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まちづくりの当事者は誰?

先日のエントリーにつづき素朴な疑問を。
長文です。

まちづくりの当事者は誰?

「だれのため?」というのが先日のエントリーの疑問だったわけですが、では、まちづくりの当事者っていうのは誰になるんでしょうか?

まだぱらっとしか読んでませんが、薩摩川内市中心市街地活性化基本計画(素案)をみてみると、

本市の中心市街地を活性化する必要性については、57.8%が「必要だと思う」となっている(p28)

とあります。
しかし、このうちどれぐらいの割合の人が、他人事(誰かがやってくれるなら活性化したほうが良い)ではなく自分のこととして「必要」と考えているでしょうか。(ちなみにパブリックコメントは4件です)

当然、一番の当事者は市街地で商売等をしている人、もしくはまちづくり団体や行政に違いないのでしょうが、それだけでは十分ではないように思いますし、実際には市街地で商売していても当事者意識が薄いことが問題であることも多いようです。

オノケンノート ≫ B110 『M2:ナショナリズムの作法』

フランスでは「連帯」という社会形式自体がコモンズだと考えられてきた。だから”家族の平安が必要だ”に留まらず、”家族の平安を保つにも、社会的プラットフォームの護持が必要だ”という洗練された感覚になる。日本人にはその感覚は皆無。家族の問題は家族の問題に過ぎない。

実際にフランスでどの程度コモンズの意識が共有されていて、何が守られ、どんな問題があるのか、ということは分かっていないのですが、「その社会に住む人が自分達の生活の質を確保するためにある意識を共有し、一定のコストを払うことに同意してる状態」というのは一つの理想として参考になるんじゃないかと思っています。

言ってみれば、多くの市民にまちづくりの当事者であると感じてもらい、その結果としてまちづくりも前進する、ということが一つの目標であっていいんじゃないでしょうか。

当事者意識

当事者意識を持ってもらえるというのは
中心市街地の存在理由 – 薩摩之風

この「そこに集まって住む理由」が希釈されてきてるんじゃないかと思うわけです。

という問題意識の延長、まちのアイデンティティとか生活のリアリティとかの割とみんなの生活に直結することにつながると思いますし、逆に言えば、中心市街地の一つの機能(存在理由)として「まちのアイデンティティ(当事者意識)を守り育てること」というのが想定されてもいい様に思います。
(当然、郊外大型店が戦略として同じ機能を目指すことも考えられますが)

また、その際に重要だとすぐに思いつくのは二つあります。

一つは「ひと」。たぶん当事者意識の伝播は「ひと」を介してしか行われないと思うから。

もう一つは(建物だけでなくあらゆる意味での)「デザイン」。デザインには事物を分かりやすくしたりして「感じ方」を左右する力があると思うから。

当事者=プレイヤー?

とここまで書いてきて、川内組とだいぶ前に議論?した「プレイヤー論」と同じでね?前に進んでないんでない?という気がしてきました。
(参考)
商店街の活性化と地元にオープンした大型SCのこと – 薩摩之風
さつませんだい徒然草:オーディエンス化する社会その2
オノケンノート ≫ 都城市民会館秋祭り-追記-
など。

そういえば
中心市街地の存在理由 – 薩摩之風

プレイヤーはどこに居るのかな プレイヤー=商業者、じゃなくてもいい

てなことを書いてますね。

ただ、それぞれの定義や役割をもう少し練れば、人々の振る舞いを「プレイヤー(選手)」「ディレクター (スタッフ)」「オーディエンス(観客)」という3つの型で仮定するのは思考の枠組みとして使えるような気がします。
あっ、あと無関心組も追加しないといけないかな。

余談:当事者意識の限界?

少し余談になります。
僕は今年は行けなかったので思いっきり推測で物を言いますが、甑島でつくる活動はこの当事者意識の伝播の共同体のようなものではないかという気がします。

応援隊のブログを読んだり、twitterオフ会で@undoundyと@norigoeの会話を横聞きしてそう思ったのですが、主催者や応援者、住民と当事者意識を共有しているまたは共有したいという欲求がこの活動を支える一つの力になってるんじゃないかという気がします。
ただ、「当事者意識の共同体」は「外部」の存在を意識した場合に共同体ゆえの限界があるかもしれません。(共同体がだめと言うわけではなく可能性の問題として)

同じようにまちづくりを当事者だけの問題とすることには可能性とともに限界を生むかもしれないなと感じます。

余談:その他

・こんなやたら長い文よりも
指宿商店街ゆるり散歩 – 4代目若女将の成長記録
ってな行動の一つ一つの方が大切かも。っていうか、さすがの行動力です。脱帽。

・@rectuswarkyのひとりブレストに反応しようかと思いましたがそれはまた。っていうか、ハッシュタグつけてtwitterに晒せば反応しやすいように思いますがどうなんでしょう。




中心市街地の存在理由って何?

