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気持ちで考えることと考えないことの両義性 B223『堀部安嗣 建築を気持ちで考える』(堀部 安嗣)

堀部 安嗣 (著)
TOTO出版 (2017/1/19)

建築を気持ちで考える。
なぜ、今、このタイトルなのか。それを確かめたくて買って読んでみることに。
まだ、うまく整理がついてないですが、書きながら考えてみたいと思います。

建築を気持ちで考える

気持ちで考える。この仕事を続けていると、このことの難しさや大切さが、時に見失いながらも身にしみて分かってくるように思います。

建築は自分の個人的な”気持ち”だけでつくることは難しい。
当然クライアントの気持ちもあるし、法規や周辺環境、予算や工期と行った壁も立ちはだかります。
そんな中で、それを超えて気持ちを大切にしながらつくり続けるためには、その気持ちを十分に信じられるだけの強さが必要になる気がします。

私は建築をつくる一番の目的は、人間の原初的な身体感覚にシンプルに応えることだと思っています。(p.171)

なんのために記憶を継承できる建物をつくるのか。最終的には、人がその人らしくいられる建物にするためです。

私は建築が背負う重荷を少しずつ取り除いて、本来のシンプルな姿に戻してあげたいと思っています。

これらの言葉には著者の建築に対するシンプルな姿勢が現れていて、その気持ちの強さや普遍性のようなものを感じます。
”気持ち”が個人の思いを超えて、普遍性を獲得しようとしてるとも言えそうです。
しかし、普遍的でありながらその”気持ち”は著者の体験を軸にした著者自身のものでもあるように思います。

建築はそれを設計した人そのものだ、と信じて疑いません。(p.006)

その”気持ち”が個人的なものでありながら、なお普遍性を帯びているところに著者の建築の魅力があるのかもしれません。

建築を気持ちで考えない

しかし、一方でその”気持ち”というものに多少の重たいものを感じる自分がいることも確かです。

自分は、ある意味では大人の気持ち(欲望)がそのまま現れたようなまちに対して喪失感や危機感を感じたところから建築をスタートしています。
そのせいか、気持ちそのものから自由になれるような建築とはどのようなものだろうか、という問題意識が根底にあって、気持ちそのものをストレートに扱うことには若干の抵抗があります。(世代的な面もあるかもしれません。また、自分がたまたま出会えたような世界の豊かさに、たまたま出会えなかったような人に対する想像力も必要だと思うのですが、もしかしたら”気持ち”はそういう想像力を鈍らせるかもしれない、と怖れてる面もあります。)

建築理論についてのパラグラフ|takahiro ohmura|note

同時にこうした状況においては、重要な判断はしばしば設計者の感性的な価値基準によって下されてしまう(そしてその判断が決定的に使い手を束縛する、ということも少なくない)。われわれは“理論”を酷使することによって、こうした場から、消費の欲望も、政治的な抑圧も、感性も、すべて放逐せねばならない。

これは、本書を読んでいる時にたまたまtwitterで見かけたものです。あくまで建築の理論に対する論考なので同列に扱えるかどうか分かりませんが、ここでは感性的な価値基準も放逐されねばならない、とされています

これに対して共感する自分もいて、なぜ建築に関わるのかという部分においては気持ちは必要だけれども、建築を組み立てる過程においてはそれとは一旦離れなければならないようにも思っています。
建築を気持ちで考えない、ということも大切なことのように思うのです。

建築を気持ちで考えながら、気持ちで考えない?

さらに一方で、前回書いたように、ワクワクするような気持ちを大事にしたい、という思いや、その時々の判断の際に自分の気持ちの小さな揺れに気付くような感度がなければ設計はできない、という思いもあります。

建築を気持ちで考えたい、という思いと、気持ちで考えたくない、という思い、両方あるのです。

それはどちらかが間違っているかというと、そうでは無いように思います。

建築には相反するものを同時に包み込むような強さを持つものであり、そのことが建築の豊かさにつながっていると思うのです。
鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » B060 『リアリテ ル・コルビュジエ―「建築の枠組」と「身体の枠組」』

富永譲が、コルの空間のウェイトが前期の「知覚的空間」から「実存的空間」へと移行した。また、例えばサヴォア邸のアブリから広いスペースを眺める関係を例にそれら2つのまったくオーダーの異なるものを同居させる複雑さをコルはもっているというようなことを書いていた。

それは、僕を学生時代から悩ませている「収束」と「発散」と言うものに似ている。

どちらかを選ばねばと考えても答えが出ず、ずっと「保留」にしていたのだけども、どちらか一方だけではおそらく単純すぎてつまらない。(このあたりは伊東さんがオゴルマンを例にあげて語っていた。)
そのどちらをも抱える複雑さを持つ人間でなければならないということだろうか。

