1

大空間のスケール/子どものスケール B206『KES構法で建てる木造園舎 (建築設計資料別冊 1)』(建築資料研究社)

建築設計資料
建築資料研究社 (2012/9/1)

接合金物を使ったKES工法による木造園舎21例(保育所15例、認定こども園3例、幼稚園2例、その他1例)を集めた資料集です。
保育所の例が多いのは、燃え代設計等による準耐火構造とすることによって木造の良さを活かしやすいからでしょう。(発行当時はまだ、認定こども園の実例が少なかったのかな)

大空間のスケール 子どものスケール

21例のプランをトレースしてみると、個人的に良いと思う事例とそうでない事例とは結構分かれる気がしました。

良いと思ったものは、プランや断面、構成要素の分節が上手く、大断面集成材による大空間のスケールから、グループにマッチする少し大きなスケール、日常的・家庭的なスケール、子どもが籠れるような小さなスケール、と多様なスケールを感じられるものが多かったです。

KES構法は大空間や大開口がつくりやすい構法だと思いますが、それに引っ張られ、ただ大部屋を並べたような単純なプランであったり、スケール感が単調なものはあまり良いように感じませんでした。(小さな子どもが巨大な手掛かりの少ない空間に放り出されても、安心して遊びを展開し続けることは難しいでしょうし、逆に小さな空間だけでは活発な子どもの活動要求を満足させることは難しいでしょう。)

『11の子どもの家』では、久保健太氏が子供の育ちには自由に行き来できる濃淡のある空間が大切だと説いていますし、高山静子氏は『環境構成の理論と実践』で、環境には両義性(個と集団、静と動、緊張と弛緩、秩序と混沌、構造化と自由度、等々)があり、保育者は状況に応じたバランスを常に探す必要がある、と言っています。

そのために、スケール・場の多様性を、安全や使い勝手等を満たしながらどのように用意するか、というのは園舎設計の大きなテーマになるようにと思いますが、多様なスケールを展開するには木造は向いています。また、KES構法はそのスケールを木造としては比較的大きなものにまで拡げられる構法と言えるでしょう。それは園舎にとても向いている特質のように思います。

大人は大空間におおっ!となるかも知れませんし、一時的な利用であればそれで良いのかも知れません。しかし、園舎は子どもが日常的に過ごす場所です。子どもの日々の気持ちを受け止め、安心して遊び、挑戦できるような場であって欲しいと思いますが、そのために必要な事が少し見えてきたように思います。




W040『九州国立博物館』


□所在地:福岡県大宰府市石坂4-7-2
□設計:菊竹清訓
□用途:博物館
□竣工年:2005年

都城市民会館と同じ設計者による博物館。

都城ほどの野性味は感じませんでしたが、うまいなぁと思いました。

威厳と活気の共存

何がうまいなぁと思ったのかというと、内部に入るとアジア的な活気を非常に感じました。
それでいて国立博物館としての威厳を兼ね備えています。建築が媚びていません。

その辺のバランスは非常に難しいと思うのですが、良い意味でも多少悪い意味でもさすが大御所だと思いました。このぎりぎりのバランスをとるのは、なかなかできるものではありません。
スケールについてはコストの問題等賛否両論あるように思いますが、僕的にはありだと思います。

今回は時間がなかったので展示室には入らなかったので、今度入ってみたいです。

また、連絡通路を通じてすぐに大宰府天満宮に行けるので一度に二度楽しめます。まる一日遊べそうです。


[gmaps:33.51817722742925/130.53833842277527/17/460/300](comment)[/gmaps]




W039『ぐりんぐりん』


□所在地:福岡県 福岡市東区香椎浜3丁目
□設計:伊東豊雄
□用途:公園施設(植物園)
□竣工年:2005年

この公園ってテーマパークみたいなもので入園料をとられるのかと思いましたが、意外にも普通の誰でも入れる公園でした。
(ぐりんぐりんの中に入るには100円必要ですが)

さりげなくある

もっと存在感を感じる建物かと思いましたが、この異様な形態の割りにしっくりなじむ感じがしました。
建築として威張っていない感じが良かったです。スケール感もちょうど良い。

他の伊東豊雄の建築でも感じたことですが、なぜかしっくり来るんですね。
藤森照信が

「八代市立博物館・未来の森ミュージアム」の曲線を見たときにびっくりしました。ものすごくいい曲線なんです。自由な線でありながら必然性を感じる。そうした線を描けるのは僕のまわりでは伊東さんと石山さんくらい。(『adDict2』)

と書いてるのをみて『必然性を感じる』というところに、なるほどと思った記憶があります。

こういう一見奇怪な建築が普通の誰にでも入れる公園に普通になじんで存在しているということはすごいことだと思います。
しっくり来るけれど凡庸ではないというのは誰にでも出来ることではありません。
ここに設計者の人柄を感じますし、これが伊東豊雄の真骨頂なのかもしれません。


[gmaps:33.66263917576218/130.4190444946289/13/460/300](comment)[/gmaps]




W034『成羽町美術館』


□所在地:岡山県川上郡成羽町下原1068-3
□設計:安藤忠雄/安藤忠雄建築研究所
□用途:美術館
□竣工年:1994年

オノケンノート ≫ B007『TADAOANDOGA DOCUMENT EXTRA 01』

ちなみに、この作品集で好きだったのは、成羽美術館で、アプローチの構成にくらくら来た。

と書いているように、この建築は僕が初めて買った作品集で、初めてくらくら来た作品だと思います。

実際に見れる機会はないかも、と思っていたのですが、今回頑張って行ってきました。

人と自然との間の橋渡し

学生のころは作品集を見ながら、単純な操作で迷路のような複雑さを生み出している構成の巧みさにくらくら来てたのですが、実際訪れてみるとその巧みさが人と自然との橋渡しになっているように感じました。

