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W011『知覧特攻平和会館』

w10.jpg
□所在地:鹿児島県川辺郡知覧町郡17881
□設計:-
□用途:資料館
□竣工年:1986?
>写真は知覧町HPより
[gmaps:31.36411783037637/130.43423652648926/14/460/300](comment)[/gmaps]
連休をつかって、福岡の伊東豊雄のぐりんぐりんを見に行く予定だったけれど、土曜に仕事が入ったので断念し、変わりに気になっていた特攻平和会館に行ってきた。

沖縄特攻に散った1036人(?)の遺影や遺品、資料などを展示している施設である。

連休と言うこともあり観光客がたくさん来ていたのでじっくりとは見れなかったが、感激と言葉にならない違和感とを同時に感じる複雑な心境になった。

その、複雑な感覚は建物に入ってすぐのホールの部分、最初から感じた。

ホールの正面に3mx4mの等身大に近い壁画を見て感動し涙が出そうになるが、同時にその下のプレートの中の

私たちは、特攻隊員たちの崇高な犠牲によって生かされ国は繁栄の道を進み、今日の平和日本があることに感謝し・・・

と言う部分になんとなく違和感を感じたのだ。

そのときは、大分昔に書かれた文章で感傷的な文章になってしまったのだろうと無理やり納得してやり過ごそうと思った。
しかし、そういう違和感こそ大事にすべきだ

なぜそう感じたのか、考えてみる。

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展示室には1036人すべてかどうかは分からないが、特攻隊員たちの遺影がずらっとならぶ。

皆、すがすがしくかつ深い目をしている。
でも、今の時代にもいる皆普通の青年たちだ。
ちょうど青春の時期で、自分の友達の顔とだぶって容易に感情移入する。
最後に家族などに贈った手紙などはどれも潔く、家族への思い、国への思い、使命を果たせる誇りなどに溢れている。

その言葉に嘘はないだろう。心から出てきた言葉だと思う。
解説のおじさんの「彼らは負け戦とわかっていながら、後世の人たちが自分たちの生き様を見て勇気付けられ、日本を復興してくれることを願って飛び立った。」と言うような言葉に感動もした。

しかし、皆が同じように潔い文章を書き、すがすがしい顔をしているのに、逆に哀しさを感じる。

特攻志願といっても、志願させたのは環境だ。
誰が好き好んで死にたいだろうか。
志願させたのは、教育であったり、暗黙の強制であっただろうし、若さゆえ前に進まざるを得ないと言うこともあっただろう。
二十歳前後の若者だ。
気がついてみれば自分の命があと数日と決まってしまっていたということがあったに違いない。
それでも後に退ける訳もない。
恐怖心や後悔やその他もろもろの負の感情を抑え込むために、家族や国や名誉やいろいろな理由を探して(また、それらは環境に準備もされていただろうし)自分を騙すまでに必死にすがりついたにちがいない。

だから、潔さとすがすがしさは余計に哀しい。

彼らの言葉に嘘はないが、彼らは彼ら自身を欺いているかもしれない。

彼らは勇士であるよりも犠牲者である。

彼らを勇士とみるその視線が彼らを犠牲者にしたのかもしれないのだ。
(遺族の方が、彼らを勇士と思うのは当然だし、彼らの純粋な思いは尊敬に値すると思うが)

彼らのような犠牲者を出さないためには、彼らが犠牲者であるという認識こそ大切だと思うのだが、展示内容やパンフレット、先に挙げたホールのプレートにはほとんど彼らをたたえる表現しかないように感じた。

ただ、プレートの上の壁画のみが彼らを犠牲者として救っている。

そして、全く意図の異なる表現のものが上下にならんでいることが僕を混乱させたのである。

>>参考記事<<

(『特攻隊志願前に心の準備』金光新聞)

↑宗教的なことはさておき、前半の心の準備をする部分は、そうだろうなと思わせる。


↑ホール上部に描かれた壁画。
実際は目線より上にあり、等身大に近いので迫力があり、まさに天に昇っていくよう。
黒焦げになった人間は、展示されている笑顔の遺影とひとつながりだ。そのギャップがまた哀しい。
戦争の中で死を選択させられた若者は黒焦げになり優しい顔をした天女に包まれてようやく開放される。
混雑のためあまり遺品は見れなかったが、僕は一人一人の遺影の顔とこの壁画を目に焼き付けようと思って廻っていました。
実際に訪れて感じて欲しい。

(特攻隊神話の保存装置 「知覧特攻平和会館」 (田中幸一))

↑割と似た視点の記事。参考に。
日本人は何事もイメージで済ませる傾向が強いと思う。ここで、ただ泣くだけのメンタリティは時に危険であるかもしれない。

※事実関係を間違っていたりしたら教えてください。
また、関連する良い記事やそれはおかしいんじゃないという意見がありましたら教えてください。




精神年齢鑑定

妹がブログでやっていたので僕もやってみた。

>>りゅうりゅうの精神年齢鑑定

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鑑定結果
あなたの精神年齢は49歳です

あなたの精神はかなり『中年』です。一人前の大人です。威厳が感じられるようになってきましたが、寄る年波のせいで今まで絶対しなかった失敗や間違いをしてしまい、自信喪失してしまうかもしれません。失敗してもそれは歳のせいですのであまり落ち込まないように。

