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パノラマ

QuickTimeでぐるぐると360度見回せるQTVRを作ってみました。

だいぶ前に作ったときはForm-Zで作成した360度パノラマパースをCANONのスキャナか何かについてたPhotoStitchというソフトを使ってQTVRにしてたのですが、PhotoStitchの入ったCDもダウンロード先も見付からないので、何かいい方法はないかとずっと探してました。

で、ここに書いてる情報を参考にいろいろ試してみると出来ました!

これを開いて画像の上で軽くドラッグしてみてください。ぐるぐる廻ります。(画像は小さくしてますが割と軽いデータでもっと大きいのも作れます。)

模型には敵いませんがなんとなくの雰囲気はつかむのには良さそうです。




ようやく

お手伝いさせていただいてる住宅の図面がひととおり書き終わりました。


あとは細かいところを修正・検討すれば見積もりに出せそうです。 (Hさん、大変遅くなりましたが明日いったん郵送しますのでお待ちください。)

それにしても、勤め先の方の仕事がラッシュして大変です。去年はほとんど利益の出る仕事がなかったのに今年に入ったとたん急に忙しくなりました。それも納期が2月いっぱいとか3月いっぱいとかそういうのばかり。

ちょっとしたことでは『できない』とは言わない主義ですが、一つ一つの仕事の量が多いのでさすがにキャパオーバーしそう。

所長と相談しながらうまく段どらないとなぁ。平均して仕事があればどうってことないんだけど、波があるのがこの仕事。何とかのりきらねばね。

うーん、でもやっぱり、時間を見つけて この家の模型までは何とかつくりたいところです。




こりゃ面白い。

仮設テント-『事件だよ』

今日はここ↓の動画見てワーオって言いました。

上の記事をよんで、僕もワーオとなりました。

この技術自体は前にバラエティ番組で紹介されてたのを見たことがあるのですが、そのときは「プログラム組んで合成させてるだけじゃん。」と思っただけでした。

それが、人の目線で撮られた映像をみたり、 すでにフリーで利用できるツールがでるところまで来ているのを知ると俄然面白く感じてきました。

あー、このツールで遊んでみたいー、という誘惑に駆られてますが、ここは我慢。(ちょっとそんな暇はなさそう)

けっこう近いうちに、こういう機能が携帯にもついて普通に利用するようになるんだろうなぁ。

▽上の引用先のリンク先の映像

[youtube:https://www.youtube.com/watch?v=Y9HMn6bd-v8]

是非とも1:00あたりから始まる「龍安寺の石庭で戦うダースベーダー」の映像を見ていただきたい。おそるべきは、これがリアルタイムで、しかもノートPCで動いているという点。

だそうですよ。ニコ動もおもろそう。

ってか 電脳コイルみてみたくなった。




高校生に読ませたい本

今、センター試験中ですね。ということで、かえる文庫のTB企画の『 高校生に読ませたい本』を考えてみようかなぁ。

でも、たこはんさんも言ってるようにこれ、けっこう難しい。

今まで、そういう視点ではあまり本を読んだことがないし、個々のヒトに対してではなくて”高校生一般” に対してとなると、僕自身何を伝えてあげればいいか分かりません。その辺の想像力が鈍ってるのかもです。

それに対してすぐに”これがイイよ!”と言える人は、日頃から子供たちに対して誠実に接しているんだろうなぁと思います。

ええっと、では考えてみます。

  • 自分が高校生の時にどんなことと出会っていればよかったか。

うーん。自分なりに精一杯やっててそれなりに充実してたし、思春期ならではの悩みというか自分を確立しようとするので精一杯で、今の僕がそのころの僕に出会っても、一緒に話はするだろうけど”そこは自分で悩みなさーい”となるだろうなぁ。

  • 今の高校生にどんな事を伝えてあげればいいんだろうか。どんな情報や機会が不足してるんだろうか。

これは、たこはんさんみたいに高校生と付き合いがあるわけじゃないので難しいけど、今の高校生に伝えないといけないのは、嫌なことと楽しいこと、両方だろうなぁ。

今の高校生が向き合わないといけない問題や身につけておくべきことは僕らのころとは比べ物にならないぐらい(それもシビアな問題として)あるだろうし、それに対して”こうしとかないとヤバイよ”的な情報は好き嫌いは別にしても必要かもしれません。