川内の友人がまちづくりに関わっているのですが、関心があったので川内を案内してもらいました。

時間不足であまりつっこんだ話はできなかったので、ここではとりあえず川内を案内してもらう前から漠然と思っていたことを書くことにします。

中心市街地の存在理由って何?

「まちづくり」についてはまだきちんと体系立てて勉強したことがないのでごくごく基本的な疑問になって申し訳ないのですが、中心市街地の存在理由って何なのでしょうか。

消費が郊外の大型店舗に逃げているということは、多くの消費者がそちらを選択したということで、選挙で言えば先日の自民党のように大敗したようなものです。(大多数の瞬間的な選択が必ずしも豊かな未来を指し示しているとは限らなかったりもしますが)
極端な話、中心市街地の商店街なんて別になくてもいいじゃん、と言われたらなんと答えるでしょうか。

ここでちょっと[中心市街地存在理由]でググってみたところ下記のような文章に当たりました。(多少古い記事ですが)

S067中心市街地活性化への七つの扉

漠然と「買い回り商店街」あるいは「地域中心商店街」、「広域商店街」などという「定義」がされているかも知れませんが、この程度の定義では郊外型ショッピングセンターと区別が付きません。区別がつかないということは、無意識のうちに郊外型ショッピングセンターがやっている商売にはるかに劣る質と規模で追随している、ということです。
(中略)
商店街活性化=広域で分担する商業機能を決定し、機能を整備すること。それも「買い回り型商店街」などというレベルではなく、郊外型ショッピングセンターとの関係をはっきり認識したレベルで、存在理由=デスティネーションを設定し、充実させていくことが中心市街地活性化の最大の課題です。

僕も郊外の大型店だけあればいいとは思いませんし(どちらかというと昔ながらの商店街の雰囲気の方が好き)、まちには多様性があった方がいいと思います。

だけど、雇用や地域経済の問題、コミュニティや生活そのものの質・ライフスタイル又は高齢化の問題、その他いろいろな問題があるとは漠然と思っていても、「中心市街地の存在理由って何?」と聞かれてすぐに簡潔に説明できる言葉を持ち合わせていません。

中心市街地が「誰にとって」「どんな価値」がある(どんな価値を提供できる)のか、簡潔に誰にでも分かるように答えられるようでないと目的を共有し具体的に前に進んでいくのは難しいように思います。

・「中心市街地の存在理由」を簡潔に(例えば140文字以内で)書くとすればどうなるでしょうか。

・具体的に「誰にとって」「どんな価値」を(例えば優先順位をつけて10個)箇条書きで書くとすればどうなるでしょうか。

について別のエントリーで考えてみようかと思いますが、宜しければ皆さんの意見をお聞かせ下さい。

「誰にとって」の「どんな価値」にウェィトを置くかは場所によって異なるように思いますし、それによっても目指す方向に違いが生まれるように思います。




自動車エイリアン説。


まち歩きのときに東川さんが谷山の路地がいずれ区画整理でなくなると言われていましたが、ずっと先のことだろうと思っていました。いまどきそんな無駄な事をしないだろうとも。
だけど、妻から「本当に区画整理されるそうだよ」と聞かされて調べてみると本当のようです。

鹿児島市ホームページ |谷山駅周辺地区土地区画整理事業の事業計画決定

先般、縦覧いたしました谷山駅周辺地区土地区画整理事業の事業計画につきましては、このたび鹿児島県知事の認可を受け、土地区画整理法(昭和29年法律第119号)第55条第9項の規定により、下記のとおり平成20年3月21日付け鹿児島市告示第239号で事業計画決定の告示をいたしましたのでお知らせします。

PDFの計画図を見てみると、はぁーというような区画整理です。本当に必要なのだろうか。
道路が完全に直線でないところが救いですが、先に谷山の別地域(開陽高校周辺)で行われている区画整理のようにまた砂漠のような景色が広がるのかと思うと憂鬱です。
また、このまちの魅力が失われて、どこにでもあり、どこでもないようなまちになってしまうのでしょう・・・。
住んでもいいなと思える風景はどんどん消えていってしまいます。

そんなこんなで、今朝、自転車をこぎながら景色を見ていたら、いつもの景色が妙な風に見えてきました。

自動車エイリアン説

ネタバレになってしまいますが、こないだ読んだSF『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、地球の支配者は実はネズミで、人間はあることのために利用されていると言うオチでした。