実際の年齢との差19歳

あなたは実際の年齢より大人びています。同年代の人よりしっかりした性格の持ち主で、周りの人々に頼られてお兄さん(お姉さん)役を努めてしまうこともあるでしょう。そこがあなたのよいところです。

幼稚度36%

あなたは小学校高学年並みの幼稚さを持っています。なんだかんだいってもまだまだ子供です。

大人度54%

あなたはなかなかの大人です。冷静さもあり、精神的も発達してきています。

ご老人度86%

あなたは90歳のご老人なみにおじいちゃん(おばあちゃん)っぽさがあります。あと少しの人生頑張って下さい。

あなたとお友達になれそうな人
車寅次郎
水戸黄門
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「あと少しの人生」って、おいっ。




屋上の魔力

あるきっかけがあり「屋上」と「自由」について考えてみたくなった。
ミーハーだけど、僕の「自由」に関する考えは宮台真司の影響が大きいようだ。


学生のころ神戸の殺人事件があり、建築について悶々としていた時期に、友人に進められて『世紀末の作法』を読んだ。

そこにあった『「屋上」という居場所』という文章で僕は初めて「建築」と「機能」や「自由」の関係を考えたのだ。

(思えば「酒鬼薔薇」と宮台を知らなければ問題意識を持つこともなく、今頃はのんきにそして優雅に暮らしていただろうに・・・・(kazutoよオアイコかいな?))

『世紀末の作法』は手元にないので検索してみると、こんな学生コンペが引っ掛かった。(最近、あまり念入りに雑誌を見ないので知らなかった・・・)

コンペのテーマ、まさしく宮台真司の文章だ。

原文も宮台のブログに載っていたので読んでみたが、『世紀末の作法』の『「屋上」という居場所』の趣旨もほぼこういうことだったと記憶している。

このブログで今考えていることを見てみると、10年ほど前に読んだこの本の影響の大きさにびっくりした。

「自由」の感じ方にまで影響をうけている。

■教室にいれば学ぶ人。廊下にいれば通行する人。校庭にいれば運動する人。どこも機能が指定され、そこにいるだけで機能を担わせられる。屋上は違った。そこは機能の空白。どこでもない場所。どこでもない場所で、何でもない人になって、解放される──。
■しかし、やがて人々は、どこでもない場所に、何でもない人が集まること自体を、不安がるようになった。集合住宅の屋上はロックされ、学校の屋上はバスケットコートになったりプールになったりと、機能化された。かくして最後のどこでもない場所が消去された。
■空間の機能的意味が明確になると、人は一方で自由になり、他方で不自由になる。近代化へと向けた動きは、不自由のマイナスより、自由のプラスを評価する価値を一般化した。さて、いったん近代化を遂げた人々が、いつまでも同じ価値観に拘束される必要があるか。
■イエやウチが「住宅」になったとき、人は、一方で自由になり、他方で不自由になった。何が不自由になったのかを記憶する人々が、社会からどんどん退場していく。だからこそ、いま「溶解する境界・あいまいな場所」なのだ。私たちの歴史意識が問われている──。
MIYADAI.com Blog より

青木淳の著書などにも似たような視点が見られるように、自由や便利さを求めるゆえの「不自由さ」窮屈さを感じることは今の時代ではありふれた(しかし、自覚するにはなかなか至らない)感覚なのかもしれない。

それにしても、屋上はどうしてそこまで「自由さ」(に近い特別の感覚)を感じさせるのだろうか。

単に「脱機能化」された場所というだけ以上のものを僕は感じてしまう。(そこがビアガーデンやイベントスペースであっても、僕にとっては特別な場所なのだ。)

ちょっと自分の経験と感覚を思い出してみよう。

10数年前とつい最近、屋上について特別に感じたことがある。

ひとつは高校時代。
寮生活だったのだが、先輩後輩の関係が厳しく1年生は寮の中では掃除やなんやでほとんど自由がなかった。
その寮の中で屋上だけが唯一先輩も足を入れない1年生の自由に使ってよい場所だったのだ。
授業が終わってからから夕食の準備までのほんの数時間を屋上で過ごすのがほとんど唯一気を抜ける時間だった。
(ただ、僕は部活をしていたのでこの時間をあまり堪能はできなかった。今となってはもったいなかった)

屋上はその下にある先輩たちの目の光る窮屈な環境とはまさしく別世界の小さな自由の輝く場所であった。

「屋上に先輩は足を入れない」というルールがどういう形で出来たのかは分からないが、厳しい生活を送る1年生のための場所に屋上が選ばれたのは面白い。

もうひとつはこの前、相方と式場を探していたとき。

あるホテルに説明を聞きに行ったとき(そこのホテルは公共の公園を一時借りて式を行うことの出来るホテルだった。)そこの屋上でも式を行うことが出来るということで、写真を見せてもらったのだがそれが漠然と期待していたイメージにぴったりきたのだ。

