B159 『BE A GOOD NEIGHBOR ぼくの鹿児島案内』

岡本 仁 (著, 編集)
ランドスケーププロダクツ; 1版 (2010/2/5)

昨夜、本著の出版記念パーティーがあったので行ってきました。
この本についてそれ程知っていたわけではないのですが、半分は興味本位、半分は古い友人等に会えると言うことで参加させて頂きました。
本自体はまだざっと目を通しただけなのですが、昨夜のイベントの記録も兼ねて書いてみます。

トークショーは400年の伝統を受け継ぐ十五代沈寿官氏と北海道・夕張出身の岡本仁志氏。

沈寿官さんの言葉には繰り返し繰り返し思考を重ねていった個人としての歴史と沈家400年の歴史を同時に感じられて興味深かったですし、炭鉱町で生まれ「原風景がない」と言う岡本さんには共感というか、自分と重ね合わせて考えさせられました。

僕も両親が岡山と広島の出身で、僕は奈良で生まれ、中学生のころ屋久島に移住、その後鹿児島本土→大阪→東京→鹿児島本土と住むところを割と点々としています。
鹿児島で生まれ育ったわけでもないし、自分では住む場所は別にどこでも構わなくてたまたま今鹿児島にいる、と言うような風に考えていました。(おそらくずっと鹿児島で暮らすことになると思いますが)

そういう僕が鹿児島とのかかわり合いを考える上で岡本さんの立場はすごく興味深かったです。

正直にいうと、イベントに参加し本を入手する前のあまり良く知らない段階では、この本が「東京の人の目線で作られた紹介本。もしくは東京への憧れ目線の混じった本」なんだろうと漠然とイメージしていました。(すみません。ランドスケープの発行と言うことすら知らなかった・・・)

ですが、トークショーが始まってすぐに、もっと重要な本なのかもしれないと感じました。もしかしたら、「東京の人の目線で作られた紹介本」というのはある程度当たっているかもしれませんが、そこには嘘や飾り気を感じられず、岡本さんと鹿児島が出会って素直に生まれたものだと言う感じがしました。

それは、もしかしたら岡本さんが特別な原風景を持たなかったために、何かと比較することなくかえって素直に鹿児島を感じられたからかもしれません。(勝手な想像ですが)

トークショーを聞きながら、なんとなく「これはもしかしたら鹿児島にとって(少なくとも僕にとって)重要な本・場なんじゃないだろうか」と感じたわけですが、それがどういう意味合いで重要だと感じたのかはもう少し反芻する必要があるような気がします。

岡本さんと鹿児島とのあまりにも自然な出会いの形、というのを目の当たりにして、”鹿児島”がだいぶクリアに澄んで見えるようになったような感覚があったのですが、そのあたりを手がかりに本著をじっくり読みながらもう少し鹿児島との関わり方について考えてみたいです。

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コメント:3

    すっとん卿's Gravatar すっとん卿 10-02-01 (月) 12:56

    聞きたかったなー。でもオノケンさんのレポートで、
    伝わってくるものがありました。
    他者の視線でないと、あぶりだせないものがある。
    オノケンさんのこのブログにも通じる魅力です。

    しがらみ=空気

    だとして、思い切って言ってしまえば
    中原さんや岡本さんやナガオカさんさんは

    KY

    なわけです。もちろんポジティブな意味で。
    「そうは言ってもさあ、いろいろあるわけよオトナの世界は」
    とか眠たいこと言わず、
    正しいと思ったことをサクサクやる。
    かっこいいと思います。

    そして僕は、
    他者の目線が取りこぼすものを
    拾っていきたいと思います。
    デリケートで地味な作業で、
    かつ賞賛されない感じですが。

    オノケン's Gravatar オノケン 10-02-01 (月) 17:18

    かなり鈍感と言わざるを得ないのだけれども、このイベントに参加させて頂いて初めて中原さんや清水さんのやろうとしていることが理解できたような気がしました。

    ナガオカさんのブログで書かれているようなマイナスのことは知人の話などでリアルに聞いていたのですが、ある程度周りの評価がついてくると変わってくるようですね。

    >他者の目線が取りこぼすものを
    >拾っていきたいと思います。
    >デリケートで地味な作業で、
    >かつ賞賛されない感じですが。

    こういう作業の積み重ねがすごく大切で、岡本さんのような人と、「他者の目線が取りこぼすもの」が違和感なくつながる様子に感銘を受けたというか、あまり感じたことのない感覚を覚えました。
    この作業なしではおそらく中原さんのやろうとしていることは意味をなさないのだと思います。
    頭で考えると、普通に考えられるような活動なのに、なぜそういう感覚を覚えたのは今のところ自分でもよくわかりません。
    たぶん、その感覚のもとでは、すっとん卿さんの活動も決して「賞賛されない感じ」ではなく実を結ぶことができる、とすっと言えたと思うのですが。
    なんとなく掴みきれない可能性の種のようなものを拾った気がするのですが、その正体をちゃんと見えるようになりたい気分です。

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