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B134『くうねるところにすむところ06,08,14,16,21』

06物語のある家妹島 和世
08 みちの家伊東 豊雄
14 家の?青木 淳
16もうひとつの家高松 伸
21ドラゴン・リリーさんの家の調査山本 理顕
インデックスコミュニケーションズ(2005/04-2006/11)

今回は自分の本を借りずにこどもの絵本だけにすると決めて、図書館に本を返しに行ったのですが、その絵本のコーナーにこのシリーズがずらりと並んでいるのを発見。
どうりで専門書のコーナーになかったはずです。

結局、子供の絵本は妻のカードで借りて、自分のカードではこのシリーズから5冊を借りてしまいました。

その中で、最後に書かれているこのシリーズの発刊のことばに共感する部分が多かったので引用します。

環境が人を育みます。家が人を成長させます。家は父でもあり、母でもありました。家は固有な地域文化とともに、人々の暮らしを支えてきました。かつて、家族の絆や暮らしの技術が家を通して形成され、家文化が確かなものとして水脈のように流れていました。
いま、家文化はすっかり枯れかかり、家自体の存在感も小さくなり、人々の家に対する信頼感も薄らぎ、急速に家は力を失いつつあります。家に守られる、家を守る、家とともに生きるという一体となった感覚が、極端に衰退しています。
(中略)家の確かさと豊かさと力強さを取り戻すため、建築家が家の再生に取り組む必要があります。
その第一歩として大切なことは、まず建築家が、子どもの目線で家について伝えることです。本書は、子どもたちが家に向き合うための建築家、そしてアーティスト、作家などによる家のシリーズです。(『発刊のことば』より)

このシリーズは子ども目線で書かれているそうですが、大人の目で見るとパッとみた感じ、”はたして子どもに理解できるんだろうか”と思ってしまいました。
だけども、これが”理解”できるかな?と考えるところからして、大人の固定概念に凝り固まった見方のような気もしますし、子どもの感受性で純粋にこの絵本?に接したら普通に何かを感じ取ってくれるのかも知れません。

子どもに家の絵を描いてもらったら、昔はいろいろな家の描き方があったけれども、最近は同じような”家型”の絵を描く子どもが多くなった、というような調査結果を何かで見た記憶があります。
それは、画一的な家のイメージが浸透して、家というのが生活の場としてよりも家というパッケージとしての在り方が強くなってしまっている結果なのかも知れません。こういう本に触れることで、家はもっと自由で楽しい可能性に開かれているということを感じ取って記憶の片隅にでも残しておいてもらえるといいですね。

このシリーズはおそらく建築家の今現在もっとも大切にしている事の核の部分が描かれているでしょうから、僕個人的にも興味深いです。

以下、それぞれから引用。

メモ

それぞれの人たちの生活に合わせながら、一方でひとりひとりがその家族のかたちから、少しだけ自由になれるような家を作りたいとおもっています。(妹島和世)

ぼくは長い長い、先の見えないみちのような家が好きです。見えない先にはワクワクすることがいっぱいありそうだもの。でもこれはぼくがヘビ年だからかなあ。あなたがウサギ年だったらどんな家を考えるのでしょう。もしかしてトラ年だったら・・・。(伊東豊雄)

だれにも見つからない静かな静かな隙間。なんだかホッとする。寝ている間に、シロが少しずつクロになる。(中略)
道を通う足音が聞こえる。なんだかホッとする。寝ている間に、クロが少しずつシロになる。(青木淳)

その身動きならない一点で息を止めながら、僕は解ったのです。そう、僕は、これから先ずっと、この静けさの一点に釘付けになるのだと。(高松伸)

でも、どんなところに行っても、そこに住んでいる子どもたちは、なんであんなに生き生きしていたんだろう。みんな一緒に暮らしていたからだと思う。自分の家の中だけじゃなくて、隣の家も、そのまた隣の家も、畑も道も村も森も川も湖も草原も砂漠も雑木林もみんな子どもたちの場所だったからだと思う。(山本理顕)

最後の山本理顕の言葉。
原広司の研究室で世界中の集落調査に行った時に感じたことだけども、これが山本理顕の原動力だと思いました。
他の建築家にも言えることだけれども、建築に夢をもてるかどうかは、こういう一点を心の中に持てる出会いがあったかどうかなのかもしれません。




B008 『妹島和世読本 -1998』

妹島 和世、二川 幸夫 他
エーディーエー・エディタ・トーキョー(1998/04)

この本は、僕が大学を卒業し、上京して再度学ぼうとしていたころに購入した。
今考えると、俺も結構ミーハーだなぁ。と思うが、とにかく妹島和世には相当な衝撃を受けたのである。
当時はその衝撃を自分の中でどう解釈してよいか、相当に悩んだ。

恥を惜しむがその当時のメモには

「このごろ、妹島和世の建築にも魅力を感じ始めている。それは、さまざまなものからの開放に対する興味でもある。僕の心は絶えず、内側への収束と外側への発散との間を揺れ動いている。98.5.17」

と書いている。

他にも気になる建築家はいたのだが、当時は両端としての安藤忠雄と妹島和世との建築の間で揺れ動き、自分の考えがどちらに近いかを早急にきめねば前に進めない。という焦りを感じていた。

このころ、僕の中で発見したキーワードは「収束」と「発散」である。
たとえば、安藤忠雄の空間の質は人を精神の内へ内へと志向させる「収束」であり、妹島和世の空間の質は人を精神の外側へと志向させる「発散」ではないかと考えていた。

そして、内へ向かおうが、外へ向かおうが、その究極の行き着く先は同じで、そこにはある種の『開放』と精神的な『自由』があるのではないか。

なんだ。結局は同じではないか。そんなに今悩むことないや。というのが、その当時のとりあえずの結論である。

この、「収束」「発散」「開放」というのは割合気に入っていて、架空の事務所名にも”release”という単語を入れている。(※記事作成時の事務所名)
今考えると、妹島和世の持つ自由さという印象は、モダニズムのさまざまな縛りから自由に羽ばたき、ポストモダンの生き方(建築のあり方)を鮮やかに示しているように見えたため、多くの若者の心をつかんだのだろう。

もちろん、妹島和世の建築は意匠的な狭義のポストモダニズムなどではないが、その思想の自由さには、やはりポストモダンを生きるヒントが隠されているように思う。