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B117 『藤森流 自然素材の使い方』

藤森 照信 (著), 大嶋 信道 (著), 柴田 真秀 (著), 内田 祥士 (著), 入江 雅昭 (著)

彰国社 (2005/09)

技術とは何だろうか。と考えさせられる。
藤森さんのやってること(技術)はその筋の人が見ればもしかしたら子供だましのようなことかもしれない。
だけれども、藤森さんは自分で考え手を動かす。
それによって近くに引き寄せられるものが確かにある。

藤森さんは自分のことを建築家というよりは職人だと位置づけているようだ。
専門化が進む中、技術に対して恐れを持たずに自分の頭や手に信用を寄せられるのはすごいことだと思う。
今の建築は気を抜けばすぐにカタログから選んだ工業製品の寄せ集めになってしまう。(その原因に技術に対する恐れが多分にあると思う)
工業製品を一つの素材と捉えて、そこに命を吹き込むこともできるだろうが、それを意識的に行うのは相当な腕がなければ難しい。

なんというか藤森さんにはコルビュジェと似た匂いを感じる。(きっと本人も自覚していると思う。)
コルビュジェが庭園を語りながら、建築が植物に飲み込まれるのを恐れて植物から距離をとった、というような分析があったが、 なんとなくそれに対するリベンジのような感覚じゃないだろうか。だけど、藤森さんのやってることはかなりギリギリのところだと思う。
自然と人工の関係を扱うには藤森さんのような濃さとバランス感覚がないと、あっという間に胡散臭いエセ自然になってしまう。
藤森さんの建物でさえ、そのまま屋久島なんかに持っていったら自然に飲み込まれて胡散臭いシロモノになってしまうのではないか。藤森VS屋久島是非対決を見てみたい




B056 『屋久島の民話 第二集』

下野 敏見 (1965)
未来社


日本の昔話と水木しげる本を図書館で探しちょったら、屋久島の民話があったかぁ借りてみた。

「そひこのはなしじゃ。」

そいで話が終わるんがよか。
そひこのはなし以上のもんがそげんあるわけがなかかぁね。

こん話を集めたとは、種子島の先生(ちゅうても何十年も前の話)やっけど、当時、そん先生が種子島から屋久島を見て

夜の海に黒々と浮かぶ屋久島の中央部に屋久島電工の灯がきらめくのでした。その灯が私には日本に無数にある離島の暗く悲しい運命を自らの手できっぱりと断ち切って、近代工業の島を打ちたてようとする希望の灯に見えるのでした。(中略)ところが島の近代化が進むにつれて古い伝承が急速に失われつつあります。

ちゅうように危惧しちょん。
当時の時代も感じとるん。
じゃっけど、おいは恥ずかしながぁ屋久島ん歴史はよーわかぁん。ちーっとは勉強せんにゃねぇ。

こん本を読んでも、屋久島なんかはそげな話に想像を巡らせらるん、だいにも分からんようなもんが残っちょっけど、都市部ん化けもんは瀕死の状態や。

景色ん中に想像の入る余地はなか。

そいはちぃっとばっかい貧しかやなかか。
化けもんが本当はおるとかおらんとかの問題やなか。おわんくてもそういうことを考えるんはおもしぇえが。

やっぱい水木しげるん本を読んでみっかねぇ。
なんかヒントがあっはずや。

あっ、こん本にのっちょん話がこんページにもいくっか載っちょっど。

(おいん言葉はだいたい合っちょっかねぇ?あんまい自信はなか)




ビデオ『深呼吸の必要』

篠原哲雄監督長谷川康夫脚本(岩波書店)2004.03


あまりにもストレートなタイトルは少し気恥ずかしさを覚えたが、オープニングの映像や織り込まれるエピソードになるほどと納得。

なかなか良かった。

おじぃの「なんくるないさ-」(どうってことない、なんとかなるさ)という言葉が心に響く。

人はときには深呼吸をしてスローダウンすることも必要だ。

僕もときどき穏やかな音楽や雄大な自然に身を任せてひたすらにボーっとしたくなる。

いや、ときどきというよりは、いつもそういう欲求を抱えている。
それが一つの建築へのモチベーションになっていることは確かだ。

そういえば、サラリーマン時代にはあれほどクラシック音楽が好きだった父が、屋久島に移住してからほとんど聴かなくなった。

聴く必要がなくなった、ということらしい。

ゆったりとした時間の流れる空間が生活の中には必要なのかもしれない。
[MEDIA]




B005 『CASA BARRAGAN カーサ・バラガン』

齋藤 裕
TOTO出版 (2002/04)

メキシコで活躍した建築家、ルイス・バラガン(Luis Barragan 1902-88)の住宅の作品集、というより写真集。建築家の斉藤裕が解説を加える。
テレビなんかでも紹介されたりするので、比較的知られている建築家だが、恥ずかしながら僕はじっくりと作品集を見るのは初めてだった。
掲載されているのは、バラガン邸、プリエト邸、ガルベス邸、サン・クリストバル、ギラルディ邸です。

