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B146 『14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に』

宮台 真司(著)
世界文化社 (2008/11/11)

昔ほど突き放した感じがしなくなってきた著者が14歳(から)という年齢に対してどういう風に書くのか興味があったのと、もしかしたら『チャート式宮台真司』的な読み方もできるのかなと思い早速読んでみました。

【 目次 】
● まえがき これからの社会を生きる君に

1. 【自分】と【他人】 …「みんな仲よし」じゃ生きられない
2. 【社会】と【ルール】 …「決まりごと」ってなんであるんだ?
3. 【こころ】と【からだ】 …「恋愛」と「性」について考えよう
4. 【理想】と【現実】 …君が将来就く「仕事」と「生活」について
5. 【本物】と【ニセ物】 …「本物」と「ニセ物」を見わける力をつける
6. 【生】と【死】 …「死」ってどういうこと?「生きる」って?
7. 【自由】への挑戦 …本当の「自由」は手に入るか?
8. BOOK&MOVIEガイド …SF作品を「社会学」する
●あとがき いま【世界】にたたずんでいるかもしれない君に

途中、やっぱり突き放すのねと思いながらも、読み進めていくうちにちゃんと理解できるようになっています。

納得するかどうかは人それぞれかもしれません。でも、この本は宮台真司はちょっと苦手って言う人でも比較的受け入れやすいように懐深く書かれているように思いますし、社会学者・宮台真司ではなく宮台真司・個人として語りかけてくるような書き方なので自分との距離を計りながら一個人の意見として読めると思います。

<社会>や<世界>から考えてみる、という考え方があることを知ること

少なくとも僕は、子供の頃にこういうことを大人から言われたことはありませんし(本を全く読まなかった、っていうこともあるけど)、<社会>や<世界>、<歴史>との関わり方をきちんと意識して考えたこともありません。

それでも、思春期を過ごす中で自然と<社会>や<世界>との距離を計りながら育つことができたように思いますが、それは時代や環境に恵まれていた、という面が大きかったように思います。

しかし、今の子供たちは「<社会>や<世界>との距離感をはかる」ことがずっと難しくなっているように思います。

・この本でも書かれているように<共通の前提>が通用しなくなってしまったので、各々が判断・選択せざるを得ない。
・しかし、いろいろな情報・結論が簡単に手に入ってしまうために、また、いろいろな種類の人と接する機会が減っているために、「考える」チャンス・「試行錯誤」のチャンスを逃しやすい。

というような状況の中で<社会>や<世界>から考える、という考え方があることに気付かずに<私>という狭い視界の中をさまようことは苦しいことだと思います。

僕は最終的には<私>に還らざるを得ないと思いますし、『すべてがデザイン』という姿勢が今の社会では生きやすいんじゃないかなと思うのですが、<社会>や<世界>を一度通してから<私>を考えた方が楽だったり『デザイン』しやすかったりすることも多いように思います。

そのためにも、『<社会>や<世界>から考えてみる、という考え方があることを知ること』も必要だと思います。

「試行錯誤」「承認」「尊厳」の循環と「感染」

「試行錯誤」「承認」「尊厳」の循環のメカニズムのところはすごく重要だと思いました。
この循環を理解することによって、他者や社会というものが理解しやすくなると思いますし、それは社会に生きるものにとって基本的な事柄のような気がします。

また、親としても「承認」の意味と役割をじっくり考えてみることは、子供の「試行錯誤」と「尊厳」を支える上で有益でしょうし、(自分の親がそうであるように)子供にとって少しでもよいので「感染」できるような対象でありたいと思いました。

あまり詳しくは書きませんので、詳しくは本書を読んで下さいまし。

その他考えたこと

個人的には「卓越主義的リベラリズム」と「エリートが尊敬される社会」というところはどうなんだろう、と思いました。

個々がある程度の「選ぶ能力」を身につけなければ、誰がより良いルールを作ってくれる人なのか判断がつかないし、そこが今でも一番のネックのような気がします。任せるべき人が分かれば任せますよ、と。
また、エリートが尊敬される社会になるためには、エリートに代わる言葉が必要な気がします。
「エリート」と言う言葉には期待されている意味合いとはあまりにもギャップのあるイメージがつきすぎている気がしますし、もし、そのギャップが埋まるぐらいに大衆の意識が変るとすれば、その時には選ぶ能力も身についているんじゃないかと。

