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『手のひらの上にのる小さな宝物』である。


それだけでいいと言える何かを見つけ、狭さを豊かさへと転化すること。

オノケンノート ≫ B089 『space 狭小住宅:日本の解決法』

積極的な狭さ、なのであり”楽しめる”ことがキーなのだ。(中略)
そのときの”狭さ”をどうやって”楽しさ”へ転化するか。

オノケンノート ≫ Q&A

例え少し面積が小さくなっても、単に広いだけの安作りの家ではなく、まるで『手のひらの上にのる小さな宝物』のように大切に思える家ができるのであれば、それはすばらしいことだと考えます。

オノケンノート ≫ B078 『住宅読本』

がらくたは投げ捨ててしまえ。ただ必要なものだけを積み込んで-生活の舟を軽やかにしたまえ。簡素な家庭、素朴な楽しみ、一人か二人の心の友、愛する者と愛してくれる者、一匹の猫、一匹の犬、一本か二本の愛用のパイプ、必要なだけの衣料と食料、それに必要より少し多めの酒があればそれでよいのだ。(『ボートの三人男』より)

必ずしも狭いのが良い、ということではありませんが、狭いという価値も広いという価値と並列に扱ったほうが可能性が広がると思います。

オノケンノート ≫ B028 『平成15年度バリアフリー研修会講演録』

一つの軸では線的な「評価」しか出来なかったものが、2つの軸とすることによって面的になり、そのあらわすものは「評価」ではなく個々のポジション、「個性」となるように思う。

オノケンノート ≫ 価値観と軸テンプレート

例えば「家、住まうということを考える」ということは、「軸を発見する」ということではないだろうか。




B135『農で起業する!―脱サラ農業のススメ』

杉山 経昌
築地書館

『脱サラ』『悠々自適で週休4日』というのをみて親父のこと?と、すぐさま抽選に申し込んだところ当選しました。2005年ですから案外前の本なのですね。

ここでも何度か書きましたが、僕の父は20年ほど前に脱サラして屋久島で、農業を始めました。
今では週に2日ほどしか仕事をせずに、後は海に行って船に乗ってるか魚のことばかり考えていると母が嘆いています・・・。

そんな父を見ているのでこういうサラリーマン上りのスーパー農家がいることは容易に想像できます。
逆にここで書かれているような問題提起が、農業の世界でいままであまりなされてきていなかったことを不思議に感じます。

ただ、僕も何度かこういう農の生活を考えて悩んだこともあり、今は建築でやっていくことにして悩むのをやめにしているので、ここで書かれている”生活”についてはとりあえず横においておこうと思っています。

数字にする威力

「感覚」や「感じ」「雰囲気」のような曖昧な領域であった農テクニックを、(中略)ビジネス的シミュレーションによって、成功にみちびく!(オビより)

この本を読んで一番に感じるのは一端数字にして分析できるかたちにしてみるということの効果の大きさです。

詳しく知ってるわけではないのですがおそらく父も分析派の農家だと思います。それでも僕には農業の個々の判断は「感覚」や「感じ」「雰囲気」のような曖昧な領域である、というイメージがありました。

僕自身、割と数学が好きだった方なので、数学的に”答えがだせる”か、もしくは”納得できるまで試行錯誤が出来る”のではないと不安を感じてしまう性格で、どちらかというと”曖昧な領域”を経験などで判断することには不得意で劣等感のようなものさえ感じています。

僕は釣りも好きですが、仕掛けやもろもろの工夫と釣果の間をきちんとつなぎ合わせるほどの経験も想像力も持ち合わせていないので、好きだけども良くわからないというのが本当のところです。そこでいろいろと決定を下せる人を見ると尊敬しますし、仕掛けなんかはその人に任せてしまいます。

また、建築にしても答えのない世界なので、不安を拭い去るためにそこに何か自分なりの必然性を見つけたいというのが、建築を学ぶことの動機の多くを占めていると思います。

そんなことで、以前、農を自分の問題として考えた時に思ったのは、なんだかんだいって答えの出ない領域で判断をしていかないといけないんでしょう?それが僕に出来るんだろうか?(面白いんだろうか?)ということでした。いや、僕は結構不得意かも知れないと。(じゃぁなんで建築なんてしてるのか、ということですが、何ででしょう?面白いんでしょうね。)

