認知心理学的な視点から建築を設計することの意義を問う B237『Mind in Motion:身体動作と空間が思考をつくる』

バーバラ・トヴェルスキー (著)
森北出版 (2020/11/6)

9つの認知の法則

本書は豊富な実験事例をもとに、認知心理学の視点から身体・空間・思考のダイナミックな関係を描き出す。

著者の挙げる認知の法則は以下のようなもの。(原文より英文を併記)

認知の法則
一. コストなくして利益なし。 There are no benefits without costs.
二. 動作が知覚を形成する。 Action moulds perception.
三. 感覚が最初に来る。 Feeling comes first.
四. 心は知覚の上を行く。 The mind can override perception.
五. 認知は知覚を反映する。 Spatial thinking mirrors perception.
六. 空間適思考は抽象的思考の基盤である。 Spatial thinking is the foundation of abstract thought,
七. 心は欠けている情報を補う。 The mind fills in missing information.
八. 思考が心からあふれると、心はそれを外の世界に移す。 When thought overflows the mind, the mind puts it into the world.
九. 私たちは心の中にあるものを整理するように、まわりの世界にあるものを整理する。 We organise stuff in the world the way we organise the stuff in the mind.

英文の直訳っぽいので、文脈に合わせて理解するのに少しとまどったけれども、自分なりに、

一. 何かを知覚する際、情報は状況に合わせて削ぎ落とされたり補われたりして、知覚のコストと利益の効率的なバランスが選択されている。(よって、効率的ではあるが、知覚されるものは完璧ではなく誤りや偏りを含む)

二. 知覚は動作と分け難く結びついており、動作によって形成される。これは、自分の身体だけに限らず、他人の動作や拡張された身体性によっても形成される。

三. 人はまず、表情や動きなどから感じられる情動に影響を受ける。情動は特別なものとして扱われている。

四. 知覚されたものそのものは、(知覚コストを抑えるであろう)推測やバイアスによって容易に上書きされる。知覚されたまま受け取られるとは限らない。

五. 知覚されたものは心の中で空間的(Spatial)に認知される。そこでは配置や階層、基準点、距離などが空間的に感じ取られるが、心的な空間として、その他の認知の法則にあるような偏りも併せ持つ。

六. 抽象的思考は、空間的思考・認知空間の基盤の上で展開される。例えば空間の中でものを移動させたり加工したりするように、抽象的思考の要素(表象・アイデア)を操作する。

七. 四と重複する部分もあるが、認知されているものは、階層やカテゴリーなどによる推測などによって適宜補われた上で空間的に配置されている。

八. 思考は心の中の空間の中のみで完結するものではなく、身体動作・表出・知覚を通じて外の空間ともダイナミックにつながっている。(建築家は曖昧な思考・イメージを曖昧なままスケッチとして外に表出し、それを思考の外部リソースとして再利用する。)

九. 人は思考を行う際に心の中を(空間的思考も駆使しながら)整理するように、まわりの世界を整理されたものにしようとする。それは、外部空間も思考するための基盤の一部であるからである。

というように受け取った。
著者はそれらを通じて「思考する空間を整えさらなる思考へ向かうこと」が、人が「生きる」ということの一つの本質である、ということを描き出している。

認知心理学的な視点から考えるとは何か、また、建築を設計することの意義は何か、を問う

これらのことから、何が浮かび上がるだろうか。

一つは、人が考える、ということは空間的かつ身体的なことだ、ということである。

少し前に読んだ森田真生の著書でも同じように数学という行為が空間的かつ身体的な行為であることが描かれていたが、考えるということは心の中で完結するものではなく、身体やまわりの世界とつながったダイナミックな行為である。

世界の豊かさは豊かな思考につながり、豊かな思考が世界を豊かにする。考えることが、人が「生きる」ということの一つの本質であるが故に、思考に導かれた世界に豊かさを感じる、と言い換えても良い。

