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大晦日

早いもので今年ももう終わりですね。


今日の夜から新居に滑り込み、なんとか今年中に引っ越すことが出来ました。(まだ、こまごまとしたのは残っていますが)


まだ、整理中ですが、新居では納戸の3畳を書斎として使えることになったので、来年はしっかり模型までつくりたいと思っています。

どれぐらいの方が見てくださっているか全く分かりませんが、来年もよろしくお願いします。

それでは、よいお年をー。




おのけんのーと(ひらがな版)

思うところがあって、DIARYのカテゴリーを別ブログに移しました。

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もし、よろしければこちらもどうぞ。




WORDPRESS2.7


すごい勢いでヴァージョンアップしているWORDPRESSの2.7がリリースされました。

2.5の時はプラグインの対応でてこずったので、あまり頻繁にアップグレードするのも怖いんですが、今回はそういうこともなさそうです。

2.5ぐらいから使いにくくなった管理画面もすごく使いやすそうになってるし、かなりカスタマイズできるようになっています。アイコンなんかを公募したようで見た目もかなり良くなりました。
これが無料なんだからすごいです。

(Ozh’ Admin Drop Down Menuを入れてたら、管理画面にメニューが表示されなかったのでFTPで削除しました。注意)

お前は何屋さんやねん、という声もありましょうが、自分で出来るようになると面白いですよ。




リクエスト募集。

突然ですが、House-Studyのリクエストを募集します。

なんでもいいのですが、「○○の家」だとか「○○できる家」だとかワンフレーズで思いついたのをコメント又はメールで教えて下さい。
それをお題にして案になりそうなのが思いついたら採用して模型まで作成致します。思いつかなかったらごめんなさい。

適当で構いませんし、1年以内ならいつでも構いませんのでどうぞよろしく。

案になるのがいつか分かりませんし、何の特典もありませんが。




ポストモダンなのかな。

友人の幻エントリーで思いついたのでメモ。

最近の若手の動向についてちょっと考えてみたのですが、純粋に個別の欲求に向かったり、”あり方”のようなものに向かっている感じがするのはある意味ポストモダンなのかなという気がします。(もちろん狭義のスタイルとしてではなく)


僕がポストモダンを理解しているとは言いがたいですが、自分なりのポストモダンのイメージは、こだわらない、というより囚われない、もしくは別様でありうる事を前提とした上で囚われてみる、ということなのかなという気がします。

彼らはモダニズムをしてみる対象として捉えているんじゃないだろうかと。

まだ、あまり言葉に出来ませんが、あっポストモダンなのかな、と思えばちょっとしっくりきました。
妹島和世あたりからの流れなのかな。とか思ったら、前にも似たようなこと書いてたな。




一歩の差

最近、更新が滞りがちなのでMEMOカテゴリーに逃げてみます。

独り言が多くなるかもしれません。

では。


たとえばその建築がキャラクターなり愛嬌なり色気なりを持てるか持てないかの一歩の差はどこから生まれるんだろう。

東京の学生時代に先生(後の勤め先の所長でもある)にちょっと手直ししてもらっただけでずいぶん飛躍したんだけども、何でだろう。そういう飛躍が出来てるだろうか。

いろいろあるだろうけど、例えばある要素や要望や機能がどうなりたがっているのか、どういう風に成長したり他の要素とくっついたりしたがっているのかを的確に読み取り育ててあげること。子供を褒めて育てるように。

もしかしたら生物のモデルが参考になるかもしれないと思っているけど、オートポイエーシスの本は何度も挫折してそのまま。




B146 『14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に』

宮台 真司(著)
世界文化社 (2008/11/11)

昔ほど突き放した感じがしなくなってきた著者が14歳(から)という年齢に対してどういう風に書くのか興味があったのと、もしかしたら『チャート式宮台真司』的な読み方もできるのかなと思い早速読んでみました。

【 目次 】
● まえがき これからの社会を生きる君に

1. 【自分】と【他人】 …「みんな仲よし」じゃ生きられない
2. 【社会】と【ルール】 …「決まりごと」ってなんであるんだ?
3. 【こころ】と【からだ】 …「恋愛」と「性」について考えよう
4. 【理想】と【現実】 …君が将来就く「仕事」と「生活」について
5. 【本物】と【ニセ物】 …「本物」と「ニセ物」を見わける力をつける
6. 【生】と【死】 …「死」ってどういうこと?「生きる」って?
7. 【自由】への挑戦 …本当の「自由」は手に入るか?
8. BOOK&MOVIEガイド …SF作品を「社会学」する
●あとがき いま【世界】にたたずんでいるかもしれない君に