同じように、もし自動車が実はエイリアンで、人間が車を利用しているように見えて実は車が人間を利用している、と思って景色を見ると妙にしっくり来たのです。

車が人間を操り、道路と住居(駐車場)を作らせ、食料(燃料)を補給させ、おまけにメンテナンスや世代交代までも任せる。
そのために人間は必死で働き、自分たちの居場所をあけわたし、全てにおいて車を優先させます。

道路を拡張し駐車場を最適化するために区画整理を実行し、高速道路を作り、また、(車にとっての)集会場を各地に設置するために(人間用の)商業の場所を一箇所に集約して車のために尽くします。

人間には自分たちが支配者だと思わせるために、ちょっとしたスペースと時間、あと運転という作業を残しておいているのも計算ずくのことでしょう。

建築の計画でも、車の通路や駐車スペースが最優先の条件になって、そのために建物の自由度が大いに奪われる、ということが多いのですが、それも実は自動車に操られていたのですね。

そう思いながら、自転車をこいでると、道を走っている車、駐車場にとまっている車、みんなふてぶてしい顔に見えてきました。人間に気づかれてないつもりだろうが、俺は気づいてんぞと。

こんな妄想もあんまりぴったりしすぎでちょっと怖いですが。
もし明日交通事故にあったりしたら、それはエイリアンの陰謀に気づいたせいでしょう。

エイリアンとの共存を

ただ、僕はエイリアン(車)を地球から追い出せ、と言ってるのではありません。

僕も車のお世話になってるし(車にそう思わされているだけか?)、人間と良好な関係を築いている車も少なくないでしょう。

ただ、もうちょっと、車最優先にしてきた事を人間の側に取り返してもいいんじゃない、と思うだけです。

その時、区画整理は本当に必要か、もっと小規模なことやソフトで解決できることってあるんじゃない、と思うだけです。

是非とも、エイリアン(車)との共存を。

『住宅エイリアン説。』に続きます。(続きません)




B136 『これが建築なのだ―大竹康市番外地講座 』

OJ会 (編集)
TOTO出版 (1995/09)


前から読みたいなーと思ってたところ、本屋で出会ったので買ってしまいました。

象設計集団の中心的なメンバーだった大竹康市が1983年にサッカーの試合中に倒れ帰らぬ人となりましたが、それから10年以上が経った後に彼の言葉やスケッチをもとに考え方をまとめたものです。

名護市庁舎はいろいろな意味で奇跡のような(それでいてあたりまえの)建物だと思っていて是非見てみたいと思っているのですが、そこへ到る過程なんかも記されていてとても面白かったです。

目次

第1部「地域・建築・集団設計」
第2部 11の講座(穴
露地の素
環境構造線
精神を開放する
風の道
呼吸する外皮
地域に飛び込む
形姿の魔力
集団設計
我々に「切り札」はあるか
幻の風景)

特に、『地域』というものに真剣に向き合っていて、そこでの考え方は今でもとても参考になるものでした。
同じ象設計集団の富田玲子さんも参加されていたシンポジウムで
オノケンノート ≫ 鹿児島のかたち・地域のかたち

僕自身、地域性に対するある種の憧れは持っていても正直どうアプローチすればよいか、ピンとくる感覚を持てなかったのですが今日の話で何かヒントが得られたような気がします。

という感覚があったのですが、その先が少し見えたような気がします。

その中でも吉阪隆正の提唱していた『発見的方法』というものはもっと注目されても良いと思うのですが、それに実際に取り組む様子が垣間見えてすごく参考になりました。

その中で『新堀川イメージ・トレーニング|発見的方法の実践|課題大竹康市』というものがありました。(学生に出した課題でしょう)
それがこの『発見的方法』をイメージするのに良さそうなので、少し長いですが途中省略しながら引用します。

・我々をとりまく環境はマチやムラなどの集落にしろ、山林、田畑などの自然系にしろ人類の創造の集積である。
・モノをつくることはこれらの集積の中に仲間入りすることである。新たに仲間入りするのだから、当然におたがいに影響しあう。ある期間を経て、集積の中に埋没し、次の仲間を待つ。
・仲間入りするにあたって、現在あるモノの姿を見て、その環境がどのような経過を経て形成されてきたのか、また、どのような方向に進んでいこうとしているのかを読みとらねばならない。
・さらに一歩進んで望ましい未来を読みとりたい。これが建築家の役割である。
(略)