その屋上は夏の間はビアガーデンになっていたそうで、特別綺麗な建物でもおしゃれな空間でもない。ただ、桜島へのビューは絶景。
なんてことのない空間なのだが、びびっと来た。
なぜなのだろう。

それまではなんとなく漠然としたイメージのかけらのようなものはあったのだが、なんとなく結婚式場というもの自体になんとなく窮屈さを感じしっくりこないと思っていた。

そもそも結婚式場というもの自体が「機能」と「空間」の癒着した最たるものだ。
最近流行のレストランウェディングという別用途からの「転用」程度ではその関係は切れるものではない。
それに、なんとなく商業主義にのせられているような気がしてシャクでもある。(僕は自分の葬式は商業的な葬祭場ではして欲しくないと思っている。居酒屋で十分。)

それでも、「屋上」の挙式風景の写真を見た瞬間、「機能」や「商業主義」から開放された場所のような気がした。
漠然としたイメージがぱちっとはまった。
恐るべき「屋上」の魔力。

(「公園」でのウエディングでさえも、そういう風に感じなかったのだが、今の公園は都市に飼いならされているからだろうか・・・)

相方も似たように感じていたのにもびっくりなのだが。(繰り返しますが、なんてことのない「普通の屋上」なのだ)

さて、何ゆえ屋上がこれほどまでに別世界たり得るのだろうか。

屋根のスラブは建物と大空を切り分ける。
そして、屋上はどちらかと言えば大空に属する。

それゆえに、屋上はちょっと機能を付け加えたぐらいでは空間が完全に機能化されない、飼いならされない。
どうしても中途半端な感じが残ってしまう。

屋上の下の「せっせと機能している建物に小さく収まった空間」をあざ笑うかのような感じが良いのだ。
だから、都市の中にあればあるほど屋上とその下の空間の対比が生まれ、屋上はより屋上となる。

つまり、建物にも自然にも入れてもらえない「こうもり」のような中途半端な位置付けが屋上を屋上たらしめているのではないだろうか。
これを「計画」によって生み出すのは困難だ。

屋上で式をするということは天候によってはその下の「機能化された空間」に移らざるを得ないというリスクを負うわけだが、管理され尽くせないところも屋上の屋上たるゆえんであるならそれも受け入れねばならない・・・。

って、屋上になんとなく特別なものを感じるのは僕だけだろうか?




無  題

建築の世界でどうやって生きていくか。

自然淘汰の時代はしばらく続くだろう。

今までの小手先だけのやり方ではおそらくやっていけない。

生き残る(と言う表現も嫌だが)ためには、人に必要とされるだけの能力と明確なポジショニングが必要だ。

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物事はいたってシンプルだ。

「やる」か「やらない」か。

何かをやればやった結果があり、やらなければやらなかった結果がある。

ただ、それだけ。

何もしないでも、この世界で何とかやってけるかもしれないが、やっていけないかもしれない。やっていけなくてもそれなりに楽しめるのかもしれないが後悔ばかりしているかもしれない。先は分からない。
ただ、不安に喰い潰されそうで立ち止まるのが怖い。

僕は大部分は楽天家だが根本は極度の心配性だ。

しかし、不安にかられてがむしゃらに何かをするだけでは消耗するだけ。
僕のような人間が不安から逃れるためには、「何を」やるべきかはっきりさせる必要がある。
将来のビジョンを明確にし、そのために今何をどれだけやるべきかを考えよう。

一度それをはっきりさせれば自分を安心させることが出来るはず。

僕が怖いのは「やれることをやらなかった」ということだけで、やることをやったならばその結果がどんなものであれ受け入れる準備はできている。

(僕がそういう結論に達するかどうかは別として、何もやらないという選択も全然あり)




茶の味

原作・監督・脚本・編集 :石井克人

出演 : 坂野真弥佐藤貴広浅野忠信手塚理美我修院達也三浦友和土屋アンナ



きのうは家で仕事をしなければいけなかったのだが、日曜日を仕事で終わらせるのもいやなのでビデオを借りて観た。

気にはなっていたけど、いつも貸し出し中だった『茶の味』が残っていたのでこれにする。

中身が想像できない所にそそられた。

女の子役(坂野真弥)がかなりいい味を出している。
変な感覚でいい感じ。
だけども、最後のところで微妙に期待を裏切られた感じがする。
微妙なところで。

僕が期待していたのは、

はっきりとしたテーマやストーリー・オチがあって、それに向かって一直線に進むようなものではなく、

テーマを感じさせるすれすれのところをかすめながらも決してくっきりとは姿を見せない、それでいて人の心を掴むようなもの。

例えるなら、中心に核があって、その周りを電子のような物体が揺らぎながらぐるぐる廻っている。決して中心の核にはぶつからない、見ていて心地よい。そんなイメージ。

その電子のような物体の揺れがどんどん大きくなって、そのまま自然と核の重力圏を抜け出してもいい。

そんな映画を期待していたけれども、いい感じで揺れながらも最後の方で微妙に核にかすってしまった感じ。

その後、重力圏を飛び出したように見えるけれども、核にかすったときについたちょっとした気恥ずかしさはぬぐえなかった。

うまく表現できないけれども、僕の感想は「惜しい」。
[MEDIA]




『Open Your Sense.』


文法的にあっているか自信はないが気に入っている


この言葉は自分に言い聞かせるつもりでロゴに入れた。

sense

━━ n. 感覚(器官) (the five ~s 五感); 感じ ((of)); 意識, 勘 ((of)); (one’s ~s) 正気; 分別 (a man of ~); 意味; 意義; 多数の意見, 世論 (the ~ of the meeting 会の意向).