だけど、やっぱり高校生に対してそれだけじゃちょっと先輩としては無責任すぎるし、不安要素を吹き飛ばすぐらいの希望も示してあげないとかわいそうじゃないでしょうか。

そういう意味ではたこはんさん(のお客さん)が薦めてくれてる本は生きる力が湧いてきそうです。
不安要素もひっくるめて “いきるぞー!”と思えるような本がいいのかも知れません。

とは言っても、”高校生一般”に “いきるぞー!”と思わせられるような本、というのがすぐに思い浮かばないので、僕の場合、[ちょっと建築に興味あるかなぁ]という人に対してということにします。 これも、建築によって好き嫌いがあるのと、最初から意味が分かるような本が少ない(僕も建築本を少し読めるようになるまでは意味がわからないまま3年ぐらいはひたすら読み続けました。)ので難しいのですが、僕が読書録に書いたもので3つ挙げるとすると

の3冊になるかも知れません。

建築少年になるには好きな建築家や作品と出会うだけでいいんですが、それはその人でないと分かりませんからそれは(リスアップはできるけど)当人に任せます。

だけど、建築そのものにいく前に、もっと大きなもの、生活だとか人間だとか自然だとかのところに魅力を感じていて欲しいと思います。

自分が知ってることより、もっともっと、世界は広くて、人間は面白くて、生活って豊かなものだと知って欲しいし、そこから建築(やそのほかの仕事)をスタートさせて欲しいと思ってこの3冊にしました。

というか、自分がそういう本ともっともっと出会いたいです。

皆さんの『 高校生に読ませたい本』も是非教えてください。(かえる文庫のTB企画へもどうぞ)

-追記-
藤浩志さんのこの記事に書かれていることが本についても成り立たないだろうか。高校生と何かを共感し合うことができる本。とか。 そういう視点?




B130 『愛と哀しみのル・コルビュジェ』

aitokanasimi.jpg市川 智子 (著)

彰国社 (2007/09)


モチベーションをあげるにはコルに限る!っということで、今年の初めの気合入れに本屋で買ってきました。

aitokanasimi2.JPGあのコルビュジェに『おそよう』と言わせるあたり、著者のコルに対する並々ならぬ愛を感じます。
さて、この本から感じたこと。

(この本を買うきっかけにもなった)倉方さんの著作『吉阪隆正とル・コルビュジエ』のところで”多面的なものを引き受け決定する勇気と強さ”ということを書きましたが、まさにそれが『愛と哀しみ』だなぁと思いました。

決定するには建築や人間に対する愛が必要ですが、 決定してしまうことにはその愛の大きさに比例する哀しみがついてまわるんじゃないでしょうか。

そして、その愛と哀しみを引き受けるだけの勇気や強さを兼ね備えた人だけが価値のある決定を下すことができるし、それを体現したのがコルではないかと。

だから、著者がコルの言葉の表面だけが一人歩きしている「哀しみ」を語っているのもよく分かりますし、(著者を含め)多くの人に勇気や強さを分け与え続けているのもまた事実でしょう。

僕もまたコルに勇気を分けてもらいました。

(遅いですが)今年もがんばりましょー!

追伸
(この本を買うきっかけにもなった)と書きましたが、倉方さんのブログのコメント欄の著者のやり取りが興味深かったので読みたいなぁと思っていたところでした。




四大浮世絵師展

ukiyoe
今日孫を見に屋久島から出てきた母が、浮世絵師展を見たいと言うので市立美術館に行ってきました。

写楽・北斎・歌麿・広重の作品に加えて「写楽は誰か?」みたいな感じで写楽に似た作風のものも展示されてて、想像以上のボリュームがあったのでびっくりしました。172点あったそうです。

子供が騒いでしまうので交代で面倒を見ながら少しずつ観てまわったので大変だったですが。(美術館には2時間ほど滞在してたみたいです)

全体の構成の大胆さとか、線や色の一つ一つの躍動感とかも当然素晴らしかったのですが、描いている本人が楽しんでいろんなアイデアを出してるんじゃないかなぁ、というのが見えてきて面白かったです。

うーん。やっぱり、すごいなぁ。おもしろいなぁ。

親しみやすい展覧会なのでお客さんも多かったですが、 かなり見応えがあるので時間のある方は是非。1月27日までやってるようです。(373news.comの記事はこちら。)