途中、やっぱり突き放すのねと思いながらも、読み進めていくうちにちゃんと理解できるようになっています。

納得するかどうかは人それぞれかもしれません。でも、この本は宮台真司はちょっと苦手って言う人でも比較的受け入れやすいように懐深く書かれているように思いますし、社会学者・宮台真司ではなく宮台真司・個人として語りかけてくるような書き方なので自分との距離を計りながら一個人の意見として読めると思います。

<社会>や<世界>から考えてみる、という考え方があることを知ること

少なくとも僕は、子供の頃にこういうことを大人から言われたことはありませんし(本を全く読まなかった、っていうこともあるけど)、<社会>や<世界>、<歴史>との関わり方をきちんと意識して考えたこともありません。

それでも、思春期を過ごす中で自然と<社会>や<世界>との距離を計りながら育つことができたように思いますが、それは時代や環境に恵まれていた、という面が大きかったように思います。

しかし、今の子供たちは「<社会>や<世界>との距離感をはかる」ことがずっと難しくなっているように思います。

・この本でも書かれているように<共通の前提>が通用しなくなってしまったので、各々が判断・選択せざるを得ない。
・しかし、いろいろな情報・結論が簡単に手に入ってしまうために、また、いろいろな種類の人と接する機会が減っているために、「考える」チャンス・「試行錯誤」のチャンスを逃しやすい。

というような状況の中で<社会>や<世界>から考える、という考え方があることに気付かずに<私>という狭い視界の中をさまようことは苦しいことだと思います。

僕は最終的には<私>に還らざるを得ないと思いますし、『すべてがデザイン』という姿勢が今の社会では生きやすいんじゃないかなと思うのですが、<社会>や<世界>を一度通してから<私>を考えた方が楽だったり『デザイン』しやすかったりすることも多いように思います。

そのためにも、『<社会>や<世界>から考えてみる、という考え方があることを知ること』も必要だと思います。

「試行錯誤」「承認」「尊厳」の循環と「感染」

「試行錯誤」「承認」「尊厳」の循環のメカニズムのところはすごく重要だと思いました。
この循環を理解することによって、他者や社会というものが理解しやすくなると思いますし、それは社会に生きるものにとって基本的な事柄のような気がします。

また、親としても「承認」の意味と役割をじっくり考えてみることは、子供の「試行錯誤」と「尊厳」を支える上で有益でしょうし、(自分の親がそうであるように)子供にとって少しでもよいので「感染」できるような対象でありたいと思いました。

あまり詳しくは書きませんので、詳しくは本書を読んで下さいまし。

その他考えたこと

個人的には「卓越主義的リベラリズム」と「エリートが尊敬される社会」というところはどうなんだろう、と思いました。

個々がある程度の「選ぶ能力」を身につけなければ、誰がより良いルールを作ってくれる人なのか判断がつかないし、そこが今でも一番のネックのような気がします。任せるべき人が分かれば任せますよ、と。
また、エリートが尊敬される社会になるためには、エリートに代わる言葉が必要な気がします。
「エリート」と言う言葉には期待されている意味合いとはあまりにもギャップのあるイメージがつきすぎている気がしますし、もし、そのギャップが埋まるぐらいに大衆の意識が変るとすれば、その時には選ぶ能力も身についているんじゃないかと。

この部分を読んだ僕の感想としては、卓越した専門家が必要なのは当然だとしても、その人を選べるような、一定の判断力を備えた人が多く育つことの方が重要じゃないだろうかという気がします。
インターネットを通して、そうした「判断力を備えているであろう人」の意見に接する機会は増えていますが、もっと身近なコミュニティの中、例えば友達だったり、職場の人だったり、行きつけの散髪屋やもちろんたこ焼きやだったりの、顔を知っていて信頼できる範囲の中で10人に1人が高い意識を持ち、その中の何人かが一定の「選ぶ能力」を持った人になれば、波及効果でかなりの効果が得られるように思います。
(これについては「どこか」に書こうかな。。)

