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無  題

建築の世界でどうやって生きていくか。

自然淘汰の時代はしばらく続くだろう。

今までの小手先だけのやり方ではおそらくやっていけない。

生き残る(と言う表現も嫌だが)ためには、人に必要とされるだけの能力と明確なポジショニングが必要だ。

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物事はいたってシンプルだ。

「やる」か「やらない」か。

何かをやればやった結果があり、やらなければやらなかった結果がある。

ただ、それだけ。

何もしないでも、この世界で何とかやってけるかもしれないが、やっていけないかもしれない。やっていけなくてもそれなりに楽しめるのかもしれないが後悔ばかりしているかもしれない。先は分からない。
ただ、不安に喰い潰されそうで立ち止まるのが怖い。

僕は大部分は楽天家だが根本は極度の心配性だ。

しかし、不安にかられてがむしゃらに何かをするだけでは消耗するだけ。
僕のような人間が不安から逃れるためには、「何を」やるべきかはっきりさせる必要がある。
将来のビジョンを明確にし、そのために今何をどれだけやるべきかを考えよう。

一度それをはっきりさせれば自分を安心させることが出来るはず。

僕が怖いのは「やれることをやらなかった」ということだけで、やることをやったならばその結果がどんなものであれ受け入れる準備はできている。

(僕がそういう結論に達するかどうかは別として、何もやらないという選択も全然あり)




茶の味

原作・監督・脚本・編集 :石井克人

出演 : 坂野真弥佐藤貴広浅野忠信手塚理美我修院達也三浦友和土屋アンナ



きのうは家で仕事をしなければいけなかったのだが、日曜日を仕事で終わらせるのもいやなのでビデオを借りて観た。

気にはなっていたけど、いつも貸し出し中だった『茶の味』が残っていたのでこれにする。

中身が想像できない所にそそられた。

女の子役(坂野真弥)がかなりいい味を出している。
変な感覚でいい感じ。
だけども、最後のところで微妙に期待を裏切られた感じがする。
微妙なところで。

僕が期待していたのは、

はっきりとしたテーマやストーリー・オチがあって、それに向かって一直線に進むようなものではなく、

テーマを感じさせるすれすれのところをかすめながらも決してくっきりとは姿を見せない、それでいて人の心を掴むようなもの。

例えるなら、中心に核があって、その周りを電子のような物体が揺らぎながらぐるぐる廻っている。決して中心の核にはぶつからない、見ていて心地よい。そんなイメージ。

その電子のような物体の揺れがどんどん大きくなって、そのまま自然と核の重力圏を抜け出してもいい。

そんな映画を期待していたけれども、いい感じで揺れながらも最後の方で微妙に核にかすってしまった感じ。

その後、重力圏を飛び出したように見えるけれども、核にかすったときについたちょっとした気恥ずかしさはぬぐえなかった。

うまく表現できないけれども、僕の感想は「惜しい」。
[MEDIA]




『Open Your Sense.』


文法的にあっているか自信はないが気に入っている


この言葉は自分に言い聞かせるつもりでロゴに入れた。

sense

━━ n. 感覚(器官) (the five ~s 五感); 感じ ((of)); 意識, 勘 ((of)); (one’s ~s) 正気; 分別 (a man of ~); 意味; 意義; 多数の意見, 世論 (the ~ of the meeting 会の意向).

━━ vt. 感じる, 気づく; 〔米〕 理解する; (機械が)探知する; 【コンピュータ】(情報を)読み取る.
sense-datum【心】感覚単位 ((対象が感覚に直接与える刺激)); 【哲】感覚所与.

三省堂提供「EXCEED 英和辞典」より

センス [sense]

