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悪い景観100景

悪い景観100景

テクノラティの検索ワードでトップにあった。

一般の人に興味を持ってもらうという点では成功しているのかもしれないが、内容はというとなんとなく受け付けない。

景観の選定は場当たり的で100選にする説得力はないし、主観的な意見ををまるで公共の意見のようにまとめるあつかましさや押し付けがましさはちょっと耐えられないものがある。

“私(たち)が考える”悪い景観100景と言うようなタイトルで、良し悪しの判断は読者にゆだねるようなら分かる。

そうは言っても、景観などに対する意識をまず持ってもらうことからはじめなければならない。
もしかしたら『美しい景観を創る会』のメンバーは、押し付けがましく反感を買いそうなことを百も承知であえて悪役を買って出ているのかも。

こちらの試みはちょっと苦しいけど面白い。

どっちにしても景観みたいな個人的な価値観に関わるものは難しい問題。

-追記
昨日(今日)の追記は…




B060 『リアリテ ル・コルビュジエ―「建築の枠組」と「身体の枠組」』

富永 譲、中村 好文 他
TOTO出版(2002/01)

2001年に安藤研がギャラ間で行ったコルビュジェの全住宅模型展に合わせて開かれた講座の記録。
(偶然にも僕はちょうどこのころ無理がたたって入院中で、病室でサヴォア邸やガルシュの家なんかの1/100模型をつくっていた…)

富永譲・中村好文・鈴木恂・八束はじめ・伊東豊雄がコルビュジェについて語るのだが、久しぶりのコルビュジェはとても新鮮で面白かった。
うーん、惚れなおす。

最初の方に出てくる写真や言葉を見るだけでため息が出てくる。

コルビュジェは戦略としてキザで大袈裟な物言いをしたという捉え方をしていた。
しかし、そういう側面はあるとしても、奥の部分にはやっぱり人間への愛情で満ちあふれているのだ。

そうでないと、こうも語りかけては来ない。

前にもコルについて書いたけれども、コル自信もかかえる小ざかしさや雑念を超えた大きな純粋さに心を打たれる。

富永譲が、コルの空間のウェイトが前期の「知覚的空間」から「実存的空間」へと移行した。また、例えばサヴォア邸のアブリから広いスペースを眺める関係を例にそれら2つのまったくオーダーの異なるものを同居させる複雑さをコルはもっているというようなことを書いていた。

それは、僕を学生時代から悩ませている「収束」と「発散」と言うものに似ている。

どちらかを選ばねばと考えても答えが出ず、ずっと「保留」にしていたのだけども、どちらか一方だけではおそらく単純すぎてつまらない。(このあたりは伊東さんがオゴルマンを例にあげて語っていた。)
そのどちらをも抱える複雑さを持つ人間でなければならないということだろうか。

そういえば、日経アーキテクチュアの創刊30周年記念特集の対談(2006.4-10号)でも新しい世代の「抜けている感覚」の是非や身体性というものが語られている。
それは「知覚的」か「実存的」かという問題だろうが、僕なんかの世代の多くはそれらに引き裂かれているのではないだろうか。
「知覚」への憧れと「実存」への欲求。
その間にあるのはおそらく一見自由に見えて実はシステムに絡めとられてしまう不自由な社会であり、そこから抜け出そうとすることが僕らを引き裂く。

もっと若い世代だとその今いる地点から「知覚」や「実存」への距離はどんどんと拡がっているように思える。(特に「実存」への距離)
また、その距離に比例するように「知覚」への憧れと「実存」への欲求は深まり、さらに分裂する。

実存的建築家に学生なんかが再び惹かれはじめているのも分かる気がする。

それらを全く異なるもののまま同居させるコルの複雑性。
これこそがコルビュジェの魅力の秘密かもしれない。

あと、この本の伊東さんの話は相変わらず魅力的だったが、他にも鈴木恂の「屋上庭園とピロティ」を「(コルビュジェの例の)手と足」として捉えるところも面白かった。
建築を身体の延長として捉えるような感じ、擬人化やキャラクターを持つことへの興味はもしかしたらコルビュジェの影響かもしれないな。




Google Analytics




だいぶ前に話題になっていたときに申し込もうとしたんだけど、順番待ちみたいになって忘れかけてた『Google Analytics』からようやく招待状が届いた。

それで早速使ってみました。

ちょっと動作が重くて、まだ中身はよく見ていないけども面白そう。

どのページにどれぐらい滞在しただとか、来たページからそのまま直帰した割合だとか、サイトのどのボタンのクリックが多いだとか、どのページでどれぐらいの購入があっただとかいろいろ分かる。

サイト製作者にはすごくありがたい情報だろう。

そうでなくとも、あっアメリカからの訪問者が。とか嬉しくなったりして。。

こういうのまで無料で提供するGoogleの意図ってなんなんだろう?