━━ vt. 感じる, 気づく; 〔米〕 理解する; (機械が)探知する; 【コンピュータ】(情報を)読み取る.
sense-datum【心】感覚単位 ((対象が感覚に直接与える刺激)); 【哲】感覚所与.

三省堂提供「EXCEED 英和辞典」より

センス [sense]

物事の微妙な感じや機微を感じとる能力・判断力。感覚。
「ユーモアの―」「―に欠ける」

三省堂提供「大辞林 第二版」より

「センス」ってなんだろうか。

僕は、上の引用にもあるように「感じ取る能力」だと思う。

「あの人はセンスがいい」というとき、その人はその通り感覚が研ぎ澄まされているのだ。

感覚は使わないと鈍る。

絶えず自分の中にわずかに起こる機微を感じ取るためのアンテナを張っていないといけない。

「センスがいい」人は絶えずその努力を怠っていない人だ。

この前うちの相方に人に対する接し方を注意された。
鈍りきった感覚を指摘された。
なんとなく自分でも分かっていただけに結構へこんだ。
僕は時々おかしくなる。

『Open Your Sense.』

感覚を開こう。

自分に言い聞かせているのだ。

考えるだけじゃなくて感じ取ること。

sensibleであること。

それはおそらく豊かな生活に最も必要なこと。

『茶色の朝』に怯えるだけではあまりに寂しいのでちょこっと考えてみた。




言葉との距離

自分と自分の発する言葉の距離の大きさを感じて憂鬱になるときがある。

ミクシィの方で、岡さんて方がやってる『蟻鱒鳶ル』のコミュや岡さんの日記を時々ちらちらと見るのですが、いつも心を打たれる。

僕の書いてる事は、イマイチ説得力がない。

僕は文章を書く時、筋道が通ったマトモな文章になってるか。は二の次で、
「自分の気持ちにピタッとしてるか。」
「誰を目の前にしても同じ事が言えるか。」
みたいな事に注意をしながら書いていきます。
(『蟻鱒鳶ル ットントン!』コミュより)

岡さんは(って僕は面識はないのです。数年前のSDレビューの雑誌で見ただけ)自分の文章が下手というようなことを言っているけれども、そこらへんの知識人といわれる人の言葉よりずっと鋭くてぐっとくることを書いている。

人とその人の発する言葉がぴったりくっついている感じ。

僕も時間を縫って何とか言葉を発しようとするのだけど、そうやって出した言葉は独り歩きしてしまって、自分がそれについていけてない。

読む人を意識してしまったり、何か書かなければと脅迫概念のようなものを感じたりと、ブログなんかだとその傾向が強くなりがち。

もっと、自分の足元を見て、そして行動したい。




B021 『茶色の朝』

茶色の朝 フランク パヴロフ、ヴィンセント ギャロ 他 (2003/12)
大月書店


本屋をうろうろしていて、タイトルだけでなんとなく衝動買いしてしまった本。
でも、結構タイムリーで大切なことが書かれていた。

30ページ足らずの寓話であるが、そこにはファシズムの本質が鋭く描かれている。

主人公が何気なく生活をしていると、突然「国家反逆罪」のレッテルを張られ、玄関を強くたたく音がするところで物語は終わる。
しかし、主人公はそれまでの生活のところどころで違和感を感じていたのだ。
その違和感をいろいろともっともな理由をつけて心の奥に封じ込めていく

その描かれ方は絶妙だ。
人はほとんど無意識に自己を正当化し流されていく。
それが、あまりに自分たちにもありえそうなので恐怖心すら覚えてしまった。

物語と同じようなボリュームで収められている高橋 哲哉の解説にもある通り「やり過ごさないこと」「思考停止をやめること」の大切さを鋭く指摘する寓話である。

つい最近、フランスでカリスマ的人物の率いる極右政党が大躍進したことに抵抗してこの本が出版されたそうだが、今の日本の政治を重ね合わさずにはいられない。

参考記事

茶色い朝のつくられ方~選挙取材の現場から②
ここにTBされていた 民主党は日本をあきらめてはいかが?もおもしろかった。「茶色の朝」平和キャンペーン

その他、教育問題やイラク問題などのいろいろな場面でこの本は採り上げられているようです。

やはり、「考えること」は必要だ。
もっと、明るくそれを言えたらなぁ・・・。




国分S邸が建つまで

国分S邸が建つまでの話。

僕がまだ東京で働いていたころ妹の結婚が決まり、家を建てることになって僕に設計の話が来た。(今考えると大胆な妹。)