物事の微妙な感じや機微を感じとる能力・判断力。感覚。
「ユーモアの―」「―に欠ける」

三省堂提供「大辞林 第二版」より

「センス」ってなんだろうか。

僕は、上の引用にもあるように「感じ取る能力」だと思う。

「あの人はセンスがいい」というとき、その人はその通り感覚が研ぎ澄まされているのだ。

感覚は使わないと鈍る。

絶えず自分の中にわずかに起こる機微を感じ取るためのアンテナを張っていないといけない。

「センスがいい」人は絶えずその努力を怠っていない人だ。

この前うちの相方に人に対する接し方を注意された。
鈍りきった感覚を指摘された。
なんとなく自分でも分かっていただけに結構へこんだ。
僕は時々おかしくなる。

『Open Your Sense.』

感覚を開こう。

自分に言い聞かせているのだ。

考えるだけじゃなくて感じ取ること。

sensibleであること。

それはおそらく豊かな生活に最も必要なこと。

『茶色の朝』に怯えるだけではあまりに寂しいのでちょこっと考えてみた。




言葉との距離

自分と自分の発する言葉の距離の大きさを感じて憂鬱になるときがある。

ミクシィの方で、岡さんて方がやってる『蟻鱒鳶ル』のコミュや岡さんの日記を時々ちらちらと見るのですが、いつも心を打たれる。

僕の書いてる事は、イマイチ説得力がない。

僕は文章を書く時、筋道が通ったマトモな文章になってるか。は二の次で、
「自分の気持ちにピタッとしてるか。」
「誰を目の前にしても同じ事が言えるか。」
みたいな事に注意をしながら書いていきます。
(『蟻鱒鳶ル ットントン!』コミュより)

岡さんは(って僕は面識はないのです。数年前のSDレビューの雑誌で見ただけ)自分の文章が下手というようなことを言っているけれども、そこらへんの知識人といわれる人の言葉よりずっと鋭くてぐっとくることを書いている。

人とその人の発する言葉がぴったりくっついている感じ。

僕も時間を縫って何とか言葉を発しようとするのだけど、そうやって出した言葉は独り歩きしてしまって、自分がそれについていけてない。

読む人を意識してしまったり、何か書かなければと脅迫概念のようなものを感じたりと、ブログなんかだとその傾向が強くなりがち。

もっと、自分の足元を見て、そして行動したい。




B021 『茶色の朝』

茶色の朝 フランク パヴロフ、ヴィンセント ギャロ 他 (2003/12)
大月書店


本屋をうろうろしていて、タイトルだけでなんとなく衝動買いしてしまった本。
でも、結構タイムリーで大切なことが書かれていた。

30ページ足らずの寓話であるが、そこにはファシズムの本質が鋭く描かれている。

主人公が何気なく生活をしていると、突然「国家反逆罪」のレッテルを張られ、玄関を強くたたく音がするところで物語は終わる。
しかし、主人公はそれまでの生活のところどころで違和感を感じていたのだ。
その違和感をいろいろともっともな理由をつけて心の奥に封じ込めていく

その描かれ方は絶妙だ。
人はほとんど無意識に自己を正当化し流されていく。
それが、あまりに自分たちにもありえそうなので恐怖心すら覚えてしまった。

物語と同じようなボリュームで収められている高橋 哲哉の解説にもある通り「やり過ごさないこと」「思考停止をやめること」の大切さを鋭く指摘する寓話である。

つい最近、フランスでカリスマ的人物の率いる極右政党が大躍進したことに抵抗してこの本が出版されたそうだが、今の日本の政治を重ね合わさずにはいられない。

参考記事

茶色い朝のつくられ方~選挙取材の現場から②
ここにTBされていた 民主党は日本をあきらめてはいかが?もおもしろかった。「茶色の朝」平和キャンペーン

その他、教育問題やイラク問題などのいろいろな場面でこの本は採り上げられているようです。

やはり、「考えること」は必要だ。
もっと、明るくそれを言えたらなぁ・・・。




国分S邸が建つまで

国分S邸が建つまでの話。

僕がまだ東京で働いていたころ妹の結婚が決まり、家を建てることになって僕に設計の話が来た。(今考えると大胆な妹。)

そのころ、ちょうど東京の事務所を辞めるかどうか悩んでいたころで、それを機会にしばらく鹿児島に帰る事にする。

特に鹿児島にあてがあったと言うわけではなかったけれど、僕にとっても始めての実作だし、近くできちんと見たかった。

ということで、東京で勤めながら夜中に案を考えたり模型をつくり、メールで妹たちとやり取りしながら進めて行き、11月の妹の結婚式で来鹿したときに大工さんと打ち合わせをして大筋が決まった。

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1月から工事が始まるので、鹿児島に引っ越したのだが、収入がなかったので、谷山の妹夫婦のアパートに居候することにした。(新婚夫婦のところに今考えるととてもあつかましい兄)

毎朝5時過ぎに起きて、妹の旦那の実家から借りた軽トラで1時間ちょいかけて国分の現場に通う。

最初、僕は現場監理のつもりで現場に行き、空いた時間に大工さんの手伝いをしているつもりが、ほぼ100%施工に参加していたので、すぐに大工さんの弟子のようになってしまった。