■第1段階の作業方法
最低10ヶ所のスケッチをする。(略)そのポイントは作業の第2段階の主旨を考えながら行うこと。

■第2段階の作業方法
新堀川沿いの風景の変遷を段階ごとにスケッチにまとめる。重要なことは歴史の授業ではない。現存するものを見て、イマジネーションを豊かにして描き出すことだ。(略)
今考えうる段階としては以下の通り。しかし全くこれを無視しても構わない。
A・人類以前の風景・人類が定着しだした頃の風景(勇気を持って描きぬく)
B・ある安定した、よき時代の新堀川沿いの風景。(土地の人々からのヒヤリングが必要かもしれない)(新堀川沿いだけでなく、市内のアチコチにヒントがあるかもしれない)
C・時の流れの中で、暮らしや生業の変化、建材の変化などで個人の手でゆっくりと変ってゆく。(造・改築の方法などに表れる。)この段階での変化をみきわめることは重要。
D・近代的な経済の渦の中で変化した現在。マンション、大型駐車場など。

■第3段階の作業方法
新堀川沿いの風景がこれからどう動いていくだろうか。
E・A~Dまでの動きから、こうなってゆくだろうと思う近い将来の姿(これはあまり望ましい姿ではないようである)
F・A~Eの作業を通して、自分で望ましい将来の風景を描く(幻の風景として)

■第4段階の作業方法
今、マンションの一戸分程度の土地を与えられた。
幻の風景に向けて、いま何をすべきか。

提出要項/A1ケント紙に第1~第4段階までまとめる。
(略)
第4段階はきわめて高度の作業である。
ギブアップしても減点としない。
むしろ、第2段階、Cを発見することが重要である。
すべてフリーハンド。彩色、コピー、貼り付けなど表現は一切自由。

と、こういうものです。
観察し、想像し、幻の風景を描き、それに向けて何をすべきかを考える。

また、この幻の風景は単なる現状認識の延長にはとどまらないようです。

このような発見的な方法によって新しく構築された風景を基盤にして創造へと飛躍してゆきます。それには、さらに想像力を豊かにしてゆくことです。四季や気象、太陽や宇宙の変化による鮮烈な断片のイメージをこの風景の上に刻み込みます。
過去や予測され得る将来をはるかに通り抜けて、その地がジャングルだった世界、氷で覆われてマンモスが走っていた世界、遠いSFの世界などのイメージをオーバーラップしても良いのです。(略)
このように現実の風景から出発し、次第に姿を変え、さらに時空やスケールを超えたイマジネーションのキレギレの断片を寄せ集めて構築した風景を「幻の風景」と名付けました。(略)
私達は建築の設計を通してこのような幻の風景を追いかけているのかもしれません。

今、こういう事を声高に言う人はなかなかいないんじゃないでしょうか。
恥を恐れず勇気を持って描きぬく、そういう強さを感じます。

建築の現場においてこういう発想が入り込む余地、というか余裕のようなものがますます忘れられていくように感じてしまいますが、まずは幻の風景を描くことから始めていく必要があるように思います。

ということで、よろしければ『かごしまのじゅうぶんのいち』の方にも何か書き込んでくださいな。(もしも、共感できるようでしたら宣伝もしてくださいな。)




Region NO.09

鹿児島にはもう一冊、質の高い文化的フリーペーパーがあります。

それは、友人も企画に係わっている渕上印刷のRegion

昨日垂水に打ち合わせに行ったときに 市役所の待合に置いてあったのでもらってきました。

そういえば特集は『焼酎遺産』。かごしま探検の会の東川さんが取材を受けたと言ってました。

帰りのフェリーで読んでみると、いくつかの文章が心に残る。

まずは冒頭の岡田氏のエッセイ『「どうだ」より「どうぞ」の美学』より

在来の素材は、確かに水や雨や風を「どうだ」と遮ってはくれない。(中略)しかし、そのぶん人の気持も優しく受け止めてくれる。(中略)ただ私は、「どうだ」とそびえる二百メートルを越すガラス張りのビルより、二百年を経て「どうぞ」とたたずむお堂に心が和むだけだ。(中略)
柱のはしばし、梁のすみずみ、甕の肌のきめのひとつひとつに、そこにただよう菌や気や人々の思いが息づいている。容れるものと容れられるものが相通じる。

まさしく僕が大切にしたいと思っていること。『容れるものと容れられるものが相通じる。』状態なんて本当に理想です。いや、ほんと最後の一文はそのまま僕の理想として掲げてもいいぐらい。
次に東川さんの文章

遺産というものは、単なる遺物または過去の物ではなく、現在の社会といつかの時代とを「文化」や「物語」で結びつける関係性の象徴だ、と私は思う。つまりこれまでとこれからの両方を伝えるものであり、また遺産のある地域の表情を伝える役割を担うものであるとも考えている。