そのころ、ちょうど東京の事務所を辞めるかどうか悩んでいたころで、それを機会にしばらく鹿児島に帰る事にする。

特に鹿児島にあてがあったと言うわけではなかったけれど、僕にとっても始めての実作だし、近くできちんと見たかった。

ということで、東京で勤めながら夜中に案を考えたり模型をつくり、メールで妹たちとやり取りしながら進めて行き、11月の妹の結婚式で来鹿したときに大工さんと打ち合わせをして大筋が決まった。

—————————————

1月から工事が始まるので、鹿児島に引っ越したのだが、収入がなかったので、谷山の妹夫婦のアパートに居候することにした。(新婚夫婦のところに今考えるととてもあつかましい兄)

毎朝5時過ぎに起きて、妹の旦那の実家から借りた軽トラで1時間ちょいかけて国分の現場に通う。

最初、僕は現場監理のつもりで現場に行き、空いた時間に大工さんの手伝いをしているつもりが、ほぼ100%施工に参加していたので、すぐに大工さんの弟子のようになってしまった。

何度か大工さんの家に泊まったりしているうちに、大工さんから「日当5000円払おうか?」との話があり、ここで完全に大工さんに弟子入りするかたちになる。

ということで、途中から現場近くにアパートを借りて引っ越す。

途中、大工さんの腰の具合が悪くなり、数日間現場に出れない日が続くが、指示を受けて僕一人で現場をすすめる。
「あれっ?これでは本職の大工さんではないか?」
現場監理のつもりが・・・

土日などに妹夫婦も施工に加わったりして、そんなこんなで何とか家が完成した。

—————————————

この現場で、一番難しかったのは大工さんとの関係だった。

一応、見積もり前に図面一式を渡していたが、大工さんは細かく目を通してはいなかった。
当然見積もりもどんぶりである。

設計事務所とのやり方なんて考えたことのない地元の大工さんなのだ。

この大工さんは妹の旦那の知り合いの弟さんなので、「図面通り出来ないのなら辞めろ、よそに頼む」とは言えない。
おまけに僕は監理者でありながら弟子である。

ということで、現場が進んでいきながら、大工さんの「みちょらんど(見積もりに入ってないよ~)」「あわんが(割りに合わない仕事だね~)」を毎日聞かされることになる。

僕の安い日当じゃなかったらとても予算内で出来なかったのではないだろうか。

大工さんも気がいいので、少し程度の良い材料や、大工さんが考えた納まりや仕上げなんかを提案してくれる。

そこで、大工さんの機嫌をとりながら、提案を受け入れたりこちらの提案をお願いしながら、何とかまとまりのつくように進めなければならなかった。

だから、まぁ、作品と呼べるような緊張感のあるものにはなっていない。
それが逆に、妹夫婦の住む住宅としては気が抜けた感じで良かったのではないだろうか、と今では思う。

とにかく、大工さんにはお世話になった。

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その後、新聞に広告を入れてオープンハウスなどもした。

大工さんや近所の工務店から一緒にやらないかと言う話もあったが、今回の現場でしがらみがあっては監理が出来ないことを痛感したので断った。

自分の設計事務所の登録なんかをして、ちょこちょこと活動していたが、その年の9月にはとりあえず今の事務所の面接を受け勤めることにした。

教訓になりようもないくらいお金がなかったから当然。

楽天的で無謀な兄妹のお話でした。

妹のうちにはたまに遊びに行って寝っころがっています。




最近良く見るホワイトバンド

って、どうなんだろう。

スタイリッシュ感
オサレ感
お気軽感
がなんか嫌だ。背中がかゆくなる。

「お気軽でも、それで子供が救われるのならいいじゃないか。」

確かにそうだろうけど、自分たちが貧困を生み出す構造の元凶の部分にいながら、「お気軽」に「救う」はないだろう。

アメリカ的な楽天的正義感が僕は嫌いだ。

調べてみたら、ホワイトバンドって詐欺?なんですかね。

今の世の中、本当のことを知るのは困難です。

僕にはことの真偽は分かりませんが、やっぱりなんとなくウケツケマセン。

ただ、問題定義にはなってるのかな。




ビデオ・めし・総選挙などなど

村上龍原作/宮藤官九郎脚本/李相日監督の 『69 sixty nine』のビデオを借りてきてみた。
村上龍の小説はちょこちょこ読んだが、これは読んでいない。
とにかく、青春ー、という感じ。ロックだ。
うちの相方はあまり御気に召さなかったようだが、僕は好きだなぁ、こういうの。


村上龍の小説は最近説教くさいというか社会学者的になってきたのでどうかと思っていたが、ちょっと原作もチェックしておこう。

昼までビデオを見て、昼食はお好み焼きを焼きました(イカ&豚玉もち・チーズ入り)
関西風です。
山芋が無かったので70点です。

その後、選挙へ。

言ってしまいますが、選挙区は「該当なし」、比例区は「民主党」と書きました。

小泉さんは好きだし、民主党に過大な期待をしているわけではない。選挙区によさそうな自民党の候補者もいた。

しかし、僕は「自民党」はまったく信用できないのだ。
平気で二枚舌を使って国民を馬鹿にしているとしか思えない。(それでも、多くの人が自民党を選ぶのだから仕方ないが)
新党をつくった彼らも、そのうちに
「亀○さん、是非自民党へ戻って下さい。あなたが必要です。」
「そうか、仕方が無い・・・(涙)」
とかいった喜劇を演じて、気が付いたら自民党はもとの自民党に戻るのではないかと、僕は本気で疑っていたりするのである。
というか、きっとそうなる。