(余談ですが市立美術館の HPはもうちょっとなんとかならないんでしょうか。とても美術館のサイトとは思えませんし、イベントや入館料もよく分かりませんでした・・・。)




模型撮影

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ずっとそのままにしていた模型をようやく自宅で撮影しました。

手持ちのデジカメで撮影したのですが、 撮影用に買ったライトではうまく感じが出なかったので結局蛍光灯で撮影。

もっと模型撮影の技術を身につけておくんだったなぁ。

また、それに合せて画像はFlickrを利用することにしました。

スライドショーも簡単に作れるし、レンタルサーバーの容量も気にしなくていいんで気楽に画像をアップできます。

(アップした画像のスライドショーはPROJECTのHouseStudy-03~05です。)

ところで、無印良品のアクリルケースはモデルチェンジしたんですかねぇ。

先日、無印に行ったときにサイズが変わってたのでネットで確認してみると、つかってたサイズのケースがもうなくなってました。

だいたい27cm×20cm×13cmのDVDボックスが丁度いい大きさだったので、模型の大きさを全てそれに統一しようと思っていたのに・・・。けっこうショックです。

IMG_1436こういう感じでどんどんスタッキングしようと思ってました。

結構な値段がしたことだし、これからはスチレンボードとプラ板で ケースを作るか・・・・う~ん。

アクリルケースの情報、お持ちの方は教えてください。




B129 『ピタゴラ装置 DVDブック2』

佐藤雅彦

ポニーキャニオン(2007/04/18)

クリスマスに義兄さんから前から(息子に)欲しいと思っていたピタゴラ装置のDVDブックを(息子に)もらったのですが、(息子は)喜んで大はしゃぎ、今日も(息子そっちのけで)何回も見てしまいました。面白いなぁ。

前々から何か木のおもちゃを作りたいなぁと思っていたのですが、DVDに刺激を受けたこともあってこの正月休みに何か作ることに。

息子は御多分に洩れずミニカーが大好きなのですが、ダイナミックにミニカーが動く繰り返し遊べるおもちゃが欲しかったのでトミカで遊べることを条件にすることに。

子守をしながら合間合間でなんとか休日中に完成することができました。

どうやってトミカをUターンさせるかが考えどころだったのですが、木の音も欲しかったので”獅子落とし”風にすることに。

こんな感じで動きます。(始めての動画アップに挑戦。)

けっこうでかくなってしまいましたが、喜んでくれたみたいなんで良しとしましょう。




B128 『カーニヴァル化する社会』

鈴木 謙介 (著)
講談社 (2005/5/19)


年の初めに長めのエントリ。。。

ポストモダンを生き抜くモデル

詳しくは本書を読んで頂きたいが、この本を読んで浮かび上がるのはポストモダンを生き抜く一つのモデル、”データベースとの往復運動から得られる情報、すなわちネタを燃料に、瞬発的でハイテンションな自己啓発、すなわち祭りを駆動力としながらなんとか前に進み続ける自己像”である。
噛み砕いて言えば、こんな先の見えない世の中じゃ、祭りをしながらテンション上げていかないと生きていけないよ。という感じになるのだろう。

そこで”バカな若者”と言って単純な”説教”をしてしまうとしたら、それは説教者の自己満足で終わる可能性が大きい気がする。
その若者はおそらくそういう説教者が出会ったことのないような種類の問題に直面しているのであり、問題を共有していないのであれば偶然でもない限り有効な処方箋が示せるわけがない。

前にも一度書いた気がするけれど、”子供は時代の鏡”というのは本当だと思う。先に挙げたモデルにしても、彼らがバカになったのではなく、彼らなりのやり方-理性というよりはおそらく本能に近い能力で-社会に適応した、というより防衛本能を駆使した結果なのだと思う。
頭の固い大人にはマネも理解もできないものだろうけど、そこには目を背けてはいけない何かがある。

何に対して防衛本能を駆使しているのか。

そこで思い出したのが、少し前に書いた”なぜ勉強しなくては」いけないか”という問い。

前のエントリでは『古典的な問題』と書いたけれども、そのニュアンスは時代によって微妙に変化しているのではないだろうか。問い自体は古典的でもその意味は極めて現代的なものではないだろうか、という気がしてきた。