構成があまり単純すぎても対比が強すぎて自然との間に距離が生まれる気がしますし、複雑すぎると関係がぼやけてしまうように思いますが、ここでは歩きながら体験するそれぞれが印象的なシーンの移り変わりが空や緑、水、鳥のさえずりといった自然との関係性をうまく強調させてくれているように思います。

それはこの建物のスケールにもいえることで、重量感のあるコンクリートの壁が、人と自然をうまく橋渡ししてくれているようなちょうど良いスケールで、これより大きいと少し嫌味だし、小さいと生活感がでてしまうのではないでしょうか。

安藤忠雄のコンクリートの良さが一番よくあらわれたスケールの作品のように思います。

▽憧れのアプローチを折り返したところ。期待しすぎてというより、想像し過ぎていたのでさすがに意外性がなかったです。
よく知らないまま経験した方がよかったかも。

▽Z状の通路部分の右側がそのアプローチです。
プランを見ても分かりにくいけれども、一つの壁がいくつもの見え方やいくつもの効果を生み出しているのがさすがで、へぇ~っと思います。


[gmaps:34.78073838636123/133.53659749031067/17/460/300](comment)[/gmaps]




W032『広島平和記念資料館+平和記念公園』


□所在地:広島市中区中島町1
□設計:丹下健三計画研究室
□用途:資料館
□竣工年:1955年

建築マップ 広島平和記念資料館・平和記念公園

復興広島や建築家丹下健三のみならず、戦後の日本建築はここから始まったと言っても過言ではない、記念碑的な建築である。

上記建築紹介サイトにかなり詳しく書かれているので興味のある方は目をとおしてみて下さい。

景観軸

景観軸はこの公園のキーともいえるけれども、(■平和記念公園マップ)記念碑のシェルから、平和の池、その奥にゆらめく平和の灯と重ねて原爆ドームを見るとき、何かを感じずにはいられません。

軸やシンメトリーという古典的な手法の威力を思い知った気がします。

ただし、この公園の性格がその強さを受け止めるだけのものであったのと、次に挙げるスケールの共存によってあり方としての複雑さが保たれているのとがこの手法をアリにしてると思うので、シンメトリーなどの安易な使用は可能性を殺すと思いますが。

スケールの問題

建築マップ 広島平和記念資料館・平和記念公園

丹下健三がヒューマンスケールからの脱出を試みたことは人類史上の必然であり、決して間違ってはいませんでした。ただ人口減少に振れた日本では状況が変わってしまい、その変化に対応した方向転換ができず惰性で突き進んでしまった、ということだと思います。 東京都庁はヒューマンスケールからの脱出の悪い点をギュッと凝縮した題材と言えるでしょう。

スケールの問題にしても決してヒューマンスケールが万能だとは思わないし、『社会的尺度』だけが正解とも思えません。
今一度、真剣に考えても良い題材だと思います。

わたくしは、広島の平和会館の実施設計にあたって、人間の尺度と社会的人間の尺度の二つの尺度の対位によって建築を構成してみようという野心をもっていた。(雑誌「新建築」1954年1月号よりの引用を孫引き)

とあるように、この建築および広場では社会的尺度の建築と同じような強さで今そこにいる人たちが存在していること、二つの尺度が(必ずしも対位による必要はないと思うが)存在することが成功の要因ではないかと思います。

それはコルビュジェのもつ複雑さや寛容さを素直に引き継いだ結果なのかもと思いました。


[gmaps:34.3917894563454/132.45215892791748/15/460/300](comment)[/gmaps]




スケールの橋渡し役となる。


建築が生活とミクロやマクロなスケールをつなぐ橋渡し役となること。

毎日の自分の生活のスケールだけに浸かっていると、それが世界のすべてだと錯覚してしまいそうになる。
そんな時、空のスケールに触れると、自分のスケール感をリセットできる。
時には空のようなスケール、時には小さな花のようなスケールに触れるのは大切なことだろう。
自然の雄大さに比べたら建築なんて無力だなぁと思ってしまうこともあるが、日々の生活のスケールとマクロな又はミクロなスケールの橋渡しの役を建築ができればステキだろうな。

(オノケンノート – スケール)

時にはフラクタルという楽器も使って。

”建築が橋渡し役”っていうのはいいかも。人と人との橋渡し、時間・歴史の橋渡しとか。




スケール



3月に霧島神宮で結婚式をするので(家族だけでします)、霧島のホテルに衣装合わせに行ってきた。

疲れがたまってたので10号線で休憩しながら帰ったのだけれど空を見るととても綺麗だった。
あたりまえだけれども空や海ってスケールがでかい。

毎日の自分の生活のスケールだけに浸かっていると、それが世界のすべてだと錯覚してしまいそうになる。

そんな時、空のスケールに触れると、自分のスケール感をリセットできる。

時には空のようなスケール、時には小さな花のようなスケールに触れるのは大切なことだろう。

自然の雄大さに比べたら建築なんて無力だなぁと思ってしまうこともあるが、日々の生活のスケールとマクロな又はミクロなスケールの橋渡しの役を建築ができればステキだろうな。