その、身近な人が必ずしも正確な判断を下すとは限りませんが、そういうばらつきも含めて良いのではないかと。そんな事を考えました。




アンパンマンと森の学校


知覧であるアンパンマンショーの入場券があったみたいで家族3人+妻の両親でアンパンマンショーに行ってきました。僕は留守番してようかと思っていたのですが、知覧と加世田の間でちょうど「触れる」ArtsProject2008~かわなべ森の芸術祭~というイベントがあるみたいなのでついていって帰りに寄ってもらうことに。

ちょっと行くのが遅かったみたいで残念でしたが、こういうローカルで魅力的な場所とアートの組合せの雰囲気・面白さは感じられました。(SA・KURA・JIMAプロジェクトの雰囲気に似てたかな。)




small-spiral


あんまり間があくとダメかと思い時間をみてとりあえずパースまで。

小さな木造2階建てでのリアリティーを考え直してみようというところからはじめてみました。
昔からスキップフロアーの複雑さが好きだったりするのですが、初心に戻って、小さな中での連続性・回遊性で奥行きを生み出すことを狙ってみました。

中央の外部吹抜けを中心にスキップフロアーで1/3フロアずつぐるぐる廻るように上がっていきます。
使い古された手法ではありますが、最後の屋外テラスと居間が行き来できることと、出来るだけシンプルな中に納めたことがポイントです。
まだパースだけなのでスキップしてるのが良く分からないかもしれません。

オノケンノート ≫ HS-14 小さな廻る家




under’s high vol.7



かかさず読んでるunder’s high。
今回はプレカリアートがテーマでした。

プレカリアートという言葉に初めて触れたのは「本が好き!」プロジェクトで献本していただいた『生きさせろ! 難民化する若者たち』。
オノケンノート ≫ B111 『生きさせろ! 難民化する若者たち』

前回読んだ本で宮台真司が日本人は”ゲーム盤”(自分が所属する社会のたとえば環境やルールなど)を意識するのが苦手、と指摘していたが”ゲーム盤”が今どのようなものであるかを知り、ゲームのルールを自分たちで変えていくんだ、という意識を持つことが大切である。 本著で”プレカリアート(不安定を強いられた人々)”という言葉が紹介されている。生きていくのに絶えず不安に曝され続けなくてはならないゲーム盤がすばらしいとはとても思えない。

たこはんさんが
さつませんだい徒然草:有効求人倍率その2 – livedoor Blog(ブログ)

その想像力の無さが今の数値を作り出しているのかもしれません。

というように、一番の問題は社会(ゲーム盤)への”想像力の欠如”にあるように思います。

ですが、ゲーム盤の存在は最近の金融危機や食料などの安全性の問題などを通して、他人事ではなく少しずつリアルに感じるようになってきているのではないでしょうか。

日常で買い物一つをするにしても、そこには、労働形態や生産方式などのその商品の背景にあるシステム、ひいては町並みや地球の裏側の子供の命まで含めた在り方にかなり強力な一票を投じている、という側面があります。(株なんかもそうかもしれませんね)
そういうことを皆が意識して行動すれば確実に何かが変っていくように思います。

これは自分自身も反省すべきことは沢山あります。
また、個人の出来ることでいろいろな活動があるかもしれませんが、最近は、実はこういう一票の積み重ねが一番力があるんじゃないかという気がしています。

そういう意味では、今のようにいやでも想像せざるをえないような状況はある意味チャンスかもしれません。

このフリーペーパーでchabinさんが書かれている「鹿児島共生論」とも関連があるかもしれませんが、たとえば、自分たちの住んでいるところに胸をはれるような活気のある中心街がないのは恥ずかしい、と思えば天文館で”一票を投じる”のも意味のあることでしょう。
それで、投じられた側がその一票を励みにより良いマチにしていき、それでまたそこに一票を投じるというサイクルが出来てどんどん良くなればすごく面白そうじゃないですか?