でも、この本を読むと、あれっ、僕でもできるんじゃない?という気になりました。
きちんとデータを取って分析し、仮説を立て検証しながら判断していけば論理的に判断することができるような気がしてきます。
”「感覚」や「感じ」「雰囲気」のような曖昧な領域”であったことも、一端数字というかたちで扱えるようにしてやれば何も恐れることはない、ということをありありと感じさせてくれる本でした。
(それは全てを思いのままにコントロールできるということではなく、把握し対策が立てられるということ)

農業というわかりやすいケースを例にした経営スタディ

第1章で農業経営というビジネスが語られているほか、第2章では農業事情、第3章で理想のライフスタイルについて語られています。

第2章は消費者の側からすると食というテーマで語られるようなことで考えさせらることも多かったですし、第3章は(僕もある程度は体験してきてますが)著者の楽しさ・喜びが素直に感じられました。

ですが、著者の体験を通じて”「感覚」や「感じ」「雰囲気」のような曖昧な領域”がダイナミックに論理的に扱える領域に変るのを体感でき、数字の勘所が理解できたことは『農業というわかりやすいケースを例にした経営スタディ』という点だけからでも得るものの多い本だったと思います。(考えてみたらこれほどわかりやすいケースもあまりないんじゃないだろうか。)

続編?もあるようなので経営スタディとして続けて読んでみたくなりました。




W041『初夏の谷山ふもと散歩』


久しぶりにかごしま探検の会のウォークラリーに参加しました。

はじめてウォークラリーに参加したのが谷山でしたが、今回はもう少し南側。
家族で参加予定でしたが妻は用事があったので僕と息子で参加。

今回の史跡はほとんどが石でした。途中の路地の石垣もいい感じです。
溶結凝灰岩?は鹿児島の一つの景色をつくっていると思いますが、そこから何を見つけ出すことが出来るでしょうか。
東川さんが『こういう路地は車にはやさしくないけど、人にはやさしい。歩いているといろいろな発見もある』というような事を言われましたが、この路地もいずれ区画整理でなくなるそうです。

頂いたマップによると今住んでいるところの近くにもいろいろポイントがあるので帰りに写真を撮って帰ろうかと思いましたが、解散したとたんに息子が寝始めたのでそれは次回に。

(参考)是枝柳右衛門について
ものすごい先生たちー9 – 日本国家の歩み

是枝柳右衛門【名は貞至(さだよし)。鹿児島市外谷山生まれ。代々商を営んでいた。海内ようやく騒然たる時において家産を治めず、早く志士と交わった。文久元年京都に出て中山忠愛に謁し皇権恢復の計を述べ、ついで松村大成、小河一敏と往復した。寺田屋の変後、屋久島に流され、元治元年十月没、享年四十八歳】

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B134『くうねるところにすむところ06,08,14,16,21』

06物語のある家妹島 和世
08 みちの家伊東 豊雄
14 家の?青木 淳
16もうひとつの家高松 伸
21ドラゴン・リリーさんの家の調査山本 理顕
インデックスコミュニケーションズ(2005/04-2006/11)

今回は自分の本を借りずにこどもの絵本だけにすると決めて、図書館に本を返しに行ったのですが、その絵本のコーナーにこのシリーズがずらりと並んでいるのを発見。
どうりで専門書のコーナーになかったはずです。

結局、子供の絵本は妻のカードで借りて、自分のカードではこのシリーズから5冊を借りてしまいました。

その中で、最後に書かれているこのシリーズの発刊のことばに共感する部分が多かったので引用します。

環境が人を育みます。家が人を成長させます。家は父でもあり、母でもありました。家は固有な地域文化とともに、人々の暮らしを支えてきました。かつて、家族の絆や暮らしの技術が家を通して形成され、家文化が確かなものとして水脈のように流れていました。
いま、家文化はすっかり枯れかかり、家自体の存在感も小さくなり、人々の家に対する信頼感も薄らぎ、急速に家は力を失いつつあります。家に守られる、家を守る、家とともに生きるという一体となった感覚が、極端に衰退しています。
(中略)家の確かさと豊かさと力強さを取り戻すため、建築家が家の再生に取り組む必要があります。
その第一歩として大切なことは、まず建築家が、子どもの目線で家について伝えることです。本書は、子どもたちが家に向き合うための建築家、そしてアーティスト、作家などによる家のシリーズです。(『発刊のことば』より)