そして、そのスパイラル(本書ではspraction (actions in space design our world and create abstractions in the mind)と名付けている)は正負を問わず、世代を超えて受け継がれていく。

そう考えると、建築を設計することの意義も見えてくる。
それは、世界を豊かにするための一つの営みなのだ。(ただし、そのためには密度高く思考することが前提条件である。)

もちろん、それは建築家だけの特権ではない。

この本でも全体を通して「生活への眼差し」が貫かれているが、世界を豊かにしていくのは「生活する人たち」なのである。建築家はそういう人(施主)の存在がなければ何もつくれない。

もし、まちの中から「生活する人たち」の顔(思考)が見えなくなったとしたら、そのまちはどうなるのだろう。そこから数学者は生まれるのだろうか。それはどれくらい重要なことなんだろうか。そういうことを本書は突きつけてくる。

(一つだけ補足すると、人工的にデザインされきった世界だけでなく、自然発生的に思考が埋め込まれた風景や、自然そのものも、同様に、もしくはそれ以上に豊かな思考の基盤になると思います。)

空間認知能力

空間認知能力は高められる。のみならず、かの全米科学アカデミーのある委員会でも提言によれば、高めなければならない。空間認知能力は、数多くの職業、仕事、活動の基盤をなす。(p.109)

ここからは全くの余談(自分のこと)。

空間認知能力が必要とされる建築の仕事をしているわけだけども、自己分析をしてみると、ある面ではある程度の能力があると思うけれども、ある面ではかなり能力が低いように思う。

この本で、心の中で像を回転させたり、立体を組み立てたりといったメンタルローテーション・メンタルコンストラクションという能力が取り上げられていた。
自分が子どもの頃を思い出すと、(今でもやっているけれども)折り紙やペーパークラフトといった作ることが好きだった。折り紙の折り図やペーパークラフトの展開図(型紙)を見たことがあれば分かると思うけれども、これらがまさしくメンタルローテーション・メンタルコンストラクションの訓練になっていたことは間違いない。
おかげで、頭の中で立体を組み立ててイメージすること、建築を立体物として手で組み立てるように捉えることはかなり得意になったと思うし、模型をつくるのも好きだ。

一方、本書でもよく出てくるような、頭の中で俯瞰的に地図のようなものを描いて要素をマッピングするようなことはめっぽう苦手である。
何十回と通った道も間違えてしまうし、ここで曲がる、というピンポイントの僅かな建物を除いて、道路沿いの店舗などが正確に頭の中にマッピングされることは皆無(マッピングされていたとしても順序はめちゃくちゃ)なのである。
空間認知能力が発揮されるのは、手のひらの中で作り上げられる範囲、又は、どこか一点に視点を設定したときのみ限られるようだ。(もともと興味のあるなしが極端だったので興味のある範囲以外の能力は全く育たなかったのかもしれない・・・)

こんな偏った状態でよく務まっているな、とも思うけれども、スキップフロアを多用したり、構成的な手法に頼りがちなのはこの偏りのせいかもしれない。
極端な方向音痴だ、というのは、常に自分がどこにいるか分からないことの不安から逃れたいという欲求を抱えている。それが、建築の場所性・固有性を求めることへとつながっていて、空間を考える原動力になっているようにも思うのでマイナスばかりではないようには思う。(その不安を克服しないとできないようなタイプの空間があるようにも思うけれども。)

また、抽象的思考を心の中で空間的に行っているというのは、新しい発見であると同時に、実感としては昔からもっていたものでもあるし、思考を一旦外部化して再度取り込むというのはデザイン関係の人は多かれ少なかれみんなやっていることだと思う。
この辺をもっと意識的に扱えるようになりたい、というのが最近の関心でもある。

(先日、VRゴーグルを買ったんだけど、空間的な思考を拡張するツールとして計り知れない可能性があるように思う。すでに、空間の中にスケッチしたり、アイデアを自在に動かしたり、というツールがあると思うんだけど・・・。)







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