1

B110 『M2:ナショナリズムの作法』

宮台 真司 (著), 宮崎 哲弥 (著)
インフォバーン (2007/3/1)


こちらも本が好き!より。
honsumiさんの書評に『これだけ読者を置き去りにする対談も珍しい。』と書かれていたが、読んでみてなるほど、と感じた。

宮台真司の著作は何冊も読んでいるし、Podcastも聴いた。だけれど、今まで触れた宮台と本著では宮台らの向いている方向が少し違う。本著にはこれまで僕が触れたものに見られた、”一般の読者に対して説明すると言う意識”がほとんど見られないのだ。
専門的な内容に対して読者が予備知識をもっている前提で、それこそ読者お構い無しでどんどんすっ飛ばしていく。

それでもめげずについていくと、読んでいるその瞬間はなんとなく分かったような気にはなる。しかし、1時間もたてばもうどういう論の展開だったか思い出せないことが多い。

これは、これまでもそうだが宮台の言説は、”○○は○○だから○○でその対処は○○である”と言うように、論理的な流れが明確で、まるで数学の証明問題の解説を読んでいるような感じがする。
きっと、あらゆる命題や反論に対してそういう流れを用意しているのだと思う。

しかし、一度読んだだけではその流れが頭に入らない。
受験生時代に化学反応の流れ(ベンゼン環がどうのと言うやつ)を1枚に自分でまとめたのがすごく有効だった覚えがある。同じようにノートにフローチャート式にまとめてみれば頭に入るだろうと思うが、なかなかそんな時間は取れない。ましてや一般の人がそんな労力をかけるはずがない。

そこで提案。

受験参考書のノウハウを取り入れた『チャート式宮台真司2007』とか『M2の使い方社会学は暗記だ!』というような感じの要点のみを簡潔にまとめた参考書を、彼らのいろんな著作を横断・対応させるような形で誰か作ってくれないだろうか。
あくまで補助的な書物ということで内容が絞られていれば絞られているほど良い。
一般の需要があるかはともかく僕は手元に置いておきたいし、こういうものがあれば、もしかしたら多くの人が読みっぱなしで終わることも減るかも知れない。

反復復習は”お勉強”の基本であるし、ある程度基本の流れが頭に入ってこそ応用ができるというものだ。(もしかしたらそういう本がすでに出てるかもしれないが)

なぜ(対談が)続いたのか。理由は明白だ。宮崎氏も私(宮台)も<社会>に関心を示さなかったからだ。<社会>に関心を抱かない二人が<社会>について話すのは気楽だ。全ての対立を単なるゲームとして再帰的に観察してやり過ごせるからだ。・・(中略)・・でも、不真面目というのではない。むしろこうした再帰的態度がラディカルな(徹底した)思考を可能にした。・・(中略)・・<社会>に関心のない二人が・・(中略)・・いつの間にか<社会>について思考しなければいけない場に押し出された。<社会>に多大な関心を抱く物が大勢いる中での二人の共通の道程は何かを意味していよう。

時に突き放したような冷たい印象を受ける二人だが、それは徹底した思考をするために必要なポジションなのだろう。
また彼らの論は普段の感覚ではちょっと戸惑うような選択を促すことも多い。しかし、それに感情的に反発せずに一度冷静に考えてみる価値はきっとある。それで、なるほど自分が安直だったと納得させられることも多いのだ。

フランスでは「連帯」という社会形式自体がコモンズだと考えられてきた。だから”家族の平安が必要だ”に留まらず、”家族の平安を保つにも、社会的プラットフォームの護持が必要だ”という洗練された感覚になる。日本人にはその感覚は皆無。家族の問題は家族の問題に過ぎない。

最近宮台は欧州的な生き方を参照することが多いような気がする。日本も、自分たちはどのような未来を目指し、どのような選択をしていくのかというのを個々が真剣に考えなければいけない時が来ているのではないだろうか。
(日本人は”とりあえず自分たちにはおいしいところを”というだけで、何かを”選択する”という思考も苦手ではないだろうか)
誰かが社会を変えてくれるのを待つしかない、自分たちは考えても無駄だ、というのをそろそろ卒業しないといい加減やばい。
そういう意味で、それぞれの仕事や生活のスタイル、また例えばNPOの活動などで別の在り方を模索し実際にそれを描こうとしている人たちがいるが、その先にはかなり開かれた可能性があるのではないだろうか、という気がしている。