーでした。

今回のまち歩きにはMBCと南日本新聞とNHKの取材が来ていて、子連れは珍しかったのかMBCと南日本新聞に取材されましたー。
当然のごとくキョドっていたのでカットされるような気がしますがMBCは8/1午前の放送のようです。(多分ズバ鹿児)

[gmaps:31.575281478391517/130.49714505672455/18/460/300]星ヶ峯団地せせらぎ公園[/gmaps]




均質化と懐の深さ

長いこと探検の会いけてないなぁ。

何度か参加してみて、少しずつ鹿児島ってすごいなぁと感じ始めたところなので、また機会を見て長男と参加してみたい。

表面的に見てみれば、鹿児島は”全国どこでも同じ風景”の均質化が比較的進んでいる地域だと思うけど、少し奥に入ったり注意してみてみるとまだまだ独特で素敵な風景の残っている懐の深いところなのだと感じられるようになってきた。

まだまだ建築の設計には結びついていないんだけど、焦らず少しずつ身体化できればと思う。

そういう点で面識はないですが、このブログも結構おすすめ。(って前にも書いたか・・・)




W042『すごいぞ!加治木のまち歩きRETURN』


加治木でのかごしま探検の会のウォークラリーに参加してきました。

雨が降りそうなのでどうしようか迷ったのですが結局息子を連れて二人で行きました。
同じ会に参加するおばあさんが「東川さんは晴れ男だから大丈夫」と言ってた通り、雨も何とか持ちこたえてくれました。

島津義弘のお膝元ということで歴史の宝庫なのですが、地元の加治木石を利用した石垣などでつくられたまちなみが印象に残りました。

石垣や緑があり、地形に奥行きや起伏があり、道もカーブを描いていたりと、親しみを感じさせるまちなみです。
こういうまちなみがこういう場所に残っているというのを感じられただけでも収穫でした。

P.S
ほぼ同じコースの記事がありました。写真はこっちの方がきれい。(投稿日が昨日ですが、偶然?)

加治木町・仮屋馬場通り – 鹿児島みてある記2
加治木町・曽木家の茅葺門 – 鹿児島みてある記2

この方の記事を見ていると、鹿児島はすばらしい町並みがまだ沢山残っているんだなぁと勇気付けられます。




W041『初夏の谷山ふもと散歩』


久しぶりにかごしま探検の会のウォークラリーに参加しました。

はじめてウォークラリーに参加したのが谷山でしたが、今回はもう少し南側。
家族で参加予定でしたが妻は用事があったので僕と息子で参加。

今回の史跡はほとんどが石でした。途中の路地の石垣もいい感じです。
溶結凝灰岩?は鹿児島の一つの景色をつくっていると思いますが、そこから何を見つけ出すことが出来るでしょうか。
東川さんが『こういう路地は車にはやさしくないけど、人にはやさしい。歩いているといろいろな発見もある』というような事を言われましたが、この路地もいずれ区画整理でなくなるそうです。

頂いたマップによると今住んでいるところの近くにもいろいろポイントがあるので帰りに写真を撮って帰ろうかと思いましたが、解散したとたんに息子が寝始めたのでそれは次回に。

(参考)是枝柳右衛門について
ものすごい先生たちー9 – 日本国家の歩み

是枝柳右衛門【名は貞至(さだよし)。鹿児島市外谷山生まれ。代々商を営んでいた。海内ようやく騒然たる時において家産を治めず、早く志士と交わった。文久元年京都に出て中山忠愛に謁し皇権恢復の計を述べ、ついで松村大成、小河一敏と往復した。寺田屋の変後、屋久島に流され、元治元年十月没、享年四十八歳】

[gmaps:31.51851107326432/130.51570057868958/17/460/300](comment)[/gmaps]




Region NO.09

鹿児島にはもう一冊、質の高い文化的フリーペーパーがあります。

それは、友人も企画に係わっている渕上印刷のRegion

昨日垂水に打ち合わせに行ったときに 市役所の待合に置いてあったのでもらってきました。

そういえば特集は『焼酎遺産』。かごしま探検の会の東川さんが取材を受けたと言ってました。

帰りのフェリーで読んでみると、いくつかの文章が心に残る。

まずは冒頭の岡田氏のエッセイ『「どうだ」より「どうぞ」の美学』より

在来の素材は、確かに水や雨や風を「どうだ」と遮ってはくれない。(中略)しかし、そのぶん人の気持も優しく受け止めてくれる。(中略)ただ私は、「どうだ」とそびえる二百メートルを越すガラス張りのビルより、二百年を経て「どうぞ」とたたずむお堂に心が和むだけだ。(中略)
柱のはしばし、梁のすみずみ、甕の肌のきめのひとつひとつに、そこにただよう菌や気や人々の思いが息づいている。容れるものと容れられるものが相通じる。

