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B151 『9坪ハウス 小さな家で大きな暮らし』

萩原百合+9坪ハウスオーナーズ倶楽部 (著)
河出書房新社 (2006/10/13)

さらっと読めそうだったので気分転換がてら。

前に別の本で読んだことの再確認という意味合いが強かったです。
オノケンノート ≫ B089 『space 狭小住宅:日本の解決法』

簡潔さと必要性に共感できる人たちだけを惹き付ける家づくり

今の自分の生活に合わせて家を作るのではなく、ある良く考えられた箱、空間や環境に合わせて自分の生活を作っていく、と考えた方が豊かさやある種のリアリティが生まれる気がするのですが、これはなかなか説明して納得してもらうのは難しそう。

全ての人に共感してもらえる感覚ではないと思うのですが、うまい例えがないでしょうか。




B150 『1995年以後―次世代建築家の語る現代の都市と建築』

藤村 龍至 (著), TEAM ROUNDABOUT (著)
エクスナレッジ (2009/2/21)

久しぶりにこの手の本が読めました。
1995年以後次世代建築家の語る現代の都市と建築 |雑誌・書籍|X-Knowledge(エクスナレッジ)

1971年以降生まれの若手建築家、研究者ら32組へのインタビュー集。「1995年」を、都市のインフラの構成が変化し、情報化と郊外化が加速する2000年代の一連の変化の起点として位置付けた。そうした時期に建築を学び始めた建築家たちにインタビュー(議論の場を提供)し、これからの都市と建築のあり方を探る。本書は、次世代の建築論の基点となることを宣言する。

登場する建築家等の名前・誕生年・当人もしくは勤め先へのリンクは以下(メモ及びリンク集の意味合いも含めて)

藤本壮介(1971)Link、平田晃久(1971)Link、長坂常(1971)Link、森田一弥(1971)Link、白井宏昌(1971)、倉方俊輔(1971)Link、満田衛資(1972)Link、中山英之(1972)Link、中村竜治(1972)Link、吉村靖孝(1972)Link、吉村英孝(1975)Link、重松象平(1973)Link、トラフ(1973,74)Link、中村拓志(1974)Link、石上純也(1974)Link、谷尻誠(1974)Link、大野博史(1974)Link、TNA(1974,75)Link、dot architects(1974,77,74)Link、松川昌平(1974)Link、北川啓介(1974)Link、平塚桂(1974)Link、田中浩也(1975)Link、永山祐子(1975)Link、藤原徹平(1975)Link、勝矢武之(1976)Link、柄沢祐輔(1976)Link、中央アーキ(1978,76,77)Link、長谷川豪(1977)Link、鈴木悠子(1979)Link、南後由和(1979)Link、ドミニク・チェン(1981)Link、大西麻貴+百田有希(1983,82)Link

僕はぴったり同世代なんですが、やっぱりこういうのを読むと多少の焦りは感じますし、建築系ラジオをちらほら聴いたのもあってか、議論しあうことの必要性をすごく感じました。

社会性を前面に出す人が多かった印象がありますが、そんな中あえて社会性と距離を置く人もいて、考えさせられました。
建築はどうあがいても社会との関係性を持たざるを得ないので、立ち位置として社会とどの程度の距離感を持つかはその人の感覚しだいと言う気はします。
どのような距離感であれ、できたもの(またはそのプロセス)によって社会に何らかのよい影響があればよいというのは声の大小はあるにせよおそらく共通の思いでしょう。
また、採られる戦略や方法論もおそらくごく個人的な問題意識が根元にあって、個人的な欲求から建築をつくるにあたってその問題意識を作動させ続けるために戦略や方法論を必要としているのだと思います。

感じた事をうまく書けないまま仮にここまで書いてみたのですが少しイメージが浮かびました。

それは、まだ中途半端にしか理解できていませんがオートポイエーシスにイメージを重ねられないかと言うこと。

オートポイエーシス単体としての生命における一般的な「たましい」のイメージに個々の「問題意識」を重ねてみる。
様々な人・戦略・方法論・建築・その他を構成素に共通の「問題意識」を作動し続けながら次なる構成素を生み出し続ける、そのようなオートポイエーシス単体。
「問題意識」の連鎖の断絶が生命における死に該当する。
「問題意識」は「社会性」と置き換えてもよい気がします。

