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B094 『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』

C.ダグラス ラミス (2000/09)
平凡社

東京にいる頃に本屋で見つけ題名に魅かれてつい買ったもの。
読んだ印象があまり記憶に残っていないので、そのときはそれほどリアリティを感じなかったのかもしれない。

今読んでみるとまた印象が変わるのかな、と思い再読してみた。
(さっき気づいたのだけど『世界がもし100人の村だったら』の再話・翻訳もダグラス ラミスだった)

内容はタイトルの枠に収まらず戦争や環境問題、政治についてなど幅広い問題を扱っている。
最初はタイトルを『21世紀へのコモンセンス』にするつもりだったそうだが、共通しているのは今流通している『常識』が私たちにとって正しいのか、誰のための常識か、と問うところにある。『常識』は、それは”常識だから仕方がない”というように、人々から思考の機会・選択の機会を奪う。
その機能ゆえに一部の目的のために『常識』が捏造され利用されてきた。
その代表が”経済成長・発展”が当然とする常識である。この本では、そういう『常識』を歴史を遡ったり、冷静に分析することでそれが如何に非現実的で、私たちの思考や選択の機会を奪っているかを解りやすく暴いていく。著者は今の経済主導の社会を氷山に向かって突っ走るタイタニックに例えている。(僕はまだ観ていないけれども)『不都合な真実』が話題になっているように、舵をきらなくてはいけないことは明白だ。

舵をきるためには『常識』によって奪われている”思考すること・選択すること”を取り戻さなくてはいけない。
道は自分たちで描けると言うことを思い出そう。

今の『常識』を都合よく感じている者はそれを維持するために必死で人々の恐怖を煽る。
それから自由になることは簡単なことではないかもしれないけれど、それに打ち勝つ勇気と想像力を育てよう。
まずは『常識』の示すものとは異なる可能性があることをイメージすることから始めよう。

一番必要なのは、道を楽しく描いてくれる人なのかもしれない。

幾分昔の本だけれども今でも全く古びていないし、とても読みやすい本なので是非一度読んで見てください。それにしても、なぜ前に読んだときにそれほど印象に残らなかったのか。それが不思議です。
(あたり前のことといえばあたり前のことしか書いていないのもあるが、前は今ほど危機感を感じていなかったのかもしれない。また、鹿児島だからこそリアリティを感じられた部分もあると思う。)