それは学生の頃からの悩みのようなもので、このブログでもいろいろと考えてきました。例えば、ぼんやりとしたイメージですが、

鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » B218 『ネットワーク科学』

このイメージを空間の現れに重ねてみると、収束の空間と発散の空間を同時に感じる、というよりは、見方によって収束とも発散とも感じ取れるような、収束と発散が重ね合わせられたようなイメージが頭に浮かぶ。

もし、気持ちで考えたような建築も、気持ちで考えないような建築も、いろいろと混ざり合ってどこへでも行けるような建築ができるとすればそういうものをつくりたいと思いますし、そのためには気持ちで考えることも、気持ちで考えないこともどちらも必要な気がします。

そうした視点で見ると、おそらく堀部さんの建築も”気持ちで考えた”ような一枚板の建物ではなく、そのような”気持ち”から建築自体が自由になるようなところにまで届いているのだと思います。そうでなければ、これだけの共感を得られないように思いますし、そのことを目指しているようにも感じました。

 
 
気持ちで考える、ってどういうこと?と分からなくなって、書いてみましたが、何か今まで書いてきたことを再確認する感じになった気がします。
たぶん、これが自分の”気持ち”なんだろうな。

それにしても、やっぱり、自分の気持ちで考えて、それを建築にするのって難しい
まだまだそこまで届かないっす。




仕掛けは選択肢の一つとしてさりげなく B222『仕掛学―人を動かすアイデアのつくり方』(松村 真宏)

松村 真宏 (著)
東洋経済新報社 (2016/9/22)

知人に紹介してもらって買った本。
まだ考えがうまくまとまっていないけれども、メモ的につらつらと書きながら考えてみたい。

仕掛け

著者は仕掛を定義する要件として次の3つを挙げている。
公平性(Fairness):誰も不利益を被らない。
誘引性(Attractiveness):行動が誘われる。
目的の二重性(Duality of Purpose):仕掛ける側と仕掛られる側の目的が異なる。
仕掛けを面白く感じるのは目的の二重性によって異なるものが不意に結びつくことにあるように思う。

ここを読んで、事務所のキックオフイベントとして行った模型展を思い出した。
投票によって人型を並べてもらったのは、投票行為であるのと同時に、町並みに見立てた会場の賑わいを生み出すことでもあったし、模型を持ち上げないと展示の一部が見えないようにしたのは、模型に手を触れることを遠慮することを避けることでもあった。
うまくいったと感じた仕掛けは確かにこの定義を満たしていたように思う。

また、便宜的に仕掛けの原理を分類体系としてまとめられていたが、これは原理を理解する手助けになる。
仕掛学研究会ホームページ論文より引用

心理的トリガは物理的トリガによって引き起こされ、互いが自然に結びつく関係にあるとき、その仕掛けはうまく機能する。

建築と仕掛け

さて、建築と仕掛けについて。
東京での修行時代、その時の所長に「お前は建築を装置として考えすぎている。」と指摘を受けたことがある。
そこでなされる行為や、そこから受け取る印象・感情等と建築とを直接的に結びつけすぎているということだと思う。これには言われて確かにそうかもしれない、と思ったのを覚えているが、その時はだからどうすれば良いというのはよく分からなかった。

仕掛けは定義にある通り、目的を予め想定するものである。
建築が人の行為を規定してしまうことの不自由さの是非を問うような議論は昔からあるが、果たして、仕掛けの目的性は建築にふさわしいものなのだろうか
鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » B014 『原っぱと遊園地 -建築にとってその場の質とは何か』

はっきりいって設計するということは、残念ながら本来的に人に不自由を与えることなのだと僕は思う。どんな設計も人を何らかのかたちで拘束する。だから、僕はそのことを前提にして、それでも住むことの自由を、矛盾を承知のうえで設計において考えたいと思っている。それが、つまり、「いたれりつくせり」からできるかぎり遠ざかった質、ということの意味である。もともとそこにあった場所やものが気に入ったから、それを住まいとして使いこなしていく。そんな空気を感じさせるように出来たらと思う。

それに対して本書では「仕掛けは行動の選択肢を増やすもの」としている。

仕掛けの良いところは、あくまで行動の選択肢を増やすだけで行動を強要しないところにある。もともと何もなかったところに新たな行動の選択肢を追加しているだけなので、最初の期待から下がることはない。どの行動を選んでも自ら選んだ行動なので、騙されたと思って不快に思うこともない。(Amazonページより)