例えばある話題に関するコミュニケーションの連鎖も(僕の勘違いでなければ)オートポイエーシスとみなせるようだからそんなにおかしなイメージではないと思います。

実は著者の唱える「批判的工学主義」をきちんと読んだことがないのですが、この本を読んで、著者にはそんなイメージ、ある問題意識(よりもう少し大きなくくり、社会性のようなものかもしれませんが)が作動し続けて大きな運動体のようなものになるイメージがあるのかもしれない、と思いました。

翻って、自分の問題として考えた場合、自分にどのような問題意識があり、どのような戦略・方法論があるのか、どのようにすればそれを作動し続けさせることのできる場を生み出せるのか、等を考えなければいけません。

例えば、鹿児島にどのような問題・可能性・場があるのか。お手本となる人・活動も多いのでじっくり考えてみようかと思います。




HS12 MODEL


今月のノルマは案をあと一つ。

来月に持ち越しかな・・・

オノケンノート ≫ HS-12 小さな丘を登る家




W043『鹿児島の団地めぐり~市街地形成の歴史を学ぶ』

10ヶ月ぶりにかごしま探検の会のまち歩きに参加してきました。

今回は団地めぐりということで、探検の会のまち歩きでは異色なコースです。
いつもは史跡などをめぐることが多いし、「市街地形成の歴史を学ぶ」とあるのでどんな内容になるのか興味津々でした。

バスの中では身近な話題に絡めた東川さんの団地形成の歴史の講義を聴きながら
星ヶ峯団地-皇徳寺団地-桜ヶ丘団地-紫原団地-城山団地と巡りました。(下車は星ヶ峯団地と皇徳寺団地)

団地の歴史の概略の話もそうですが、一見似通ったそれぞれの団地の特徴をうまくとらえてツアーのコースにまとめてしまうのはやっぱりさすがです。

僕自身、団地というか「郊外」というものに対する問題意識が建築を真剣に考え始めたスタートになっているのですが、東川さんの暖かい目線、育てるべきものを見つけるような目線には頭が下がりました。

わりとなじみのある場所が多かったというのもあるでしょうが、今回まわった団地に僕の持つ「郊外」のイメージほどの冷たさを感じなかったのは、それなりに歴史を経てきていることと、団地が出来る傾斜地という立地条件によって地形・敷地にある程度変化があること、それと各敷地ごとにそれなりに緑が植えられていることに拠るのかなぁと感じました。(あと東川さんの語り口)

年齢構成の偏りや、その他団地ならではのイビツさがあるのですが、そういうイビツさも(問題は問題として捉えながらも)受け入れてみるという考え方もすこしあるかもしれないと感じたツアーでした。

今回のまち歩きにはMBCと南日本新聞とNHKの取材が来ていて、子連れは珍しかったのかMBCと南日本新聞に取材されましたー。
当然のごとくキョドっていたのでカットされるような気がしますがMBCは8/1午前の放送のようです。(多分ズバ鹿児)

[gmaps:31.575281478391517/130.49714505672455/18/460/300]星ヶ峯団地せせらぎ公園[/gmaps]




HS11 MODEL

hs11_M
合間を見て作成中。
ルーバーが残っているので完成は明日になるかな。

プロポーザルが入ったりしてバタバタしそうだけど、こっちの方もこなしていかないと今年の目標達成は難しそう。(プロポーザルも結構とりたい仕事だし、方向性のイメージはあるんだけどやる暇あんのか?)

この模型はやっぱり片方は取り外せるようにしないと中がわかんないだろうなぁ。

スタディの最後の方のうち一案は1/50か1/30の模型を作りこんでみたいと思いはじめてます。

オノケンノート ≫ HS-11 向かい合わせの家




鹿児島美少女図鑑

ブレストM氏、やってますなぁ。

鹿児島はフリーパーパーが結構充実しているように思います。

鹿児島の建築・景観・街並み・都市を考えるフリーペーパーっていうのも切り口たくさんありそうだけど、それなりの人の輪とエネルギーが必要だろうな。

あっ、鹿児島美少女図鑑、
渕上印刷さんの二次元読書にでてました

おいらにゃ美少女なんて遠い存在さ、と思っていたのがこれをぱらぱらと見ていると、「身近な景色」と「鹿児島を元気に」というのがなんか分かった気がしました。
「いいじゃん鹿児島」のきっかけになりそうな予感に満ち溢れているフリーペーパーっす。さすが。

二次元読書の渕上さんはRegionもだしてるし、このサイトを最初に発見した時は全国的なサイトかと思いました。
いい仕事されてます。