ヴァーチャルを再反転してリアル・シムシティ。 (シムシティ(Wikipedia))

あっ、このイメージはよさそう。個々が街を育てるっていう感覚はゲーム世代には分かりやすいかも。
となれば、そのサイクルの可視化が重要かな。

P.S ウィンドウ・ショッピング』の世界展の大寺さんと井原さんの対談も載ってます。




B145 『数学ガール』

結城 浩 (著)
2007/6/27

たこはんさんの勧めで読んでみました。

いや、違った。

少し前にたこはんさんからUさん経由で

額面が1円、2円、3円、4円、……になっているコインがあるとする。合計n円を支払うためのコインの組み合わせが何通りあるかを考えよう。この組み合わせの個数をPnとする(各支払い方法をnの分割と呼び、分割の個数すなわちPnを、nの分割数と呼ぶ)。

たとえば、3円を支払う方法には「3円玉が1枚」「2円玉が1枚と1円玉が2枚」「1円玉が3枚」という3通りがあるため、P3=3である。

問題1
P9をもとめよ。

問題2
P15<1000は成り立つか?

という問題がいきなり送りつけられてきて、そのままにしておくわけにはいかず(というかそのままに出来ない性分なので)、とても数学的には美しいといえない汚い手をつかって答えたのですが、この問題がこの本からの引用と言われれば読まないわけには行かないじゃないですか。ちょっと気になってた本だし。

・・・というわけでざっと読んでみたんですけど、面白かったぁ。
母関数とか下降階乗冪とか初めて知りました。

高校時代は割と数学が好きだった方ですが、こういうスタンスで自由に数学に接したことはなかったなぁ。
とある大学の数学と物理の問題は割とこういう感じで、授業で習う数学の範囲を少し飛び出して数式をいじったりしながら何かを発見するような感じだった記憶がありますが、高校時代にこういう本と出合っていて、こういう接し方をしてたらだいぶ違っただろうなぁ、と思ってしまいました。

ざっと読んだだけでちゃんと内容を理解できてないので、時間があれば理解できるまで数式を自分の中で反復しながら追ってみたいところですが、さすがにそんな暇はないです。
こういうことにたっぷり時間を使って没入できる学生時代ってのは、やっぱり貴重ですね。

なんとなく頭の中を数学的な気持ちよさが通りぬける感じを味わったのはいつ以来でしょうか。
たまに、こういう本を読んだりして頭をリフレッシュさせるのはけっこう大切かも。




心境の変化

先週、とある建物を設計する参考にと、九州内の先進事例を視察に行ってきたのですが、
そこで働いている方々の顔を見たり話を聞いているうちに少し心境の変化がありました。

制度そのもには多々の問題があるかも知れませんが、そこで働いている方々は真剣にその仕事に向き合っているし、利用される方のことを考えていることが伝わってきました。

この制度が完全な悪、ということではなく、中にはその制度で救われる方もいると思えましたし、制度そのものよりもそれを支える人たちの思想に大きくその内容が左右されると感じました。

正直、この制度の是非は今の僕には判断できそうにありません。
さまざまな当事者の目線・角度から実際の現場に触れて見ないことにはこの制度の本当の姿は見えてきそうにないです。

かなり特殊な建物なので、実際の建物を細部まで見られたことは大きな収穫でしたが、一番の収穫は運営サイドの人々の真剣さに触れられたことかもしれません。

それにしても、仕事って何でこう一時にまとまってしまうんだろうか・・・。




サイエンス チャンネル

さつませんだい徒然草:ヴァーチャル社会見学!? – livedoor Blog(ブログ)
こんなのがあるなんて知らなんだ。

THE MAKINGも面白そうですが、

こんなシリーズや
サイエンス チャンネル | 時代を超える技~歴史的建造物を科学する~ (閑谷学校が最初と最後に挙がってたりします)
サイエンス チャンネル | 建築文化を科学する
サイエンス チャンネル | アート・ミーツ・サイエンス (渡辺誠やフラーが出てます)

こんな番組
サイエンス チャンネル | 偉人たちの夢(98)ガウディ(出演者に石山修武が。)
サイエンス チャンネル | 夢をつむぐ人々 | (53)「関わりから生まれる建築」一級建築士真島元之さん
もあるみたい。

へぇー。

NHKも受信料をとるんだから、こういうことを積極的にやって欲しいし、番組をYouTubeなんかにアップしたりするのをむしろ推奨するぐらいでいいんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょう。(NHKはYouTobeなんかにアップされたのは徹底して削除依頼するイメージがある)




parallel-wall


うーん、ペースがめちゃくちゃ。

のんびり続けてたHouse Study、進まない時は半年以上放置してたりするんですが、このごろ1週間やそこらのペースになっています。

子供を寝かしつけてからの2、3時間で作業をしているのでほとんど即日設計ぐらいの時間しかかけてません。(模型をずっと後回しにしてますが)
1~2ヶ月に一つのペースで出来ればと思ってたんで、平均すればそんなものでしょうが、ちょっとここらでペース配分を含めいろいろ考えてみよう。

