B135『農で起業する!―脱サラ農業のススメ』

杉山 経昌
築地書館

『脱サラ』『悠々自適で週休4日』というのをみて親父のこと?と、すぐさま抽選に申し込んだところ当選しました。2005年ですから案外前の本なのですね。

ここでも何度か書きましたが、僕の父は20年ほど前に脱サラして屋久島で、農業を始めました。
今では週に2日ほどしか仕事をせずに、後は海に行って船に乗ってるか魚のことばかり考えていると母が嘆いています・・・。

そんな父を見ているのでこういうサラリーマン上りのスーパー農家がいることは容易に想像できます。
逆にここで書かれているような問題提起が、農業の世界でいままであまりなされてきていなかったことを不思議に感じます。

ただ、僕も何度かこういう農の生活を考えて悩んだこともあり、今は建築でやっていくことにして悩むのをやめにしているので、ここで書かれている”生活”についてはとりあえず横においておこうと思っています。

数字にする威力

「感覚」や「感じ」「雰囲気」のような曖昧な領域であった農テクニックを、(中略)ビジネス的シミュレーションによって、成功にみちびく!(オビより)

この本を読んで一番に感じるのは一端数字にして分析できるかたちにしてみるということの効果の大きさです。

詳しく知ってるわけではないのですがおそらく父も分析派の農家だと思います。それでも僕には農業の個々の判断は「感覚」や「感じ」「雰囲気」のような曖昧な領域である、というイメージがありました。

僕自身、割と数学が好きだった方なので、数学的に”答えがだせる”か、もしくは”納得できるまで試行錯誤が出来る”のではないと不安を感じてしまう性格で、どちらかというと”曖昧な領域”を経験などで判断することには不得意で劣等感のようなものさえ感じています。

僕は釣りも好きですが、仕掛けやもろもろの工夫と釣果の間をきちんとつなぎ合わせるほどの経験も想像力も持ち合わせていないので、好きだけども良くわからないというのが本当のところです。そこでいろいろと決定を下せる人を見ると尊敬しますし、仕掛けなんかはその人に任せてしまいます。

また、建築にしても答えのない世界なので、不安を拭い去るためにそこに何か自分なりの必然性を見つけたいというのが、建築を学ぶことの動機の多くを占めていると思います。

そんなことで、以前、農を自分の問題として考えた時に思ったのは、なんだかんだいって答えの出ない領域で判断をしていかないといけないんでしょう?それが僕に出来るんだろうか?(面白いんだろうか?)ということでした。いや、僕は結構不得意かも知れないと。(じゃぁなんで建築なんてしてるのか、ということですが、何ででしょう?面白いんでしょうね。)

でも、この本を読むと、あれっ、僕でもできるんじゃない?という気になりました。
きちんとデータを取って分析し、仮説を立て検証しながら判断していけば論理的に判断することができるような気がしてきます。
”「感覚」や「感じ」「雰囲気」のような曖昧な領域”であったことも、一端数字というかたちで扱えるようにしてやれば何も恐れることはない、ということをありありと感じさせてくれる本でした。
(それは全てを思いのままにコントロールできるということではなく、把握し対策が立てられるということ)

農業というわかりやすいケースを例にした経営スタディ

第1章で農業経営というビジネスが語られているほか、第2章では農業事情、第3章で理想のライフスタイルについて語られています。

第2章は消費者の側からすると食というテーマで語られるようなことで考えさせらることも多かったですし、第3章は(僕もある程度は体験してきてますが)著者の楽しさ・喜びが素直に感じられました。

ですが、著者の体験を通じて”「感覚」や「感じ」「雰囲気」のような曖昧な領域”がダイナミックに論理的に扱える領域に変るのを体感でき、数字の勘所が理解できたことは『農業というわかりやすいケースを例にした経営スタディ』という点だけからでも得るものの多い本だったと思います。(考えてみたらこれほどわかりやすいケースもあまりないんじゃないだろうか。)

続編?もあるようなので経営スタディとして続けて読んでみたくなりました。

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