B222 『仕掛学―人を動かすアイデアのつくり方』

松村 真宏 (著)
東洋経済新報社 (2016/9/22)

知人に紹介してもらって買った本。
まだ考えがうまくまとまっていないけれども、メモ的につらつらと書きながら考えてみたい。

仕掛け

著者は仕掛を定義する要件として次の3つを挙げている。
・公平性(Fairness):誰も不利益を被らない。
・誘引性(Attractiveness):行動が誘われる。
・目的の二重性(Duality of Purpose):仕掛ける側と仕掛られる側の目的が異なる。
仕掛けを面白く感じるのは目的の二重性によって異なるものが不意に結びつくことにあるように思う。

ここを読んで、事務所のキックオフイベントとして行った模型展を思い出した。
投票によって人型を並べてもらったのは、投票行為であるのと同時に、町並みに見立てた会場の賑わいを生み出すことでもあったし、模型を持ち上げないと展示の一部が見えないようにしたのは、模型に手を触れることを遠慮することを避けることでもあった。
うまくいったと感じた仕掛けは確かにこの定義を満たしていたように思う。

また、便宜的に仕掛けの原理を分類体系としてまとめられていたが、これは原理を理解する手助けになる。
仕掛学研究会ホームページ論文より引用

心理的トリガは物理的トリガによって引き起こされ、互いが自然に結びつく関係にあるとき、その仕掛けはうまく機能する。

建築と仕掛け

さて、建築と仕掛けについて。
東京での修行時代、その時の所長に「お前は建築を装置として考えすぎている。」と指摘を受けたことがある。
そこでなされる行為や、そこから受け取る印象・感情等と建築とを直接的に結びつけすぎているということだと思う。これには言われて確かにそうかもしれない、と思ったのを覚えているが、その時はだからどうすれば良いというのはよく分からなかった。

仕掛けは定義にある通り、目的を予め想定するものである。
建築が人の行為を規定してしまうことの不自由さの是非を問うような議論は昔からあるが、果たして、仕掛けの目的性は建築にふさわしいものなのだろうか。
鹿児島の建築設計事務所 オノケン│太田則宏建築事務所 » B014 『原っぱと遊園地 -建築にとってその場の質とは何か』

はっきりいって設計するということは、残念ながら本来的に人に不自由を与えることなのだと僕は思う。どんな設計も人を何らかのかたちで拘束する。だから、僕はそのことを前提にして、それでも住むことの自由を、矛盾を承知のうえで設計において考えたいと思っている。それが、つまり、「いたれりつくせり」からできるかぎり遠ざかった質、ということの意味である。もともとそこにあった場所やものが気に入ったから、それを住まいとして使いこなしていく。そんな空気を感じさせるように出来たらと思う。

それに対して本書では「仕掛けは行動の選択肢を増やすもの」としている。

仕掛けの良いところは、あくまで行動の選択肢を増やすだけで行動を強要しないところにある。もともと何もなかったところに新たな行動の選択肢を追加しているだけなので、最初の期待から下がることはない。どの行動を選んでも自ら選んだ行動なので、騙されたと思って不快に思うこともない。(Amazonページより)

行動を誘引はするけれども強要はしない。

ギブソンはアフォーダンスという概念で、知覚する側からの視点で世界を捉えることを徹底したが、そういう視点で仕掛けを見た時、仕掛けはあくまで選択肢の一つとして立ち現れるもので、能動性は担保されうるように思えなくもない。
そして、その能動性が先の3つの要件、公平性・誘引性・目的の二重性によって守られるのだと考えると、この定義の重要性も見えてくる。
うまくすれば仕掛けも出会いの一つ足りうるのかもしれないな。(ただし、その効果はこの本でも書かれているように減衰するものであって、減衰後のあり方にも配慮が必要だろう。)

うーん、やっぱり油断すると建築を(出会いのための)装置として考えてしまいそうになる。
そこから距離を取るためにギブソン的な視点の転回を必要としてるんだけど、忙しさにかまけてしばらく思考をサボるとその辺の感覚を見失ってしまうし、その視点と設計という行為とのジレンマに負けそうになってしまう。

結局、修行時代に受けた指摘に応えるためにまだ藻掻いてる感じで、修行はいつまでも続きそうだな。




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