多くの人は意識化してないにしてもこの問いの奥には

  • なぜ勉強しないといけないのか。

  • なぜ働かないといけないのか。

  • なぜ生きないといけないのか。

という問いがつながっているように思う。先のモデルの彼らは最後の問いを自らに問いかける事を回避するために、防衛本能を駆使してやり過ごすための方法を見出したのではないだろうか。

著者も

現在の私たちは誰も「いかにあるべきか」を語りうるほどに。現在についての知識を蓄積していると私は考えていない。である以上、もうしばらくは「いかにしてあるのか」について問い続ける必要があるといえよう。

と言っているように、「いかにあるべきか」の答えを出すことは容易ではない。

しかし、だからこそと言って良いか、私たちは”なぜ生きないといけないのか。”という問いと共に”どうやってポストモダンの社会を生きていけばよいか。”という問いを考え続ける必要があるのではないだろうか。

でないと、「なぜ勉強しなくてはいけないの」という問いに対してさえきちんと向き合うことができないし、納得してもらうこともできない。少なくとも完全な答えは出ずとも共に考えるということが必要じゃないだろうか。(「大人も答えが出せないでいる」というのが一つの答えになるかもしれないし、答えを知ったかぶりすることで子供を幻滅させることになるかもしれない。)

これらの問いについてはゆっくり考えてみたいと思いますが、みなさんも良かったらどうぞ。

このモデルについて

補足的になりますが、本書で示されているモデルについて。
僕の理解では、このモデルは”今までは社会の慣習や宗教、常識などによってある程度枠組みがあったものが、ポストモダンの社会では全てが個人の選択にゆだねられるようになる。そこには依拠すべき理念や物語は存在しない。だけども、人間はそんなに孤独で際限のない自由の負荷に耐えられるほど強くはない。そこで、これまでの慣習などに代わってデータベースがさまざまな選択のためのネタを提供してくれる。”というもの。

かといってデータベースがよって立つことのできる”大きな物語”となれるものではない。ただ、もともと相手がアルゴリズムなど、物語を期待する余地のないものだからかえって割り切れはするが、これによって孤独感や無力感が拭い去れるわけではない。

こうしてみると、本著は東浩紀の『動物化するポストモダン』の焼き直しと言えなくもない。

大きな違いは駆動力が”欲求の充足”であるか”瞬発的な祭り”であるかという点。

やっぱりデザイン?

このモデルでひとつ希望があるとすれば、それは次の一文にある。

このようなシステム作動の帰結とはいかなるものになるか。わりあい容易に導き出される結論は、人の「知性」の側面がデータベースへと外部化されることにより、個人の内面における「感性」の水準が前面化するという事態が、監視社会化に伴って進行するということだろう。

「感性」のみは一種のアイデンティティとして残されるということだとすれば、そしてその他のものがもともと外部化できるものだったとすれば、これは割合使えるんでない?という気もする。

先日書いた「インプットとアウトプット のらせん状のループの可能性」というのはこのあたりのことで、特にネット上では「知性」の外部化を割り切り、他人の知性・感性を共に巻き込む形でこのループを繰り返して残される自らの「感性」を磨いていくような作法が流行っているように思う。

僕は今のところ、ポストモダンに対応できるのはデザインという姿勢かな、と思っているけれども、もしかしたらそこに接続できるんじゃないか、という気がしないでもないのだ。

○すべてがデザイン
「デザインは意味を描いてみせる。」
「だから、デザインが意味の問題を抱えることは決してない。デザインは意味の問題を解決するものなのだ。」
「人間の態度と構想が世界を意味あるものとして開くのだ。」
「人間は意味を形成することによって、意味を求める問いに答えるのである。」
「作為の学の優れた先駆的思想家のホルガー・ヴァン・デン・ボームは要約していう。「・・・人間とは元来意味をつくり出す生き物なのだ。・・・それは、世界を開くデザイン、一つの象徴的形式、一言を以てすれば文化に他ならない。」(『動物化する~』読書録の最後にも書いたけど再び『意味に餓える社会』から引用)

まだ、思いつきの段階で明確なイメージではないですが。

p.s 読み返してみると、本著と同じく全体像の見えにくい文ですね・・・。