何度か大工さんの家に泊まったりしているうちに、大工さんから「日当5000円払おうか?」との話があり、ここで完全に大工さんに弟子入りするかたちになる。

ということで、途中から現場近くにアパートを借りて引っ越す。

途中、大工さんの腰の具合が悪くなり、数日間現場に出れない日が続くが、指示を受けて僕一人で現場をすすめる。
「あれっ?これでは本職の大工さんではないか?」
現場監理のつもりが・・・

土日などに妹夫婦も施工に加わったりして、そんなこんなで何とか家が完成した。

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この現場で、一番難しかったのは大工さんとの関係だった。

一応、見積もり前に図面一式を渡していたが、大工さんは細かく目を通してはいなかった。
当然見積もりもどんぶりである。

設計事務所とのやり方なんて考えたことのない地元の大工さんなのだ。

この大工さんは妹の旦那の知り合いの弟さんなので、「図面通り出来ないのなら辞めろ、よそに頼む」とは言えない。
おまけに僕は監理者でありながら弟子である。

ということで、現場が進んでいきながら、大工さんの「みちょらんど(見積もりに入ってないよ~)」「あわんが(割りに合わない仕事だね~)」を毎日聞かされることになる。

僕の安い日当じゃなかったらとても予算内で出来なかったのではないだろうか。

大工さんも気がいいので、少し程度の良い材料や、大工さんが考えた納まりや仕上げなんかを提案してくれる。

そこで、大工さんの機嫌をとりながら、提案を受け入れたりこちらの提案をお願いしながら、何とかまとまりのつくように進めなければならなかった。

だから、まぁ、作品と呼べるような緊張感のあるものにはなっていない。
それが逆に、妹夫婦の住む住宅としては気が抜けた感じで良かったのではないだろうか、と今では思う。

とにかく、大工さんにはお世話になった。

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その後、新聞に広告を入れてオープンハウスなどもした。

大工さんや近所の工務店から一緒にやらないかと言う話もあったが、今回の現場でしがらみがあっては監理が出来ないことを痛感したので断った。

自分の設計事務所の登録なんかをして、ちょこちょこと活動していたが、その年の9月にはとりあえず今の事務所の面接を受け勤めることにした。

教訓になりようもないくらいお金がなかったから当然。

楽天的で無謀な兄妹のお話でした。

妹のうちにはたまに遊びに行って寝っころがっています。




最近良く見るホワイトバンド

って、どうなんだろう。

スタイリッシュ感
オサレ感
お気軽感
がなんか嫌だ。背中がかゆくなる。

「お気軽でも、それで子供が救われるのならいいじゃないか。」

確かにそうだろうけど、自分たちが貧困を生み出す構造の元凶の部分にいながら、「お気軽」に「救う」はないだろう。

アメリカ的な楽天的正義感が僕は嫌いだ。

調べてみたら、ホワイトバンドって詐欺?なんですかね。

今の世の中、本当のことを知るのは困難です。

僕にはことの真偽は分かりませんが、やっぱりなんとなくウケツケマセン。

ただ、問題定義にはなってるのかな。




ビデオ・めし・総選挙などなど

村上龍原作/宮藤官九郎脚本/李相日監督の 『69 sixty nine』のビデオを借りてきてみた。
村上龍の小説はちょこちょこ読んだが、これは読んでいない。
とにかく、青春ー、という感じ。ロックだ。
うちの相方はあまり御気に召さなかったようだが、僕は好きだなぁ、こういうの。


村上龍の小説は最近説教くさいというか社会学者的になってきたのでどうかと思っていたが、ちょっと原作もチェックしておこう。

昼までビデオを見て、昼食はお好み焼きを焼きました(イカ&豚玉もち・チーズ入り)
関西風です。
山芋が無かったので70点です。

その後、選挙へ。

言ってしまいますが、選挙区は「該当なし」、比例区は「民主党」と書きました。

小泉さんは好きだし、民主党に過大な期待をしているわけではない。選挙区によさそうな自民党の候補者もいた。

しかし、僕は「自民党」はまったく信用できないのだ。
平気で二枚舌を使って国民を馬鹿にしているとしか思えない。(それでも、多くの人が自民党を選ぶのだから仕方ないが)
新党をつくった彼らも、そのうちに
「亀○さん、是非自民党へ戻って下さい。あなたが必要です。」
「そうか、仕方が無い・・・(涙)」
とかいった喜劇を演じて、気が付いたら自民党はもとの自民党に戻るのではないかと、僕は本気で疑っていたりするのである。
というか、きっとそうなる。

