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かごまちシンポのミーティング

昨日マルヤガーデンズで「第2回かごしままちづくりシンポジューム」の会議があるということでふらっと行ってきました。

その中で清水さんの「移動と滞留」の話が印象的でした。
自分の中でうまく整理は出来ていないのですが、なんとなく掴みどころがなくなりそうな議論の中で何か軸を決めるとっかかりになりそうな、そんな予感のする話でした。
そのあたりについて清水さんがブログを書かれていたのでリンクを貼っておきます。

清水哲男の「鹿児島・天文館徒然草」 : 第千四百十段「移動と滞留」考え中…

この話を聞きながら、「かごまちシンポっていったい何なの?」「かごまちシンポって結局何をしたいの?」というような批判めいた言葉がこれから先もずっと付いて回るんだろうなー、というようなことを考えました。
最近自分の周りのことを振り返ってみても、この疑問・批判に対して、これでもかってくらいシンプルに、明確に、分かりやすく答える言葉を見つけていく作業がきっと大事になってくるんじゃないかと思いました。(必ずしも結論である必要はないかも知れませんが)

その言語は主催者側が活動を続けていく上での指針にもなると思いますが、自分たちが理解しているだけでなく、なんとなく遠目で眺めている第3者にも届くようなものであった方がいいように思いますし、学内や部外者に協力を求める上でも必要になってくるのだと思います。

近々、ブログのようなものを起こしてくれると思いますので(サイトがあれば、この記事からでもリンクを貼れたんだけど・・・)、その時には上の疑問に対して簡潔な言葉で答える記事を書くことに是非チャレンジして欲しいなと思ったりします。

また、「概念の範囲」という言葉もすごくとっかかりのある魅力的な言葉だと思うのですが、まだ自分の中では整理できていません。うーん、何かが整理できそうな匂いがぷんぷんするんだけど。。。

僕は一つ前の記事で、生活風景のデザインというような言葉を使いました。
都市交通を「移動と滞留の手段」とする捉え方がまずあるとして、一つ視点を変えて、その手段の結果としてどのような生活の風景が現れるのか、という視点もあるように思います。

車を便利だとして優先させて言った結果、生活風景が貧しくなってないかな、というのが一つ前の記事だったわけですが、こういう視点と「移動と滞留の手段」という視点の関係がどうなのか、まちづくり・活性化、概念の範囲・平面の範囲、というような言葉の中、これがどう整理できるか、いまいち分からなくなってるわけですが・・・。
ちょっとゆっくり考えてみたい気がします。




エイリアンから生活を取り戻せ(とか)

昨日久しぶりにMさんと話をして、個々の設計についてもいろいろ刺激になったのですが、トランジットモールなどの話をしながらふと、昔書いた記事を思い出しました。
オノケン【太田則宏建築事務所】 » 自動車エイリアン説。

もし自動車が実はエイリアンで、人間が車を利用しているように見えて実は車が人間を利用している、と思って景色を見ると妙にしっくり来たのです。 車が人間を操り、道路と住居(駐車場)を作らせ、食料(燃料)を補給させ、おまけにメンテナンスや世代交代までも任せる。

※車社会の善悪の話ではなく、生活風景のデザインの話だと思って読んでください。僕も少なからず車社会の恩恵を受けていますから。

天文館のトランジットモールも魅力的なのですが、毎日暮らしているこの場所はもっとどうにかならなかったんだろうかと、一生活者として思うことがよくあります。
毎日、保育園まで歩いて子供たちを迎えに行っているのですが、その帰りに二人の子供と道路を歩くのは緊張を強いられとてつもないストレスを感じます。

さっきの話の続きで、エイリアンに侵略されてる妄想をしながら、例えばいくつかのエリアの地図を【ヒトのための空間】と【車のための空間】とに塗り分けて面積比を出したらどんな結果が出るでしょうか?
例えば5階建ての1階のピロティが駐車場のところは4:1で按分する方法があるかもしれませんが、いっそのこと、その平面的なエリアがヒトのための空間として活き活きしてるか、車のための空間として活き活きしているかで、えいやとどちらかに塗り分けた方が面白いかも知れません。

