1

久しぶりに

東京から高校時代からの友人が来ていたので何人かで飲んだ。

他の業界の話が聞けてとても刺激になったし、自分に対しての甘さを感じさせられた。

僕は自分をみせることに対してまだ逃げる余地を残している。

自分自身にも鹿児島全体にも言えることだけど、意識レベルを底上げしなくてはいけない。

堅い話は置いておいても久しぶりに楽しい夜だった。
こういう機会は時々持たないと。

友人のアドバイスで住宅のスタディのA~Zには何らかのストーリーを被せることにした。
自分でも考えていたけれど、Aから順番にアルファベットに意味を持たせつつ進めていけば、そのときの自分の気持ちと案にずれが出てしまうのが怖くてあきらめていた。

だけども、AからZまでを順番にするのではなくてそのときの気持ちに応じてアルファベットを選ぶのであれば続けられるかもしれない。
それだと、次第に選択できるアルファベットが減っていき、拘束力が強まるのでマンネリ化やネタ切れを防げるし、発想を前に進める原動力になるかもしれない。

と言うことでアルファベットは順次選ぶことにしよう。




B080 『白井晟一空間読解―形式への違犯』

安原 盛彦
学芸出版社(2005/09)

副題にあるとおり「形式への違犯」を読み解く。

モダニズムのルール(オキテと言ってもよい)は便利ではあるが、それだけでは何かが足りないものになってしまう。

白井にはそれに捉われない強さがあった。

ルールをほんの少しはみ出せるだけの強さをもつこと。
その強さは自分の中に見つける以外にない。
自由とは強さのことではないか。




独立

今日久しぶりに友人に会ったら、知らない間に独立していた。

熱い思いを胸に鹿児島で独自のポジションを確立しつつある。

見かけどおり、将来は”ドン”とでも呼ばれてそう。

自分は今できることをひとつひとつ積み重ねていくしかない。
そして、自分がどのようなポジションを目指しているのか今一度見つめなおす必要性を感じた。

一歩一歩確実に、そして時には大胆に。

今日も勇気を分けてもらった。ありがとう。




W016 『鹿児島カテドラル・ザビエル教会』


□所在地:鹿児島県鹿児島市照国町
□設計:坂倉建築研究所
□用途:聖堂
□竣工年:1999年
□参考:鹿児島カテドラル・ザビエル教会
[gmaps:31.59156836057438/130.5509877204895/17/460/300](comment)[/gmaps]
今日、参考にと仕事の合間に見に行ってきました。
外部をちょっと見るだけのつもりでしたが、内部も見ていいとの事で中にも入りました。

大聖堂のパンチングメタルとステンドグラスの構成はさすがにきれい。
赤はザビエルの情熱を示しているそう。(作品リストの1999年参照)
熱い教会。

ひるがえって、小聖堂はこじんまりとした落ち着いた空間。
お祈りをしている人がいたので写真は撮れませんでしたが。

それにしても電線が邪魔。




B079 『悪なんて知らないと猫は言う』

悪なんて知らないと猫は言う―悪とヒトの優雅な哲学 左近司 祥子 (2001/09)
講談社


結構前に読んだ本。
猫好きの哲学者による哲学エッセイ。

プラトンやアリストテレスを軸に善や悪、自由、共同体、自己保持などについて分かりやすく語られる。

争いが行くところまで行ってしまうのは、その争いが、非当事者の立場から見れば、「善い」と「悪い」とのせめぎあいなどではなぃ、「善い」と「善い」のしのぎあいになっているからである。

くしくもこの本は2001年9月10日発行である。
絶対的な善や悪があるなど幻想に過ぎない。しかし、悲しい争いは絶えることがない。

あるのは自分にとっての善や悪だけだ。それなのに人はおせっかいにも周りに対してその善や悪を当てはめたがり無駄な争いを生む。
しかし、猫にとっては善や悪なんてものはどうでもいいことなのだ。猫は『寝たふりをしながら、じっと宇宙の呼び声を聞く』だけである。(谷川俊太郎の詩のように)ペットにするなら犬がいい。
だけどもし無人島に連れて行くなら猫を選ぶかも。