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B076 『建築依存症/Archiholic』

安部 良
ラトルズ(2006/04)

安部良と言う建築家のことはよく知らなかったがタイトルに魅かれて読んでみたらとても共感できる本であった。

設計者とモノとの距離がとても近い。
そして建物と人との距離も近い。

しかし、その距離を縮めるのはそう簡単な事ではない。

僕の建築のテーマも肉体と建築の関係だから、何かにとことん執着しなければつくれないことがよく分かっていた。

ガウディやスカルパに魅かれ石山研の出身であるのも頷ける。

今の建築はほとんどがカタログから選ばれた「製品」の組み合わせでしかなく、それぞれの「製品」の表情はマーケティングの結果としての外面のいい顔がほとんどである。
モノが人と腹を割って話そうなどとは考えてもいない。例えば、思いをこめられず、ただ貼られたビニールクロスにはモノとしての力は、ない。
そして死んだような表情のモノと人との距離は遠い。多くの人はその距離には無関心だ。

僕もなかなかモノと関わることはできていない。
モニターの中で上辺だけのものを描くことしかできていない。

もっとモノの近くにいきたい。そして、建築に、モノに命を吹き込みたい。

「生活者と会話のできる建築がつくりたい」と僕は文中で何度か繰り返している。もちろん建築が声を出してしゃべるわけは無い。でもただ建築を擬人化して、あたかも会話が成立するような親密な空間をつくりたいと言っているだけでは物足りない。例えば小さめのホールで弦楽四重奏の演奏を体験したときに身体中が響きに包み込まれて深く感情を揺さぶられることがある。バレリーナの肉体の躍動を間近で見て、頭の先からお尻まで、脊髄に電気が走るような感覚を覚えることがある。歌手の声が、それが誌のないハミングのようなものであっても、その抑揚と声色だけで心に直接的に届いて、せつなさや嬉しさを感じることがある。生身の人間によるパフォーマンスが体験者の感情に直接的に届くように、建築もパフォーマンスができると僕は思っているのだ。

あたりまえのことかもしれないが、最近デザインとは「関係」のことだと強く思うことが多い。