そうして、出てきた結果が仮にヒト:車=4:6だったとして、それを7:3にするにはどうすればいいだろうか、と考えてみるのは面白そうです。

通過交通用の道路以外の一分を歩行者専用にしたり、それが現実的でなければ、ヒトの生活よりのコミュニティ道路にしたり、はたまたソフト的な部分でOSOTO的に活用し、特定の日だけヒト:車率を変えたり、または、人の生活空間をより活き活きとしたものにして車よりも人の空間と感じられるようにしたり、と方法はいろいろありそうです。

自分の住んでいる街を一度、エイリアンに侵略されている街として想像しながらヒト:車率はいくらぐらいだろうか、それを変えたらどんな生活ができるだろうか、と想像しながら歩いてみると面白いかも知れません。

※再度書きますが車社会の善悪の話ではなく、生活風景のデザインの話です。車好きの方ごめんなさい。




KBGNスタート



国分市街地からそれほど遠くない場所に自然のような地形が残る稀有な土地。
生活に根ざした良い家ができそうな予感がします。

模型は最新版を撮影して後日アップ予定です。




B165 『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる』

山崎 亮 (著)
学芸出版社 (2011/4/22)

マルヤガーデンズでコミュニティデザイナーを務められた山崎亮さん(studio-L)の待望の単著。
帯に「状況はまだまだ好転させられる」と書いてありますが、こんなに未来への可能性にわくわくさせてくれる本に出会ったのは久しぶりのような気がします。

10年以上前、僕も卒論でコミュニティの視点からみたコーポラティブハウスの可能性みたいなことをやりましたが、その時はコミュニティという言葉に可能性と行き詰まりを同時に感じてその感覚は長く残っていました。
その卒論では確か「ヒト・モノ・関係」からコミュニティを捉えながら、コーポラティブハウスという「モノ」をつくる過程で「ヒト」「関係」が生まれてくるという視点でしたが、あくまでそのベースには「モノ」ありきだったように思います。

山崎さんの「コミュニティデザイン」という言葉もその延長線上にあるとは思うのですが、サブタイトルの通り「ヒト」もしくは「関係」に真正面から向き合うことによって「コミュニティ」と「デザイン」という言葉が新鮮な可能性を持ったように感じました。同時にコミュニティという言葉に感じた僕の中の行き詰まり感をようやく払拭できたように感じられました。

コミュニティデザインの理論やハウツーがまとめられているのではなく、山崎さんがこれまで実践されてきた実例が多数掲載されているのですが、そこから山崎さんがどうやって今の山崎さんになったのかの一端や、実践することの大切さがみえてきますし、そこから得られるものは読む人によって変わってくるのではないでしょうか。

昨日、東川さんがテーマを見つけることの重要性を言われましたが、いろいろな立場の人がいる中で共有できるテーマを探り問題の突破口を開いていく場面がなんどもありちょっと感動的でもあります。(ダーツで物事が動き出すところもグッと来ました)
たぶん、この辺の感覚っていうのがすごく大事になってくるんだろうなぁと思いますし、そういう視点でもう一度読み返してみようと思っています。

また、同じく昨日の話で、関わり方、というのが出ましたが、自分はもろもろのことに対してどういう立ち位置で関わっていくか、というのが大きな課題です。僕自身はものをつくるのをやめられないと思いますし、一番にはそこで責任を果たしていきたいと思いこれまでやってきていますが、可能性をそこに絞ってしまうのもちょっと違うかなと感じています。
事務所の経営を考えながら自分に何がやれるか。何をやるべきか。どうやってやるべきか。はたまた誰とやるべきか。
まだまだ答えは出そうにありませんが、少しずつ見つけていきたいと思います。(と言いながらずるずる行きそうなので、どこかで集中的にやらないと自分自身も変われないんだろうなぁと思ったり。)

まー、とにかくマルヤガーデンズで山崎さんの仕事の一端に触れられたのは僕にとって(おそらく鹿児島にとっても)幸運だったと思います。どっちかというと僕は家でこもってコツコツ仕事するのが好きなんですが、やっぱりこの経験を活かさないのは勿体無いと思っています。

最後に本編より最後の一文

日本全国で生じているさまざまな課題は、当然僕たちだけで解決できるものではない。コミュニティデザインに取り組む人が少しずつ増えることで、ひとつでも多くのまちが自ら課題を乗り越える力を高めることを願っている。