まさしく僕が大切にしたいと思っていること。『容れるものと容れられるものが相通じる。』状態なんて本当に理想です。いや、ほんと最後の一文はそのまま僕の理想として掲げてもいいぐらい。
次に東川さんの文章

遺産というものは、単なる遺物または過去の物ではなく、現在の社会といつかの時代とを「文化」や「物語」で結びつける関係性の象徴だ、と私は思う。つまりこれまでとこれからの両方を伝えるものであり、また遺産のある地域の表情を伝える役割を担うものであるとも考えている。

いまのものづくりの多くに決定的に欠けているのはこういう時代を超えた視点と関係性をつむぐ想像力だと思う。それにしても東川さんはこういう艶っ気のある文章も書けるのですね。さすが。(艶っ気のある全文はregion読んで下さい。)

最後に大石酒造の大石社長の言葉より。

焼酎造りにおいて、常に一定の味を保つことは確かに重要かもしれません。しかし、自然の材料を使っている以上、たとえば芋の状態によって去年と今年では当然味は変わるわけです。そのゆらぎの幅を許容することで、古い技術や設備が受け継がれていくのではないかと思います。

伝統に真正面から向かい合っている人だけあって言葉に重みがあります。このことは全く建物についても言えます。『ゆらぎの幅を許容する』ゆとりの精神、これを持てるかどうかでうまい焼酎を毎日飲めるかどうか(建物についても同じ)が決まってくるように思います。
しかし、実際はこのゆらぎを全く認めないような世の中になってきているようで怖い。(関係する視点でイトイさんが管理について語ってます。「前回」の文から読むと面白いですよ。)

(引用中の強調はオノケン)




W029 『魅惑の長田町をあるく』

w29a.jpg
予定が合わなかったり雨で中止になったりとなかなか参加できてなかったのですが、久しぶりにかごしま探検の会のウォークラリーに参加しました。

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今回は県民交流センターからスタートし近くにありながらなかなか足を伸ばすことのなかった長田町を散策。

1. 横山安武森有礼生育の地。

横山安武は役人の腐敗を憂いて集議院に十条の意見書を掲げ切腹をした人だそう。いつのときも役人の腐敗はあるものだ。今はこういう気概のある人はいるのだろうか。

2-4. 椋鳩十邸宅跡・椋鳩十の部屋から見えていたであろう桜島。

東川さんにつづいて”みたけさん”からも解説がありました。(僕は存じ上げていなかったのですが、NPO法人かごしま文化研究所の三嶽公子さんだったのでしょうか?)

椋鳩十は1947年に市立図書館の館長になったそう(このころ作家が館長になるのが流行ったそうです。)

このころは全国でも鹿児島・宮崎は最も図書館に対する予算が豊富な県だったそうで、椋鳩十の働きも大きかったよう。(戦後の生活に図書を通じて潤いを与えたいという思いが強かったそうです。)

5-11. 長田神社

もともとは福ヶ迫諏訪神社という名だったそうだけど、明治時代に神戸の長田町にある神社と同じ祭神 ということで長田神社と改名されたそう。つまりこの長田町という名の由来は神戸から来てるそう。へぇ~。

12-15. 興国寺墓地

染河彦兵衛、徳田太兵衛伊地知季安、汾陽理心の墓などをまわる。他にもいろいろ見所があるそうだけどタイムオーバー。

年配の参加者が多いのですが、かなり坂の多いコースをなんとか歩ききっていました。いつも思うのですがこういう年配方が歩きながら話しているのをこっそり聞いてると、生活に根付いた面白い話がいろいろ聞けて感心してしまいます。

なぜ参加するか。

僕は学生のころは完全に理系だったのでかなりの歴史音痴です。
なのでイベントの面白さの100分の1ぐらいしか伝えられていないと思います。
マティックさんの御友人の日記のように書ければどんなにいいだろうか、と思いますが急には無理ですね。もっと含蓄のある方が聞けばもっともっと楽しめると思うと少し残念でもあります。

では、歴史の苦手な僕がなんで参加しているか。

それは、講師の東川さんの魅力というのもありますが、僕自身、いずれは地域性や歴史性といったものを感覚として身体化したいと思っているからです。

今の建築、特に家づくりというものを考えた場合、地域性や歴史性といったものを切り捨てることによって成立している部分というのが多分にあると思います。
そういうものを建築に取り入れるのはかなり困難なシステムになってきてしまっているし、僕も含め今の人達はそういう切り捨てたものを扱うのが苦手になってしまっていると思います。

