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W032『広島平和記念資料館+平和記念公園』


□所在地:広島市中区中島町1
□設計:丹下健三計画研究室
□用途:資料館
□竣工年:1955年

建築マップ 広島平和記念資料館・平和記念公園

復興広島や建築家丹下健三のみならず、戦後の日本建築はここから始まったと言っても過言ではない、記念碑的な建築である。

上記建築紹介サイトにかなり詳しく書かれているので興味のある方は目をとおしてみて下さい。

景観軸

景観軸はこの公園のキーともいえるけれども、(■平和記念公園マップ)記念碑のシェルから、平和の池、その奥にゆらめく平和の灯と重ねて原爆ドームを見るとき、何かを感じずにはいられません。

軸やシンメトリーという古典的な手法の威力を思い知った気がします。

ただし、この公園の性格がその強さを受け止めるだけのものであったのと、次に挙げるスケールの共存によってあり方としての複雑さが保たれているのとがこの手法をアリにしてると思うので、シンメトリーなどの安易な使用は可能性を殺すと思いますが。

スケールの問題

建築マップ 広島平和記念資料館・平和記念公園

丹下健三がヒューマンスケールからの脱出を試みたことは人類史上の必然であり、決して間違ってはいませんでした。ただ人口減少に振れた日本では状況が変わってしまい、その変化に対応した方向転換ができず惰性で突き進んでしまった、ということだと思います。 東京都庁はヒューマンスケールからの脱出の悪い点をギュッと凝縮した題材と言えるでしょう。

スケールの問題にしても決してヒューマンスケールが万能だとは思わないし、『社会的尺度』だけが正解とも思えません。
今一度、真剣に考えても良い題材だと思います。

わたくしは、広島の平和会館の実施設計にあたって、人間の尺度と社会的人間の尺度の二つの尺度の対位によって建築を構成してみようという野心をもっていた。(雑誌「新建築」1954年1月号よりの引用を孫引き)

とあるように、この建築および広場では社会的尺度の建築と同じような強さで今そこにいる人たちが存在していること、二つの尺度が(必ずしも対位による必要はないと思うが)存在することが成功の要因ではないかと思います。

それはコルビュジェのもつ複雑さや寛容さを素直に引き継いだ結果なのかもと思いました。


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W026『日南市文化センター』


□所在地:宮崎県日南市中央通1-1-7
□設計:丹下健三+都市・建築設計研究所
□用途:多目的ホール
□竣工年:1962年

丹下健三1962年の作。
大胆な構成。

隣の公園にシートをひいて息子に離乳食を食べさせていると、陽気なおじさん、おばさんが話しかけてきてくれました。
真偽の程はわかりませんが、この建物は鬼の洗濯岩の形から来ていること。若かりし頃、この建物でブラスバンドの演奏などをした思い出があること、などを話してくれました。
なんか宮崎にはフレンドリーな人が多い気がしました。このおばさんも虎翔に何度もキスをしていたし、後から来た86歳のおじいさんは元気さをアピールしようとして虎翔を抱えて走り出すし・・・

都城市民会館のように安易に取り壊されないことを祈ります。(※都城市民会館は解体決定から一転して存続が決まりました!)

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