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under’s high vol.7



かかさず読んでるunder’s high。
今回はプレカリアートがテーマでした。

プレカリアートという言葉に初めて触れたのは「本が好き!」プロジェクトで献本していただいた『生きさせろ! 難民化する若者たち』。
オノケンノート ≫ B111 『生きさせろ! 難民化する若者たち』

前回読んだ本で宮台真司が日本人は”ゲーム盤”(自分が所属する社会のたとえば環境やルールなど)を意識するのが苦手、と指摘していたが”ゲーム盤”が今どのようなものであるかを知り、ゲームのルールを自分たちで変えていくんだ、という意識を持つことが大切である。 本著で”プレカリアート(不安定を強いられた人々)”という言葉が紹介されている。生きていくのに絶えず不安に曝され続けなくてはならないゲーム盤がすばらしいとはとても思えない。

たこはんさんが
さつませんだい徒然草:有効求人倍率その2 – livedoor Blog(ブログ)

その想像力の無さが今の数値を作り出しているのかもしれません。

というように、一番の問題は社会(ゲーム盤)への”想像力の欠如”にあるように思います。

ですが、ゲーム盤の存在は最近の金融危機や食料などの安全性の問題などを通して、他人事ではなく少しずつリアルに感じるようになってきているのではないでしょうか。

日常で買い物一つをするにしても、そこには、労働形態や生産方式などのその商品の背景にあるシステム、ひいては町並みや地球の裏側の子供の命まで含めた在り方にかなり強力な一票を投じている、という側面があります。(株なんかもそうかもしれませんね)
そういうことを皆が意識して行動すれば確実に何かが変っていくように思います。

これは自分自身も反省すべきことは沢山あります。
また、個人の出来ることでいろいろな活動があるかもしれませんが、最近は、実はこういう一票の積み重ねが一番力があるんじゃないかという気がしています。

そういう意味では、今のようにいやでも想像せざるをえないような状況はある意味チャンスかもしれません。

このフリーペーパーでchabinさんが書かれている「鹿児島共生論」とも関連があるかもしれませんが、たとえば、自分たちの住んでいるところに胸をはれるような活気のある中心街がないのは恥ずかしい、と思えば天文館で”一票を投じる”のも意味のあることでしょう。
それで、投じられた側がその一票を励みにより良いマチにしていき、それでまたそこに一票を投じるというサイクルが出来てどんどん良くなればすごく面白そうじゃないですか?

ヴァーチャルを再反転してリアル・シムシティ。 (シムシティ(Wikipedia))

あっ、このイメージはよさそう。個々が街を育てるっていう感覚はゲーム世代には分かりやすいかも。
となれば、そのサイクルの可視化が重要かな。

P.S ウィンドウ・ショッピング』の世界展の大寺さんと井原さんの対談も載ってます。