いまのものづくりの多くに決定的に欠けているのはこういう時代を超えた視点と関係性をつむぐ想像力だと思う。それにしても東川さんはこういう艶っ気のある文章も書けるのですね。さすが。(艶っ気のある全文はregion読んで下さい。)

最後に大石酒造の大石社長の言葉より。

焼酎造りにおいて、常に一定の味を保つことは確かに重要かもしれません。しかし、自然の材料を使っている以上、たとえば芋の状態によって去年と今年では当然味は変わるわけです。そのゆらぎの幅を許容することで、古い技術や設備が受け継がれていくのではないかと思います。

伝統に真正面から向かい合っている人だけあって言葉に重みがあります。このことは全く建物についても言えます。『ゆらぎの幅を許容する』ゆとりの精神、これを持てるかどうかでうまい焼酎を毎日飲めるかどうか(建物についても同じ)が決まってくるように思います。
しかし、実際はこのゆらぎを全く認めないような世の中になってきているようで怖い。(関係する視点でイトイさんが管理について語ってます。「前回」の文から読むと面白いですよ。)

(引用中の強調はオノケン)




地方はどこへ向かうのか。(草稿)

またまたですが、たこはんさんのエントリーを読んで。

この本は未読なので読んだらまた別にエントリーを書きますが、とりあえず今漠然と考えていることについて。

反論の余地のある未熟な考えであることは分かっていますが、(草稿)ってことでおおめにみて下さい。また、自分が実践できているわけではないので自戒の意味もこめて書きます。

たこはんさんの意見にだいたいにおいて共感するのですが、まだ僕の中で整理のついていないのは以下の部分。

前々から感じているのですが、地方というのはもう都会へ供給できる商品がないようなのです。グローバリズムっていうのには抗えないのです。

グローバリズムには一定の価値を強要し、同じステージに乗りなさい、という強制力や暴力性があると思うのですが、これと同じ方を向いているときっと上記引用の通りだと思う。

もともとグローバリズム自体が搾取する構造をもっているのだから、これに乗ってはやっぱり絶望的になる。

だからといってどうすれば良いかはよく分からないけれど、ベクトルを都市に向けるんじゃなくて今生活している地域そのものへ向けないといけないんじゃないだろうか。

そして、グローバリズムの価値観をずらして地域へと向くためにはグローバリズムに着せられている鎧を一つずつ脱いでいかないといけないように思う。

都市化とは外部への依存化を進める過程ともいえるけど、そこから自由になるにはそういった鎧(外部依存)を一つ一つ脱ぎ捨ててそれを生活への楽しみへと変えていき、それによって求心力を得るしかないのではないだろうか。(都市化の進んだ場所では鎧を脱ぎ捨てることはかなり困難でしょう。また、それが楽しみとなって求心力を得られるのが理想。そのためにイメージ化と実践が必要)

今一度、足元にある生活を見つめなおすこと。都会がどう転んでもできないことを楽しむこと。そして、幸せのイメージを育てていくこと。(幸せという言葉は使いにくいですががんばって使ってみた。)

そのためには『イチロー? 誰それ?』という強さ・感受性を育てることも重要になる。(ですが、知識による武装は必要です)

ただ、そういうイメージを育てていくことが難しいことは理解しています。

少し前にラジオで食育の話をしていて、『 今の大人世代にむしろ食育が必要だが飽食の時代で育ってきた大人を教育するのはかなり困難といわれている。だからこそ子供たち・次の世代の教育が重要になってくる。』というようなことを言っていました。

高度経済成長期 を経験してきた大人たちが、個人ならともかく地域としての価値観を変える(持つ)ことはかなり困難でしょう。

だからこそ、次の世代にイメージを引き継ぐことに目を向けなければいけないのだと思うのです。

そのためにはイメージを描き続けること。そして、少しでも実践していくこと。

それしかないのではないでしょうか。

キーワードは『生活』と『教育』。だと思います。

まぁ、あまっちょろい意見かもしれませんが、少しは楽しいイメージを描けなければ誰もついてこないのではないでしょうか。(それが難しいっちゅうねん!)