それに、「変わらない」ということは政治の世界においては罪悪だと僕は思うのです。
雑用を色々すまし、夜は、(バーべキューコンロ風)七輪でサンマやらイカを焼きました。
やっぱり、炭で焼くサンマとビールはサイコー!!。

というような、一日でした。

今から、選挙速報見ます。
どうせ、小泉さんというより自民党の策略どおりに行くのだろう。
日本人は心が広いから。
[MEDIA]




B020 『壁の遊び人=左官・久住章の仕事』

壁の遊び人=左官・久住章の仕事 久住 章 (2004/12)
世織書房


カリスマ左官師と言われる著者であるが、
「本当に自由なおっちゃんやなぁ」
と言う印象を強く受けた。
「遊び人」というタイトルも伊達じゃない。

好奇心旺盛に、知識と知恵を動員し自らの手で試行錯誤しながら、職業や、国や常識やいろんなものを飛び越えて新しいことを吸収していく。
その姿は本当に自由だ。
職人というと「決められたことをきっちりこなす人」という印象があり、技術や伝統に縛られてそこから出ようと考える事も少ないように思うが、そんなことにはとらわれずに常に新しい可能性に目が開かれている。

一点に立ち止まらずに常に流れ続け、自由に見えるその姿をちょっと、ドゥルーズの思想に被せて見てしまう。

ただし、著者が経験を積み重ねるには、新たな技術を習得するまでの時間的・経済的な負荷を受容する、施主の懐の深さが必要であっただろう。

そこに時代の豊かさを感じずにはいられないが、著者の遊び人的気質と、トータルに物事を捉える親方的気質、先見性といったものがそういうチャンスを呼び寄せたように思う。

それはやっぱり才能でもある。
自分のやるべきことを見つける嗅覚と、オリジナリティーはナカタやイチロー並みで、

「左官界のイチロー」

と、呼びたいぐらいだ。

技術というのは頭で考えてする部分と、身体に覚えさせてする部分とがある。(中略)しかし逆に、今まで身体だけでやっていた技術を、頭でどう処理して変えていくか、それを考えようというのです。(中略)「この技術はこうやる」というのは時間が停止した状態なんです。(p.188)

今、頭と身体、感覚をすべてこんなにうまく使える人は珍しい。
仕事が「頭でする仕事」と「身体でする仕事」に分けられてしまったため、一人の人間の中から引きはがされてしまったように思う。

僕も「頭」にどうしても偏りがちになる。
本当は身体を動かしたり、「試行錯誤」を繰り返したりすることがとても好きなのだが、そこからは遠のきがちになる。
どうしたら、「建築」にこういう仕事の仕方を引き寄せられるだろうか。
それは、僕が建築を続ける上で重要な問題だ。

時には藤森照信や象設計集団にあこがれたりしてしまうのである。

だいたいが楽天的な人間なので、あまり後ろ向きには考えないんです。根っから、楽しんでやってやろう、というせいかくなので、苦労を背負い込まないんです。だから、苦労に苦労を重ねてこんな成果が生まれた、という感じはない。むしろ、こんなに楽しんでこんな成果が生まれた、という感じです。(p.195)

そう考えたら、「決まり」というのはないのだと思えてくる。「何でもあり」だと思うのです。左官だからこういうことだけやれればいい、などということは全然ないんです。楽しくて面白くて、自由でいられる、それが僕にとっては最高なんです。(p.196)

正しいか正しくないか、とやりだすと、どんどん世界が狭くなるんです。広がらない。そういうのは僕の望む人生ではないんです。(p.200)