このシリーズは子ども目線で書かれているそうですが、大人の目で見るとパッとみた感じ、”はたして子どもに理解できるんだろうか”と思ってしまいました。
だけども、これが”理解”できるかな?と考えるところからして、大人の固定概念に凝り固まった見方のような気もしますし、子どもの感受性で純粋にこの絵本?に接したら普通に何かを感じ取ってくれるのかも知れません。

子どもに家の絵を描いてもらったら、昔はいろいろな家の描き方があったけれども、最近は同じような”家型”の絵を描く子どもが多くなった、というような調査結果を何かで見た記憶があります。
それは、画一的な家のイメージが浸透して、家というのが生活の場としてよりも家というパッケージとしての在り方が強くなってしまっている結果なのかも知れません。こういう本に触れることで、家はもっと自由で楽しい可能性に開かれているということを感じ取って記憶の片隅にでも残しておいてもらえるといいですね。

このシリーズはおそらく建築家の今現在もっとも大切にしている事の核の部分が描かれているでしょうから、僕個人的にも興味深いです。

以下、それぞれから引用。

メモ

それぞれの人たちの生活に合わせながら、一方でひとりひとりがその家族のかたちから、少しだけ自由になれるような家を作りたいとおもっています。(妹島和世)

ぼくは長い長い、先の見えないみちのような家が好きです。見えない先にはワクワクすることがいっぱいありそうだもの。でもこれはぼくがヘビ年だからかなあ。あなたがウサギ年だったらどんな家を考えるのでしょう。もしかしてトラ年だったら・・・。(伊東豊雄)

だれにも見つからない静かな静かな隙間。なんだかホッとする。寝ている間に、シロが少しずつクロになる。(中略)
道を通う足音が聞こえる。なんだかホッとする。寝ている間に、クロが少しずつシロになる。(青木淳)

その身動きならない一点で息を止めながら、僕は解ったのです。そう、僕は、これから先ずっと、この静けさの一点に釘付けになるのだと。(高松伸)

でも、どんなところに行っても、そこに住んでいる子どもたちは、なんであんなに生き生きしていたんだろう。みんな一緒に暮らしていたからだと思う。自分の家の中だけじゃなくて、隣の家も、そのまた隣の家も、畑も道も村も森も川も湖も草原も砂漠も雑木林もみんな子どもたちの場所だったからだと思う。(山本理顕)

最後の山本理顕の言葉。
原広司の研究室で世界中の集落調査に行った時に感じたことだけども、これが山本理顕の原動力だと思いました。
他の建築家にも言えることだけれども、建築に夢をもてるかどうかは、こういう一点を心の中に持てる出会いがあったかどうかなのかもしれません。




やっとこさ

探訪記録書きました。

今回の旅ではスケールについて感じることが多かったように思います。

その建築にふさわしいスケールがあり、それが人とモノとの関係性を決定します。
つまり、どういう関係を築きたいかによってスケールを決定するということです。

とにかくこれで一息つけそうです。




W040『九州国立博物館』


□所在地:福岡県大宰府市石坂4-7-2
□設計:菊竹清訓
□用途:博物館
□竣工年:2005年

都城市民会館と同じ設計者による博物館。

都城ほどの野性味は感じませんでしたが、うまいなぁと思いました。

威厳と活気の共存

何がうまいなぁと思ったのかというと、内部に入るとアジア的な活気を非常に感じました。
それでいて国立博物館としての威厳を兼ね備えています。建築が媚びていません。

その辺のバランスは非常に難しいと思うのですが、良い意味でも多少悪い意味でもさすが大御所だと思いました。このぎりぎりのバランスをとるのは、なかなかできるものではありません。
スケールについてはコストの問題等賛否両論あるように思いますが、僕的にはありだと思います。