最後にm.mさんの記事から再度孫引き。

「自分の身体により近い足下にこそいろんなものを積み上げていくことが大切なんだと思います。
今の社会は全員がよそのものでよそのことをやっているという感じがするんです。
私の理想は、人間が一日で歩ける半径40キロくらいの範囲で野菜や水など
必要なものが手に入り、その地域の中で暮らしが循環できることですね。
足下の衣食住のような小さな紡ぎあげこそが文化だと思うんです、
足下から生活をつくり上げる力がとても重要なんだと思います」(SOTOKOTO環境移動教室28よりSTARNETのオーナー馬場浩史さんの言葉)

雑誌の記事はまだ読んでいませんが、こういうことも関係があるでしょう。だって、僕たちが子供のころに”まちをどうしたいか”、とか生活そのものと直結するような教育を受けた記憶があんまり ないですもん。それとも、記憶がないだけで実際にはいろいろあったのかな。本当は小さいころからひとりひとりが真剣に考えていかないといけない問題だと思います。
(今日は早く寝るぞ)




鹿児島のかたち・地域のかたち

鹿児島、生活地域建築塾主催のシンポジウムがあったので行って来ました。

JIAの案内を見て知ったのですが講師はなんと象設計集団の富田玲子さん、U研出身の齊藤祐子さん(僕はU研と象とがごっちゃになっていましたが・・・)、そして進行が一つ前の記事で加世田で活動されていると書いた菊野憲一郎さんでした。びっくり。
また鹿児島サイドからは創建築計画研究所の溝口さん、かごしま探検の会の東川隆太郎さんが講演を行ったのですが、この東川さんという方が鹿児島のプロともよべる人で話がとてもおもしろく、そして熱い思いをもっていらっしゃる方でした。

東川さんは建築が専門ではないのですが、建築を含めた環境に対する視点や思いは設計者が反省を込めて見習わなければいけない、と強く感じました。

僕自身、地域性に対するある種の憧れは持っていても正直どうアプローチすればよいか、ピンとくる感覚を持てなかったのですが今日の話で何かヒントが得られたような気がします。

スライドでも笠原小学校などが紹介されましたが、吉阪隆正氏や象設計集団の建物、それから小松義夫さんの写真などをみると、自然と楽しくなってきますし、生命の力が湧いてくるような感じさえ受けます。
”これが建築なのだ”と思えます。
多くの人はこの楽しさを忘れてしまっているのではないでしょうか。
忘れているのならまだよいのですが、僕はこの楽しさを知らないというまま子供が育ち、それが世間の大半を占めてしまうということが非常に怖いのです。
現にそれはかなり現実のものになりつつあるように思います。

それをくいとめるには”楽しい、気持ちよい”こと、東川さんの言葉だと”なつかしい”と感じられること、これっていいでしょ、ってことをあきらめずに言い続ける以外にないのかもしれません。

今日の話は一般の人を含めたもっと沢山のひとに是非とも聞いてもらいたかったです。
みながこの”楽しさ・気持ちよさ”を知ったら街はずっといいものになるのにな。

懇親会では(最初お腹がすき過ぎて言葉が出なかったのですが)、齊藤さんや東川さんと楽しく話させて頂いてとても実りの多い時間でした。




Region


まだ見ていないが鹿児島の地域ブランディングを考えるフリーペーパーというのがあるそうだ。

実は高校の同級生で腐れ縁のあるM氏が企画から積極的に関わっているものだ。
何度か彼からこういうものをつくるという話は聞いていて少し気にしていたのだけれども、もう2号まで出ていた。

Region=「地域、地方」という言葉に『開かれた地域』という意味が込められている。

彼が東京から鹿児島へ戻るときに熱く語っていたことが一つの形としてここに現れつつある。

彼は彼のもつ情熱や人なつっこさと言った持ち味を生かしつつ一歩一歩前に進んでいる。

ちょっと悔しいけどまいった。

僕は、自分の進む確かな道を定めかねてしまっている。

自分の持ち味を生かせる、自分の生きられる道はどこにあるのだろうか。

大学の3回生の終わりごろ、お世話になった先生に『建築とは何か』と尋ねられた時に深い森に迷い込んでしまった感じがしたが、今も同じように不安と希望の森に迷い込みつつある。

今回は自ら進んで森に入ったようなものだし、その森もぼんやりとは見えつつはある。
しかし、だからこその迷いがある。

こんどこそこの森を抜け出したい。

だからあともう少し歩いてみよう。

そのための歩く力をこの情報誌から/彼から少しもらおう。

********************

近所のMisumiに置いてあるようなので原付を走らせ店員に聞いてみたが、今切れているそうだ。残念。
明日にでも探してみよう。
今回Close upされているN氏も同級生ではないか。はー。




