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サイクルシティ

朝チャリンコをこぎながら考えたたわいもないこと。

まちがどこかのスタイリッシュな自転車メーカーと提携。

EKポイントをなんとか制度化し、一定数以上のポイント所持者で希望する人にはスタイリッシュなちょっと高級目の自転車を一定期間無償貸与。

自転車はEK実践者としてのステイタス、またはサイクルシティなまちとエコな自転車メーカーを宣伝・イメージアップする素材となる。

加世田あたりでどう?

というか谷山あたりでどう?




引き算の成果

例の勝負は今のところ決着つかず、というところです。
このままでは、夏が終わるころには筋肉ムキムキ夫婦になってるかもしれません。

足し算的な考え方、引き算的な考え方というのがあると思います。

例えば運動不足の上に偏った食事で体調がすぐれないときに、ジムに通い、薬やサプリメントを摂り、DVDを買うのは足し算的な考え方。

それに比べて、僕の挑戦(?)は引き算的だと思います。

原付を自転車に変えるだけで、健康を手に入れられる上、ガソリン代が毎日の野菜ジュースに変わり(1日のガソリン代がおよそ120円)、気力・体力、おまけに毎日80分のボーっとする時間ができるので知力もつきます。
足し算的な解決策に比べると、ジムに通ったりDVDに向かう費用や時間も節約できます。

対処療法的に足し算をしていくとどこまでも際限がありませんが、根本の原因を見直し引き算的に対処することで、足し算的な対処よりもより多くのものを得られるということは多々あると思います。
引き算の過程には知恵や工夫の入る余地もふんだんにあるので、考え方を変えることで多くの楽しみも得られます。(何よりも、引き算のほうがエレガント!)

ただ、資本主義の社会は消費を促そうと対処療法的、足し算的なものを、あたかもそうしなければ怠惰だといわんがばかりにしつこく、狡猾に勧めてきますが。

同じようなことが住まいにも言えると思います。
資本主義社会の囁きに少しの間耳をふさぎ、じっくりと引き算的に住まいを見つめてみた方が、自然とのつながりや安らぎといった、より多くのもの、当初の目的であったはずのものが得られるのではないでしょうか。

足し算をする前に、そもそも「何が目的」で「何が原因」かを少し立ち止まって見つめなおし、増やすのではなく減らすことはできないかを考えてみるのも楽しいものです。

(ちなみに体重はまだ引き算されてないようです・・・)




再・々・宣言!


boot ○ampの通販番組をはじめてみた時、あぁ、なんかダメ。と思った。

THE☆アメリカ。みんな妙に生き生きしながら同じ動きをしている。やっぱりダメ、ウケツケマセン。

こんなの日本じゃ流行るワケナイヨ。これがスキって言う人がいたら日本人ジャナイネ。とまで思っていたら、いるじゃないですか、アメリカンな人が。
僕の隣に。

(妻が面白いの見つけた、と嬉しそうに教えてくれたので、もしやと思えばまさにboot c○mpでした。)

おまけにかなり流行っているそう。
どうなってんだ。

どうだと言わんばかりの不自然なムキムキがいや。洗脳されちゃったような不自然な笑顔がイヤ。自分の体も力ずくで変えてしまえと言う不自然な健康志向が嫌。

僕のイメージとしては”自然の中で生き抜く民が自然に身につけた自然な健康体”、しなやかで謙虚な身体(まさに自然体)が理想なのだ。
しかし、現実は”不自然な都市生活の中での不自然な不健康体”で”ぶよぶよの尊大な肉体”。
やばい。なんとかせねば。

boo○ campの映像を何度も見てるうちに、なんだか楽しそうに見えてきた。相方と一緒にやるか・・・アメリカ的”不自然な健康志向”を拒絶するのもこれまでか・・・・・

と思っていたら、ナイスな考えが浮かんできました。

それは、これまで2度挫折しているチャリンコ通勤を再開すること。

1度目はチャリンコがパンクして挫折。
2度目は急にはりきり過ぎて膝が痛くなって挫折。

しかし、今は息子を風呂に入れるため、いつもより2時間ほど早く通勤しています。朝はそんなに暑くないし、えっちらほっちらゆっくりこいでも遅刻する心配はありません。チャリンコ通勤にはもってこいじゃないですか。

と言うことで、またかと言う感じですが、チャリンコ通勤復活をここに再・々・宣言いたします!