今回は時間がなかったので展示室には入らなかったので、今度入ってみたいです。

また、連絡通路を通じてすぐに大宰府天満宮に行けるので一度に二度楽しめます。まる一日遊べそうです。


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W039『ぐりんぐりん』


□所在地:福岡県 福岡市東区香椎浜3丁目
□設計:伊東豊雄
□用途:公園施設(植物園)
□竣工年:2005年

この公園ってテーマパークみたいなもので入園料をとられるのかと思いましたが、意外にも普通の誰でも入れる公園でした。
(ぐりんぐりんの中に入るには100円必要ですが)

さりげなくある

もっと存在感を感じる建物かと思いましたが、この異様な形態の割りにしっくりなじむ感じがしました。
建築として威張っていない感じが良かったです。スケール感もちょうど良い。

他の伊東豊雄の建築でも感じたことですが、なぜかしっくり来るんですね。
藤森照信が

「八代市立博物館・未来の森ミュージアム」の曲線を見たときにびっくりしました。ものすごくいい曲線なんです。自由な線でありながら必然性を感じる。そうした線を描けるのは僕のまわりでは伊東さんと石山さんくらい。(『adDict2』)

と書いてるのをみて『必然性を感じる』というところに、なるほどと思った記憶があります。

こういう一見奇怪な建築が普通の誰にでも入れる公園に普通になじんで存在しているということはすごいことだと思います。
しっくり来るけれど凡庸ではないというのは誰にでも出来ることではありません。
ここに設計者の人柄を感じますし、これが伊東豊雄の真骨頂なのかもしれません。


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W038『ネクサスワールド』


□所在地:福岡市東区香椎浜4丁目
□設計:石山修武レム・コールハーススティーブン・ホールマーク・マッククリスチャン・ド・ポルザンバルクオスカー・トゥスケ(プロデューサー 磯崎 新)
□用途:集合住宅
□竣工年:1991年

これも途中にあったのでぱっと写真に撮っただけです。

プランを見ていないので外観についてだけですが、集合住宅というボキャブラリーからあまり抜け出してないんだなぁ、というのが第1印象。

与条件が異なるのかもしれませんがコールハース棟が集合住宅をあまり感じさせなかったぐらい。

石山修武棟は野性味がでてますし、スティーブン・ホール棟の構成もよくみると美しいです。

集合住宅の集まった無個性になりがちな地域に個性を与えているのはいいと思いましたが、ほとんどリサーチなしにいったのでこの程度にしときます。
プランを入手してきちんとみればいろいろと発見もあったのでしょうが。


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W037『博多小学校』


□所在地:福岡市博多区奈良屋町1-38
□設計:シーラカンスK&H
□用途:小学校 公民館
□竣工年:2001年

泊まったホテルの近くにあり興味もあったので覗いてきました。

用事のある方は受付へ、とあったので受付に廻りましたが休日のため不在だったようで、校庭で子供が何人か遊んでいるだけだったのでぱっと写真だけ撮って帰りました。ごめんなさい。(内部写真はガラス越しです)

地域への開放

地域への開放が一つのテーマのようでガラス越しに中での活動が見えるようになっていますし、公民館や幼稚園も併設されています。

オノケンノート ≫ TV『福祉ネットワーク“あそび”を生みだす学校』

最終的に建物がまちに開かれていて、そこに地域の人が参画することによって、地域の目によって子供も守られ、子供がいることで地域の人の集まる拠点となる。

池田小の事件の後、学校のセキュリティが大きく話題になりましたが、閉じることでセキュリティを強化するか、開くことで人の目による安心を得るか、どういう道を選択するかは大きな問題です。

閉じてセキュリティ強化です、というのは分かりやすく簡単ですがそこから先に拡がる思想がありません。
逆に開くことで人の目を導入し安心を得る、そのためにはどんなシステムが必要でどんな工夫ができるか。
そういうことに頭をひねる方が豊かな未来が描けるような気がします。