TV『福祉ネットワーク “あそび”を生みだす学校』



NHK教育福祉ネットワーク2月21日(火) 20:00~20:29
シリーズ“こころ”を育てる第2回“あそび”を生みだす学校~建築家町山一郎さん~

ゲストに象設計集団の町山一郎を迎えて1982年に建てられた小学校を紹介する。

前に象の本を読んだときのように、ため息が出っ放しだった。
やっぱり豊かである。
これが建築なんだなぁとつくづく思う。

建物ができたときに、抽象的に美しい、かっこがいいというだけでなくて、むしろ、人がいきいきと使っている場所と言うのが一番価値が高い。(町山)

豊かさがそこにいる子供達の顔に現れている。

■小学校は日本全国均等に配置されていて、馴染みのある建物であり、地域のコミュニティの核となりうる。
■子育てにおいて、核家族という中で分断された形で子供が育てられている。日常的にも子供どうしが群れをなして遊ぶという機会がどんどん少なくなってきている。それは問題ではないか。
■親が専属で育てるのがいいという意見もあるが、子供をいろんな親が面倒をみて育て、子供が群れをなしてその中で育っていく。そういういろんなことがあわさって子供は育つ。
『子育ての共同化、地域化』が求められている。

それは宮台の言う『異質な他者とのコミュニケーションの試行錯誤を通じてタフな「自己信頼」を醸成するような空間』である。

宮代小学校では、全部で6つの門をつくり地域の人がどこからでも入ってこれるよう工夫していたが、いくつかの事件の後、文部科学省の指導があり、やむなく正門以外は閉じられてしまったそうだ。

安易に子供を隔離することによって守ること。それは子供達からコミュニケーションのチャンスを奪い、『隔離された温室で、免疫のない脆弱な存在』として育ててしまわないだろうか。

最終的に建物がまちに開かれていて、そこに地域の人が参画することによって、地域の目によって子供も守られ、子供がいることで地域の人の集まる拠点となる。
そういう相互関係によって安全も守られ地域の核となることが一番だが、ときどきバランスが崩れることもある。
しかし、そういうのを乗り越えてより良いものができればよい。

と町山は言うが、町山の懐の深さと言うか、もっと長いスパンでものを見る視点に感心した。

また、設計の際『まちのような学校学校のようなまち』というコンセプトを建てたそうだ。

宮台はまち(家・地域)の学校化を問題点として指摘するが、それとは逆に、ここには学校の中にまち(家・地域)が流れ込む構図が見てとれる。

20年以上も前から、そういう視点をもっているというのは素晴らしいが、逆に言うとそれを受け入れる余地がまちの側にもあったということだろう。
(この学校では子供達が裸足で駆け回るが、それは学校側からの提案だったそうだ)

翻って、先日鹿児島県の建物の仕上げの仕様の説明を受けたが、県は学校の仕上げ材の標準仕様というのをつくっていた。
プロポーザルなんかでも、その仕様どおりの材料を明記すれば評価が上がるそうだ。
コストや最低限の仕様については一定の効果があるだろうが、いまどき”標準化”を、それも教育の現場においてうたっているのは、ちょっと違うんじゃないかと思う。

そういう思想からは、笠原小学校のような学校は決して生まれはしないし、そこには町山のような長い時間を見据えた視点はない。

僕の個人的な意見だけれども、子供の教育以上に税金をかける必要のあるものなどあるだろうか。
他にコスト意識をもつべきことはいくらでもあるだろうに。

28日(火)13:20から再放送があるみたいなんで、興味のある方は是非。
[MEDIA]




B045 『「脱社会化」と少年犯罪』

「脱社会化」と少年犯罪 宮台 真司、藤井 誠二 他 (2001/07)
創出版


何度か書いたことがあるが、1997年の酒木薔薇の事件はあまりにショッキングで僕個人にとっても大きな出来事だった。

自分達はどのような社会を目差してきたのか、これから目差していくのかを根底から問い直されていると感じた。

それから、ときどき宮台の本は読んでいるが、ひとつ前に読んだ本で「『人をなぜ殺してはいけないか?』という問いに答えようとすることのナンセンスさ」というのが頭に浮かんだので本棚から読みやすそうなのを引っ張り出してきた。

100ページ程度のコンパクトな本で内容もかなり凝縮されているのでさっと読むにはちょうど良い。(ちょっと古いが。)