スタートは妻が近々b○ot campを手に入れるようなので、手に入ってから。僕はチャリ通、妻はbo○t camp。どちらが続くか、どちらが効果が出るか勝負です。(僕の予想では妻は2,3日しかもたないでしょう。ふふふ)

今回の勝負、僕の個人的な問題ではなくなって来ました。
日本人がアメリカ的価値観に屈服することなく謙虚な心を持ち続けることができるかどうか。今後の日本の行く末を占うような重大な勝負になりそうです。

頑張らねば。

P.S 本当はやりたくて(楽しそう)うずうずしてるんですが、 僕は負けません。




B011 『自分の頭と身体で考える』

養老 孟司、甲野 善紀 他
PHP研究所 (2002/02)

最近「ふけた」「ふとった」といわれることが多くなった。
それで、最近『ウォーキング』なるものをしなけりゃならんか、と思ってしまった。

不覚にも。である。実際少しばかりやってしまった。

目的のない「散歩」はとても好きである。
しかし、「健康」を目的にした「ウォーキング」というものには昔から違和感を感じていた。
「ジムのマシンでウォーキング」にはなおさら違和感を感じる。
なぜ、身体を動かすために金を出さなければならないのだ。
ケチで言ってるのが大半だが、『身体』を金でどうにかしようというのはどうも腑に落ちない。
「サプリメント」もしかり。

おそらく、ストレスが多く、健康を守ることも困難な現代社会を生きるには必需品。 ということなのだろうが、 その、アメリカ的な何でも意識でコントロールできると思っている傲慢さと、一見合理的に見えて、実は単なる対処療法でほとんど本末転倒な思想が嫌なのである。

変えるべきは現代社会のほうだろうに、対処療法は原因を補強する。
ほとんど罠である。

罠にはまるのはシャクである。

危うく罠にはまるところであった。

僕は、心の片隅では、いざサバイバルな状況に放り込まれたとしても生きていける、最低限の身体と、『野生』を手放さずに生きていくことが、『生物』としてのマナーだと思っている。
それは、僕のなかでは僕が自然の世界にとどまれる『境界線』なのだ。
(そんなことは関係なく、僕が自然から抜け出せるはずもないのだが)
しかし、これほど脂肪がついてしまってはまったく説得力がない。このままではこの『境界線』を手放さなくてはならなくなる。
それはそれでよいだろうが、罠にはまるのはシャクである。
損な性格である。

そこで、名案を思いついた。
はじめて人力以外で動く自転車(原動機つき)を手に入れたのだが、我がチャリンコを復活させて、これで通勤してやる。

やけである。

しかし、これで、やせる。体力がつく。環境を破壊しない(つもりになれる)。ガソリン代が浮く。事故に会う確立が減る。ボケーっとできる時間が増える。早起きが出来る。ちょっとした悲哀を感じられる。世の中を斜めに見れる。などなど様々な特典を得られる。
なんと合理的なのだろう。ここで躊躇してしまっては僕は非合理的な人間ということになる。

今日(27日)事務所においていたチャリンコのパンクを修理し、乗って帰ってみた。
どうやら40分ぐらいで家に着きそうだ。
なんだ。楽勝である。むしろ期待はずれだ。

そういえば僕が東京にいるころ定期代がもったいなくて小田急線の千歳船橋のアパートから六本木の事務所までチャリンコで1時間かけて通っていたのだ。
あのときのほうが僕は野性味を持っていた。

これで、野性を取り戻せると思ってウキウキ、ウッキーとしだした矢先に擦り切れていたタイヤがついに破けてパンクしてしまった。 もうこのタイヤはだめだ。

これで、週末までチャリンコはおあずけとなりました。

前置きがながくなりましたが、この本について。養老孟司は好きである。
ちょっと売れすぎたけど、昆虫好きだから。甲野善紀も好きである。
丸山弁護士に似てなくもないけど、顔が不敵だから。

両者とも強烈なオリジナリティーをもっていてかっこいいのだ。
NHKか何かで甲野善紀のわけのわからない動きと、わけのわからない自信を見てすっかりファンになってしまったのよ。

二人の対談はなかなかになかなかで、当たり前のことばかり言ってるが、それがオリジナリティだと感じさせる。

きっと、僕も似たようなことを感じている。はず。

何か大きなものに飼いならされていない『ぐれ』続けている二人は素敵である。