それぞれの地域が抱える課題と向き合いたいと考える全ての方、また行政の方にも一読をお勧めします。

※あとこの本は脱いでもすごいです。。。

参考

まだ観れてませんがこれも面白そう。
Ustream.tv: 11/2マルモ出版&リクルート住宅総研 共同主催【特別授業「山崎亮の仕事術」】(1), hair5mm LIVE 11/02/10 03:40AM. 生活…

中原慎一郎さんと服部滋樹さんのトークショー。テーマはかなり近いです。
Ustream.tv: ユーザー d-department: トークショー「新しいコミュニティストアという存在」, Recorded on 11/04/30. デザイン

(たとえば)リノベ研の方で山崎さんに触発されて書いた記事他
『新しい公共』と自走力のアーキテクチャー – かごしま(たとえば)リノベ研究会(ベータ)
オートポイエーシス的ぽこぽこシステム論 – かごしま(たとえば)リノベ研究会(ベータ)
クラスタ化する社会とTwitterとチューリップ(前編) – かごしま(たとえば)リノベ研究会(ベータ)
クラスタ化する社会とTwitterとチューリップ(後編) – かごしま(たとえば)リノベ研究会(ベータ)




大寺さんトークショー『市電とまちの未来像』

今日はイラストレーターの大寺さんの個展最終日ということで18時から東川さん(探検の会)とのトークショーがあったので行ってきました。(コーディネーターは味園さん(37Design))

坊津まで祭りに行った後だったので子供も疲れ気味で途中退席してしまいました。なので途中からはUSTで視聴)

▼トークショーの様子(1~3まであります)

大寺さんの話では「国交省はLRTの導入支援をしていて、市民の意識次第でいつでも火がつけば実現できるのでは」「富山は構想から開業まで3年で実現した。これは未来の話というより、今日、明日の問題」というようなところが印象に残りました。

その後味園さんが言われたように、では実現出来ていないのはなぜなのか?何が足りないのか?みんながこうだったらいいよね、ということを実現させるための力ってなんだろうか?
また、東川さんが「未来を描くときに自分がどういう立ち位置でそこに関わっているのか、関わり方をイメージすることが大切」というように話されてましたが、自分はどういう形で関わることが可能なのか?
そういうことが頭を周りました。登壇者の方に「僕はどういう形で関わればいいでしょうか?」と聞くのも、それは自分で考えなさいよ、って話でしょうし、質問もできなかったのですが。
(こういう場での質問って結構苦手ですねー。どうしても感想になってしまうし、ARCH(K)INDYの時も感じたんだけど、最近リアルタイムに言葉が浮かび難くなってる気がします・・・)

永山氏の「コミュニケーションの間口にどういったものが有効か?」というような質問に対して東川さんが「共通のテーマを見つけることが重要」といった事を言われてましたが、ちょうど今読んでいる本で感じたことと重なった気がしました。(これについては後で読書感想を書きますが、いろいろな立場の人がいる困難な問題でも、まさに共有できるテーマを探り当てることで突破口が開かれていく実例が多数紹介されていました。)

次回のかごまちシンポがどういう展開になるかも楽しみですが、自分はどうやって関わっていけるのか。限られたリソースの中でどれだけのことが出来るか分からないけれど、僕ももっと具体的なイメージを持たないといけませんね。

・大寺さんのように未来を共有できるイメージを提供する。
・そのイメージを拡げてより多くの人で共有できるようにする。
・イメージが共有されていくことを可視化して具体的な数字やかたちに落し込みよりリアルに共有できるようにする。
・具体的に実行するための調査・計画。そのための予算。
・実行。

等、様々な役割・フェイズがあると思うのですが、誰か、そういう自分の立ち位置を共通のイメージの中にそれぞれマッピングできるような、ロードマップのようなものを描ける人はいないでしょうか。(残念ながら能力・リソース的に僕には無理。もしくは個人じゃ無理)

あっ、とある方が「うわー、いますっごいことに気付いちゃった!これはますますやらネバダ!」とつぶやいてました。なんだろー。wkwk..gkbr….




YNGH 3rd



パースでは分かりにくいですがプランと外観を再整理。
整理されていくほうが好ましいのか、自然と崩れていくのが好ましいのか。その辺のせめぎ合い中です。