まぁ、口で言うのは簡単です。
実際にはいろいろな人の意識の変化が必要ですし、いろいろな人を巻き込む求心力を持たなければ絵に描いた餅になってしまいます。
オノケンノート ≫ B065 『ポストモダンの思想的根拠-9・11と管理社会』

自由を求める社会が逆に管理社会を要請する。

という点にも注意しなければ楽しく長続きはできないでしょう。

また、外から見ただけですが、階段などの動線スペースが楽しげでたまりの空間もところどころにあり、子供にはたまらないんじゃないだろうかと思いました。


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W036『北九州市立中央図書館』


□所在地:福岡県北九州市小倉北区城内4-1
□設計:磯崎新/磯崎新アトリエ
□用途:図書館
□竣工年:1974年

不覚にも休館日に訪れてしまったので内部は見れませんでしたが外観だけでも観がいがありました。

単純な要素による控えめな多様性

「単純なシステム」≠「単純な空間」この建築は奥が深い。断面はどこも∩こんな形のはずなのに、どこから見ても見え方が違う(『昭和モダン建築巡礼』より)

と書かれているようにぐるっと建物の周りを廻ってみると見る角度によって見え方が変ってきますし、2匹の蛇のようなプランは手前のボリュームと奥のボリュームの2つの奥行きを生み出して見え方に深みを与えています。

訪れる前はもっと大味で存在感の強い建物かと思っていたのですが、この奥行き感・多様性が佇まいに親しみを与えてまちの風景を形成しているように感じました。年月を経ているのもあるでしょうが。

単純な要素による多様性というのは自然界にも多く見られる特徴だと思いますが、それに親しみを感じるのだとすれば『単純な要素による多様な形態』の様々なあり方をスタディしてみるのもいいかもしれません。
また、その多様性が控えめに存在しているのがより高度に思えます。

あまり磯崎新の建築に興味を持ったことがなかったのですが、実際に訪れてみるとさすがだと思いました。いずれ内部も観てみたいです。


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W035『ベンガラのまち 吹屋』


喧嘩をしながらも何とかたどり着いた吹屋。
今、上の地図をおってみると、どうも美術館を出て最初に右に行くか左にいくかが運命の分かれ目だったのかも。
ナビ付の車で行くことをお勧めします。

文化遺産としてのまちなみ

吹屋ふるさと村

赤銅色の石州瓦とペンガラ色の外観で統一された、見事な町並みが整然と続く吹屋の町並み。
この町並みこそ、江戸末期から明治にかけ、吹屋の長者たちが後世に遺した最大の文化遺産です。
豪商が財にあかして建てた豪邸は、全国各地に見ることができます。
しかし、吹屋の特異な点は、個々の屋敷が豪華さを競うのではなく、旦那衆が相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招いて、町並み全体が統一されたコンセプトのもとに建てられたという当時としては驚くべき先進的な思想にあります。

山奥の観光地で生活の匂いはあんまりないのかと思っていましたが、普通に生活が営まれており子供がたくさん遊んでいるのには驚きました。先人達の残したこの町並みがここでの生活を担保しているのかもしれません。

ここはかなり特殊なケースで、ある意味では町並みに対して不自由かもしれませんし、そのまま別の場所のまちづくりに活かすことは困難かもしれませんが、山奥にこういう場所が残されているというのは知っておいてもいいのではないでしょうか。

到着時に予定時刻をかなりオーバーしていたためじっくり見ることは出来ませんでしたが貴重な体験が出来たと思います。


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W034『成羽町美術館』


□所在地:岡山県川上郡成羽町下原1068-3
□設計:安藤忠雄/安藤忠雄建築研究所
□用途:美術館
□竣工年:1994年

オノケンノート ≫ B007『TADAOANDOGA DOCUMENT EXTRA 01』

ちなみに、この作品集で好きだったのは、成羽美術館で、アプローチの構成にくらくら来た。

と書いているように、この建築は僕が初めて買った作品集で、初めてくらくら来た作品だと思います。

実際に見れる機会はないかも、と思っていたのですが、今回頑張って行ってきました。

人と自然との間の橋渡し

学生のころは作品集を見ながら、単純な操作で迷路のような複雑さを生み出している構成の巧みさにくらくら来てたのですが、実際訪れてみるとその巧みさが人と自然との橋渡しになっているように感じました。