お気に入り




今日ようやくプロポーザルのヒアリングが終わりました。
理想どおりとはいかないけれど今の条件下ではできる限りのことはしたので後は結果を待つのみです。(政治的な力が働いたりせずにフェアな判定が下ることを祈ります。)

ところで、ヒアリングの際の説明用に久しぶりに100分の1の模型を作ったのですが、お気に入りの製作道具の一つがもうそろそろダメになりそうです。

上の写真の左は一般的に良く見かける木工用ボンドなのですが、これが途中で出がわるくなったりと細かい作業にはけっこう使いにくい。

それで、5・6年前、東京にいたころ新宿のハンズで右のペン型ボンドを見つけ、中身を補充しながら使っているのですがこれがなかなか見つからない。
画材屋や文房具屋やDIYショップに行くたびにチェックしているのですが、新宿のハンズ以外ではまだ見たことがありません。

もうボディが破けてときどき中身が飛び出したり固まったりしてしまいます。
ラベルも外れてしまってどこのメーカーかも分からないのですが、どなたかどこで売ってるとか、どこの製品だとか知っている方がいましたら教えてください!



これがなかなかの優れもので、ペン状のボディの先からボンドが細~く出てきて細かい場所に後から接着したり、点付けなどにも便利。さらにペン先のボンド出口の横はへら状になっていてよく考えられています。
筆圧を調整するような感じでボンドの出も調整できるし。

このキャップは(歯磨き粉のように)さかさまなの状態で置けるように僕が後で改造したので、製品のままだとキャップの白い部分はついていません。
一般品のボンドで途中で出が悪くなったりキャップの付けはずしが面倒でイライラしたことがある人もいるはず。
このキャップだとねじらずに抜き差しできるんで便利です。




B059 『吉阪隆正の迷宮』

吉阪隆正の迷宮
2004吉阪隆正展実行委員会 (2005/12)
TOTO出版




吉阪隆正といえばコルビュジェの弟子でコルビュジェの翻訳をした建築家という以上のことはあまり知らなかった。
しかし、この本を読んでみると、吉阪隆正はすばらしく魅力的な人間なようですっかり虜になってしまった。

それもそのはず、吉阪は内藤廣や象設計集団などの僕の肌にあうなぁと思う早稲田系の建築家の師匠にあたる。

吉阪を良く知る人の対談などがメインでその変態ぶりというか天才ぶりというか、型にはまらない感じが強く伝わってくる。
なんとなく”良寛さん”が思い浮かんだ。

余計なものには惑わされずに、まっすぐにはるか先をみつめる眼差しが目に浮かぶが、その眼差しはこの今現代よりもずっと先を捉えているように思う。

「有形学」「不連続統一体」「生命の曼荼羅」「発見的方法」

合理性や理屈の中からこぼれ落ちてしまうものにも限りない魅力がある。

合理的できれいではない。だけれどもそこには、実感というか手ごたえというか触感というか、なんともいえないもの、実存に関わる何かがある。

それは合理的であることよりも合理的(?)で魅力的なことだと思うのだけれども、それに同意してくれる人はどれぐらいいるのだろうか。

吉阪隆正。詳しくは知らなかったけれど希望を感じた。




W015『苓北町民ホール』


□所在地:熊本県天草郡苓北町
□設計:阿部仁史+小野田泰明
□用途:集会場
□竣工年:2002年
□備考:くまもとアートポリスプロジェクト
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2003年日本建築学会賞受賞作

機能と形態の内外の関係、” 目的に応じて有機的に機能する自由度の高い空間とこの町らしさを表現する独創的な造形の共存”ということで、ぜひ内部を見てみたかったのだけれども、残念ながら休館のようだった。

何かのイベントの時にこれれば一番良かったのだけれども。

道路側の正面はそっけないほどにあっさりしているが、全体的には”有機的”と呼べるような形態をしている。

しかし、押し付けがましさやしつこさはない。
”有機的”だから自然に感じるというように単純ではないだろうが、一見突飛にみえる形が”さりげなさ”をもっているというのはどういうことだろうか。

どんな力が形態を導いたのだろうか。

そんなことが気になる。






(内観はガラス越しです)




W014『牛深ハイヤ大橋』


□所在地:熊本県牛深市
□設計:レンゾ・ピアノ+ピーター・ライス+岡部憲明+マエダ
□用途:臨港連絡橋
□竣工年:1997年
□備考:くまもとアートポリスプロジェクト
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海彩館の敷地を横断するかたちで橋がかかっている。

”最も簡潔な表現によって、一本の線として風景の中に橋を浮上させることで、自然の中に浸透させることを試みた”というようにそのシンプルなラインは美しかった。

人工と自然という対比の中で、力強さと繊細さ、傲慢さと謙虚さと言うものが一つの構築物の中で共存しているのは稀な存在であろう。

サイドに並ぶ防風パネルは内側に仕掛けられた照明によって内外に光の効果をもたらすような形をしており、夜のライトアップされた姿を念頭においてデザインされているようである。

しかし、牛深と長島(鹿児島)を結ぶフェリーは19時までしかなく、乗り損ねたら大変なのと体調を考えて残念ながら夜景はあきらめた。

夜の光のライン。見てみたかったなぁ。







W013『うしぶか海彩館』


□所在地:熊本県牛深市
□設計:内藤廣
□用途:水産観光センター
□竣工年:1997年
□備考:くまもとアートポリスプロジェクト
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内藤廣は今僕の日本で気になる建築家のベスト3に入る。
ようやく実作を観ることができた。

建築が声高に主張するわけではないが空間が生きている。
廻遊性があり自由度の高い空間が楽しい。

権力ではなく包容力。

軽快な屋根と吹きさらしの場と言う選択が心地よさを生み出している。

単なる市場ではないかと言われれば、そうかもしれない。

しかし、その潔さと、すんなりと気持ちの中におさまる感じはなかなか出せない。