この部分を読んだ僕の感想としては、卓越した専門家が必要なのは当然だとしても、その人を選べるような、一定の判断力を備えた人が多く育つことの方が重要じゃないだろうかという気がします。
インターネットを通して、そうした「判断力を備えているであろう人」の意見に接する機会は増えていますが、もっと身近なコミュニティの中、例えば友達だったり、職場の人だったり、行きつけの散髪屋やもちろんたこ焼きやだったりの、顔を知っていて信頼できる範囲の中で10人に1人が高い意識を持ち、その中の何人かが一定の「選ぶ能力」を持った人になれば、波及効果でかなりの効果が得られるように思います。
(これについては「どこか」に書こうかな。。)

その、身近な人が必ずしも正確な判断を下すとは限りませんが、そういうばらつきも含めて良いのではないかと。そんな事を考えました。




アンパンマンと森の学校


知覧であるアンパンマンショーの入場券があったみたいで家族3人+妻の両親でアンパンマンショーに行ってきました。僕は留守番してようかと思っていたのですが、知覧と加世田の間でちょうど「触れる」ArtsProject2008~かわなべ森の芸術祭~というイベントがあるみたいなのでついていって帰りに寄ってもらうことに。

ちょっと行くのが遅かったみたいで残念でしたが、こういうローカルで魅力的な場所とアートの組合せの雰囲気・面白さは感じられました。(SA・KURA・JIMAプロジェクトの雰囲気に似てたかな。)




small-spiral


あんまり間があくとダメかと思い時間をみてとりあえずパースまで。

小さな木造2階建てでのリアリティーを考え直してみようというところからはじめてみました。
昔からスキップフロアーの複雑さが好きだったりするのですが、初心に戻って、小さな中での連続性・回遊性で奥行きを生み出すことを狙ってみました。

中央の外部吹抜けを中心にスキップフロアーで1/3フロアずつぐるぐる廻るように上がっていきます。
使い古された手法ではありますが、最後の屋外テラスと居間が行き来できることと、出来るだけシンプルな中に納めたことがポイントです。
まだパースだけなのでスキップしてるのが良く分からないかもしれません。

オノケンノート ≫ HS-14 小さな廻る家




under’s high vol.7



かかさず読んでるunder’s high。
今回はプレカリアートがテーマでした。

プレカリアートという言葉に初めて触れたのは「本が好き!」プロジェクトで献本していただいた『生きさせろ! 難民化する若者たち』。
オノケンノート ≫ B111 『生きさせろ! 難民化する若者たち』

前回読んだ本で宮台真司が日本人は”ゲーム盤”(自分が所属する社会のたとえば環境やルールなど)を意識するのが苦手、と指摘していたが”ゲーム盤”が今どのようなものであるかを知り、ゲームのルールを自分たちで変えていくんだ、という意識を持つことが大切である。 本著で”プレカリアート(不安定を強いられた人々)”という言葉が紹介されている。生きていくのに絶えず不安に曝され続けなくてはならないゲーム盤がすばらしいとはとても思えない。

たこはんさんが
さつませんだい徒然草:有効求人倍率その2 – livedoor Blog(ブログ)

その想像力の無さが今の数値を作り出しているのかもしれません。

というように、一番の問題は社会(ゲーム盤)への”想像力の欠如”にあるように思います。

ですが、ゲーム盤の存在は最近の金融危機や食料などの安全性の問題などを通して、他人事ではなく少しずつリアルに感じるようになってきているのではないでしょうか。

日常で買い物一つをするにしても、そこには、労働形態や生産方式などのその商品の背景にあるシステム、ひいては町並みや地球の裏側の子供の命まで含めた在り方にかなり強力な一票を投じている、という側面があります。(株なんかもそうかもしれませんね)
そういうことを皆が意識して行動すれば確実に何かが変っていくように思います。

これは自分自身も反省すべきことは沢山あります。
また、個人の出来ることでいろいろな活動があるかもしれませんが、最近は、実はこういう一票の積み重ねが一番力があるんじゃないかという気がしています。

そういう意味では、今のようにいやでも想像せざるをえないような状況はある意味チャンスかもしれません。

このフリーペーパーでchabinさんが書かれている「鹿児島共生論」とも関連があるかもしれませんが、たとえば、自分たちの住んでいるところに胸をはれるような活気のある中心街がないのは恥ずかしい、と思えば天文館で”一票を投じる”のも意味のあることでしょう。
それで、投じられた側がその一票を励みにより良いマチにしていき、それでまたそこに一票を投じるというサイクルが出来てどんどん良くなればすごく面白そうじゃないですか?

ヴァーチャルを再反転してリアル・シムシティ。 (シムシティ(Wikipedia))

あっ、このイメージはよさそう。個々が街を育てるっていう感覚はゲーム世代には分かりやすいかも。
となれば、そのサイクルの可視化が重要かな。

P.S ウィンドウ・ショッピング』の世界展の大寺さんと井原さんの対談も載ってます。