構成があまり単純すぎても対比が強すぎて自然との間に距離が生まれる気がしますし、複雑すぎると関係がぼやけてしまうように思いますが、ここでは歩きながら体験するそれぞれが印象的なシーンの移り変わりが空や緑、水、鳥のさえずりといった自然との関係性をうまく強調させてくれているように思います。

それはこの建物のスケールにもいえることで、重量感のあるコンクリートの壁が、人と自然をうまく橋渡ししてくれているようなちょうど良いスケールで、これより大きいと少し嫌味だし、小さいと生活感がでてしまうのではないでしょうか。

安藤忠雄のコンクリートの良さが一番よくあらわれたスケールの作品のように思います。

▽憧れのアプローチを折り返したところ。期待しすぎてというより、想像し過ぎていたのでさすがに意外性がなかったです。
よく知らないまま経験した方がよかったかも。

▽Z状の通路部分の右側がそのアプローチです。
プランを見ても分かりにくいけれども、一つの壁がいくつもの見え方やいくつもの効果を生み出しているのがさすがで、へぇ~っと思います。


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W033『世界平和記念聖堂』


□所在地:広島県広島市中区幟町4-42
□設計:村野藤吾+近藤正志/村野・森建築事務所
□用途:聖堂
□竣工年:1954年

建築マップ 広島県 世界平和記念聖堂

”反コルビュジェ”的手法で表現された祈りの空間。 丹下のピースセンターと並び称されるべき、表現派の傑作だ。

この聖堂はコンペを行ったものの最終的に審査員の一人であった村野藤吾が設計をおこなったそうですが、その経緯も上記サイトに詳しく書かれています。

ここを訪れる前に詳しく知っていたわけではなく、傑作といわれるものを一度見てみよう、というぐらいの感じで立ち寄ったのですが、この建物に近づき外観があらわになるにつれ、これはやっぱりすごいとテンションがあがってしまいました。

建築にかける思い

なにが、そんなにすごかったかというと、それはやっぱり村野藤吾の建築にかける思いがそのまま建築になっていることです。

『建築はその設計者の姿をしているのが一番いい建築。』と内井 昭蔵が書いてますが、まさに設計者の姿をしている建築と呼んでいいような気がしました。

ええっと思うようなところまで現場打ちのコンクリートで作られていますし、手すりなどのディテールは勿論のこと、壁の表情・レンガの一つ一つにまで設計者や施工者の思いが詰め込まれているのを全身で感じます。
ただ部分をみてすごい、というのではなくて、うまく説明が出来ないけれども『全身で』思いを感じるのです。

こういうのはその場に立ってみないと本当に感じることは出来ないし、傑作と言われるものはその建築を生で体験して初めて本当に傑作であることが分かるんだなと改めて思いました。

ごくまれに感じることがありますが、この建築も奇跡のような建築だと思います。

突然訪問したにも関わらず、教会の方に、パイプオルガンや地下聖堂、鐘楼内部と普段入れないところまで案内していただきました。(ちょうど同じ時間に福岡からも見学に来られた人がいたので一緒にまわらせてもらいました。)

村野さんのこだわりや当時の話、いろいろな場所にこめられた意味などを詳しく教えてくださって、ほんと想定外の大収穫でした。
想定外でしたしあまりに親切に話をしてくださったので、ボイスレコーダーかせめてメモ帳を持っていくんだったと、ちょっともったいなく思いましたが。


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W032『広島平和記念資料館+平和記念公園』


□所在地:広島市中区中島町1
□設計:丹下健三計画研究室
□用途:資料館
□竣工年:1955年

建築マップ 広島平和記念資料館・平和記念公園

復興広島や建築家丹下健三のみならず、戦後の日本建築はここから始まったと言っても過言ではない、記念碑的な建築である。

上記建築紹介サイトにかなり詳しく書かれているので興味のある方は目をとおしてみて下さい。

景観軸

景観軸はこの公園のキーともいえるけれども、(■平和記念公園マップ)記念碑のシェルから、平和の池、その奥にゆらめく平和の灯と重ねて原爆ドームを見るとき、何かを感じずにはいられません。