こういうところだけみると、今の若い世代の(一部の人が持つ)自由さや可能性のようなものを感じる。
若いなー。
若者よりずっと若い気がする。

関連記事
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大人の条件

ってなんでしょうか。
ときどき、考えてしまいます。

僕が思う大人の条件は、

自分のごく近くのことだけでなく、世界や世代を超えた視点を持っている、ということです。

特に、子供たち、次の世代に対して、何を残せるか、逆に何を残さないかに責任を持つ、ということを考えるのが大人だと思うのです。

自分たちのことや、「今」のことしか考えられないのは、どんなに偉そうなことを言っても子供だと思うのです。

今の政治を見ていると、子供のおもちゃの奪い合いに見えて仕方ありません。

投票する側にも「大人の視点」が必要だと思うのですが、それは「今」や「自分たち」を口実に片隅に追いやられている気がします。

僕は「口実」がうまくなることが大人になることだとは思いたくない。

そんな、青臭いことをよく考える今日この頃です。




メモ・つぶやき

さっき、「農業の時間」とあと何だっけなぁ、とおもって昔のメモを拡げていたら、懐かしいメモがたくさん出てきた。

大学を出て、東京に行ってから勤めるまでの1年間で、かなりの本を読んだし、自分の言葉で必死で考えた。
そのときのメモだ。

今の僕の考えはほとんどその1年で考えたことがベースになっているし、あまり進歩していないところを見るとそのときのストックと惰性で今まで来てしまったと言う感じだ。

今、そのときのメモを読み直してみると、今よりもずっと自分に近いところで考えていた感じが伝わってくる。

いろいろと分からなかったり、葛藤があったり真剣に悩んでいたのだが、それは、きっと若かったのだろう(今でも若すぎるぐらい若いが)。

というより、僕の思考が老化して、考えが一人歩きを始めかけてしまっているのだろう。

気がつけば、大切な問いを失いかけてはしないだろうか。

あまり、気負わず、間違いを恐れず、ふと考えたことを出来るだけすばやく書いていこう。

そのために、カテゴリーをひとつ増やしてみました。

(mixiの方で蟻鱒鳶ルのオカガロウさんの日記を読んでちょっとまずいなと思ってしまった)

追記:今は「メモ・つぶやき」のカテゴリーは「考える」と一つにまとめて「考える・つぶやき」にしています。




B019 『建築的思考のゆくえ』

内藤 廣
王国社(2004/06)

『建築的思考のゆくえ』というタイトルに気負って読み始めたのだが、思っていたよりずっと読みやすく、すっ、っと入ってくる文章だった。

分かりやすく書いてあるのは、著者が最近大学の土木分野で教え始めているので、建築以外の分野や一般の読者を視野に入れているのと、等身大で思考をする著者の性格からであろう。

本のタイトルも建築的思考がほかの分野へと拡がっていった先の事を意味しているように思う。

まずは、気になった部分を引用してみる。

世の中には「伝わりやすいもの」と「伝わりにくいもの」がある。(中略)日本文化の、とりわけ日本建築の本質は、具合の悪いことにこの「伝わりにくい』ものの中にある。(p.61)

昨日より今日は進歩し、昨日より今日が経済的にも豊かになる、という幻想。際限なく無意識かされるこのプロセスを意識化すること、形にすること、その上で乗り越えること、がデザインに課せられた役割であることを再認識すべきだ。(p.77)

わたしなりの感想では、世の中で語られている職能も資格も教育も、本来的な意味での建築や文化とはなんの関係もないのではないかと思います。(中略)話は逆なのです。今ある現実をどのようにより良いものにできるか、どのようにすれば人間が尊厳をもって生きられる環境を創りだせるか、が唯一無二の問題なのです。(p.88)

建築は孤独だ。建築はその内部環境の性能を追うあまり、外界に対してその外皮を厚くし、何重にも囲いを巡らせてその殻を閉じてきた。(中略)建築の孤独は深まるばかりだ。建築が多くの人の希望となり得ないのは、この「閉じられた箱」を招来している仕組みにある。(p.123,125)

時間を呼び寄せるためには、形態的な斬新さや空間的な面白さを排除することから始めねばならないと考えている。空間的な面白さは饒舌で、時間の微かな囁きをかき消してしまうからだ。(中略)われわれにせいぜいできることは、現実に忠実であること、時間の微かな囁きが、騒がしい意匠や設計者の浅はかな思い入れでかき消されないようにすることだけだ。(p.166)

最後の引用に内藤の建築の本質が出ている。

内藤廣といえば大屋根の一見して単純でざっくりとした建築をイメージするが、内部には独特の時間が流れているような気がする。
実際にその空間を体験していないのが非常に残念なのだが、形態の面白さに頼らず空気感イッポンで勝負、という感じだ。

どの本かは忘れてしまったが、ある建築の本に人間の感じる時間の概念が「農業の時間」⇒「機械の時間」⇒「電子の時間」(だったと思う・・・)と変わってきたというようなことが書いてあった。
本来、人間には「農業の時間」すなわち自然の秩序に従った時間が合っているのだろう。

そして、そういう時間の流れは内藤の言う「人間が尊厳をもって生きられる環境」に深く関わるだろうし、建築にとっての重要な要素であるだろう。

最近僕は、時間を呼び込むために空間的に単純であることが必要条件ではない、と感じ始めている。
一見、饒舌にみえても、その空間に身をさらせば、自然や宇宙の時間を感じるような空間もありうるのではと思うのだ。
たとえば、カオスやフラクタル、アフォーダンスといったものが橋渡しになりはしないだろうか。
それはまだ、僕の中では可能性でしかないのだが。




MEMO『言葉とディテール』

『言葉とディテール』
世界の細部(ディテール)は言葉によって切り分けられていく、と仮定しよう。すると、われわれが、目の前を通り過ぎる毛の生えた四つ足の動物を「猫」ではなく「犬」であると識別できるのは、「猫」と「犬」という言葉の使い分けを習得したことによる、と説明できる。
建築についても同様だ。建築を学び始めたばかりの学生の目では、壁と天井の接する部分には何も見えない。しかし、たとえば「廻り縁」という言葉を手にした途端、そこに何本もの線が見えてきて、逆にそれらの線がないとどう見えるのか、それらの線を消すにはどうすればなどと考え始める。
つまり、言葉が知覚に先行し、建築のディテールが言葉によって見出される。言い換えれば、言葉による思考の産物として建築の姿が決まっていくと言うわけだ。(花田佳明『ディテール』2006-JANUARY NO.167より)




