つくる楽しみをデザインする(3つのアプローチ)


3つの願いで書いた「つくる楽しみをデザインしたい」について、これまで何度か書いてきているのですが、今一度まとめてみたいと思います。

「住まうこと(つかうこと)」の中に「建てること(つくること)」を取り戻す

最初に『建築に内在する言葉』にある文章を少し長いですが引用してみます。

ボルノウにしてもハイデッガーにしても、あるいはバシュラールにしても、ある意味で<住むこと>と<建てること>の一致に人間であるための前提を見ているように思われる。しかし、前で述べたようにその一致は現代において喪失されている。だからこそ、まさにその<住むこと>の意味が問題にされる必要があるのだろう。だが、現代社会を構成する多くの人間にとって、この<住むこと>の意味はほとんど意識から遠ざかっているのではあるまいか。日常としての日々の生活を失っていると言っているのではなく、<建てること>を失った<住むこと>は、その<住むこと>のほんの部分だけしか持ちあわせることができなくなったのではないかということである。『建築に内在する言葉(坂本一成)』(強調はオノケン)

現代社会は分業化などによって、「建てること(つくること)」と「住まうこと(つかうこと)」が離れてしまっている状況だと言っていいかと思います。住宅の多くは商品として与えられるものになっていて、そこからは「建てること(つくること)」の多くは剥ぎ取られている

先の引用のように、今、住まうことの本質の一部しか生きられなくなっていると言えそうですが、どうすれば住まうことの中に建てることを取り戻すことができるのでしょうか

それには、3つのアプローチがあるように思います。

1.直接的に「つくること」を経験してもらう

一つは、お客さんを直接的に「つくること」に巻き込むことによって「つくること」を取り戻す方法があるかと思います。
これはそのまんまつくることを経験するので効果は高いと思いますし、つかう人がつくる技術を身につけることもできます。

2.職人さんの「つくる技術」によって「つくること」を届ける。

住まう人が直接つくることに関わらない限り、「つくること」を取り戻せないかと言うと、そうではないようにも思います。

たとえば今のつくる行為を考えてみると、その多くが工業化された商品を買いそれを配置するだけ、というものになってしまっています。
しかし、本来職人のつくるという行為は、つかう人のつくるという行為を代弁するようなもので、そこにこそ職人の存在する意義があったと思いますし、職人のつくるものが、つかう人に「つくること」を届けられていたと思うのです。

職人がつかう人の「手」の代わりを担っていたとも言えますが、今一度、職人の技術に光を当てることで、「つかうこと」の中に「つくること」を取り戻せるのでは、と思います。

3.設計によって「つくること」を埋め込む

もう一つは設計という行為に関わることです。

少し分かりづらいかもしれませんが、つくるという行為はただ手を動かすだけでなくて、どういうものを、どうやってつくるかを考える、ということもつくることの醍醐味です。
ですので、つくることをとことん考えながら設計すれば、設計したものにつくる醍醐味のようなものが埋め込まれることがあるのでは、と思うのです。

つくることにおいて、職人さんが「手」の代わりを担うとすると、設計者は「頭」の代わりを担うと言えそうです。

施主・施工・設計の三者が「つくること」と向き合う

この3つのアプローチは、それぞれ、建築に関わる施主・施工・設計の三者によるアプローチです。

施主・施工・設計のどれもが、つくる楽しみから遠ざかってきたと思うのですが、つくる楽しみを取り戻すには、施主・施工・設計がそれぞれが、あらためて「つくること」と向き合うことが大切です。

「つくる楽しみをデザインする」とは、施主・施工・設計それぞれが「つくること」どう向き合うかをデザインすることなのだと思います。

(ちなみにオノケンのロゴの三角形は施主・施工・設計の三者の関わり合いを表していたりします。)

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