「確信」について

-5/29追伸アリ
友人からもらったコメントでなんとなくつながりが見えてきた気がしたので書いてみる。

僕は今、何らかの「確信」を持っているわけではない。

ただ、まだうまく言葉にならないが、なんとなく何かが「確信」に変わってくれるはずだ、という期待のようなものはある。

しばらくは「確信」まではいかないだろうし、「確信」を探すんだろうなと思う。

いや、探すというより「確信」に変えていく、ということなんだろう。流れの中で。

存在しているものを探すんじゃなくて、生み出す。

ポストモダンの生き方としてはこの違いが決定的な意味を持つ気がする。

存在の確信を持てるものがあるのならそれでもよい。
しかし、中途半端に不変の存在を信じようとすることは、逆に不在に対する不安を伴う。

自ら絶えず確信を生み出し続けること。
仮説としての確信を生きること(!?)

そういう姿勢に自由を感じる。

-追伸
「仮説としての確信」はちょっと弱い気がする。
仮説よりはやはり確信である。

普遍としての確信ではなくて
オリジナリティとしての確信。

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