MEMO「素材」

「素材」のことを考えるとき、同じように自分にとってルールブックの建築がある。・・・ブリンクマンとファン・デル・フルクトが設計したファン・ネレの工場である。これは私が素材を考えるときの教科書だ。その建築が教えてくれるのは、建築を構成するモノたちが「即物的=ザッハリッヒ」であることの意味であり、近代建築にとっての素材というものの持つ意味だ。(岸和郎)




MEMO「廻遊」

「廻遊式住居」とは、このような日本の庭が築いてきた精神性と構成法を、現代の住居をつくるうえでの手法として考えたものである。決して広い住宅に限らず、小さな家であればあるほど、廻遊できるということは、空間に広がりと奥行きを持たせる。分岐点を設け、素材を転換し、あるいは立ち止まるべくシンボルを仕組む。例えば、極小住宅においてあえて大きなテーブルを置くことは、その周りを必然的に回るという行為が生まれ、生活にエンドレスな回路を組み込むことになる。
・・・住宅の平面においてこれまで無駄だと思われ切り捨てられてきた「間」の空間を意識的に操作すること、そしてその「間」を領域的にとらえ、住居を構成するそれぞれの室と絡めて構成すること。「廻遊式住居」というテーマは、近代の住宅がある意味で切り捨てざるを得なかった生活文化の見直しや、現代の家族関係の回復も含めたさまざまな要素を内包している。(竹原義二)




MEMO「壁」

「沈黙している壁には、精神性を感じる」と修行僧は言う。壁に向かって座禅をくむ。つまり、壁に心をこめることにより、建築がつつみこむ空間の中に、静けさやモノの深さを感じるのであろう。
・・・立ち止まる壁力強い壁視線をさえぎる壁優しい壁誘導する壁緊張する壁囲い取る壁艶をもつ壁つなぐ壁光を受ける壁自立する壁光を反射する壁連続する壁研ぎ澄まされた壁
壁にはそれぞれの役割がある。・・・
私は都市の中に建築を据えるとき、自然と向かい合う自立した壁の在り方を考えている。壁によって分割された内と外の空間の在り様に興味を見いだしている。
・・・木と土でつくられた日本の優しい壁と、石でつくられた西欧の力強い石積みの壁・・・これらの壁がバランスよく表現されているような、両者を兼ね備えた壁をつくりたいと思っている。・・・
壁が強い意志を表すとき、これらの壁は厚く中身のつまった重たい壁になる。壁の存在は、密度の濃い壁、その対極にある存在を消す薄い壁、そして、表面のテクスチュアに在るようだ。
・・・シークエンスの展開は壁の配列にリズム感を与え、面として存在する壁の立ち方や壁の中にくり抜かれた開口部、壁と壁の隙間から見える風景を感得する。
・・・うつろいゆく光は表現される壁のテクスチュアの度合いによって空間に色合いをつける。また、壁と壁のズレや壁が向かい合うことによって優しい壁、強い壁、存在する壁になるように意図的に表現している。(竹原義二)




B018 『河辺家のホスピス絵日記―愛する命を送るとき 』

河辺家のホスピス絵日記―愛する命を送るとき 河辺 貴子、山崎 章郎 他 (2000/01)
東京書籍


ホスピスのラフな計画をする機会があった。(本当にラフな)
じっくりと勉強する時間がなかったのだが、こういう施設の線を引くのに、少しは勉強しなければあまりにも心苦しい。
かといって、『建築設計資料』などの資料集は要点的で『計画』的な視点が強すぎるので、そこにいる人間を見失いかねない。
最初からこの手の本に頼るのは危険である。
そこで、図書館へ行って利用者の視点から書かれたものを探して借りたうちの一冊がこの本。

妻である著者が夫を看取った記録である。
実は僕はついこの間(8/21)入籍したのだが、この本を読んでいると著者の夫婦と自分たちを重ね合わせてしまい、涙なくしては読めなかった。
(僕たちが病を抱えているわけではないのだが、僕の妻と著者のキャラがなんとなくかぶって見えた)

著者の夫婦の愛情や絆の深さ、そして、どんなときにもユーモアを忘れない強さ、というよりは優しさに強く感動してしまった。

きっとユーモアは本当の優しさがないと出せない。

きっと本当の優しさは悲しみを知らないと分からない。

本当に悲しく、優しくなる場だからこそユーモアが
生きるのかもしれない。

僕の妻もいざとなったら頼りになる。
彼女の優しさとユーモアに惚れたのだ。
時々ちょっとこわいけど。

今日、『建築設計資料』を買ってきてみていると、この本の舞台となったホスピスが載っていて、図面や写真を見ながら「ここであの人が・・・」と想像して泣きそうになってしまった。
僕はわりかし単純である。

ともあれ、一人の人間の尊厳に関わる重要な場所である。
僕はあんまり人工的な死に方はしたくないと思っているが、まだそんなにじっくり考えたことはない。
実際に計画するようなことになれば、できるだけ正面から向き合って考えたい。