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妖怪の居場所を思う。


はい、すみません。こなきじじぃのつもりです。はい。

マウスで書いてるんで許してくだせい。

妖怪の入り込む隙間、言い換えれば想像力を働かせる余地を残しておくこと。


オノケンノート – B056 『屋久島の民話第二集』

こん本を読んでも、屋久島なんかはそげな話に想像を巡らせらるん、だいにも分からんようなもんが残っちょっけど、都市部ん化けもんは瀕死の状態や。 景色ん中に想像の入る余地はなか。 そいはちぃっとばっかい貧しかやなかか。

オノケンノート – B061 『水木しげるの妖怪談義』

神は政治、妖怪は生活。。。妖怪は音。。。妖怪は雰囲気。。。妖怪を消し去ることがあたりまえで良いことだ、ということに疑問を持つことさえ難しくなってしまった。目に見えるもの、頭で理解できること、それがすべてというのはやっぱりどこか寂しい。

オノケンノート – W006 『杖立橋+Pホール』

ヴェネチアより東洋的な雰囲気でパワーがみなぎっていている。 こなきじじーがその辺を歩いていてもおかしくないような感じ。




B061 『水木しげるの妖怪談義』

水木しげるの妖怪談義 水木 しげる (2000/07)
ソフトガレージ


水木しげるの対談集。
養老孟子や美輪明宏とも対談してたりする。
けっこういっちゃってる。

神は政治、妖怪は生活。。。

妖怪は音。。。

妖怪は雰囲気。。。

妖怪を消し去ることがあたりまえで良いことだ、ということに疑問を持つことさえ難しくなってしまった。

目に見えるもの、頭で理解できること、それがすべてというのはやっぱりどこか寂しい。

そう、何かが抜けおちてるような。
んな気がしませんか。




B056 『屋久島の民話 第二集』

下野 敏見 (1965)
未来社


日本の昔話と水木しげる本を図書館で探しちょったら、屋久島の民話があったかぁ借りてみた。

「そひこのはなしじゃ。」

そいで話が終わるんがよか。
そひこのはなし以上のもんがそげんあるわけがなかかぁね。

こん話を集めたとは、種子島の先生(ちゅうても何十年も前の話)やっけど、当時、そん先生が種子島から屋久島を見て

夜の海に黒々と浮かぶ屋久島の中央部に屋久島電工の灯がきらめくのでした。その灯が私には日本に無数にある離島の暗く悲しい運命を自らの手できっぱりと断ち切って、近代工業の島を打ちたてようとする希望の灯に見えるのでした。(中略)ところが島の近代化が進むにつれて古い伝承が急速に失われつつあります。

ちゅうように危惧しちょん。
当時の時代も感じとるん。
じゃっけど、おいは恥ずかしながぁ屋久島ん歴史はよーわかぁん。ちーっとは勉強せんにゃねぇ。

こん本を読んでも、屋久島なんかはそげな話に想像を巡らせらるん、だいにも分からんようなもんが残っちょっけど、都市部ん化けもんは瀕死の状態や。

景色ん中に想像の入る余地はなか。

そいはちぃっとばっかい貧しかやなかか。
化けもんが本当はおるとかおらんとかの問題やなか。おわんくてもそういうことを考えるんはおもしぇえが。

やっぱい水木しげるん本を読んでみっかねぇ。
なんかヒントがあっはずや。

あっ、こん本にのっちょん話がこんページにもいくっか載っちょっど。

(おいん言葉はだいたい合っちょっかねぇ?あんまい自信はなか)




W006 『杖立橋+Pホール』

w06.jpg
□所在地:熊本県阿蘇郡小国町
□設計:新井清一+シダ橋梁設計センター
□用途:遊歩橋+多目的ホール
□竣工年:1988年
□備考:くまもとアートポリスプロジェクト
>>参考HP

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杖立の温泉街にある橋とホールの一体となった建築物である。

温泉街を歩いてみて、この町自体にとても興味をもった。

ヴェネチアとはまた違った感じだが、川と立体的な路地が楽しくてつい隅々まで歩いてみたくなる。

ヴェネチアより東洋的な雰囲気でパワーがみなぎっていている。
こなきじじーがその辺を歩いていてもおかしくないような感じ。

さて、この橋はオブジェ的な扱いでデザインされているが、これが特段浮くわけでもなく町の風景としてなじんでいる。
それは、この町のパワーがあってこそであろう。

決して、どこにあっても「あり」のデザインだとは思えないが、ここでは成功しているのではないだろうか。

温泉街としてももう一度訪れたい場所である。

もっと、はちゃめちゃな町にになることを期待します。


△町のパワーを感じる


△橋より川下方向を見る
町の立体的な空間が興味をそそる