とにかく、単純に、美しい。

『静けさは、苦悩や恐れを真の意味で癒します。どんなに豪華な、あるいは、ささやかな家であろうとも、静けさに満ちあふれた住まいをつくることは建築家の使命なのです。・・・』ルイス・バラガン

斎藤裕の解説文のタイトルが『生の謳歌』であるように、静けさのなかから生命感が溢れ出してる。
そういう感じです。

しかし、それはいったいどこからくるのだろうか。

バラガンの住宅はモダニズムの手法による徹底した抽象化という印象を受けるのと同時に土着的な、身体的な感覚を受ける。
この両者のバランスが、すばらしいのだ。抽象化とはこういうことか、と思わされる。

抽象化はまさしく日本建築のお家芸であったであろうが、バラガンは面の構成や色などにによって、物質を、光を抽象化する。
抽象化によって余計なものは削ぎ落とされ、自然、世界そのものを受け止める素地ができ、静けさのなかから生命感が溢れ出しているような場所と時間が生まれる。

また、バラガンはアシエンダ(大農場)の昔の記憶、原風景と呼べるものを大事に抱えていたようである。
そういうものがバラガンのバランス感覚を支えていたのだろう。
それは、バラガンの、そしてメキシコのものである。

おそらく、自分のなかにも原風景と呼べるものはあるし、割合大事にしてきているほうだと思う。
奈良の田舎で走り回った風景、遊び、屋久島の自然と生活・・・そういったものを改めて見つめ直したい気持ちになった。

また、この本で印象に残ったのは、建築家と施主の幸せな関係である。
施主はバラガンの住宅に誇りを持ち、感謝し、大切に住み続けている。

バラガンは幸せだ。

住宅もひとつの環境である。
環境とはおそらく与えられるものではなく、「関係」でしかないと思う。
施主と住宅(願わくば環境の全て)の「関係」をつくる手助けすることが建築家の職能のひとつだと思うのだが、今はそういうことは忘れられ、住宅でさえ商品となり、人々は受身で住宅を消費する。

自分の住宅(環境)と「関係」を結べるのは自分にしかできないのに。




私と空間と想像力

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自己と世界

「私のいる空間が私である」ノエル・アルノー

自己と世界との関係ははるか昔から人間にとって主要なテーマでありつづけました。

普段私たちはこういう事は考えることもなく私は私で世界は別にあるものと感じていると思います。しかし、音楽の世界に浸っているとき、大自然に包まれているときなど、何か自分の世界が広がり、世界と一体になったような感覚は誰でも感じたことがあると思います。僕にとってそのひとつが屋久島での体験でした。

領域の拡大

自分という領域があるとすれば、それは周りの環境や想像力によって無限に大きくなると思います。

例えば自分が鳥になって空を飛んでいることを想像すれば空は自分の領域になります。高台から町の光を見下ろせばその町が自分の領域のように感じます。

建築的な話をすると、家の中心に階段があるとします。その階段をのぼらなくても、階段は登ることを想像させその上の部分にまでイメージを広げます。また、快適なテラスは家の中にいながら外部へ、そして空へとイメージを広げます。さらに想像力をたくましくすれば空は地球上の全ての場所とつながっています。

鹿児島のシンボル的な存在である桜島はそれが見えることで私たちのイメージを一気に引き伸ばしてくれます。

このように、想像力は私たちの世界を広げてくれます。そして、それは私たちのアイデンティティの問題とも深くかかわっています。

「私のいる空間が私である」。だからこそ空間に心地よさを感じられるのかもしれません。




世界とのつながり

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屋久島で感じたこと

僕の実家は屋久島にありますが、屋久島に帰るといつも海と山の見渡せる丘に登り、ボーっとすることにしています。そこで感じたことが、僕の建築を考える上でのひとつの原点になっています。

月並みな表現ですが、そこでは、何もかも忘れることができます。世界の広さを感じ、自分の存在の小ささを感じます。同時に、自分と世界との境界も曖昧に感じます。次の項でも述べますが、世界そのものが自分であるような感覚になります。そして、冷静に自分を見つめることができます。

抑制された想像力

少年犯罪や、自殺などのニュースを見ると胸が痛みます。僕の想像でしかありませんが、彼らは自分の周りのほんの小さな現実が、世界のすべてというように感じざるをえないような状況に追い込まれてしまったのではないでしょうか。

少し冷静に考えてみると、自分の周りの現実以外にも、想像もつかないほどの広大で多様な世界や可能性が存在していることに気づきます。彼らは逃げ出しても良かったのだと思います。ほんの小さな想像力ときっかけがあれば避けられた事件はたくさんあると思います。

しかし、日本はどんどん想像力を抑制する方向に進んできました。僕が建築と向きあいたいと思うきっかけになった97年の神戸の殺人事件でもいわゆるニュータウンと呼ばれる郊外のことが話題になりました。

同じような住宅が整然と立ち並ぶ砂漠のような状況の中、多様な世界に思いをはせることは困難に思います。さまざまな場面で想像の入り込む余地は切り捨てられ、抑圧されてきたように思います。

世界とつながる

そのような状況の中、想像力がはばたき、世界とつながりを持つことのできるような建築をつくりたいというのが僕の思いです。