実際、そういうことを考えず全国的に流通している工業製品だけで建物を作るのが一番楽で、机上だけでかなりの部分ができてしまいます。
しかし、地域性や歴史性というものを扱おうとしても、机上でいきなりできるものではありません。
おそらく自分の感覚として身体化していなければうまくは扱えないと思います。

そのために、2年や3年と言うスパンではなくて長い目で見て少しずつ、少しずつ、そういうものが身体化されればいいなぁと思って無理をしない範囲で参加させていただいているのです。

(イベント、イベントがその都度一回性の ものですので、毎回参加しないともったいないという思いもあります。

ただ、続けていくことが肝心だと思うので無理をしない範囲で、ということにしています。)

その後

そのあと、フリーペーパーのunder’s highを発行されているチャビンさんの店に寄らせていただきました。
地味な格好だったので店に入るのはかなり勇気が要りましたが、思っていたとおり気さくな方でした。ほっ。(あと、チャビンさんのブログにあるライブ映像に写っているサモアの怪人というゲストが友人のM野氏に似ていたので気になっていたのですがどうやら別人だったようです。ちなみに、 サモアの怪人マーク・ハントがK1で優勝したときはあまりにM野氏に似ていたので人ごとの気がしませんでした。)
応援していますので under’s high頑張ってください。(僕もいずれ広告を載せたいなぁ)

[gmaps:31.60586958769126/130.55353045463562/17/460/300]興国寺墓地[/gmaps]




W020 『THE☆郡山』


かごしま探検の会の2007年度第1回まち並みウォークラリー。今回は妻と息子を連れて行ってきました。
[gmaps:31.68118660523632/130.465350151062/17/460/300]稲荷神社[/gmaps]


1. おなじみ?田のかんさぁ

上園の田之神
この田之神は、元文元(1736)年に建立されたもので、郡山周辺ではもっとも古いものです。姿は、田之神舞型で、高さは約80センチ、頭には大きな敷きをかぶり、右手に杓子、左手に椀を持っていますが、欠落がひどくて、顔の表情は理解できません。(ウォークラリー・レジュメより以下同じ)

田のかんさぁの土台の部分に小さい穴が開いてることが多いのですが、その穴は子供がトリモチを作るときに出来たそう。へぇ~~
2. 郡山城跡

郡山城跡
中世の頃の山城で、かつては郡山氏が領有していました。しかし、南朝方の伊集院忠国によって、攻め落とされるなど、苦境にあいますが、後々灯志島氏によって伊集院氏は敗走させられることになります。

3. 途中にあった石倉。
この後地頭仮屋後に寄ったのですが今はJAになって面影が残っていませんでした。(立派な石垣があったそうです)

地頭仮屋後
江戸時代のはじめの郡山は、島津氏の重臣である平田氏が領有していましたが、平田増宗が入来峠で暗殺されてしまい、藩の直轄領になりました。それが慶長15(1610)年のことで、この地に地頭仮屋が置かれることになりました。



4~14. 稲荷神社緑に彩りを添えるようなかたちで桜が咲いていてとても雰囲気のいい場所でした。
7.立派な杉が五本立っています。東川さん指定の”世間遺産”に選ばれました(南日本新聞木曜夕刊参照)。
10.里山の風景を見るとなんだかほっとします。
11.12.社を守るようなかたちで向かいあって立つ石碑(なんて呼ぶのでしょうか?)実は穴からのぞくとそこには。言われないと気づかないかも。
13. 子泣きじじぃのようなキュートな田のかんさぁ。



15.16.菅原神社

菅原神社
創建は不明ですが、昭和55(1980)年に社殿を改築した際に、拝殿正面に慶安5年と嘉永6年と書かれた文字が見つかったことから、その頃と推測されます。御祭神は菅原道真公

17.招魂碑群

招魂碑群
西南の役に従軍した35名、日清・日露戦争のもの、上海事変から太平洋戦争までの招魂碑が並んでいます。

その他いろいろと面白い話を聞いたのですがここには書ききれません。
歴史がずっと(かなり)苦手だったのですが、興味が湧いてきました。知識があればもっと話を楽しめるはずなのにもったいないなぁと。定員の40名近くは参加してたんじゃないでしょうか。他の参加者の方たちが話をしているのを聞くのも面白いです。年配の方が多いのですが、歩きながら庭の趣味や家のたたずまいについて話をしているのを横で聞いているだけでもためになります。
今日も平屋の家々が自然にとけこむ風景を見て「やっぱり平屋がいいねぇ」と盛り上っていました。土地の条件等あるので一概には言えませんが、やっぱり昔の民家の方がたたずまいとして美しいですね。すぐに結果は出ないかもしれませんが、こうして歴史やまち並み、その中に現れる人間の営みに触れていくうちに何かしらの影響が僕の思う建築にも出てくるんじゃないかと思っています。