それに、「変わらない」ということは政治の世界においては罪悪だと僕は思うのです。
雑用を色々すまし、夜は、(バーべキューコンロ風)七輪でサンマやらイカを焼きました。
やっぱり、炭で焼くサンマとビールはサイコー!!。

というような、一日でした。

今から、選挙速報見ます。
どうせ、小泉さんというより自民党の策略どおりに行くのだろう。
日本人は心が広いから。
[MEDIA]




B020 『壁の遊び人=左官・久住章の仕事』

壁の遊び人=左官・久住章の仕事 久住 章 (2004/12)
世織書房


カリスマ左官師と言われる著者であるが、
「本当に自由なおっちゃんやなぁ」
と言う印象を強く受けた。
「遊び人」というタイトルも伊達じゃない。

好奇心旺盛に、知識と知恵を動員し自らの手で試行錯誤しながら、職業や、国や常識やいろんなものを飛び越えて新しいことを吸収していく。
その姿は本当に自由だ。
職人というと「決められたことをきっちりこなす人」という印象があり、技術や伝統に縛られてそこから出ようと考える事も少ないように思うが、そんなことにはとらわれずに常に新しい可能性に目が開かれている。

一点に立ち止まらずに常に流れ続け、自由に見えるその姿をちょっと、ドゥルーズの思想に被せて見てしまう。

ただし、著者が経験を積み重ねるには、新たな技術を習得するまでの時間的・経済的な負荷を受容する、施主の懐の深さが必要であっただろう。

そこに時代の豊かさを感じずにはいられないが、著者の遊び人的気質と、トータルに物事を捉える親方的気質、先見性といったものがそういうチャンスを呼び寄せたように思う。

それはやっぱり才能でもある。
自分のやるべきことを見つける嗅覚と、オリジナリティーはナカタやイチロー並みで、

「左官界のイチロー」

と、呼びたいぐらいだ。

技術というのは頭で考えてする部分と、身体に覚えさせてする部分とがある。(中略)しかし逆に、今まで身体だけでやっていた技術を、頭でどう処理して変えていくか、それを考えようというのです。(中略)「この技術はこうやる」というのは時間が停止した状態なんです。(p.188)

今、頭と身体、感覚をすべてこんなにうまく使える人は珍しい。
仕事が「頭でする仕事」と「身体でする仕事」に分けられてしまったため、一人の人間の中から引きはがされてしまったように思う。

僕も「頭」にどうしても偏りがちになる。
本当は身体を動かしたり、「試行錯誤」を繰り返したりすることがとても好きなのだが、そこからは遠のきがちになる。
どうしたら、「建築」にこういう仕事の仕方を引き寄せられるだろうか。
それは、僕が建築を続ける上で重要な問題だ。

時には藤森照信や象設計集団にあこがれたりしてしまうのである。

だいたいが楽天的な人間なので、あまり後ろ向きには考えないんです。根っから、楽しんでやってやろう、というせいかくなので、苦労を背負い込まないんです。だから、苦労に苦労を重ねてこんな成果が生まれた、という感じはない。むしろ、こんなに楽しんでこんな成果が生まれた、という感じです。(p.195)

そう考えたら、「決まり」というのはないのだと思えてくる。「何でもあり」だと思うのです。左官だからこういうことだけやれればいい、などということは全然ないんです。楽しくて面白くて、自由でいられる、それが僕にとっては最高なんです。(p.196)

正しいか正しくないか、とやりだすと、どんどん世界が狭くなるんです。広がらない。そういうのは僕の望む人生ではないんです。(p.200)

こういうところだけみると、今の若い世代の(一部の人が持つ)自由さや可能性のようなものを感じる。
若いなー。
若者よりずっと若い気がする。

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大人の条件

ってなんでしょうか。
ときどき、考えてしまいます。

僕が思う大人の条件は、

自分のごく近くのことだけでなく、世界や世代を超えた視点を持っている、ということです。

特に、子供たち、次の世代に対して、何を残せるか、逆に何を残さないかに責任を持つ、ということを考えるのが大人だと思うのです。

自分たちのことや、「今」のことしか考えられないのは、どんなに偉そうなことを言っても子供だと思うのです。

今の政治を見ていると、子供のおもちゃの奪い合いに見えて仕方ありません。

投票する側にも「大人の視点」が必要だと思うのですが、それは「今」や「自分たち」を口実に片隅に追いやられている気がします。

僕は「口実」がうまくなることが大人になることだとは思いたくない。

そんな、青臭いことをよく考える今日この頃です。