軸やシンメトリーという古典的な手法の威力を思い知った気がします。

ただし、この公園の性格がその強さを受け止めるだけのものであったのと、次に挙げるスケールの共存によってあり方としての複雑さが保たれているのとがこの手法をアリにしてると思うので、シンメトリーなどの安易な使用は可能性を殺すと思いますが。

スケールの問題

建築マップ 広島平和記念資料館・平和記念公園

丹下健三がヒューマンスケールからの脱出を試みたことは人類史上の必然であり、決して間違ってはいませんでした。ただ人口減少に振れた日本では状況が変わってしまい、その変化に対応した方向転換ができず惰性で突き進んでしまった、ということだと思います。 東京都庁はヒューマンスケールからの脱出の悪い点をギュッと凝縮した題材と言えるでしょう。

スケールの問題にしても決してヒューマンスケールが万能だとは思わないし、『社会的尺度』だけが正解とも思えません。
今一度、真剣に考えても良い題材だと思います。

わたくしは、広島の平和会館の実施設計にあたって、人間の尺度と社会的人間の尺度の二つの尺度の対位によって建築を構成してみようという野心をもっていた。(雑誌「新建築」1954年1月号よりの引用を孫引き)

とあるように、この建築および広場では社会的尺度の建築と同じような強さで今そこにいる人たちが存在していること、二つの尺度が(必ずしも対位による必要はないと思うが)存在することが成功の要因ではないかと思います。

それはコルビュジェのもつ複雑さや寛容さを素直に引き継いだ結果なのかもと思いました。


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W031『広島市西消防署』


□所在地:広島市西区都町43-10
□設計:山本理顕設計工場
□用途:消防署
□竣工年:2000年

市民への開放をテーマにした消防署。

受付で見学を申し込むとすんなりOK。
開放ゾーンと非開放ゾーンがきっちり分けられているので自由にどうぞという感じでした。
開放ゾーンはガラスのルーバーで囲まれているだけでほとんどが半外部空間。

動線が絡み合い、見学者(市民)と職員の互いの様子を感じることが出来るというものですが、あいにくこの日は訓練風景を見ることはできませんでした。

開放は必要か

この建築によって議論が起こるのは、何かしらの機能性やコストを犠牲にしてまで市民への開放が必要かということ。

消防活動に必要な最低限の機能を押し込んだ箱でいいじゃないか、と。

単純な空間のヴォリュームで言えば単純に消防署の機能のみを押し込めば現状の4割以下で済みそうな気がします。

ただ、それ以上は無駄なコストじゃないかという感じ方そのものがある見方が染み込んでしまっている結果のような気もしました。

もし、こういう(物質的にではなく機能的に)透明性の高い建築が街にあふれているのがデフォルトで当たり前の光景だったとすれば、今の普通の閉鎖的な建物はもしかしたらすごく貧しく異様に見えるかもしれません。(それがアヴァンギャルドになってる可能性もありますが)

おそらく設計者は一つの建物だけじゃなくてそういう仮想の当たり前の光景を見ているに違いありません。

この建物も一部、音楽などの文化活動などにスペースを開放しているようでしたが、何も一つの建物が消防のための機能で完結していなければならないということはないはずですし、道路と建物内が心理的に完全に分けられている街よりも、街を歩いていてもいろいろな人の息遣いが聞こえる街の方が楽しいに違いありません。


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テーマ

テンプレートを結構いじってたので既製のWORDPRESSのテーマはそのまま使えないんだけど、ちょっと雰囲気を変えようと思って既存テーマを転用してみました。

旅行の記事を書くのになかなか取り掛かる気力がなかったというのもあるけれど。

画像をとりあえずFlickrにアップしたので明日ぐらいからぼちぼち書き始めようかな。

追伸

って、Flickrの無料アカウントで200枚制限ってどういう意味かと思ったら、昔アップロードした写真のタグなんか全部無効になってるじゃん。
だめじゃん。

どーしよう。

フォト蔵けっこう使えそう。
スライドショーはフォト蔵。
記事内写真はFlickrで使い分けようかな。