今日も虎翔はみんなに愛嬌を振りまいていました。(子育ての先輩方がたくさん。)
この後、健康の森公園で食事・散歩して図書館によって帰り、選挙にも行ってなかなか充実した週末でありました。




W018 『谷山旧街道をゆく~東谷山編~』


かごしま探検の会のまち並みウォークラリーが谷山であるというので早速行って来ました。
[gmaps:31.526641535630798/130.51695585250854/16/460/300]春日神社[/gmaps]
永田川から南側はいつもの散歩コースですが、今回は永田川の向こう側、谷山旧街道ではなく伊作街道の方。

1JR谷山駅を出発
2~5春日神社
6永田のたのかんさぁ(享保6年)
7上福元耕地整理記念碑とたのかんさぁ(大正11年)
8奥牟田耕地整理記念碑とたのかんさぁ(大正12年)
9~12奥龍権現
13~16波之平刀匠之遺蹟
18伊作街道を歩く
19富迫周次郎翁賢徳碑
20上福元・塩屋耕地整理記念碑兼櫻島爆発記念とたのかんさぁ(大正3年)

このあたりはずっと田んぼだったそうで、たのかんさぁがたくさん。
今は区画整理が進んで田んぼはほとんど残っていません。たのかんさぁを祭る春の”さのぼいど”・秋の”しめど”という祭りも今ではほとんど行われていないようです。
また、刀鍛冶でも有名なところで波之平刀匠といえば全国区です。

ウォークラリーには初めて参加しましたが、地理的・歴史的視点からの案内つきで散歩できるのはとても面白いものですね。
これからも妻や子供をつれてちょくちょく参加したいなと思っています。

それにしても、最近”たのかんさぁ”にご縁が増えた気がします。
加世田の実家に偶然置いてあった本を読んでから、散歩でも時々見かけますし、岩崎美術館では普段入れないところを特別に見せていただきましたし、先日お会いした菊野さんの家は”タノカンの家”ですし、今日もたくさんご縁がありました。

これはタノカン建築をつくれとのお告げでしょうか?(笑
今度は頂いた谷山のマップを見ながら永田川以南もぐるっと散歩してみよう。




鹿児島のかたち・地域のかたち

鹿児島、生活地域建築塾主催のシンポジウムがあったので行って来ました。

JIAの案内を見て知ったのですが講師はなんと象設計集団の富田玲子さん、U研出身の齊藤祐子さん(僕はU研と象とがごっちゃになっていましたが・・・)、そして進行が一つ前の記事で加世田で活動されていると書いた菊野憲一郎さんでした。びっくり。
また鹿児島サイドからは創建築計画研究所の溝口さん、かごしま探検の会の東川隆太郎さんが講演を行ったのですが、この東川さんという方が鹿児島のプロともよべる人で話がとてもおもしろく、そして熱い思いをもっていらっしゃる方でした。

東川さんは建築が専門ではないのですが、建築を含めた環境に対する視点や思いは設計者が反省を込めて見習わなければいけない、と強く感じました。

僕自身、地域性に対するある種の憧れは持っていても正直どうアプローチすればよいか、ピンとくる感覚を持てなかったのですが今日の話で何かヒントが得られたような気がします。

スライドでも笠原小学校などが紹介されましたが、吉阪隆正氏や象設計集団の建物、それから小松義夫さんの写真などをみると、自然と楽しくなってきますし、生命の力が湧いてくるような感じさえ受けます。
”これが建築なのだ”と思えます。
多くの人はこの楽しさを忘れてしまっているのではないでしょうか。
忘れているのならまだよいのですが、僕はこの楽しさを知らないというまま子供が育ち、それが世間の大半を占めてしまうということが非常に怖いのです。
現にそれはかなり現実のものになりつつあるように思います。

それをくいとめるには”楽しい、気持ちよい”こと、東川さんの言葉だと”なつかしい”と感じられること、これっていいでしょ、ってことをあきらめずに言い続ける以外にないのかもしれません。

今日の話は一般の人を含めたもっと沢山のひとに是非とも聞いてもらいたかったです。
みながこの”楽しさ・気持ちよさ”を知ったら街はずっといいものになるのにな。

懇親会では(最初お腹がすき過ぎて言葉が出なかったのですが)、齊藤さんや東川さんと楽しく話させて頂いてとても実りの多い時間でした。