行動を誘引はするけれども強要はしない。

ギブソンはアフォーダンスという概念で、知覚する側からの視点で世界を捉えることを徹底したが、そういう視点で仕掛けを見た時、仕掛けはあくまで選択肢の一つとして立ち現れるもので、能動性は担保されうるように思えなくもない。
そして、その能動性が先の3つの要件、公平性・誘引性・目的の二重性によって守られるのだと考えると、この定義の重要性も見えてくる
うまくすれば仕掛けも出会いの一つ足りうるのかもしれないな。(ただし、その効果はこの本でも書かれているように減衰するものであって、減衰後のあり方にも配慮が必要だろう。)

うーん、やっぱり油断すると建築を(出会いのための)装置として考えてしまいそうになる。
そこから距離を取るためにギブソン的な視点の転回を必要としてるんだけど、忙しさにかまけてしばらく思考をサボるとその辺の感覚を見失ってしまうし、その視点と設計という行為とのジレンマに負けそうになってしまう。

結局、修行時代に受けた指摘に応えるためにまだ藻掻いてる感じで、修行はいつまでも続きそうだな。




地域ウォークラリー

今日は保育園で地域のお店などを回る地域ウォークラリー。
うちの事務所もスタンプ地点になったので、普段の建築士の仕事と遊び(折り紙)に興味を持ってもらえるようにガッツリ展示しながら仕事する。

普段あまり接点のない親御さんとも話ができたりして良かったです。




もっとおおらかに、もっとわくわくしながら B221『家づくりのつぼノート』(西久保 毅人)

西久保 毅人 (著), ニコ設計室 (著)
エクスナレッジ (2019/8/3)

建物探訪でぐっときたお二方

『渡辺篤史の建もの探訪』は気が向いた時に時々見るくらいなんだけど、見ながら「ぐっとくるなー。めっちゃ上手いなー。」と思って初めて興味を持った方が二人います。

一人はタトアーキテクツ(島田陽)で、もう一人がニコ設計室。

当時から有名だったのか、まだ無名の頃だったのかは分からないけど、その時初めて知って、すぐにファンになりました。
そのニコ設計室が本を出したと知って急いで買いました。

豊かさとおおらかさと自分の原点

一つひとつの言葉がすごく共感できて、自分の目指すところを言葉と形にして見せてくれたような感じがします。
例えば、学生の時に考えていた敷地の捉え方をはじめ、デザインのたねとして考えていたようなことが、具体性をもって表現されていて、とても豊かなものがそこにあるように感じましたし、『施主力8割』のところなんかそのまんま自分の言葉じゃないかと思えるくらい。

そのワクワクする、ため息が出るような豊かさ、人間臭さはどこか象設計集団に感じるものに似てると思ったら。略歴のところに象設計集団の文字が。
やっぱりなー。

さて、その豊かさの根っこにはある種のおおらかさが見て取れます
それは、プランにも如実に現れてるし、街とのつながりかたにも現れています。おおらかであることによって初めて獲得できるような、どこか懐かしい豊かさ

さらに、そのおおらかさのもとには子どもたちに対する愛情や責任が、もっといえば、著者自身が子どもの頃のわくわくする気持ちを保ち続けていることがあるように思いました。(それは決して簡単なことではないと思います。)

自分はどういうものをつくっていくべきか。それは設計者の永遠のテーマとも言えますが、その原点を思い出させてくれたように思います。

自分も初心に帰って、もっともっとおおらかに、もっともっとワクワクしながら設計を続けられたらなー
 
 

追記(twitterより)

言葉遊びではない、生活の延長としての街への開き方が豊かな印象を与えているように感じたけれども、案外東京の密集した地域だからこそ、というのはあるかもしれない

道路があまりにも車の交通としての色合いが強いとこういう開き方も難しい、というか開くというのが言葉だけになりがち。例えば裏路地のように道路自体がおおらかさを持っていることが大切なような気がする。

もともと道路自体がおおらかさをもっていればいいけど、そうでない時はどうするか。目の前の道路に新しいおおらかさを見出したり、生み出したりするような見立てる力、顕在化させる力が求められる気がする。

一つ前に書いたマイパブリックの話も、おおらかさを顕在化するための手法なのかもしれないなー。そこに懐かしさのようなものを感じてほっとするのかも。ほっとしたい。

後は、そのおおらかさを実現するためにはある程度予算的なおおらかさも求められる。予算の話はきりがないのでそれを与えられた条件の中でどうやってクリアするか




SDGT , HTGI 写真アップ


SDGTの写真アップしました。
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HTGIの写真アップしました。
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