オノケンノート ≫ HS-13 2枚壁の家




mound-in



切妻屋根の勾配を利用したスキップフロアの案を考えていたのですが、その際、屋根と大地に関係が生まれるぐらいに軒の高さを思いっきり低くして、上階からアプローチするようにしました。

切妻のヴォリュームをくりぬいたようなアプローチ階はオープンに、それ以外の部分は閉じた感じにしてコントラストの強い空間にしています。

丘や畑といった要素とヴォリュームのバランスを考える時にこういう屋根と大地の関係はアリかもしれません。(どこかで藤森照信が代々木の体育館が身体性を感じさせるのは屋根が大地につながるぐらい近いから、という感じのことを言ってました。)

そういう関係性のつくりかたは他にもいろいろあると思うので探っていきたいです。

オノケンノート ≫ HOUSE STUDY-12 [mound-in]




再発見

最近の建築の傾向(特に若手)を捉えるキーワードの一つに「再発見」があると思います。
「TEPCOインターカレッジデザイン選手権2008」応募要項 – KENCHIKU

家型は二度再発見されたわけだが、前回とは違う建築的な意味と効果を狙って、今回は注目されているようだ。もちろん、社会背景も大きく異なる。(五十嵐太郎)

家型の再発見、屋根の再発見、隙間の再発見etc…

使い古された要素や概念が、ちょっと視点をずらしたり扱い方を変えるだけで、いきいきと輝きだす、というような例が最近多い気がしますが、これにあやかって「○○の再発見」ととりあえず言ってみるのも面白いかもしれません。

天井の再発見、窓の再発見、壁の再発見、空の再発見、庭の再発見、縁側の再発見、畳の再発見、床の間の再発見、畑の再発見、木造の再発見、瓦の再発見、土間の再発見、畑の再発見、猫の再発見、トイレの再発見、襖の再発見、森の再発見、紙の再発見、布の再発見、竪穴式住居の再発見、高床式住居の再発見、装飾の再発見、シンメトリーの再発見、土の再発見、格子の再発見、路地の再発見、ペンキの再発見、床下の再発見、軒の再発見、暗闇の再発見、・・・・

ようはなんでもいいんですが、再発見をつけるだけで何かその先にありそうな気がしてきませんか?

何か面白い再発見はないでしょうか。




B144 『虫眼とアニ眼』

養老 孟司 (著), 宮崎 駿 (著)
新潮社 (2008/1/29)


マティックさんのところで紹介されていて面白そうだったので即買いしました。
2002年に出版されていたものの文庫版のようです。
これが460円で手に入るのですからありがたや。

宮崎駿が

養老さんとは、ぶつかりようがありません。相違はあるにはありますが、それはそれでよかろうという範囲でしかありません。

と書いているように、内容についてはこれまで読んだ養老孟司の本からそれほどはみ出るものはなかったのですが、巻頭の宮崎駿によるスケッチだけでも十分にもとがとれました。

この夢の町、かなりの部分で共感できたのですが『建増禁止、景観変更禁止』というのはちょっと反対。
それじゃ、マチが死んでしまいそうだし、誰かが考えたものから変えちゃいけないって言うんじゃテーマパークと変りません。

文字通り”脳化社会”を”絵に描いた”ようなマチになってしまうような気がしますがどうでしょう。

関連していうと、(体験していないので実際は違う可能性もありますが)荒川修作の作品が机上の理論を越えられてない印象をうけるのは技術の問題に踏み込めてないからのような気がします。そういう意味では藤森照信のほうが技術から何かを引き込んでいます

いろいろと制約があるなかで、実際に身体性のようなものを引き寄せるのは容易じゃありません。ではそういう制約の中でどうしたらよいかというのは難しいけれども面白い問題ではあります。

それはそうと、こういう保育園だれかつくらせてくれないかなぁ。




地形と意志

洞窟のように意識を超えた地形のような建築のあり方というものを考えた時、それだけじゃなんか足りないような気がしています。

その地形のようなあり方というのは意志を受け止めるだけの許容力があるという意味において魅力的なのであって、ただナチュラルなだけだと当然ながら人間味に欠けます。

意識を超えたものと人間の意志とがせめぎあっているような関係を築ければそこに何らかの魅力が生まれるのではないでしょうか。

これに似たことは学生の最後にまとめたメモにすでに書いているのですが、どうも同じところをぐるぐる廻っているようです。

一度全てを取り払って、そこに意志を刻み込む。(メモより)

