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「子どもが育つ」状況に満たされた場 B195『ふじようちえんのひみつ: 世界が注目する幼稚園の園長先生がしていること』(加藤 積一)

加藤 積一 (著)
小学館 (2016/7/22)

コラボレーションの理想形

ふじようちえんは、佐藤可士和と手塚建築研究所がコラボレーションし、日本建築学会賞を受賞した建築として有名です。

この本は、そんなコラボレーションのもう一人の主役、園長の加藤積一さんから見た「ふじようちえんのひみつ」のお話。

その園長先生がこのコラボレーションについて次のように語っています。

可士和さんはその話を聞いて、「園長先生。僕はその子どもの育つ状況をデザインしましょう」と言いました。
状況をデザインする。
なんていい言葉でしょう。その状況を手塚さんが建物として形にしていきます。真ん中に「子どもの育ち」があって、「学びをデザインしたい」が「状況をデザインしよう」になり、「建物としてのデザイン」となっていったのです。そしてこの三極のスパイラルがいまでも動き続けているのです。

それは、三者が自分の役割を果たしながらコミュニケーションを重ね合い、同じ目標である「子どもの育ち」のデザインへと向かっていくという、理想的なコラボレーションの形のように思います。

どんな建築も例えば施主と設計者、施工者といった関係者によるコラボレーションです。
それがこんな風に理想的な形で建築に着地できたら最高ですね。

「子どもが育つ」状況に満たされた場

下の画像は内容を掴むためにノートにまとめたものですが、上は本書の「子どもが育つ状況説明図」を写したもの、下は園で実践されているアイデアを箇条書きで抜き出したものです。

上の図には「◯◯で育つ」という状況が建物内に限らず敷地いっぱいにみっちりと書き込まれていますし、下に抜き出したアイデアも60に達しました。

内容は、「一日中歩き廻れ、互いの様子が見え、屋根の上をぐるぐる走り回れる楕円形のプラン」や「力を入れないと最後まで閉まらない引戸」と言ったハード面から、「畑作り」や「ふじようちえん検定」といったソフト面まで幅広く、それらのアイデアは全て「子どもが育つ」状況をつくる、という一点へとつながるように考えられたものです。

こんな風に、ふじようちえんは「子どもが育つ」状況に満たされているのですが、その根底には子どもの観察と科学的な分析によってつくられたモンテッソーリ教育があるようです。

モンテッソーリとアフォーダンス、出会う建築

それでは、モンテッソーリ教育とはなんでしょう。
保護者などに聞かれたとき、まず私はごくかいつまんで、「それぞれの子どもの中にある、自ら育とうとする力を十分に発揮させてあげる教育です。」と答えています。

「子どもは自らを成長発達させる力を持って生まれてくる」
これが、マリア・モンテッソーリの得た結論でした。

モンテッソーリはこの教育を行う上で「環境」が重要な鍵になると考えます。子どもは大人が教えるから育つのではなく、環境と交流することによって育つのです。

「子どもは自らを成長発達させる力を持って生まれてくる」ことを前提に、「大人(親や先生)」は、その要求を汲み取り、自由を保障し、子どもたちの自発的な活動を援助する存在に徹しなければならない。

これらのモンテッソーリ教育に関する言葉は、僕がこれまで建築について考えてきたことに驚くほど似ています

僕は「何が建築にとって大切か」をずっと考え続けてきました。それを、アフォーダンスやオートポイエーシスと言った理論をベースに『おいしい知覚 – 出会う建築』としてまとめた事があります。

簡単に言うと、人を含めた動物は環境を探索することによって、環境との新しい関係を切り結ぶ可能性(アフォーダンス)を見つけ出し、それによって成長・発達していく存在であるし、そこに喜びもある。また、環境としての建築は多様な可能性(アフォーダンス)と出会えるものであり、そこで可能となる出会いの多様さや深さが建築の意味と価値と言える。というようなことです。
要は、その建築にどんな出会いの可能性が含まれているかが大切だ、ということです。
(かなり読み難いかもしれませんが、興味のある方は『おいしい知覚 – 出会う建築』を読んでみて下さい。)

人間が育ち、生活していくためには、そういう出会いの可能性を豊かに持つ環境が大切だと思うのですが、それは「子どもが育つ」状況に満たされることが大切、ということと重なります。

また、アフォーダンスの理論では、人は何かの刺激に対して反応して生きているのではなく、能動的に環境を探索することによって、そこから意味や価値を発見・抽出し、それを利用することによって生きている、というように機械論的受動性から生態学的能動性へと転換を図るのですが、それは先生に教えられるのではなく、子どもが自らを成長させる、というモンテッソーリの基本的な考えとよく似ています。

そういう視点で見ると、ふじようちえんは敷地も含めて「子どもが育つ」ために必要な出会いの可能性に満ちた建築、まさに「出会う建築」だと言えるのではないでしょうか。

これまでずっと『おいしい知覚 – 出会う建築』について考え続けてたのですが、保育園や幼稚園、認定こども園といった子どものための建築ほど「出会う建築」が求められている建物はないように思います。
これから、いくつかの読書録を通じて、子どものための場が、どのように「子どもが育つ」ために必要な出会いを生み出してきたか、またはどのようにして生み出せばよいか、を研究していきたいと思います。