さて、なぜ『人をなぜ殺してはいけないか?』という問いに答えようとすることがナンセンスなのか。

それは、人は「理由があるから人を殺さない」のではないからである。
殺さない理由があるから殺さないというのであれば、理由がなければ人を殺すのかということになる。

僕なりに要約すると、

■人をなぜ殺さないかというと”理由やルールに納得するから殺さない”のではなくて、”殺せないように育つから”である。

■他者とのコミュニケーションの中で自己形成を遂げた人間は、人を殺すことができない。殺せないように育つのである。

■なぜ殺してはいけないのかと言う疑問が出てくる時点で、その社会には重大な欠点がある。

■人を殺せないように育ちあがる生育環境、あるいは社会的プログラムに故障が生じているのだ。

”人を殺せないように育つ”ことの出来ない環境ができてしまっていて、そういう環境をつくったり黙認しているのはまさしく私たちなのである。
私たちは自分達のできる範囲で良いから、その現実と向き合わなければいけないと思うのだ。

「最近のこどもたちは…」「恐い世の中になった。」と他人事のように言って終わりにするのはあまりに無責任だと思う。
そういう小さな無責任・無関心の積み重ねの結果がまさに『人を殺せないように育つことの出来ない環境』なのだ。

そういう環境を変えるためにどうすれば良いか。
答えは簡単には出ないかもしれない。
しかし、個々がその問題から目を背けずに向き合うことが唯一最大の方法である。

そして、それこそが僕が今のところ建築に関わっている一番の理由であり、(おこがましいけれど)このブログのメッセージでもある。

『人をなぜ殺してはいけないのですか?』
この問いは、あまりに哀しい。

*****メモ******

■少年犯罪や凶悪犯罪の数自体は40年ほど前と比べても5分の1程度に激減しており、犯罪の増大・凶悪化という印象はメディアによるところが大きい。
■メディアでは、動機の不可解さ、不透明さに関心が集まっている。
■マスコミの動機や病名の探索は的が外れてきている。
■動機が必要なのは敷居が高い場合で、敷居そのものが低くなってしまっては動機は必要なくなる。
■病気ではなく普通の人でも世界の捉え方が変わり、敷居が低くなってしまえば犯行に及ぶ。病名を付けたがるのは、犯人は”特別な”人として、自分から切り離して安心したいから。
■だから、動機探索する暇があれば、なぜ敷居が低くなったのか、「脱社会的」な存在が増えたかを問うべき。
■「脱社会的」な存在・・・コミュニケーションによって尊厳を維持することを放棄する。社会やコミュニケーションの外に出てしまえば楽に生きられる。モノと人の区別がなくなる。

■人を殺せないように育つことのできない環境になった理由・・・「コンビニ化・情報化」「日本的学校化」
■「コンビニ化・情報化」・・・他者との社会的な交流をせずとも生活が送れるようになった。しかし、これには高度な利便性があり、いまや不可欠となっているので後戻りはできない。
■「日本的学校化」・・・昔は多様な場所で多様な価値観があり、尊厳を維持する方法が多元的に用意されていたが、家や地域が学校的価値で一元化されてしまっているために、学校的価値から外れると自尊心不足になる。
■そのため80年ごろから「第四空間化」が進行する。すなわち、家、地域、学校以外の空間(ストリートや仮想空間など)に流出することで尊厳を回復しようとする。
■それはある程度成功するが、そういう空間に流出できない「良い子」が居場所がなくなり、アダルトチルドレンや引きこもりを出現させたり「脱社会化」=社会の外・コミュニケーションの外に居場所をもとめる存在を生み出す。

■日本的学校化の解除・異質な他者とのコミュニケーションの試行錯誤を通じてタフな「自己信頼」を醸成するような空間が必要
■隔離された温室で、免疫のない脆弱な存在として育ちあがるのではなく、さまざま異質で多様なものに触れながら、試行錯誤してノイズに動じない免疫化された存在として育ちあがることが、流動性の高い成熟社会では必要。
■試行錯誤のための条件・・・「隔離よりも免疫化を重要視することに同意する」「免疫化のために集団的同調ではなく個人的試行錯誤を支援するプログラムを樹立する」「成功ではなく失敗を奨励する」「単一モデルではなく多元的モデルを目撃できるようにする」

大学の卒論で考えたことだが、コミュニケーションを糧に育つ環境が必要なのだ。

都市化・利便化は、そういうコミュニケーションの煩わしさから抜け出したいと言う欲求によるものである。
それを、もとに戻すことは難しい。

しかし、昔はいろんなタイプの人が好き嫌い含めて自分の周りにいたものだ。
いろいろな年齢・職業・タイプの人と関わる機会がたくさんあった。
嫌なことを排除していくことが必ずしも善ではない。嫌なおじさんと関わることも子供にとっては違う価値観に触れるチャンスなのだ。

『嫌なことを排除していくことが必ずしも善ではない。』なんてことが、平和ボケ・利便性ボケした日本で受け入れられるとは思わないが。
(だからこそ、問題を意識してもらってボケから醒めてもらわないといけないと思う。)