一人の人間の考えることってそんなに変われないのかもしれません。




同じ親ページを持つ子ページ間でnext-page等のナビゲーションを表示するプラグイン[WORDPRESS]

を探していたのですが、このあいだようやく発見しました。

投稿にはprevious_post_linkやnext_post_linkというテンプレートタグがあるのですが、ページにはなぜかない(と思う)のでこれまでは手動でナビゲーションを追加していました。

需要があるだろうからきっとプラグインがあるだろうと思って探してもずっと見つからず諦めかけていたのですが、先日何かの拍子に次のページを発見。
WordPress ? Support ≫ Prev/Next Page plugin? (wordpress Pages, not Posts)

earthman100氏によるVer0.6を適当な名前でphpファイルにしpluginsフォルダに入れて有効化すると動きました。(WP2.6)
まさしく探してたプラグインです。

子ページの最後にくると別の親ページへのリンクが表示されたのですが、それは不要なのでその部分のcodeを適当に間引いて使っています。(良くわからないまま適当に間引いているので無駄なcodeが残ってると思いますが。)

いちおう置いておきますので必要な方はどうぞ。

nextpreviouspageプラグイン

引数のデフォルトは

previous(next)_page($orderby = ‘post_date’, $link=’Next Page: %’, $before=”, $after=”, $title_attr=’Next Page: %’, $parent_id = 0)

引数については別のページによると
WordPress ? Support ≫ Next page (literally)

Parameters:

orderby: Method to order Pages in next/previous link hierarchy. Options are ‘post_date’ and ‘menu_order’ (Page order). Default is ‘post_date’.

link: Text displayed as the link. Use ‘%’ to display the Page’s title as link. Defaults to ‘Next Page: %’ / ‘Previous Page: %’

before: HTML or text to display before the link. There is no default.

after: HTML or text to display after the link. There is no default.

title_attr: Text displayed for the link’s title attribute. Use ‘%’ to display the Page’s title. Defaults to ‘Next Page: %’ / ‘Previous Page: %’

All you need to do is pass the current page’s parent ID into the function as explained below. This will limit the next and previous links to ONLY the brothers and sisters of that current page.

$orderby:ソートの仕方。管理画面で設定したページ順序か日付順か。
$link:リンクに出力する文字。%はページタイトルになるようです。
$before, $after:上記のリンクの前後につける文字列。
$title_attr:マウスオーバー時に表示される文字。
$parent_id:なんでしょうか?良くわからないのでそのままにしてます。ここの指定によってはリンクが子ページのみになったのでしょうか?分かる方は教えてください。

といったところでしょうか。

先ほどのページに乗っていた導入例は

<div id="prev_next_links">
<?php
$parentid = $post->post_parent;
previous_page('menu_order', '&lsaquo;&lsaquo; %', '<span class="prev_link">', '</span>', 'title_attr', $parentid); ?>

<?php next_page('menu_order', '% &rsaquo;&rsaquo;', '<span class="next_link">', '</span>', 'title_attr', $parentid); ?>
</div>

僕は$linkと$title_attrを変えて使用しています。




face-to-face


フタのない箱と箱とを向かい合わせに並べて立てて、そのはさまれた内部に住む。
細長い多数の空間をつくり好きな居場所で過ごす。
ガラスを通して全体がやんわりとつながる。

最初はぐるぐると廻っていかないと最後のところにはつかないような一筆書きの空間にしようかと思っていましたが、結局回遊性のほうを優先させました。

お互いのヴォリュームを見る様子が昔、アリの巣観察用にガラスで作った箱に似てます。
アリの巣で調べてて見つけたアントクアリウムはちょっと無機的過ぎる気がしますが、子供は喜ぶんだろうなぁ。
そういえば、透明のチューブでつくるアリ観察キットなんてのも買ってもらったことを思い出しました。チューブの中に水滴がたまってアリが死んでしまうんです。

今度は木造の在来工法で出来るようなのを考えようかな。どうしようかなぁ。

オノケンノート ≫ HOUSE STUDY-11 [face-to-face]